第2話・ボクシング部員 #06
「きりーつ! れーい! ちゃくせーき!」
威勢のいいキビキビとした掛け声が教室中に響き渡るが、対象的に生徒たちはダラダラとした動作で礼をする。
教卓に立ち、生徒会長の岡崎リオを真似したのか赤縁のメガネをかけ、市川美青は、ウンウンと満足げに頷きながら教室を見渡した。「それでは、生徒会長の岡崎先輩に代わり、私、市川美青が議長を務めさせていただきます。本日の議題、『ゾンビに関する校則を見直そう』!」
黒板に書かれた『議題・ゾンビに関する校則を見直そう』という文字に手をかざす美青。その横には、チョークを持ち、モデルのような笑顔で立つ百瀬架純。校則を見直す前にまず議長と記録係を見直すべきだな、と、茉優は心の中で呟いた。
「まず、今回の議題を提出した玲奈先輩、どうぞ」美青が玲奈を見て言った。
玲奈は、ゆっくりと立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。「あたしがこの議題を提出したのは、ゾンビに咬まれたり、ゾンビになった生徒を見捨てていい、というのは、やはり間違っていると思うからです。あたしはこの学校に転校してきてまだ1週間です。みんながあたしのことをどう思っているかは分かりませんが、あたしにとっては、みんな大事なクラスメイトです。ゾンビになったらもうクラスメイトじゃない、頭を潰して殺してもいいなんて、そんなヒドイこと――」
「ていうかさ――」めんどくさそうな口調で口を挟んだのは、ギャル系グループのリーダー・梨花だ。「1ヶ月前にゾンビに関する校則を作る時、あたしたち、そういう議論をさんざんしたの。その結果、できた校則なの。いまさらその話を蒸し返されてもねぇ」
壇上の美青が、梨花をびしっと指差した。「梨花先輩。発言は、手を挙げてからお願いします!」
梨花はわずらわしそうな目で美青を睨んだが、素直に手を挙げた。議長の美青に指名され、立ち上がる。「――だったら玲奈さんに伺いますけど、ゾンビに咬まれたり、ゾンビになった生徒を、どうしたらいいんですか? 退学や頭を潰す以外に、何か良い方法があるんですか? ミソ校出身のエリートさんなんだから、あたしたち落ちこぼれには思いつかないような、さぞかし良い方法を思いついたんでしょうね? ぜひ、聞かせてください」
「そ……それは……」口調が弱々しくなる玲奈。「人がゾンビになるのには、なんらかの原因があるはずなんです。その原因を突き止めれば、ゾンビになった人を戻すことだって、できるかもしれないじゃないですか? だから、その方法が見つかるまで、殺さずに、一緒に暮らせば――」
「あの。さっきあたし、そういう議論は1ヶ月前にさんざんやったって、言いましたよね?」再び玲奈の言葉を遮る梨花。「それとも、あたしたち四木高の落ちこぼれは、そんなことにも頭が回らないほどのバカだとでも言いたいんですか?」
「あたしは、そんな……」うつむく玲奈。
はぁい、と、間延びした声で手を挙げたのは、ゾンビを研究している北原愛だ。「まぁまぁ梨花さん、玲奈さんは、1ヶ月前は四木高にいなかったんですから、仕方ないじゃないですか。あたしが、ちゃんと説明しまぁす。今のところぉ、ゾンビになった人を元に戻す方法は、ありません。断言はできませんけど、たぶん、無理じゃないかと思いますね。確かに玲奈さんの言う通り、人がゾンビになるのには、なんらかの原因があるはずなんです。でもぉ、仮にその原因が特定できたとしても、原因を取り除けば元に戻るとは、限らないんですよ。あたし、授業が始まる前、『ゾンビはエメラルドゴキブリバチのような感じかも』って話をしましたよね? あれで考えればわかりやすいと思うんです。1度、エメゴキバチちゃんに捕まったゴキブリは、麻酔を撃たれて、タマゴを産み付けられて、ふ化した幼虫に内臓を食べられるんです。そうなったゴキブリを、元の元気なゴキブリに戻すなんて、不可能です」
「でも……ゾンビは寄生虫じゃないって、愛さんが言ったんじゃない」玲奈も反論する。「もしかしたら……そう! ウィルス性の感染症かもしれないわ。インフルエンザみたいな感じ。インフルエンザなら、治療薬も、ワクチンもあるんだから、ゾンビウィルスに対しても、治療薬ができる可能性も、ゼロじゃないでしょ?」
「確かに、ゾンビがインフルエンザのようなウィルス性の感染症だって可能性は、十分あると思います。もしそうなら、治療薬やワクチンが作れる可能性もゼロではないです。ですが、だかと言って、ゾンビになった人を殺さずに一緒に暮らすというのは、あんまりオススメはできませんねぇ。インフルエンザって、今までの治療薬が効かない新種が現れるかもしれない、って、よく言われてるじゃないですか。もし、新種のインフルエンザが現れたとして、それに対する治療薬やワクチンを作るのに何年かかるか、玲奈さんならご存知ですよね? 早くても、1年から2年くらいと言われています。ありふれたインフルエンザの新種に対する治療薬でさえ、開発するのにそれくらいの時間が必要なんです。仮にゾンビウィルスなんてものが存在するとして、そんな未知のウィルスに対する治療薬が完成するまで、何十年かかるか想像もつきません。そんな長い間、ゾンビの人をそのままにしておくんですか? 授業の前にも言いましたけど、ゾンビだって何も食べないと死んじゃうんです。ゾンビは人間しか食べないんですよ? ゾンビのエサ、どうやって調達するんですか?」
「そ……それは……」
「それにぃ、ゾンビは医学的に見て、絶対確実100パーセント、死んでるんです。今までの研究で、これだけは確実に分かっていることです。死んだ人を生き返らせる薬を作るのは、ちょっと難しいんじゃないですかね? 仮にゾンビの治療薬が開発できたとしても、せいぜい、ゾンビから普通の死体に戻すくらいだと思います。だったら、頭を潰すのと、大して変わらないと思いますけど」
愛の説明に、玲奈は何も言い返すことができなくなり、黙ってうつむいてしまった。
「はい、論破」ギャル系グループのリーダー・梨花が、勝ち誇った表情で玲奈を見た。「あたしたち四木高の落ちこぼれ相手に何も言い返せないなんて、ミソ校のエリートさんも、大したことないわね」
論破したのは梨花じゃないだろ、と、茉優は思ったが、何も言わないでおいた。
まあ、梨花の言う通り、このテの議論は1ヶ月前にさんざんやったのだ。その結果できた、ゾンビに対する校則。ゾンビへの新たな対処法が見つからない限り、いくら議論してもムダだろう。ゾンビに咬まれた生徒は退学にして学校から出て行ってもらい、ゾンビになった生徒は頭を潰して殺すしかない。
と、いうわけで。
玲奈には申し訳ないが、この件に関しては味方をしてあげられない。だからと言って梨花と一緒に玲奈を論破するのも、集団で1人を攻撃しているようで気が引ける。ここは、関わらない方がいいだろう。茉優は怪我をしている左腕をかばい、右腕を枕にして机にうつ伏せになった。
完全に玲奈の劣勢だが、それでも議論は続いている。早起きしてボクシングの朝練をしていた茉優にとって、それは心地よい子守唄のようなものだった。茉優はやがて、まどろみの世界に落ちて行った――。