長い試練
どこからともなく声のみが聞こえるラルーに息子だと紹介された青年は絡まった網からティラノと別の何かを下ろした。
「拘束具外しますが魔法はまだつかわないでくださいね、上から探知されます」
そういいながらティラノの拘束具を外した青年はこちらへどうぞと歩き出した。
「少し待て、ラルーを連れて行かないでいいのかね」
「あれはただの残存思念です」
青年が光を向けた先には鎖につながれた白骨死体と動かないフェリシア。
「なかなかここまで来て相手をしてやれないのですが、骨の癖にあれはなかなかおしゃべりでして…夫婦一緒になりましたのでもう寂しがって話しかけてくることもないでしょう」
ラルーとフェリシアが夫婦だというのに異論は有るが、それにしてもあれは魂の無い抜け殻に過ぎないのだし、などと本来考えねばならない自分を裏切って王になりかわったフェリシアへの対処など現実を越えた思考で逃避してしまうティラノだった。
青年に案内されて地下の長い坂道を登っていくと離宮の裏山にある滝の後ろに出た。
離宮のほうに存在していた魔力がゆらりと揺らぐ。
「罠にかかったみたいです、安全ですから行きましょう」
青年はなれない体にまごつくティラノを抱え上げ、岩だらけの坂道を一気に駆け下りて離宮の中に入った。
さっきの部屋には立ったまま動かないティラノと皇太子の体。
青年は皇太子の頭から王冠を外し、正面の真ん中にある黒い小さな宝石をを指で示した。
「闇の宝珠です。本来はあなたとその体の持ち主が行ったように魂と記憶を受け渡しする宝珠なのですが、浄化の闇魔法を込めておきましたので、邪悪な精神を持つ者が被ると吸収した魂のうち邪悪な部分のみが消去されることになります。ですのでいまはかぶった母の記憶と魔力のみがこの中に取り込まれました。残念ながら魂の核は魔に喰われましたので母が復活することはもうありませんが…」
つまりティラノの体に入ったフェリシアは永遠に生きるために今度は皇太子の若い体に移ろうとしたのだろう。
そして魂の核を浄化消去されてしまったのだ。
青年はまだ開いていた穴にティラノの体をティラノが止める間もなく蹴り落とした。
「もう元に戻ることはできませんので別の魔が入りこむことがないよう処分しました。蹴とばしたのは、えぇ、私は魔が関与したとはいえ家族を引き裂いたこいつが大嫌いだからなのですよ」
青年は立ったままの皇太子の薬指と、ティラノの薬指にやはり黒い小さな宝玉の付いた銀の指輪をはめた。
「これで皇太子はあなたが遠隔操作できるようになりました。ある程度自立して行動もできますので宮殿の奥に留め置けばそう疑われることは無いでしょう。あなたはこれの妻としてこの国を支えていけばいいのです」
そして彼は腰に下げた袋からとげの付いた植物を模した冠を取り出しティラノにかぶせた。
「ここにもう一つ宝玉のはまった冠があります。これを被った者は永遠にその魂が固定されるのですが、お分かりですよね、あなたは魔に汚染されてしまった王家の血を浄化し続けなければならないのです。ついでですが、フェリスは人形ばかりの町です。行けばわかるでしょう。では、いずれ私の子孫がお目にかかります。」
その言葉が終わると青年の気配は離宮に存在しなくなった。
皇帝と皇后が若き皇太子夫妻に道を譲りひそかの自分達だけの二人の生活を送る…その筋書きが臣下たちにフェリシアが通してあったために誰もが疑うことなく皇帝夫妻の失踪を受け入れた。
もともと彼らは、行きずりの冒険者であったのだから。
以来ティラノは代々皇太子の新妻として彼らに闇の宝玉の付いた王冠をかぶせ続けた。
呪われた自らの血の中に魔に汚染されない魂を見つけることを夢見て。
もしかしてあの清純だったフェリシアが再びよみがえるかもしれない。
一縷の望みをかけて、フェリスで行われている魔の実験を引き継ぎフェリシアの体を残し続け凍りついた時間を生きていた。
そして今も彼の悪夢は続いている。
「息子達の内、第2皇子が魔人化した。汚染された取り巻きともども捕縛の上浄化処分した。現時点での広がりは止っている。それから別の話になるが、宮殿の警備からの報告で私が宝物庫に入った記録があった。フェリスの者のだれかが不審な行動をしているようだ。」
どこからとも無く人を魔人化させる瘴気が生まれ、それが一定以上集まると人を魔に堕とす事がわかっている。
フェリシアの血を引く皇族は特にそれを集めやすい。
だからあえて人々のために…。
短く話した事柄で、どこまで理解してもらえるのだろうか。
そしていま自分が一番注目している人物の監視報告が始まる。
全く汚染されていない奇跡のようなかわいい娘を嫁にやったのだが果たしてどうなるやら。
あれを人の側に繋ぐロープとまでは言わないが糸になってくれれば良いのだが。
ベルが話し始めた。
「前回の会合での課題ですが、過去に集った五行の戦士の子孫達がクリスの配下に集結しつつあります。【土】のダルカンがレイリアとしてローグにいます。相変わらず混沌側の味方だと思って接触してくる混沌の狂信者に、情報をコントロールしながら流しているようですが完全にクリスに心服しています。【水】のシェリーはアーサーを取り込んで水の巫女以上の力を持っています。伝え聞く聖戦士と闘っても互角以上じゃないかしら。【火】のカイはメグとして合流済みですが色も偽装していますから混沌側には気付かれてはいません。【金】は陰の風と陽の風、二つに分かれてミューとニュー。【木】は残念ながら確認できてません」
そこまでを一気に話して、更に続ける。
「ロンバルティスにもぐりこんでいる敵の間者ですが、レオナの例を挙げるまでも無く、クリスの奴隷契約はあてになりません。確実に怪しいのがマリー、あれは覚醒した将軍級の魔人です。後は疑えば限がありません」
本当に限が無いとティラノは同意しながらぼんやりと聞いていた。
ノルン大使となって帝国に赴任してきたローバー男爵はあの時の青年そっくりだったし、クリスはラルーそっくりだ。
ラルーとフェリシアの仲がいいのは知っていたがまさか女同士で子供までいるなんて…
その件に関してだけは絶対に自分は悪くないと思うティラノだった。
宮殿の一室で行われているティラノらの会合は魔術で完全に遮断されてあったはずだが、筒につけた膜と糸で別の部屋で盗み聞きしている宮女には誰も気付かなかった。
宮女の名はシータ、帝都で評判の舞姫だがどこにでもいる宮女の一人にしか見えなかった。
シータは皇帝を監視していたのだ。




