第2話・ボクシング部員 #02
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『ボクサーには元不良が多い』と、よく言われる。不良はケンカが好きで、社会に出てもまじめに仕事をしたくないから、人を殴ってお金をもらえるプロボクサーになりたがる、というわけだ。実際に世界チャンピオンになった多くのプロボクサーが、元不良だったことを告白している。
しかし、不良がボクサーに適しているかといえば、実際はそうでもない。多くの不良がプロボクサーに憧れてボクシングを始めるが、厳しい練習に耐えられず、ほとんどの者がすぐに辞めてしまうのである。プロになれる程の根性や真面目さがあれば、そもそも不良になどなっていないということだろう。
西沢茉優は落ちこぼれの集まる四木女子高校に入学したが、特に不良というわけではなかった。彼女がボクシングを始めたきっかけは、ダイエットのため、という、いかにも女子高生らしい理由からである。今でこそ引き締まったスリムな体型の茉優だが、入学当時は、今の倍近くの体重があったのだ。ちょうどテレビなどでボクササイズが注目され始めたころであり、特に深い理由もなく始めたのだった。
もっとも、普通の女子高生である茉優に、ボクシングジムに通って本格的にボクササイズを始めるようなお金はなく、娘のダイエットのために高いお金を払ってくれるような親でもなかったので、最初は、テレビや雑誌などを見てシャドー・ボクシングのマネ事をしていただけだった。幸運だったのは、茉優のクラスを受け持つ教師・藤重が、学生時代にボクシング部に所属していたということである。休み時間や放課後にシャドー・ボクシングをする茉優を見て、藤重先生は、「ボクシング部を作らないか?」と誘った。もともとダイエットのために始めたことで、本格的にやるつもりなど無かった茉優は当然断ったが、「俺が指導すればダイエット効果は倍増。2ヶ月で目標の体重になれる!」と言われ、心が動いた。四木高には部活動の創設に特に厳しい条件はなく、部員が1人でも、顧問の教師さえいれば、部として認められた。
こうして、四木女子高校ボクシング部が誕生したのである。
テレビのマネ事のシャドー・ボクシングしかやっていなかった茉優には、本格的なボクシング経験のある藤重先生の練習は非常に厳しく、ツライものだった。初めの頃は何度も辞めようと思ったが、1週間で3キロも体重が減ったのを目の当たりにし、やる気スイッチがONになった。その後、どんどん厳しくなる藤重先生の指導に耐え、2ヶ月後、約束通り目標体重になれたのである。
と、ここで、藤重先生がとんでもないことを言い始めた。7月末に開催されるインターハイに出てみないか? というのである。
ダイエット目的でボクシングを始めた茉優は、当然、断った。女の子同士で殴り合うなど、考えられなかった。しかし、「西沢にはボクシングの才能がある! 必ず全国大会に行ける!」と説得され、またまた心が動いた。後から考えれば、藤重先生はおだて上手だったのだろう。同時に、茉優もおだてに乗りやすい性格でもあったのだが。また、ここまで、たかがダイエットに付き合ってもらい、本気で指導してくれたことへの恩返しの意味もあった。そんな訳で、茉優はインターハイの県予選に出場することになった。
そして、藤重先生の言う通り、全国大会への切符を手にしたのである。
と、言っても、それは別にスゴイことではなかった。女子ボクシングは、もともと競技人口の少ないスポーツであり、高校で女子ボクシング部がある所は極めて珍しく、さらに、体重によって細かく階級が分けられてあるので、茉優の出場するライトフライ級は、県予選では出場者が茉優1人だけだったのである。
こうして茉優は、ボクシングを始めてわずか3ヶ月弱で、インターハイの全国大会出場を決めたのである。
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