第2話・ボクシング部員 #08
「――茉優先輩。大事な議論中です。寝ないでください」
教卓に立つツインテールの市川美青が、鋭い目で茉優を睨んでいた。お前だって授業中は寝てるか遊んでるかのどちらかだろ、と思ったが、面倒なので黙っておいた。
自分の左腕を見る。包帯でグルグル巻きにされ、首から吊るされた左腕。今見た夢を思い出した。夢、というよりは、過去の記憶だ。茉優にとって、あまり思い出したくないことだった。あんな夢を見るくらいなら、寝ない方が良かったな。
「――では、玲奈先輩。続けてください」
議長である美青に促され、玲奈が話し始めた。「……確かに、愛さんの言う通り、ゾンビ化した人を元に戻すのは難しいかもしれません。でも、だからと言って、昨日まで一緒に勉強してきた友達を、一緒に暮らしてきた仲間を、簡単に見捨てるなんて、あたしにはできません。絶対に、間違っています」
「だから、他に方法が無いんだから、間違ってるも何も無いでしょうが」呆れ口調で答える梨花。
どうやら、茉優が寝ている間に、『ゾンビ化したからといって簡単に殺してもいいのか?』という、倫理的観点からの議論になっているようだ。まあ、この議論も1ヶ月前にさんざんやったから、梨花の気持ちが変わることはないだろうが。
「だったら梨花さんは、友達がゾンビになっても、殺せるんですか? 未衣愛さんや万美さんや里琴さんがゾンビになったら、平気で頭を潰すんですか?」玲奈の感情が、また高ぶって来る。
「そりゃあ潰すわよ。だって、そういうルールだもの」当然のように答える梨花。
「ルールだから……ルールだからって……」
「玲奈、ちょっと、落ち着いた方がいいよ」茉優は横から小さな声で言った。
玲奈は横目で茉優を見たが、茉優には何も言わず、梨花の隣の席の未衣愛たちを見た。「未衣愛さんはどうなんですか? 梨花さんがゾンビになったら、やっぱり殺すんですか?」
「それは、まあ、殺したくはないけど……」梨花の顔色をうかがう未衣愛。梨花が、いいわよ別に、という風にあごを上げたので、視線を玲奈に向けて言う。「……ゾンビになったら殺さないといけないんだから、しょうがないじゃん」
万美も頷いている。2人とも梨花の取り巻きのようなものだ。梨花に逆らうことはないだろう。
「じゃあ、里琴さんはどうなんですか?」玲奈は、梨花の後ろの席の牧野里琴を見た。
それまで我関せずと言わんばかりに窓の外を見て、議論には全く参加していなかった里琴は。
「え……あ……」
突然話を振られて驚いたのか、戸惑いの表情を浮かべる。
「里琴さんも、梨花さんがゾンビになったら、頭を潰して殺すんですか?」玲奈は、もう1度訊いた。
里琴は何も言わず、玲奈から梨花の顔に視線を移した。その表情は、何かに怯えているようにも見える。1週間前、テコンドーで大量のゾンビ相手を蹴散らした姿が、ウソのようだ。
「あー、玲奈、えーっとね」茉優が玲奈に声をかけようとするが。
「里琴も、あたしたちと同じ意見です」梨花が玲奈の視線を遮るように立ち、言った。
「梨花さんには聞いていません。あたしは、里琴さんに訊いているんです」語気を強める玲奈。
梨花は忌々しそうな目で玲奈を見ていたが、やがて振り返り、後ろの里琴に向かって言った。「里琴? あなたも、あたしたちと同じ意見よね? あたしがゾンビになったら、あたしの頭を潰して殺すわよね?」
里琴は、ゆっくりと机に視線を落とすと。
「あ……ああ……」と、小さな声で言った。
「ほら、ね?」梨花は満足そうな表情で玲奈に視線を戻した。「次は誰に訊くの? ま、誰に訊いても、同じだと思うけど? この議論も、1ヶ月前、さんざんやったから。みんなの意見は、統一されてます。ねぇ?」
梨花はクラスのみんなを見渡した。誰も、梨花に反論しようとはしなかった。
「そんな……本当に、それでいいの……?」助けを求めるような玲奈の声、クラスのみんなは、気まずそうに視線をそらす。別に梨花の味方をするつもりはないのだが、この件に関しては梨花の言う通り、1ヶ月前にさんざん議論したのだ。いまさら意見を変える娘はいないだろう。
「それにね、玲奈さん」と梨花。「さっきからあなた、ゾンビになったクラスメイトを殺すのは悪いことだ、みたいに言ってますけど、だったら、あなた自身はどうなんですか?」
「あたしは、そんなヒドイことは、しません!」
「へぇ? そうなんですか。だったら、1週間前のことは、どうなんですか? あの時、玲奈さんも、ゾンビと戦ってたじゃないですか」
「1週間前……あれは、違います!」
1週間前のこと、とは、学校の外に出た生徒会長の岡崎リオを迎えに裏門に行き、駐車場でゾンビと戦ったことだろう。
「何が違うんですか?」梨花は腕を組んだ。「裏門開けて大きな音立てて、近寄ってきたゾンビを、楽しそうにフライパンでポカポカ叩いてたじゃないですか。あなたが叩いたゾンビの中に、あたしの元クラスメイトもいたんですけど?」
「あれは……違う……あたしは……そんなつもりじゃ……」
「まったく、ミソ校のエリートさんは、随分自分勝手なんですね? あたしたちにゾンビを殺すなって言っておいて、自分は、平気な顔してゾンビを殺そうとしてるんだから」
「…………」玲奈は、何も言い返すことができず、うつむいてしまった。
梨花は、フフッと笑うと、教卓の美青を見た。「議長。もうすぐ1時間目も終わりますし、これ以上は話し合ってもムダです。そろそろ、終わりにしませんか?」
「うーん、そうですねぇ」美青は人差し指を顎に当て、考えるようなポーズ。「玲奈先輩、他に、何か意見はありますか?」
「…………」
相変わらず、玲奈はうつむいたままだ。何か言わなければと思っているが、言うべきことが思い浮かばない、そんな表情。その姿を、勝ち誇った顔で見る梨花。
美青は、コホン、と咳ばらいをした。「他に意見が無ければ、校則の変更は無しということで、本日の学活を終――」
「あのー。議長、ちょっと、いいですか?」
そう言って手を挙げたのは、記録係の百瀬架純だ。まあ、記録係と言っても、玲奈たちの意見を黒板に書いたのは最初だけで、途中からは何もせず、退屈そうな表情で立っていただけだったが。
「では、架純先輩、どうぞ」
架純は、すました笑顔で言った。「あたし、こういうのって、何の意味もないと思うの」
その瞬間、クラスのみんなが目を丸くする。
「ちょっと、今さら何言い出すのよ?」梨花の怒った口調。まあ、それも当然だろう。ここまでさんざん議論して来たのに、それを「意味が無い」と一蹴されてしまったのだから。
「だって、そうじゃない?」架純は、笑顔を崩さず梨花を見る。「ホントは梨花、校則のことなんて、別にどうでもいいと思ってるでしょ? 梨花の目的は、玲奈ちゃんをイジメること。玲奈ちゃんを言い負かすことができれば、それで満足なんじゃない?」
「あ……あたしは、そんなつもりはないわ! ただ、玲奈さんが校則に納得しないって言うから、みんなを代表して言ってるだけで――」
「そう? とてもそうは見えなかったけどなぁ? まあ、仮に、梨花が本当に、『みんなが思っていることを代表して言う』なんて、どう考えてもあり得ないことを、万が一、してくれたんだとしても。やっぱり、こういうのって良くないよ。これは議論じゃなく、みんなの意見を玲奈ちゃんに押し付けてるだけ。玲奈ちゃん、今でも、まだちょっとクラスに馴染めてないのに、こんなことされたら、ますます孤立しちゃう。それって、やっぱりイジメだよ」
「…………」
架純の言葉で、梨花を始め、クラスのみんな、申し訳なさそうに目を伏せた。
架純は、それを満足げに見渡すと、今度は玲奈を見た。「それから、玲奈ちゃんも、良くないよ?」
「え……? 何が……ですか?」戸惑いの表情の玲奈。
「だって、玲奈ちゃんも、わざと、クラスに馴染もうとしてないでしょ?」
「そ……そんなことは……」
「ま、玲奈ちゃんの気持ちも分かるんだ。転校初日にいきなりあんな事されたんじゃ、そりゃ、何も無かったみたいに仲良くできないよね? そうじゃない? 茉優?」
架純は、小悪魔のような笑顔を茉優に向けた。ホントにコイツは、言いにくいことを、笑顔でズバズバ言うよな、と、茉優は呆れた。
玲奈も、視線を茉優に向ける。2人の視線が、合った。
架純は、それを満足げな笑顔で見ていた。「玲奈ちゃん、ホントは、ゾンビになった人は殺さなきゃいけないって、分かってるんでしょ? 玲奈ちゃんが気に入らないのは、校則のことじゃなくて、幼馴染の岡崎さんが、玲奈ちゃんの目の前で、頭を潰されて殺されたことなんじゃない? だったら、玲奈ちゃんと梨花が言い合ったって、何の意味もないと思うの。玲奈ちゃんが話をするのは梨花じゃなくて、茉優の方。そうじゃない?」
架純にそう言われ。茉優は、大きく息を吐き出す。こうなったら仕方ない。架純の言う通り、恐らく玲奈も分かっているはずなのだ。例えどんなに仲が良いクラスメイトでも、ゾンビ化したら、頭を潰して殺すしかない、と。玲奈が許せないのは、あたしが岡崎さんを彼女の目の前で殺してしまったことなのだ。
茉優は、ゆっくりと立ち上がり、まっすぐに、玲奈を見つめた。
――玲奈。
岡崎さんの事は、本当に、申し訳なかったと、思ってる。
岡崎さんは、玲奈のために、校則を破って1人で外に出て、制服を持って帰ってきた。
それだけで、岡崎さんが、どんなに玲奈のことを好きだったか、玲奈のことを大切に思っていたのかが分かる。
そして、それは同時に、玲奈も、岡崎さんの事を大切に思っていたということなのだ。
それなのに。
あたしは、玲奈の目の前で、岡崎さんを殺した。
謝って許される問題ではない。どんなに謝っても、玲奈はあたしを許さないだろう。それは、仕方がない。
――でも。
たとえ、あの時に時間が戻ったとしても
あたしはまた、岡崎さんを殺すだろう。
何度時間が戻っても、何度でも、岡崎さんを殺すだろう。
それが、どんなに大切な人でも。
ゾンビになったら、それはもう、決して、元の大切な人ではないのだから――。