第4話・問題児 #04
四木女子高校では、現在、生徒は全員学校内で寝泊まりしている。主に使っているのは西校舎で、4、5人程のグループに分かれ、1グループが1つの教室を使っている。青山梨花は、牧野里琴、葉山未衣愛、山口万美の4人で、3階の教室を使っていた。しかし、放課後の喧嘩が原因で、未衣愛たちは他のグループの所に行ったようだ。仕方なく、梨花は里琴と2人だけで眠った。
翌朝、西校舎1階の廊下で、梨花は、未衣愛と万美に会った。声をかけようとすると、2人は目を逸らし、早足に南校舎の教室の方へ行ってしまった。大きくため息をつく梨花。未衣愛たちは、昨日のことをまだ怒っているのだろう。まあ、それも当然だ。昨日言ったことは、自分でも後悔している。どうしてあんなことを言ってしまったのか。すぐにでも謝りたいのだが、あの様子では話を聞いてくれそうにない。どうしたらいいだろう、と、迷っていたら、里琴が、「あ……あ……」と、何か言いたそうにしているので、梨花は里琴の方を向いた。
「あああ……(あたしが、ちょっと話してくる。梨花が、昨日のこと謝りたがってるって)」
梨花は、少し考えてから言った。「そうしてもらえると助かるけど、大丈夫?」
里琴は、力強く頷いた。そして、未衣愛たちを追って、教室へ向かった。
まあ、別に心配することはないだろう。未衣愛たちは当然、里琴の症状のことは知っている。この学校にはもう、里琴の喋り方を笑うような人はいない。ただ1人、転校生の宮沢玲奈を除いては。
宮沢玲奈がこの四木女子高校へ転校して来てからすでに3週間。彼女にはまだ、里琴の症状について話していない。梨花が話していなければ、他の誰も話していないだろう。
――梨花。いつまで、こんなことを続けるつもりなの?
昨日の架純の言葉を思い出す。いつまで里琴のことを黙っておくつもりなのか、架純は、そう言いたかったのだ。
正直、自分でもよく分からない。なぜ、宮沢玲奈に里琴のことを話さないのか。もちろん、里琴のことを笑われるのが嫌だからだ。だが、玲奈は里琴のことを笑うだろうか? 未衣愛は、玲奈には正直に言っても大丈夫だ、と言っていた。そうかもしれない。玲奈は、そんなことで笑うような娘ではないだろう。
――いや、万が一ということも、ある。
宮沢玲奈は、四木高の生徒ではない。この街では、四木高の生徒は落ちこぼれだ。街のみんながあたしたちを馬鹿にしている。玲奈は、県内一のエリート校、聖園高校の生徒だった。あの学校の生徒は、特に信用できない。絶対に、あたしたちを見下している。だから、里琴のことも笑うだろう。表向きでは笑わなくても、心の中で笑うだろう。やはり、宮沢玲奈は信用できない。里琴のことを、話すわけにはいかない。
と、どこからか、小犬の鳴き声が聞こえてきた。
廊下に立ちつくし、考え事をしていた梨花は、危うく気付かない所だった。
――まさか、マリリンちゃん!?
周囲を見回す。廊下にはいない。鳴き声は、外から聞こえてくるようだ。窓の外を見た。すぐそこに、見覚えのあるブラウンのポメラニアンがいた。梨花の姿を見ると、嬉しそうに尻尾を振る。間違いない。マリリンちゃんだ。梨花は窓を開けようと鍵に手を掛けるが。
――しまった、警報機があった。
鍵を開ける前に思い出した。この学校には、全ての出入り口と窓に警報機が仕掛けられている。そのまま開けようものなら、学校中に聞こえるほどの大きなアラームが鳴り響き、ゾンビをおびき寄せてしまうのだ。マリリンちゃんも驚いて逃げるだろう。前から梨花は思っていたのだが、この防犯アラームは、本当にゾンビの侵入対策になっているのだろうか? 確かに、ゾンビがガラスを割った時はすぐにアラームが鳴って学校中に知らせることができる。しかし、その結果大量のゾンビをおびき寄せてしまうのでは、意味が無いのではないのか? そもそもこの窓はゾンビの力でどうにかなるようなものではない。どういうわけかこの学校の警備はアウトブレイク前からかなり厳重で、窓は、ハンマーで叩いても割れないくらい頑丈にできている。つまり、鍵さえ閉めておけばゾンビが校舎の中に入って来ることなどありえないのだ。このシステムは、1度考え直した方がいいかもしれない。
まあ、そんなことより今はマリリンちゃんだ。窓を開けるには警報システムを止めなければいけない。システムを管理しているのは2年生の北原愛だ。スマホを取り出し、愛に電話を掛けた。だが、出ない。コールが20回を越えても、留守電にすらつながらない。またか……。梨花は諦め、電話を切った。愛は研究などに没頭していると、電話をかけても出ないことが多いのだ。直接伝えに行かなければ。電話に出ないということは、研究室にこもっている可能性が高い。研究室はこの西校舎の反対側、東校舎の4階だ。そこにいればいいが、最近は保健室にいることも多い。保健室は南校舎の1階だ。また、この時間なら南校舎のいつも授業をしている教室か、まだ登校していなければこの校舎の3階の寝泊まりしている教室ということもありえる。いずれにしても、そこからさらに南校舎1階の警備室へ行かなければならない。愛がどこにいるか分からない上に、どこにいたとしても時間が掛かりすぎる。戻って来たときには、マリリンちゃんはまたどこかに行ってしまうかもしれない。せめて、誰かがここに残って見張ってくれれば。
「あ、おはよう、梨花」
天の助けだった。声がした方を振り返る。百瀬架純と宮沢玲奈だった。昨日の件があるからお願いしづらいが、一刻を争うから、そんなことは言っていられない。梨花は2人にお願いした。「架純、玲奈さん。あそこに、マリリンちゃんがいるの」
それを聞いて、2人は窓の外を見る。マリリンちゃんの姿を確認すると、顔色が変わった。
梨花は続けた。「警報を止めないといけないけど、愛が電話に出ないの。あたし、愛を探してくるから、2人はここで、あの子のことを見ててくれない?」
そう言って梨花が行こうとするのを、玲奈が止めた。「いえ、ここにいるなら、マリリンちゃんの飼い主の梨花さんの方がいいです。愛ちゃんの所へは、あたしが行ってきます」
そうだった。この娘たちは、マリリンちゃんはあたしの飼い犬だと思っているんだ。本当は里琴の飼い犬なのだが、それを説明するのは後でもいいだろう。「――そう。じゃあ、お願いできる?」
玲奈は頷き、研究室へ向かおうとした。
しかし、その足が止まる。窓の外、マリリンちゃんに向かって、ゾンビが1匹、近づいていた。
ゾンビは人間以外を襲うことはない。しかし、小犬のマリリンちゃんに、それが分かるはずもない。近づいてきた知らないおじさんに怯え、震えている。
「大丈夫よ、マリリンちゃん」梨花は窓越しに言う。「そのおじさんは、怖くないの。マリリンちゃんにイタズラしたりしないから、そこにいて、ね? いい子だから」
だが、梨花が飼い主でないからか、マリリンちゃんは言うことを聞かず、そのまま校庭の方へ走って逃げてしまった。
「ちょっと! 待って! マリリンちゃん! 戻って来て!」
どんなに梨花が叫んでも無駄だった。マリリンちゃんはどんどん行ってしまう。ああ。また逃げられてしまった。里琴になんて言おう。アウトブレイク以降、里琴はマリリンちゃんのことばかり心配していた。物資調達当番で外に出る度に探していたが、見つからなかった。3週間前、玲奈が転校してきた日、ようやくマリリンちゃんの手掛かりを得ることができた。だが、それからマリリンちゃんが姿を見せることは無かった。先週大野先生が鳴き声を聞いたと言っていたが、あれはあたしたちをゾンビに襲わせるためのワナだった。里琴はああいう性格だから、あまり気持ちを表に出さない。しかし、当然誰よりもマリリンちゃんのことを心配しているだろうし、逃げられるたびに落ち込んでいるはずだ。このままでは、また里琴をガッカリさせてしまう。何より、またいつマリリンちゃんが帰って来るか分からない。もう2度と帰って来ないかもしれない。
と、玲奈が。
「――ゴメン、架純ちゃん、梨花さん。あたしが外に出たら、すぐに窓を閉めて、愛ちゃんに警報を止めてもらって」
え? 何を言ってるの? と言う間もなく。
玲奈はバッグからフライパンを取り出し、そして、ためらうことなく窓を開けた。とたんに鳴り響く警報音。その音に反応し、ゾンビの鳴き声も響き渡る。
玲奈は窓の外に飛び出し、すぐ側のゾンビの顔面をフライパンで叩いて倒すと、そのままマリリンちゃんを追いかけて行った。
――あの娘、なんて無茶をするの?
梨花は、信じられない気持ちで走って行く玲奈を見ていた。確かにここでマリリンちゃんを見失うと、次、いつ現れるか分からない。だからと言って、危険なゾンビがいる外へ1人で飛び出すだろうか? マリリンちゃんがゾンビに襲われることはない。仮に襲われたとしても、所詮は犬なのだ。それが自分の飼い犬だというなら話は分かるが、赤の他人の飼い犬のために、そこまでするだろうか? あたしだって、里琴の飼い犬でなければ、こんなに必死になったりはしない。大切な友達の飼い犬でなければ――。
――――。
「梨花? そろそろ窓閉めたいんだけど、どうする?」架純が、いつものすました笑顔で言う。「もし、ここで玲奈ちゃんを追いかけないんだったら、あたし梨花のこと、結構軽蔑するけど?」
「――分かってるわよ、うるさいわね」梨花は、窓を乗り越えて外に出た。「でも、勘違いしないでよね。あたしは、マリリンちゃんが心配なだけ。玲奈さん1人に任せてられないから、行くのよ」
「はいはい、分かってる分かってる。ツンデレってやつでしょ?」架純は嬉しそうに言って、バッグから武器を取り出した。「はいこれ、貸してあげる」
梨花は架純から武器を受け取った。50センチほどの長さの棒で、片側に、握るための短い棒が垂直につけられている。アメリカの映画やドラマで警察官がよく使っている警棒だ。
笑顔で手を振る架純に何か言ってやりたかったが、ゾンビが集まってきているのでやめにした。早く玲奈を追わなくては。梨花は、校庭の方へ走った。