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第2話・ボクシング部員 #04

 ☆




 ――ああ、ホントに、来ちゃったよ。


 ボクシングの競技会場である体育館の前に立ち、西沢茉優は、大きくため息をついた。四木女子高校に入学してから、わずか4ヶ月。単なる思い付きで始めたボクシングが、まさか、インターハイの全国大会出場なんて大ごとになろうとは。


「いよいよだな、西沢。ワクワクして来るだろう?」


 茉優の隣で、子供のように目をキラキラさせてそう言ったのは、ボクシング部の顧問・藤重先生だ。教え子の大舞台に、興奮を抑えきれないという様子である。


「……先生、やっぱり、辞退してもいいですか?」藤重先生とは対照的な、死んだ魚のような目と下がりきったテンションの茉優。


「どうした西沢? 体調でも悪いのか?」


「はい。頭と胃が痛いです」


「心配するな。リングに立てば、そんなことはすぐに気にならなくなる」


「根拠のないことを言わないでください。あーあ。やっぱり、インターハイなんて、断っておくべきだった」


「いまさらそんなこと言っても遅いぞ? もうここまで来てしまったんだからな。西沢のインターハイ出場に、どれだけの人が期待してると思ってる?」


 それを言われると、茉優は返す言葉が無くなる。


 インターハイの会場であるこの体育館は、茉優の住む街から遠く離れた九州の地方都市にある。夜行バスを使っても片道1万円ほど掛かるが、新幹線を使い、3倍の料金と4分の1の時間でやって来た。さらに、無理をすれば日帰りができないことも無いのだが、宿泊するホテルまで準備されている。その料金は全額、四木女子高校が負担してくれているのである。甲子園の常連校並みの待遇だ。四木女子高校は、勉強はもちろん、部活動においても落ちこぼれである。インターハイの全国大会に出場するなど、学校始まって以来のことなのだ。だから、藤重先生だけでなく、校長や教頭、理事長やPTAまで、茉優に期待している。学校の校舎には『祝・西沢茉優女子ボクシングインターハイ出場』という大きな横断幕が吊り下げられ、出発前には全校集会で大々的に壮行会が行われた。エントリーしただけで決まった全国大会なので恥ずかしい限りなのだが、それだけ、四木高にとっては一大事なのだ。いまさら何もせずに帰ることが許されないのは、茉優にもよく分かっていた。


「大丈夫だ西沢! お前ならできる! 自分を信じろ! 自信を持て! 決してあきらめるな!」


 どこかの元テニスプレイヤーのように熱苦しいことを言う藤重先生。茉優がボクシングを始めてから、ずっとこの調子だ。茉優は、いつものように苦笑いを返した。

 とは言え、実のところ茉優は、今のこの状況と、藤重先生の熱苦しさが、イヤではなかった。落ちこぼれが集まる四木女子校に通う茉優は当然落ちこぼれであり、中学時代は特に目標もなく退屈な学園生活を送っていた。ここまで大勢の人から期待されたのは、生まれて初めてのことだった。悪くない気分である。


 もろもろの手続きを終え、控室で準備をする茉優。茉優が戦うライトフライ級の出場人数は7人。これでも、他の階級と比べれば多い方だ。茉優の1回戦は第3試合に決まった。相手は、四国の高校の1年生だ。藤重先生が事前に調べた情報によると、茉優と同じく高校に入ってからボクシングを始め、県大会無しで全国大会に来たようである。更衣室でチラッと見たが、茉優よりも小柄で、気弱そうな顔をしていた。ボクシング経験も同じだし、これは本当に勝てるかもしれない。


 第1試合、第2試合共に滞りなく進み、いよいよ茉優の試合となった。


「いよいよだな、西沢。大丈夫。練習通りにやれば、必ず勝てる!」会場へ向かう廊下で、いつもの熱苦しい口調で言う藤重先生。いや、試合を前に、いつもより興奮しているようにも見える。


「先生、そういう根拠に乏しい言葉じゃなくて、もっとちゃんとしたアドバイスをください」いつもの苦笑いで言う茉優。


「……そうだな。とにかく、相手をよく観察して、冷静に状況を分析するんだ。ボクシングでは、相手に攻め込まれた時こそ冷静になって状況を分析し、的確な判断を下さなきゃいけない。それが、勝利への鉄則だ」


 役に立つかどうかは微妙なアドバイスだったが、とりあえず茉優は頭に叩き込んだ。


 会場に入って茉優は驚いた。どうせガラガラだろうと思っていたのだが、観戦席は3分の2以上埋まっており、リングサイドには、新聞記者やテレビ局の人と思われるカメラを構えた人たちが待機している。


「……先生」


「なんだ?」


「……どういうことでしょう?」


「どういうことって、何がだ?」


「人が、たくさんいます」


「そりゃいるだろう。インターハイなんだから」


「なんでこんなにいるんですか!? エントリーするだけで全国大会まで行けるマイナースポーツなんですよ!? 話が違います!」


「そんな話をした覚えはないが……まあ、しょうがないだろ。数年後には東京オリンピックが控えている。ここから、将来のオリンピック選手が出てくるかもしれないんだ。今は、どんな競技でも、マスコミの人たちでいっぱいだ」


 そうなのか? と、茉優は思った。確かに最近は、小中高生の若いスポーツ選手、とりわけ美少女アスリートに注目が集まりつつある。まあ、あたしは、自分がそんな美少女アスリートとして注目されるとは思ってはいない。……いや、2ヶ月前のぽっちゃり体型だった頃ならともかく、理想のスリムボディを手に入れた今では、注目されてもおかしくない。そうなると、テレビや雑誌の取材はもちろん、ダイエット本の執筆とか、ダイエットDVDの発売とか、ダイエット教室の設立とかで、大もうけできるのではないだろうか? げへへ。


「何を考えてるのかは知らんが――」アホの娘を見る視線を向ける藤重先生。「来てるマスコミの人たちは、地方の新聞の記者やケーブルテレビの人たちがほとんどで、取材のメインは男子選手だ。女子はオマケみたいなものだから、気にしなくていいぞ」


 ……人がせっかく現実逃避をして緊張をほぐそうとしているのに。気が利かない人だ。


 青いコーナーポスト側からリングへ上がる茉優。藤重先生の言った通り、マスコミの人たちは、新聞か雑誌の記者らしい人が数人、興味無さそうにカメラを向けて1・2枚撮影しただけだった。テレビカメラの人は試合前の場面は不要とばかりに、カメラを動かそうとすらしない。まあ、現実はこんなものだ。注目されてないなら、それはそれで気が楽だ。観客も、どうせ目当ては他の選手だろうし……と思っていたら。


「あ、出た出た! 茉優! ガンバって!!」


 会場内に、聞き覚えのある声が響く。声のした方を見ると。


 ――げ? 何でいるの?


 観客席には、百瀬架純や岡崎リオをはじめとした茉優のクラスメイトに、隣のクラスの教師、学年主任、校長に教頭、初めて見るけどどう見てもお偉いさん風の大人たち、さらには、今日は仕事中のはずの茉優の両親までいた。みんな、メガホンやスティックバルーンなどの応援グッズで完全装備。校旗を掲げ、『一拳入魂・西沢茉優』という、適当すぎる造語が書かれた応援団幕まで準備されていた。


「ちょっと先生! 何でみんないるんですか!?」リングサイドで控えている藤重先生に向かって言う。応援が来るなんて聞いていない。来ないとも聞いていないが、地元からあまりにも遠いので、来るとは思っていなかった。


「うん? そりゃ、いるだろ? インターハイの全国大会出場なんて、四木高始まって以来のことなんだぞ? 本当なら学校を上げて応援したいところだが、予算の都合でバス1台しか手配できなくてな。まあ、他のみんなも学校や家で応援してるから、心置きなく戦ってくれ」


 ……マジかよ先生。茉優は心の中で藤重先生を呪った。どうせ会場内は知らない人ばかりだから気楽に行こうと思っていたのだが、学校中が注目しているとなると、みっともない負け方はできない。ヘタをすれば、全員分の交通費を請求されてしまうのではないだろうか。この歳で借金取りから逃げる生活なんてイヤだ。


「大丈夫だ! みんなの応援は、きっと茉優の力になる! 戦っているのは茉優1人じゃないぞ! 俺も、みんなも、茉優と一緒にリングの上で戦ってるんだ!!」


 また適当なことを熱い口調で叫ぶ藤重先生。頼むから、交通費の請求はこの人にしてください。


 レフリーに呼ばれ、リングの中央へ進む茉優。後ろからものすごい声援が飛んで来る。ダメだ。プレッシャーで、すでにKO寸前だ。


 ……あ、でも。


 相手の選手を見る。茉優よりも小柄で、気弱そうな顔をした少女。茉優サイドほどではないが、後ろの観客席には20人ほどの人が応援に来ている。その声援を受け、この娘もかなり緊張しているようだ。藤重先生からの情報によれば、茉優と同じく高校に入ってからボクシングを始め、予選無しで全国大会出場が決まったらしい。つまり、茉優と同じ条件。気弱な性格のようなので、プレッシャーはこの娘の方が上かもしれない。


 レフリーから簡単な注意事項を受け、相手とグローブを合わせた後、1度コーナーに戻る。


「――ようし、西沢。緊張するな。練習通りやれば、必ず勝てるからな。西沢の実力なら、ベスト8は確実なんだ」藤重先生の言葉。


「……先生。そもそも出場者は、7人しかいません」


「そんなツッコミができるなら大丈夫だ。よし、行け!」


 両肩を叩かれ、前に出る。声援が一層大きくなる。ゴングが鳴った。リングの中央で、拳を突き合わせた。


 ……練習通り……練習通り……。


 呪文のようにつぶやく。練習通りやれば勝てる。先生の言葉を信じて戦おう。茉優は右半身を少し引いて構え、身体を上下に揺らしながらステップを踏んだ。相手も同じような構えだが、緊張しているからだろうか、動きが硬いように見える。よし。練習通り、まずは左のジャブで牽制し、スキを見て右のストレートだ。茉優は大きく踏み込み、左のジャブを繰り出す。ガードしながら後退する相手。思い切って右のストレートを打ち込む。これもガードされたが、それなりの手ごたえはあった。よし、イケるぞ。そう思った瞬間。


「西沢! ガードを下げろ!!」


 後ろから、藤重先生の声。


 ――え? ガード?


 と、思うよりも早く。

 茉優の右ボディに、ズシリ、と、とてつもなく重い何かが、めり込んだ。


 ……何? これ?


 疑問が湧くと同時に、ボディにめり込んだ何かが、顔面めがけて飛んで来る。

 そこで。

 茉優の意識は、飛んだ。




 ――幸い。




 それは、一瞬の出来事で。

 すぐに気が付いた。体育館の天井を見上げて、倒れていた。


 ――え? 何? 何が起こったの?


 分からない。悲鳴が聞こえる。今の声は架純だろうか。数をカウントする声が聞こえる。この声は誰か、分からない。立て! 立つんだ西沢! 古いテレビアニメで聞いたようなセリフが聞こえる。これは、藤重先生の声だ。立て? 立てばいいの? 言われた通り立ち上がろうとしたが、どういうわけか地面が揺れて、うまく立てない。尻餅をついて倒れる。カウントが続いている。がんばって! 今のはリオの声だろうか? 何やってるの! しっかりしなさい! 今のは梨花の声だろうか? 担任教師の声が、学年主任の声が、お父さんお母さんの声が、いろんな人の声が聞こえる。入り混じってよく分からないが、とにかく、立て、と、言ってるようだ。とにかく、立てばいいようだ。荒波に呑まれた小船ように揺れる地面の上に、なんとか立ち上がる。構えろ! 藤重先生の声。言われるままに構えた。カウントが止まる。やれるか? さっきまでカウントしていた知らないおじさんが訊いてきた。やれる? 何を? 分からなかったが、やれる、と答えた。知らないおじさんが下がった。代わりに、知らない少女がこちらにやって来た。この娘、誰だっけ? 分からない。赤いヘッドギアと、赤いコスチューム。そして、赤いグローブが目の前に迫ってきて――。




 今度こそ、完全に。




 茉優の意識はとんだ――。




 ☆






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