第1話・転校生 #13
「……あ、いた。玲奈。探したよ。こんな所にいたんだ」
茉優の声で、玲奈は我に返った。またボーっとしていたようだ。四木女子高校の放送室だ。
振り返って茉優を見る。四木高のスポーツバッグを持っていた。茉優の物ではないだろう。たぶん、さっき梨花が言っていた、3日分の水と食料だ。
窓から校庭を見下ろす。相変わらずたくさんのゾンビどもがうろついていた。そして、ここからは見えないが、学校の外にもゾンビはうろついていることだろう。夜が明けたら、この学校から出ていかなければいけない。
「ホントに出ていくつもり?」茉優が、玲奈の表情を読んだように言う。「梨花の言うことなんて、別に気にしなくてもいいのに」
「ううん。梨花さんの言う通りだよ。あたしなんかがここにいたら、みんなに迷惑かけちゃう。それに――」
「――――?」
「ううん、なんでも無い」玲奈は、首を振った。
リオの顔が頭に浮かぶ。
さっきみんなの前で、出ていくと言った時。
リオは、何も言わなかった。
玲奈はあの時、リオなら、あたしを止めるだろう、と、心のどこかで思っていた。そうなることを期待していた。
でも。
リオは、玲奈を止めなかった。
それで、玲奈には分かった。
リオは、あたしに、ここにいてほしく無いんだ。
この四木女子高校から、出ていってもらいたいんだ。
笑顔で「ずっといてもらって構わない」と言ったのは、本心ではなく、優等生の生徒会長だから、仕方なく言ったのだ。
やはり、リオのあの笑顔は、本心ではなかったのだ。
でも――。
それも、当然だろう。
玲奈は思う。
リオが、あたしにそばにいてほしいわけがない。
リオが、あたしを助けるはずはない。
あたしは、リオを傷つけ、そして、見捨てたんだから。
そう、あたしはあの時、あの、聖園高の合格発表の日、リオを傷つけた。
そして、ショッピングモールで、リオが万引きの疑いを掛けられた時、助けを求めるように見ていたリオを、見捨てた。
なのに。
どうしてリオが、あたしにそばにいてほしいと思うだろう。
どうしてリオが、あたしを助けるだろう。
――あたしはリオを見捨てたけど、リオはあたしを見捨てない。
あたしは、そんな都合のいいことを考えていたのだ。
自分がイヤになる。
あたしに、この四木女子高校にいる資格は無い。
あたしに、リオの側にいる資格は無いんだから。
「まあ、どうしても出ていく、って言うなら止めないけど、残念だな」茉優は、頭の後ろで両手を組んだ。
「……ありがと。そう言ってくれると、嬉しい」笑顔を返す。玲奈も残念に思う。茉優とは、友達になれそうだったのに。こんな世界じゃなかったら、友達になれたはずなのに。
……ううん。それも、都合のいい考えだ。あたしには、そんな資格は無い。
最初に梨花が言った通り、玲奈は今まで、四木高校の生徒を見下していた。四木高校の生徒は落ちこぼれだと思っていたのだ。そんな自分に、茉優の友達になる資格なんて無い。茉優が、友達になってくれるはずがない。
あたしは、1人なんだ。
これからもずっと。
あたしを仲間にしてくれる人なんて、どこにもいない。あたしを好きになってくれる人なんて、どこにもいない。
あたしは、このゾンビだらけの世界で、1人で生きていくしかないんだ。
「でもさ――」茉優が、天井を見上げながら言う。「みんな驚いてるんだよ? 玲奈が来てから、岡崎さんが笑うようになった、って」
……え? リオが、笑うようになった?
それって、どういうことだろう? 玲奈には分からなかった。リオは、大体いつもあんな風にニコニコ笑っているように思う。
そう。リオはどんな時だって笑っているのだ。悲しい時も、怒った時も。
実際、聖園高校の受験に落ちた時も、笑っていたのだから。玲奈がさんざんヒドイこと言ったのに、それでも笑っていたのだから。
リオの笑顔は、本心ではないのだ。
だから、四木高校でも、ずっと笑っているはずだ。
しかし。
茉優は言う。
「岡崎さんって、1年の時からあんまり笑わない娘だったんだよね。いっつも、どこか悲しそうな顔してるの」
リオが、悲しそうな顔?
玲奈は記憶をめぐるが、リオがそんな顔をしているのは、あまり見た覚えがない。玲奈の前では、リオはいつも笑顔だった。
「特に、アウトブレイクが起こってからは、ホントに全然笑わなくなってさ。みんな心配してたんだよ。でも、玲奈がこの学校に来てから、岡崎さん、ずっと笑ってる。あんな岡崎さん、初めて見たよ。よっぽど嬉しいんだろうね。玲奈が、この学校に来てくれたのが」
……あたしがこの学校に来たことが、嬉しい?
…………。
「何言ってんの。そんなわけ、無いじゃん。あの娘は、いっつも笑ってるんだよ。誰に対しても、笑顔しか見せないんだよ。好きな人にも、嫌いな人にも、笑顔しか見せないんだよ」
――そうだ。
茉優は、リオのことが何も分かっていない。
リオの笑顔は、本心ではない。
笑顔の裏に本心を隠しているのが、リオなのだ。
「……そうかなぁ? 岡崎さん、そんな器用な娘には見えないけど? ま、いいや。はい、これ。岡崎さんから」
茉優はそう言うと、持っていたバッグを差し出した。リオから――おそらく、3日分の水と食料。
「ありがと――」
受け取ろうとして。
「玲奈?」
いつの間にか、玲奈は涙を流していた。
え? なんで?
涙を隠すように、茉優から目を逸らす。涙を拭う。
でも、1度溢れ出した涙は、もう止められなかった。
……ダメだ。泣いたって、何にもならない。バッグを受け取って、お礼を言って、そして、明日の朝、ここから出ていくんだ。あたしに、ここにいる資格は無いんだから。そうしなければいけないんだ。
そう、自分に言い聞かせても。
――1人になりたくない。
心の奥から湧き上がる本音。
もう、1人はイヤだ。
アウトブレイクが発生し、2ヶ月近く、家族3人で家に閉じこもっていた。食料が無くなり、父が外に出て、ゾンビに襲われた。それを見た母は、首を吊って死んだ。それから2日間街をさまよい、ようやく見つけた、生きている人たち。そして、リオと、茉優。自分は1人じゃなかった。一緒にいられる仲間がいたと思った。ここで、生きていけると思った。
でも。
そんなのは都合のいい考えだった。玲奈は思う。ここは、あたしのいる場所ではない。あたしがここにいることはできない。あたしは、みんなの仲間になんてなれない。あたしには、そんな資格は無い。
でも……でも!
それでもあたしは、リオと一緒に――!
「……まったく、しょうがない娘だね。ほら」茉優が、呆れた声で言い、そして、バッグを押し付けるように渡してきた。出ていけ、と、言われたような気がした。
……そうだよね。
あたしに、ここにいる資格は無い。リオの側にいる資格は無い。ここから出て行かないといけないんだ。3日分の水と食料を貰えただけで、感謝しなきゃ。
顔を上げる。涙は止まらないが、それでも笑顔で、お礼を言おうとして。
「――――」
そこで、気が付いた。
バッグが、軽い。
3日分の水と食料だ。水だけで、6kgはあるのではないだろうか? しかし、貰ったバッグは、ひ弱な玲奈が片手で軽々持てる程度の重さだ。恐らく、1kgも無いだろう。それでは、1日分の水にもならないのではないだろうか?
「――あんた、岡崎さんのこと、なんにも分かってないよ」少し怒ったような声の茉優。
――あたしが、リオのことをなんにも分かってない?
そんなわけない。あたしとリオは、幼稚園の頃からの付き合いなんだ。そりゃ、中学を卒業してからの付き合いは無いけど、それでもまだ、茉優より、リオのことが分かっている。
茉優が「開けてみて」と言うようにあごを上げた。
玲奈は、バッグを開けた。
――――。
そこには――。
古めかしい、白を基調にしたセーラー服が入っていた。
それは、この、四木女子高校の制服だ。
――これ、岡崎さんから。
茉優はさっき、そう言った。
リオが、コレをあたしに?
あたしに、四木高校の制服を?
なんで……? なんで、この学校を出ていくあたしに、制服を……?
「玲奈が来てから、岡崎さん、ずっと、玲奈が着る制服を探してたみたいだよ」茉優が言った。「学校中探しまわって、それでも見つからなくて、家に取りに帰ったんだって。校則を破ってまでね」
リオが、校則を破ってまで、これを?
そこで気が付いた。
このバッグは、リオが持っていたもの。
リオが、校則を破ってまで――ゾンビに襲われる危険を冒してまで、取りに行ったもの。
「制服なんて、別になんでもいいと思うんだけどね。そう言ったら、岡崎さん、すっごい笑顔で、言ってたよ」
「…………?」
「『玲奈ちゃんと同じ制服を着て、同じ学校に通うのが、あたしの夢だった』って」
――――。
リオが、そんなことを……?
「岡崎さん、今も、梨花と話してるよ。玲奈を、この学校に受け入れてもらうために。梨花だけじゃなく、クラスの全員を、説得して回ってる」
リオが、あたしのために?
なんで、そんな。
「よっぽど玲奈のことが好きじゃないと、あんな風に必死になれないんじゃないかな?」
リオが……あたしのために……
ワガママ言って無理矢理聖園高を受験させ、落ちたのにヒドイことを言って傷つけて、万引きの疑いを掛けられて、助けを求めているところを、見捨てて。
それでもまだ、あたしのことを、好きでいてくれるの……?
「あたしも、玲奈のこと、好きになれそうだけどね」
そう言って、茉優は。
リオと同じ笑顔を浮かべた。
そして、玲奈は気づいた。
リオは、あの笑顔の奥に本心を隠している。玲奈はずっと、そう思っていたけど。
リオがいつも笑っていたのは、本当に、嬉しかったからなのだろうか?
玲奈と一緒にいるのが、嬉しかったからなのだろうか?
あの、聖園高受験の合格発表の日も、リオは、自分は落ちたのに、笑っていた。
あれは、自分が落ちたことよりも、玲奈が受かったことを、喜んでくれていたのだろうか?
茉優の言う通りだ。
リオのことが分かっていないのは、あたしの方だ。
どうして自分は、リオをそんな風に思うようになってしまったのだろう。
――分かっている。
本当は、分かっていた。
そう。あの、玲奈とリオの関係が終わった、聖園高の合格発表の日。
「合格おめでとう、玲奈ちゃん」
リオはそう言った。
いつもと同じ、笑顔で。
自分は、落ちたのに。
それはきっと、自分が落ちたことよりも、玲奈が受かったことが嬉しくて、そう言ってくれたのだろうけど。
そうだ。
あの時、玲奈がリオに言ってほしかったのは、そんな言葉ではない。
聖園高は、市内でも有数の――いや、全国でも有数の進学校だ。
卒業後は、多くの生徒が、日本屈指の名門大学へ進学する。中には、世界でもトップクラスの、海外の大学に進学する人も、少なくない。市内はもちろん、市外、県外からも受験者が多い名門だ。
それだけに、合格するのは極めて難しい。
中学の3年間を勉強に捧げ、それでやっと合格できる。いや、全てを勉強に捧げても、合格できない人の方が、圧倒的に多いのだ。
その聖園高に合格して、入学しないなんてことは、あり得ない。中学3年間が、全てムダになるからだ。親だって反対するだろう。聖園高より格上の高校は、全国でも数えるほどしかないのだから。
だから、聖園高に合格して、別の高校に入学するなんて、あり得ない。そんなのは馬鹿げてる
――でも。
どんなにあり得なくても、どんなに馬鹿げていても、それでも玲奈は、あの時。
「玲奈ちゃん、聖園高に行かないで」
そう、言ってほしかった。
そうだ。
玲奈は、リオに、そう言ってほしかったのだ。
なぜなら。
玲奈も、リオと同じ制服を着て、同じ学校に通うのが夢だったのだから。
玲奈も、ずっとリオの側にいたかったのだから。
いつまでも、リオと一緒にいたかったのだから――。
玲奈は、リオからの、そして、茉優からの素敵な贈り物を抱きしめ。
そして、泣いた。
声を上げて。
あたしはもう、1人じゃない。
リオがいる。
茉優がいる。
そして、四木女子高校のみんなが、いる。
それが、嬉しくて。
玲奈は四木高校の制服を抱きしめ、泣き続けた。
しばらく泣き続けた後。
「――あたし、謝らないと」
玲奈は、涙でぐしゃぐしゃな顔を上げた。
「――え?」茉優が首を傾ける。
「謝らないと! リオに!!」
そうだ。泣いている場合ではない。
リオに謝らないと。
聖園高の合格発表の日のことを。
ショッピングモールのことを。
今日のことを。
全部全部、謝らないと!
玲奈は立ち上がって、放送室を出ようとする。
「ああ。それは、明日の朝でもいいよ」茉優が止めた。「岡崎さん、今は梨花たちを説得するのに忙しいだろうし、それに――」
「…………?」
「玲奈の気持ちは、岡崎さんが一番分かってるだろうからね」
そう言って、茉優は片目を閉じた。
そんな風に言われると、また涙が出て来る。
「泣いてる場合じゃないよ? 岡崎さんは、できる限りのことをやってるんだから、後は、玲奈次第だよ?」
玲奈は涙を拭う。「あたし次第、って、何が?」
「この学校に転校してきて、クラスのみんなと、友達になれるかどうか」
「……やっぱあたし、イジメられたりするのかな?」
急に不安になってくる。さっきまでは、クラスのみんなに受け入れられた、と、図々しいことを思っていたけれど、リオと茉優以外は、まだ分からないのだ。玲奈は聖園高の生徒。四木高校のことを、落ちこぼれの集まりと見下してきたのだ。そんな聖園高の生徒が転校してきたら、イジメのターゲットになったりするのではなかろうか?
「まあ、イジメたりする娘はいないと思うけど――」と、茉優。「今のままだと、友達ができなくて、クラスで浮いた存在になったりするかもね」
「……ホントに? そんなの、ヤダなぁ。どうすればいいと思う?」
「うーん、そうだねぇ」あごに手を当て、考える格好の茉優。「本音で語れば、みんな、受け入れてくれると思うよ」
……本音で語る? どういうことだろう?
「例えば、自分の好きなモノとか、将来の夢とか?」
茉優は、イタズラっぽい笑顔で言う。
「そういうのを、隠さず、胸を張って言える娘が、みんな好きだと思うよ、きっと」
そう言って茉優は、テーブルの上に置いてある、アイドル・ヴァルキリーズのCDを見た。朝、玲奈が教室で「あたしの物じゃない」と言って、ここに置かれたものだ。さっき、学校を出ていくと決めて、このCDを取りに、放送室へ来たのだ。
ヴァルキリーズのCDと茉優を交互に見る玲奈。どうやら、玲奈がヴァルキリーズ好きだということはバレていたらしい。
「――じゃあ、明日の転校の挨拶、楽しみにしてるね」
茉優は、手を振って放送室を出た。
あたしの好きなモノ……あたしの夢……。
茉優の言ったことを考える。
いや。
そんなのは考えるまでもなかった。