はじまり 過去へ
現在地
魔王城 俺の故郷の近くに建つ
ノルン 北の小国
俺はひとり、身を隠しながら魔王の元にたどり着き、魔王である双頭の黒竜に一撃だけは入れたのだが、その配下にふっとばされた。
あの魔王にまだ突き刺さっているはずの肩幅と同じくらいの長い針が俺の唯一の武勲といえる。
俺は今、生きているのが不思議な状態で、目の前で繰り広げられようとしている人類最期の戦いをぼんやりと眺めていた。
血液を失い、回らなくなった頭は余計なことを考える
どうしたらこんな建物を建てようとする発想が出てくるのだろうか、魔族どものやることはわからねぇ。
人間を四角く圧縮し石化したぶきみな建材で作られている城壁に上半身を寄りかからせて、俺は上空で行われている戦いを眺めていた。
俺はここから動けない。
両足を食いちぎられ、はらわたをぶちまけている俺が死なずにすんでいるのは、体の半ばが石化し出血が止まっているためだ。
この戦いが終わったら、新しく作り直す水の都でシェリーを嫁に…、くそっ聖女の祝福まで予約してあったのに全くの無駄になっちまった。
誰一人戦いが勝利で終わるとは思わなかったんだろうが。
もちろんマリシア様は本気で祝福の約束をしてくれたんだ。
たぶん。
城を出たとき三万を数えた反抗軍の精鋭たちもこんな俺をも含めて3人が生き残っているだけになってしまった。
ボゴッ
光の球に包まれた聖戦士アーサーの放つ剣技が目前の床を穿つ。
あれほどの相手と戦っているんだ、死に掛けて転がっている味方のことなどかまう余裕が無いのだろう。
飛び散る破片を避けることも出来ない俺は、魔界の空を飛び交う美しく輝く金と銀の二つの光の玉と青白い稲妻を纏った巨大な黒い玉のぶつかり合いを今は眺めていることしかすることがない。
厳密に言えば、俺の最期の一手だけは残してあるのだがそれを使う気力がもう無かった。
忍び込んだ魔王城の中で感じた覚えの有る魔力をたどると、輸送艦で旅立ったはずのシェリーが怪しげな物体に融合させられていた。
魔族の影が無いことを確認して忍び寄り抱きしめた俺に、シェリーは見えないらしい目に喜びの涙を溜めてこういった。
「アーサー、来てくれたのね。ありがとう」
愕然とする俺にシェリの体は硬くなる。
「アーサー逃げて!」
シェリーに突き飛ばされた俺はそのままシェリーのいた小部屋を出て気配を消す。
明らかに知性がありそうな魔族がその部屋に入って…爆発が起きた。
あわてて中に戻った俺は上半身だけになったシェリーを抱き起こす。
「良かった。アーサー無事だったんだ」
俺は黙って頭をなぜてやった。
「お願いアーサー、キスして」
シェリーは俺の腕の中で息絶えた。
このとき俺が生にしがみ付いてなおも戦い抜く理由が吹っ飛んでしまった。
上空では魔王とアーサーたちの戦いが続いている。
俺はシェリーに「お願い」と言われたことだけを励みに限界をはるかに越えた力を振り絞ってここまできたんだ。
戦士たちから蔑まれる暗殺者技能しか身につけられなかった俺が魔王に傷をつけることが出来たんだ。
もう充分だろう。
トスッ
上空の銀の球からたおやかな右腕が血の糸を引いて落ちてきた。
美しく輝く宝玉が埋め込まれてある杖を握り締めたままの手。
この杖がなければたとえ聖女マリシアといえど無限の回復は出来ない。
アーサーの攻撃も魔王を貫く決め手にかけている。
残念ながらそろそろ決着が付きそうだと、俺はかなり覚めた目でただ見つめていた。
ドサッ
さっきまで輝いていたものが光を失って落ちてきた。
俺はすぐ前で血溜まりをつくったマリシアに最期の魔力を振り絞って回復をかけ続ける。
俺の回復魔法は魔力ではなく自分の生命力を使うものでかなり効率が悪い。
やっと顔を上げたマリシアと目が合った俺は出なくなった声で叫ぶ。
『は・や・く・に・げ・ろ』
おぃいやいやしてないで早く逃げろ!
立ち上がったマリシアはまだ戦いの続く空を見上げて魔力を練り上げる。
それに答えて上空のアーサーも最後の力を振り絞ってか一際輝きを増す。
しかしどこからともなく湧いてきた小鬼どもがマリシアにたかり付く。
陵辱されるマリシア。
「イヤァー!」
うごめいていた小鬼たちの山がマリシアの絶叫のあと暫くして吹っ飛んだ。
ぼろぼろになった聖なる羽衣の切れ端がまだまとわりついていることでかろうじて聖女だったと分かるものは細切れになった小鬼の残骸をはらいのけ立ち上がる。
鬼だ!
鬼は近くに落ちていた右腕を拾い上げもとの場所に押し当てた。
腕は左と同じ筋肉質の浅黒い太い腕へと変わり透明だった宝玉は不透明の鮮紅色に染まる。
そしてその杖は上空の聖戦士に向けられた。
マリシアを助けようと魔王を何とか振り切って降りてきたアーサーの顔が驚愕に歪む。
アーサーを追ってきた黒い玉が下に降りたときにはもう、アーサーを取り巻いていた光は鬼が浴びせた魔力によって邪悪な光に取って代わられ勝負はついていた。
俺は魔王の風格を持つ三体が近寄ってくるのを静かに待った。
一体は最初からいた魔王、漆黒のうろこに覆われた双頭の竜、今は人と同じ大きさになっている。
一体は聖戦士であったもの、体中から剛毛を生やし、醜くゆがんだ剣と楯を4本の腕に持つ獣。
一体は聖女であったもの、真っ赤な宝玉をはめた杖をもち三本の角を生やした逞しき鬼。
いずれも神々によって封印されたと伝わる魔王たちの姿だ。
聖女だった鬼が宝玉をこちらに向け淡い光線を俺にびせる。
死を覚悟した俺だが、見たものは俺に向かって跪く三体の魔王だった。
俺の体は完全に回復している。
なぜ?
「大魔王様人間どもは片付きました。ご命令を」
聖女だった鬼の野太い声に応えて、俺の心の奥から真っ黒なものが浮かび上がってくる。
俺の心はこんなものを飼っていたのか。
もしかしたら、これが俺の心に棲んでいたために殺されずに住んでいたのかもしれない。
だが奴隷として人間以下に落ちてしまった俺にだって最期の誇りってものがある。
出来損ないといわれた田舎男爵のせがれがここまで来れたんだ、ご先祖様も許してくれるだろう。
俺は俺に出来る唯一のこと、奥歯に仕込んだ代々伝わる夜の調和神の宝玉を噛み砕いた。
俺を構成する魔力や物質はもちろん、近くのもの全てをエネルギーにして爆発させると伝えられた連鎖反応は起こらなかった。
俺の魂を覆い尽くそうとした邪悪なものはまた小さく奥へと戻っていく。
魔王たちは立ち上がり後ろ向きに歩き、竜ともう一体は飛び上がり、鬼は小鬼にたかられる。
不思議なことに俺の心と体には変化が無い。
だが周囲の状況はどんどん過去へと巻き戻されていく。
太陽と二つの月があわただしく反対から昇りすぐ沈む。
俺が寄りかかっていた不気味な壁は、いつの間にか大きなカシの木になり葉を茂らせた。
雲のあわただしい動きが止まり、風がふつうに頬をなぜていった。
この海辺の丘には見覚えがある。
なつかしい故郷の丘だ。
この目の前の道を下ったところに俺の育った屋敷があるはずだが…。
小さな青星草が乱れ咲いているところを見れば今は初夏か。
確かに魔王城は俺の故郷を滅ぼした上に建てられたものだったのだが。
吹き付けてきた殺気に俺は無意識に反応し針を飛ばす。
殺気に当てられて静になっていた小鳥達のさえずりがもどったころ、子供の声が聞こえてきた。
「クリス、ちょっと待って。父さん達まだ上がってこないよ」
「ロビン、いいから早く来いよ。この上の広場から海が見えるんだぜ」
石ころだらけのきつい上り坂を笑顔で駆け上がってきた同じ黒髪、黒い瞳をもつ少年達の片方はロビン・バル・ローバー12才の時の俺だ。
先に駆け上がってきた少年の真新しい旅装で思い出した。
10年前のこの日、俺はこれからいとこのクリス・バル・ロンバルトと王都へ行く途中だった。
帝国に留学する姫の話し相手となるために同い年の俺たち二人が選ばれたのだ。
領主であるクリスの屋敷のすぐそばだったので、何の警戒もせずに、広い道をゆっくり上がってくる馬車とは別に細い山道を先に駆け上がり、そこで山賊どもに襲われた。
このときの出来事は今も耳に焼き付いているクリスの「逃げろ」という叫び声とともに鮮明に覚えている。
山賊たちは駆けつけた父さん達にすぐに追い払われたのだがクリスは命を落とし、武器に塗ってあった毒に気付かぬまま中途半端な治療をした俺は利き腕の力と戦士への道を失った。
クリスの分もと利き腕のハンデがあっても俺は今までがんばれたのだが…
ところでその待ち伏せしていた山賊たちだが、7人全員が俺の投げた30cmほどの針に貫かれて絶命してしまっている。
だって殺気を向けられたら反射的に殺してしまうよなぁ。
俺はそうせねば生き延びることが出来なかったんだ。
「ごめん。」
俺が小さな声で謝ったのは山賊たちにではない。
この時はまだ元気なはずの俺の両親にだ。
大魔王の器なんぞ生かしておくわけにはいかない。
未来にこの地で起きる魔王の出現は俺が原因なのかもしれない。
俺は気配を殺して幼い俺の後ろに回りこみ、振り上げた針を首元に叩きつけた。
バーンッ!
世界が真っ白になり時が止り…動き出す。
ん!
「きゃっ」
すぐ脇で女の悲鳴が上がる。
目を覚ました瞬間に近くに感じた気配に殺気をぶちまけてしまった。
魔族どもと生死をかけて戦っていた俺は、たとえ意識がなくなっても、覚醒した一瞬に状況を判断して最適な行動をとることが出来るはずだった。
それが、俺は何十年ぶりかのパニックに陥って固まり、息をすることも出来ない。
掛けられていたシーツを蹴飛ばして抱きついて着た相手の首筋に武器を付きつけたのだが、相手はベッドの横から俺に手を回して抱きしめていたあのときのままの母さん。
しかも、いつものように針を召喚したはずが逆手に握っていたのは槍の穂先。
母さんに気付かれないうちに槍を戻すことが出来た。
ハァハァ
やっと頭が動くようになり、回りを見る余裕が出来る。
「母さん…」
「まだ混乱してるのね、ジェシカ叔母さんよ、クリス。」
へッ?
母さん俺のことをクリスって呼んだよな。
俺よりずっと小さい体に、男の象徴たるものが見当たらない自分の股間。
うがぁ!なんかの冗談だよな。
何がいったいどうなっているんだ。
「今の殺気は何だ!お?、クリス目が覚めたのか」
「いまのはクリスです、襲撃されて気を失っていたんですから目が覚めてとっさに出たんでしょう」
「なんだ、そうか。びっくりしたぞ」
「小さくてもレディの部屋にいきなり入ってくるとは何事ですか!」
「すまんすまん」
そう言って渋いイケメンの父さんローバー男爵と真っ黒な長い髭を生やした伯父さんロンバルト男爵はそろってあさっての方を見ながら出て行った。
……
この小さい体はみんなが言うとおりならクリスのものなんだろう。
しかしクリスが女なんて全く知らなかったぜ、俺より野蛮だったはずだから。
パニックが収まった俺を、母さんは一通り魔法を使って診察した後すぐに部屋から出て行った。
「到着日が決まっているから明日出発しないといけないけど大丈夫ね?」
出発なんてどうでもいい、いや良くないか。
盗賊たちに襲われた上に、恥かしい姿を父親達に見られてショックを受けたのだと都合よく解釈した母さんは、シーツにもぐりこんでしまった素っ裸の俺をひとりにしてくれたのだ。
とりあえず体のチェックをしながら考えよう。
ベッドから降りて鏡を見る。
たしかにクリスがこっちを見ている。
見下ろすと、ほんの少し膨らみかけた胸。
いろいろ触ってみる。
幼いな。
枕元においたあった服を身に着けるとやっぱり男の子にしか見えない。
脱いでもかなり筋肉質だからな…
さてと…大きく股を開いていくと、180度開いて床につく、上半身もぴたりと床につく。
柔軟性はいい。
体を少し起こして手を付き倒立。
片手を離してぐらりともしない。
バランス感覚よし。
両手を突いて屈伸したあと前へ倒してブリッジ、起き上がる。
フム、よく鍛えてある。
俺も時々クリスと一緒に伯父さんにしごかれたけど、子供相手に半端じゃない訓練つけてくれたからなぁ。
俺は体を柔らかくほぐした後、武術の型に入った。
師匠には無心でしろと教わったが、最近の俺はまったく別のことを考えながら無意識に体を動かすようにしている。
魔族と連戦しているときには部下の指揮も取らねばならないし無心なんて時間のもったいないことはとてもしていられないからだ。
さて考えよう。
俺が子供の時の俺を殺そうとして何が起こったのか。
もし、あの時俺が小さい俺を殺せたとしたらどうなっていたのか。
12才で死ねばどうやって過去へ戻ってくることが出来るんだ。
そうしたら誰が俺を殺すんだ。
俺の武技は戦士たちのそれではなく音を立てない。
気配を立てずに踏み込み拳を突き出し蹴りを放つ。
いいぞ。
つまり俺は俺を殺すことが出来ないのか。
手刀が空を切リ、防御、蹴り払い。
もしかしてこの俺がいる限りロビンは不死身なのか。
いや、俺にとって今の時間は、魔王と戦った時間の続きだ。
12才の俺を思い浮かべ、撃つ。
フム、なるほど、俺はもうクリスなんだ。
ならばロビンがどうなろうと俺には全く関係のないことになる。
神は大魔王の器であるロビンを殺すために俺を死んだはずのクリスにしたのか。
いやそもそもロビンを殺す必要があるのか。
この俺クリスが大魔王の器かもしれない。
何より魔王になったアーサーとマリシアをどうすればいいんだ。
あの二人は魔王に対する唯一の希望のはず、それでも殺してしまうのか。
一通りの型を終えてまっすぐ立つ。
ふーーーっ。
大きく息を吐く。
決めた。
あの魔王を倒してから考えればいいんだ。
あいつに負けなければあの二人は魔王になんぞ堕ちることは無いだろう。
俺独自の回復魔法も試してみる。
問題なく発動する。
10年後のあの場所に、あの時よりはるかに強くなって立てばいいことなんだ。
覚悟を決めたら楽になった。
寝るか、明日も早かったはず。
カーテンを閉めようとして机の上の身分証に気がついた。
クリス・バル・ロンバルト 女
ロンバルト男爵家 嫡男
女の癖に嫡男だって?
そうか、一人っ子のクリスが女だからそのままだと跡を継げないんだ。
普通男児が生まれるまで愛妾をもつか親戚から養子を取るかするからな、王族でもないのにこんな風にむりやり爵位を継がせるなんて伯父さん何を考えてるんだ。
も、もしかして、俺、セリナ王子みたいに嫁もらって別に男の愛人囲わないといけないのか。
俺としては嫁はいいが男は遠慮したい…。
いかん、何を考えてるんだ。
俺 ロビン
武人を目指すが落ちこぼれて暗殺者になる。
その方面では超一流。
シェリー
水の巫女で俺の婚約者。
マリシア
みんなの憧れの聖女。
アーサー
人類最強の聖戦士。
クリス
俺のいとこで男装している。




