第1話・転校生 #02
周囲の景色は、畑や田んぼが目立つようになり、民家はかなり少なくなってきた。街からかなりはずれた国道を走っている。この道は、父の車で何度も通っている。このまましばらく進むと山道に入り、そこを抜ければ隣の街だ。玲奈の住んでいる街とは比べ物にならないほど大きな街だから、きっと、生きている人がいるだろう。
でも、もしその街にも、誰もいなかったら……。
玲奈はブンブンと首を振り、イヤな考えを頭から追い出す。そんなことは無い。この世界にあたし1人なんて、確率的にありえない。大丈夫。生きている人は、きっと見つかる。
玲奈はブレーキを軽く握り、少しスピードを落とした。ここから先は急勾配が続く。体力は温存しておいた方がいい。玲奈がいま乗っているのはギアが付いていない安物のママチャリだ。できれば電動アシスト付き自転車かマウンテンバイクが欲しいところだが、贅沢は言っていられない。走行できる自転車があるだけでもラッキーなのだ。
――うん?
山道に入る手前で、急にペダルが重くなった。やがて、ガタガタと車体が上下に揺れるようになり、乗り心地が悪くなる。またか……。玲奈はため息とともに自転車を停め、タイヤを確認した。後輪のタイヤがパンクし、ペチャンコに潰れていた。これでもう5台目だ。アウトブレイクでゾンビだらけの世界になり、道路にはガラス片や石がいたるところに散乱している。なるべくそういったものを踏まないように心がけてはいるものの、どうしても避けられない所もあり、パンクが多くなってしまうのだ。
――まいったな。早く新しい自転車を見つけないと。
音楽プレイヤーを止め、イヤホンを外した。周囲を見回す。田んぼや畑、森林が広がり、民家はまばらだ。使える自転車があればいいけど。玲奈は自転車のカゴから聖園高校のバッグを取り出すと、100メートルほど離れた場所に見える民家へ向かった。
道路から少し脇に入った小高い土地に建てられた、古めかしい木造の家だった。庭だけで、3LDKの玲奈の家の3倍はありそうな広さだ。街から離れているだけあって、土地代が安いのだろう。周囲をうかがいながら庭へ入る。玄関の側に、赤いマウンテンバイクが停められていた。運がいい。ギア無しのママチャリとは比べ物にならないくらい坂道が楽になるだろうし、パンクにも強いだろう。玲奈は喜んで乗ろうとしたが、その表情が曇った。前輪と後輪に、しっかりとチェーンの鍵がかけられていた。田舎は人が少ないから、家に置いている自転車に鍵をかける習慣は無い、と聞いたことがあるが、どうやら都市伝説だったらしい。庭を見回す。他に自転車はなかったが、庭の奥にガレージがあった。シャッターは下りておらず、中には、黄色い軽自動車があった。
――自動車、か。
玲奈はガレージの中に入った。自動車があれば、隣街へ行くのは格段に早く、楽になるだろう。
しかし、玲奈は17歳なので、当然免許は持っていないし、運転もしたことが無い。それどころか、ゲームセンターのドライブゲームですらまともに走行できず、すぐにゲームオーバーになってしまう腕前だ。どんなに早くて楽でも、事故を起こしてケガをしたり死んでしまったら元も子もない。自動車はダメだ。
――あ、でも。
ガレージの奥に、黒の原付バイクが置いてあった。原付の免許も持っていないが、このゾンビだらけの世界でそんなことは気にしなくていいだろう。運転方法はなんとなく分かるし、ゆっくり走れば事故を起こす可能性も低い。これなら大丈夫かもしれない。しかし、残念ながら鍵は刺さっていなかった。やっぱりダメか……諦めかけた玲奈だったが、ふと気づく。鍵なら家の中にあるのではないだろうか? その可能性が高い。玲奈は玄関前に戻った。古めかしい引き戸の取手を引く。ガラガラと音を立て、あっさりと開いた。入ってすぐ正面に2階への階段があり、階段の脇には廊下を挟んで居間、廊下の奥は台所のようだ。
「……おじゃましまーす」
一応断って家の中に入る。靴を脱ぎ、上がろうとして。
ゴト。
奥で、何か物音がした。
――え? 誰かいる?
玲奈は慌てて靴を履いて玄関の外に出た。考えてみれば、家の中に住人がいても別におかしくはない。問題は、それが生きている人か、ゾンビか、だ。
「えーっと、誰か、いますか?」
恐る恐る、家の奥に向かって言う。お願い、生きている人であって――そんな祈りもむなしく、奥から現れたのは、エプロン姿の中年女性のゾンビだった。この家の奥さんらしい。ゆっくりと、こちらに歩いてくる。続いて、居間から白のランニングにモモヒキ姿のご主人ゾンビが現れ、2階からは、玲奈と同い年くらいの男の子ゾンビが降りてきた。
――ダメだ。鍵は諦めよう。
立ち去ろうと振り返った玲奈は、ビクッ、と、身を震わせた。どこから現れたのか、すぐ後ろに農作業着姿のおじいちゃんゾンビが立っていたのだ。
おじいちゃんゾンビは歯を剥き出しにし、両手を挙げて玲奈につかみかかろうとする。
玲奈は、とっさにおじいちゃんゾンビを両手で突き飛ばした。
フラフラと後ずさりをし、尻餅をついて倒れるおじいちゃんゾンビ。玲奈はそのそばを駆け抜け、全力で走った。ゾンビ一家はしばらく玲奈の後を追って来たが、ゆっくりと歩くことしかできないゾンビに追いつかれることはない。やがてゾンビ一家は追うのを諦め、家の中に戻った。それを確認し、玲奈は走るのをやめ、息を整える。
――仕方がない、歩いて行こう。
しばらくは民家の少ない道が続くが、この山の山頂近くには学校があるので、その周辺はコンビニや飲食店などがあり、比較的賑わっている。自転車の1台くらい、すぐ見つかるだろう。玲奈は再びイヤホンを付け、音楽プレイヤーの再生ボタンを押した。
しかし、イヤホンから音楽は流れてこない。画面を確認すると、充電切れの表示。
「……最悪」
思わずつぶやく。どこかで充電しないといけない。もっとも、すでにこの街の電気の供給は止まっているので、コンセントに刺して充電、というわけにはいかないのだが。
玲奈はため息とともにイヤホンを外し、歩き始めた。
3時間ほど道路沿いを歩いた。途中、何件か民家を覗いてみたが、使える乗り物はなかった。もうすぐ陽が暮れる時間だ。まだ隣街までの道のりの半分も来ていない。このままのペースでは、今日中に着くのは無理だ。夜の山道は危険だ。電気が止まっているので街灯は点かないし、そもそも街外れのこの辺りはその街灯すらほとんど無い。懐中電灯も何も持っていない玲奈が1人で歩くのは危険すぎる。どこかで一晩明かさないといけない。幸い、もう少し行ったところにコンビニがあったはずだ。玲奈は重い足を引きずり、歩いた。
なんとか暗くなる前にコンビニについた。その外観を見て、玲奈は、自分はまだ運に見放されていないな、と思った。街にあるコンビニはどこも荒れ放題だった。ガラスというガラスが割られ、食料や電池など使えそうなものは全て略奪され、ヒドイ所では建物が半壊していた。しかし、目の前のコンビニは電気こそ消えているもの、ガラスは割れておらず、ここから見る限りは綺麗なものだった。さすがは人気の少ない地域だ。自動ドアを手で開け、中に入る。店内にゾンビはいない。念のため、トイレや事務所の中も確認したが、誰もいなかった。残念ながら、食料や電池などは誰かが持ち去ったらしく、役に立ちそうなものはなかったが、建物が無事なだけでも幸運だろう。玲奈はしっかりと入口の鍵を掛け、外からは見えないよう、棚の陰に腰を下ろした。ようやく人心地。
安心すると、ヒドくお腹が空いていることに気が付いた。昨日の夜から何も食べていない。バックを開ける。家から持ち出した食料は残りわずかだ。シーチキンの缶詰が1つと喉飴が1袋、そして、500ミリリットルのペットボトルの水が1本。のど飴は大切にしないといけないから、今日はシーチキンを食べよう。バッグから取り出したて、玲奈は自虐気味に笑った。こんなゾンビだらけの世界になっても喉のことを気にしている自分が、妙におかしく思えた。
缶詰1つでは到底お腹は満たされないが、それでも、こんな世界ではまともな食料が食べられるだけでもありがたい。玲奈はゆっくりと味わって缶詰を食べ、水は2口だけ飲んだ。
安全な寝床と食事、ささやかな幸せをかみしめる玲奈だが、それもすぐに、不安に襲われ消えてしまう。ここはゾンビに襲われる心配は少ないが、水と食料が無い以上、長く居ることはできない。明日こそ隣街まで行かなければ。しかし、隣街に行ったところで、そこが安全という保証はない。もし、この街と同じく、生きている人が誰もいなかったら……。
ブンブンと頭を振り、イヤな考えを追い払う。こういう時は音楽を聞いて気を紛らわせるのが一番だ。音楽プレイヤーを取り出したところで、充電が切れていることを思い出した。スマホにも同じ曲が入っているが、こちらもとっくに充電切れだ。コンビニ内にコンセントはあるが、電気は止まっている。田舎の小さなコンビニだからモバイルバッテリーなんてものは置いていないし、仮に置いてあったとしても、誰かがとっくに持ち出しているだろう。今日は音楽無しで眠らなければいけない。今の玲奈にとって、音楽は水と食料の次に重要な物だった。孤独と不安と恐怖を紛らわせることができる、唯一の物だった。それが無くなってしまうと、もう、頑張れないかもしれない。
……あれ?
玲奈は、窓際の商品棚の隅のフックに、ポータブルのCDプレイヤーがかかっているのを見つけた。メモリータイプの音楽プレイヤーやスマートホンが主流のこの時代でも、まだ売ってるんだ。玲奈は大昔の化石を発掘したような気分でCDプレイヤーを手に取る。かなり昔から置いてあるようで、パッケージはすっかり色あせていた。これでは誰も買わないだろうな。そう思い、棚に戻そうとして、裏に書かれていた『付属品』という項目に目が止まった。専用ACアダプタ、イヤホン、そして、単三電池2本と書いてある。
もしかしたら! 玲奈はCDプレイヤーのパッケージを開ける。書かれてある通り、中には単三電池が2本入っていた。それをプレイヤーにセットし、イヤホンを耳につける。そして、バッグを探り、中からCDを取り出した。家を出る時に、これだけは、と思い持ち出してきた、玲奈が大ファンのアイドルグループの最新CDシングルである。ケースからディスクを取り出し、プレイヤーに入れる。ゴクリと息を飲み、電源をONにした。わずかに振動し、イヤホンから音楽が流れ始めた。やった、電池が残ってた! コンビニから食料や電池を持ち出した人も、このCDプレイヤーは見逃したらしい。もちろん、長年売れ残ったモノだからそれほど電力は残っていないだろうが、今はこれで十分だった。
――大丈夫。あたしは、まだ頑張れる。
コンビニで見つけた古いCDプレイヤーに希望を見出した玲奈。やがて陽が沈み、店内は真っ暗になる。イヤホンから流れる大好きな音楽に身をゆだね、玲奈はいつの間にか眠っていた。
ガシャン。
ガラスの割れる音で、玲奈は目を覚ました。
寝ている間に電池が切れたようで、CDプレイヤーは止まっている。それが幸いした。もし音楽が流れていたら、気が付かなかったかもしれない。
今の音は何? イヤホンを外し、気配を探る。入口の方から、ジャリ、ジャリ、と、ガラスを踏む音が聞こえた。何者かが入口のガラスを割り、店内に侵入したようだ。ゾンビにガラスを割る知恵は無いだろうと思っていたが、甘かったらしい。
店内は明るかった。外はすでに陽が昇っている。かなりぐっすりと眠ってしまったようだ。2日間街中を走り回ったので、それも仕方なかったが。
足音は複数聞こえる。少なくとも、3体は進入しているように思えた。1体が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。玲奈はしゃがみ歩きで反対側に回り込もうとしたが、そちら側からも足音が聞こえる。マズイ、挟まれた。どうにかしないと。周囲を見回す。回転式のラックにビニール傘が掛かっていた。そっと、手に取る。武器としては心もとないが、何も無いよりはマシだろう。これで思いっきり頭を殴り、怯んだところを突き飛ばして外へ逃げよう。
棚の陰に身を潜め、傘を構える玲奈。足音が近づいてくる。
――今だ!
ゾンビの前に飛び出し、頭をめがけて傘を振り下ろした。
ブン!
傘は、虚しく空を切る。
ゾンビは上体を反らし、玲奈の渾身の一撃をかわしていた。
――そんな!
と、玲奈が思ったと同時に、左下から、何かが飛んで来た。それが、顎をかすめる。
その瞬間、ぐわん、と、世界が歪んだ。まるで、嵐の海に浮かんだ船の上にいるような感覚。脳がぐらぐらと揺れているような感じだった。実際に揺れているのだ。先ほど顎をかすめた何かのせいで、一瞬、頭が大きく揺れたのだ。脳がシェイクされたような状態。立っていられなくなり、仰向けに倒れた。同時に、後頭部に鈍い痛み。床に頭を打ちつけたらしい。目の前が霞んでいく。
もうろうとする意識の中で、複数の足音が近づいてくるのが分かった。他のゾンビが近づいているのだろう。早く逃げないと。そう思うが、身体は全く動かなかった。どんどん意識が遠のいていく。
――ああ、このままゾンビに食べられてしまうのか。
このまま逃げなければ、そうなるだろう。生きたまま食べられるって、どんな気持ちだろう? 想像してみたが、不思議と、恐くは無かった。
もう、疲れちゃった。
2ヶ月も家に閉じこもって、お父さんも、お母さんも死んだ。友達も、もういない。生きていたって、良いことは何もないだろう。
そう……生きていても、あたしの夢は、もう叶わないのだから。
夢はもう、叶わないのだから……。
ゾンビが近づいてくる。
意識が遠くなる。
その時。
「――先輩、大丈夫ですか?」
かわいらしい、女の娘の声が聞こえた。
「うん、平気」別の声がした。さっきの声より少し低いが、若い、女性の声。「しかし、ビックリしたよ。ゾンビが武器を持って襲ってくるなんて」
「あたしたちの知らない所で、ゾンビも知恵を付けてるのかもね」別の声がした。落ち着いた雰囲気。これも、女の娘のようだ。
……え? なに……?
薄れゆく意識の中、玲奈はなんとか首を上げた。見えたのは、今、玲奈の傘の攻撃をかわしたゾンビだ。ショートボブの髪型に銀色のパーカーを着た少女。
そして、パーカーの下は、白を基調にしたセーラー服。
……あれは……四木女子高校の制服……。
後から現れた2人も、同じ制服を着ていた。
ショートボブの女の娘が、玲奈の方を見た。
血の涙は流していない。顔色も、日に焼けた、血色のいい色をしている。
え……生きてる……人……それも……高校生……?
そう思ったが、意識がもうろうとしていて、幻覚でも見ているのかもしれない。
「……でも、どんなに進化したゾンビさんでも、先輩のパンチを喰らったら、一撃KOですね! これからも頼りにしてますよ!」後ろの少女がかわいい声で言う。
「いや、あたし、ケガ人なんだけど」
先輩と呼ばれた人は、左腕を上げた。左腕は、包帯でぐるぐる巻きにされてあった。
「大丈夫です! 先輩なら、右手1本でも、マイク・タインソやモハドメ・アリをKOできますよ!」
「あんた、よくそんな古いボクサー知ってるね。もしかして、歳ごまかしてない?」
「そんな! 先輩ヒドイです!」
そう言うと、3人は一緒に笑った。
「――ほら、2人とも、バカなこと言ってないで。何か役に立つものが無いか、探そう。せっかくここまで来たのに、手ぶらじゃ帰れないよ?」
「はーい」
「へいへい」
……なんだろう、この、楽しげな雰囲気は。やっぱり、死ぬ前に見た幻かな? 薄れゆく意識の中で、そんなことを考えた。
「あれ?」かわいい声の娘が、玲奈の顔を覗き込んだ。「――先輩、このゾンビさん、ゾンビさんじゃないみたいですよ?」
「え? ホントに?」
他の2人も玲奈の顔を覗き込んだ。
玲奈は、意識を失った。