聖女が俺の嫁
現在地
ノルン王国首都の城下町
昼前、時間ができて一人で歩く城下はなんとなくざわざわしていた。
貴族や兵士たちは口を閉ざしているが、下働きの者たちや出入りの商人たちが、あちこちで集まって話をしている。
治安がよくめったな出来事が起こらない一の郭内で、貴族の一人が変死したらしい。
その噂話が自然と耳に入ってくる。
「マカネン様が倒れられたらしい」
「あのお方か、今朝会ったときは元気だったぞ」
「倒れられたときに近くにたまたま旅の大司教さまもいらっしゃったらしいが、治癒魔法をかけてもだめだったらしい」
「領民達の評判も相当悪かったらしいが、誰かに殺されたってことは無いのか?」
「こんなにお城の近くでかい。そんなことができるもんかね、貴族様じゃぞ」
「兵士たちも動いとりゃせん。病死じゃ」
治癒魔法という物は非常に便利なもので、高位の術者ならば外傷ならたちどころに直してしまう。
毒にせよ呪いにせよ解毒や解呪をすることも可能である。
まさに最期の切り札だが、全身を粉々にされても蘇生する術もあるらしい。
そこまでは眉唾だとしても、高位の神官や治療士のいる大きな町でお金の払える貴族が老衰や特別な病以外で死ぬことはめったに無い。
それが常識なのだが、一流以上の暗殺者はその上を行く。
脳の血管に針を突き刺し瞬時に凍らせる。
被害者は暫く生存するが、破れた血管からの出血によっていきなり倒れる。
ヒールによって欠陥が修復されても出血した血の塊は残り脳やその血管を圧迫して死に至らせる。
毒ではないので解毒も効果はないし、自分の血は異物ではないので浄化の高位魔法によっても取り去ることができない。
まして出血の治療に使う増血なんぞを試みれば…。
俺は何人もの人間をこの手にかけてきた。
悪人善人、老若男女かかわらず依頼されれば仕事として殺してきた。
殺人奴隷から解放された後も、だ。
それでも外には出さなかったが内心思うところがやはりある。
この体ではじめて人を殺した。
その高ぶりを鎮めるために城下を散歩していたのだが、なんとなく一の郭の聖堂に行きついてしまった。
もしかしたら残っていたクリスの魂が、神にすがりたかったのかもしれない。
信者がいつもあふれていると聞いた聖堂は不思議なことには、灰色一色の見習い服を着たシスターが一人いるだけで他に人影を見かけなかった。
つけている紋章から見て月の女神の神官だった。
主神に仕える神々の内、つきの女神の神官になる修行はもっとも厳しい。
神官になろうとする者は俗世の名前を取り上げられて、信仰の道に入った時点から一人前の神官になるまでは誰にも素顔を見せてはならず、番号で呼ばれるというおきてが有る。
「今日は大司教様が城下の大聖堂にいらっしゃいますので私しか居りません。懺悔なさりたいのでしたら、ご面倒ですが下の大聖堂までいらっしゃってください」
彼女の言う大司教は神々に仕える神官たちから選ばれて絶対なる主神に直接仕えることを許された者だ。
俺はそんなに何かを溜め込んでいるように見えたのだろうか、その神官見習いに声を掛けられた。
ふと見上げると、名を唱えることも恐れ多い絶対神の御印とその配下の神々の神像群。
すぐに判別できないが俺の信仰する夜の神もいらっしゃるのだろう。
俺たち夜の一族の中でも主家で有る王家は夜の神をやすらぎを与える女神とし、クリスのロンバルト家やデルビオス侯爵家などは男神とする。
ちなみにローバー家はどちらか不明の調和神と分かれている。
俺はなぜかこの始めて出合った小柄で俺と同じくらいの身長しかない582735番の見習いさんに全てをぶちまけたくなった。
「シスター、懺悔を受けてくださいますか?」
灰色のベールに覆われて表情が全く見えないのだが、なんとなくためらうように懺悔室に入るよう促された。
教会の隅にある懺悔室は薄暗く小さな椅子が2客向き合って置かれているだけの広さしかない。
中に入って座るとすぐ、見習いシスターが結界を張った。
「私も罪を犯し、裁きを待つ身ですがそれでもよろしければ懺悔してください」
「よろしくお願いします」
懺悔は本当のことであれば、別に何を話してもよい。
ただの愚痴でも聴いて貰える。
話し出そうとした俺を手で止めた見習いシスターは空中に魔方陣を描いた。
聞いた秘密は命をかけて守るという契約魔法の魔方陣だった。
神に仕えるため、嘘がつけない神官たちには不要なものなのだが…
「なぜ、そこまで?」
「さぁどうしてでしょうか、とにかくそうせねばならないと思いましたので。秘密は信仰と命をかけて守ります。ご自由に思うがままにお話ください。ただ聞かせていただきます」
気がつけば、俺はロビンとして生まれ、マカネン男爵の暗殺に至るまでの今までのことを全て話してしまっていた。
もちろん未来にかかわるはずのアーサーたちの個人名称は省略したが。
その長い時間の間見習いシスターは膝に置いた両手を強く握り締めたまま、身じろぎもしないで最後まで黙って聴いてくれた。
「ありがとうございました」
「あなたに神の祝福がありますようお祈りいたします」
懺悔のあとの定型文ではあるのだが、彼女の祝福が深く心に染み渡った。
俺の心は軽くなったが、彼女は聞いて気分が悪くなったことだろう。
他人の心の奥底に秘めた毒を受け止める。
俺にはまねの出来ない修行を彼女もしているのだ。
俺が懺悔室を一歩出るとこの出会いはなかったのと同じことになる。
大いなる絶対神とおれの振興する夜の調和神に簡単に祈りを捧げて俺が大聖堂を後にしても、まだ見習いシスターは懺悔室の中にいた。
それから半日ほどかけて鍛冶屋などで必要なものを手配して宿に戻ったのだが、親父がなかなか戻ってこない。
俺は夕食もとらずに待っていたのだが、夜更けになってやっと宿の前にに乗合馬車が停まった。
「親父、遅いじゃないか晩飯…」
馬車から降りてくる親父に文句を言いかけたのだが、親父は俺を無視してまだ中に残っている人物に手をさしのべた。
降りてきたのは昼に聖堂で出会った見習いシスター、582735番。
「親父、この人は?」
「クリス喜べ、お前の嫁になる人だ」
「なんだって?」
宿の近くに一晩中開いている居酒屋があったので、とりあえずそこへ場所を移して腹を満たしながら親父のする興奮して聞きづらい説明を聞いた。
何とかそれを整理してまとめて聞きなおした。
「つまり、死にかけていた男爵の治療に失敗したからとマカネン家のねじこみで彼女は破門されて追放されたんだ。マカネン家がさらに理不尽な言いがかりをつけてきて、大騒動になったり彼女が罪に問われたりする前に俺の嫁にして守ってやりたいという訳なんだな」
中途半端に生きていたマカネン男爵がこのシスターが使った増血魔法でぽっくり逝ったためらしい。
つまり全面的に俺のせいで彼女は黙っているがそれを知っている。
なんてこった。
神様は俺に責任を取れとおっしゃっているわけか。
まぁいいだろう。
どの道いつかは形だけでも法規上は嫁をもらわなくてはならない。
顔は分からないが気立てはよさそうだ。
飲んだ酒が回って、他の客達と娘の婚礼祝いとやらで一緒に騒ぎ始めた親父を残して俺たち二人は宿に戻った。
親父との二人部屋だが、朝まで戻ってこないと思うから二人で使っていいだろう。
また向かい合って椅子に座る。
「ごめん。全部俺のせいだ。責任は取らせてもらう。名ばかりの夫婦になると思う、君は自由にしてくれていいから」
「全て、神々のお導きでございます。心よりお仕えいたしますので末永くよろしくお願いいたします」
なんていじらしいんだ、どんなに素顔が不細工でもかわいがってあげるぞ。
「そう。還俗はもうしたんだよね。君のベールをはずしても良いかい?」
ベールをはずして始めて顔を見るのは夫になる俺の権利だ。
「はい、クリス様」
「クリスでいいよ、二人だけの時はそこまで丁寧な敬語も要らないし。ところで君、神官見習いって名前が無いんだよね」
「はい。良ければクリスが付けて下さい」
俺は彼女のベールを取った。
月の女神にかけて、彼女はこのとき俺の物になった。
「マリシア」
何で、聖女がこんなところにいるんだ。
「いい名前ですね、ありがとうございます」
びっくりしてマリシアの名前が出てしまったのだが、今のでマリシアと名づけたことになってしまったらしい。
同じ戦場で戦いながらこんなに近くで見たことが無かった碧の瞳が俺をまっすぐ見つめていた。
その瞳に吸い寄せられるように二人の距離が短くなっていく。
唇同士が触れそうになったとき、一瞬、あの時の逞しいオスの鬼の姿が頭をよぎり、我に返った。
「え?」
俺は今何をしようとしたんだ。
疑問を浮かべてマリシアを見ると、耳まで真っ赤に染めてうつむいている。
「初めての時に使えと母が…」
今のは精神支配系の術だった。
娘になんてことを教えるんだ全く。
それからもう一つ抱いた感触が…。
「もしかして今男に変身したりした?」
瞬時に戻ったが、今抱きしめられたマリシアは男だった。
彼女はますます真っ赤になって…
「術を使えば痛くないって」
痛くなくなるのは…俺が…か。
お、驚いた。
娘にどんな教育したんだまったく、長くは生きているが俺はまだガキだぜ。
そのガキ娘を同じ年の女の子が男に変身して襲うのか。
「いくらなんでも早すぎるだろう。」
「まだ世間一般に言う結婚式、挙げてなかったですね」
おぃ。
結局、おませさんのおでこに軽くキスして一つのベッドで手をつないで眠った。
ただそれだけだぞ。
のちに聞くことになるが、マリシアの日々はおませさんではすませられない過酷なものだった。
そのため精神を病んだマリシアは修道院から大司教に連れ出されて治療を兼ねた修行のために神山にある別の教会に行く途中だったらしい。
もしかして俺は人類から切り札の一つを奪ったのかもしれない。
アリシアが同じベッドに入ってきたのは、親父が帰ってきたとき、ベッドを一つ開けておくためなんだと理由付けて納得した。
結局親父は朝まで帰ってこなかったが。
朝、マリシアは俺より先に起きだして俺の荷物の底に一着だけ入れてあった女物の服を引っ張り出して言いつけどおりに身につけていた。
かわいい。
「おはよう」
「おはようございます」
俺が着替えて下着だけになっているとねっとりした視線が絡み付いてくる。
俺の腰のところで動く手が…。
「マリシア!なんだよ」
「結婚したら下帯は前で結ばないと…」
「かってに俺の下帯はずすな!」
「でも…」
三角を二つ組み合わせたようなの布と紐でできている下帯を俺はしっかり後ろで締めた。
恨めしそうな目で見るな、まだ早いって言ってるだろう、まったく。
マリシアの腰に手を回して耳元でささやく。
見た目は何でも、俺って大人だからな。
無理やり女ばかりの修道院で大人のことをさせられていたマリシアとは違うんだ。
覚悟さえ決めれば受け止めてやれる。
ただし…女として受けるのは嫌だ。
「昨日の術を教えてくれたらすぐにでもしてやるから」
「でも私が痛いのはイヤだし」
おぃ、斜め下見るな。
「あの瞳術も教えてくれるんだろうな」
「使われたら理性が吹っ飛ぶって言うし」
おぃこら、確か俺に使ったよな、それ。
アーサーや影の聖女様親衛隊が聞いたら泣くぞ。
朝、グダグダになって帰ってきた親父を回復魔法一発でシャキンとさせたのはさすがに将来の聖女だった。
ロビン親子にマリシアを引き合わせ、昨日に続いて人影の無い聖堂で6人だけの式を挙げた。
ロビン、そんなにうらやましそうな顔するな。
もしも、この先べつのはぐれ聖女に会うならば、もしかしてお前の嫁に来てくれるかもしれない。
応援だけはしてやるぞ。
そのまま貴族局で婚姻の届けを出すと受け取った文官はアリシアの履歴を見て、あっさりと俺たちにこう言った。
「奥様もご一緒に留学されますよね」
俺たちがまごついている間に、アリシアが元気に「はい!」と返事をし、俺がいなくなる代わりにロンバルトの屋敷でアリシアをかわいがろうとしていた親父が肩を落とした。
「ご夫婦ですと、寮というわけにはいけませんので下屋敷の一棟を借りることになります。つきましては下働きの女官の中から使用人として一人同行させますので、あとで面接をお願いします」
後で聞いたところによると、アリシアが治癒士なので俺より待遇がいいということだ。
もちろんロビンはそのまま帝都にある寮に入る。
おぃそんなにうらやましそうな顔をするな。
面接した中に見知った顔があったので、そのおとなしそうなにきびの目立つ15才くらいの女官をお持ち帰りにした。
明日はいよいよ姫にお目通りすることになったが俺が嫁をもらって一人前になったので親の付き添いは不要になり親父は貴族局に届けを出して一人で帰ることになった。
俺 クリス
田舎男爵の長女で嫡男。
留学生候補
マカネン男爵
自分の息子を留学生にしようとして暗殺者を雇う貴族
582735番 マリシア
見習いシスター
優秀だが協会から追い出されて俺の嫁になる
親父
俺の親父、ロンバルト男爵
ロビン
俺のいとこ
15才くらいの女官
俺の侍女候補