鬼と侯爵
場所
ティラノス帝国国境付近、ローグ砦
穏形というのはいくつもの術の複合体である。
だから学校で学んだ150の教科書には載っていない。
俺はその穏業を使って一体の小鬼の横をすり抜けた。
小鬼たちの哨戒線はちょうど一つの村の大きさと同じだった。
一周回ってその中心が瘴気の吹き出し口からやや東にずれていることを確認して情報をまとめ砦に送った。
受領を確認することもできず木の上にロープを張ってビバークする。
魔王の城の中で一人寝た時と危険度は違うが、へまをした場合の結果は同じ。
日の出と同時に木の上で目覚める。
身奇麗にというよりも匂いなどの痕跡を残さないためにその辺を含めて自分を生活魔法で浄化する。
今日は渦を巻くように移動して小鬼の哨戒線の中心に迫る。
全く人間の村と同じように堀と土塀、逆茂木で守られた集落がある。
この村の門を守る小鬼は騎士のような高級な装備を身につけている。
そして村の中央の大きな建物、嫌なものを見てしまった。
一瞬どうすべきか迷ったがそれを記録し、村を出て砦に報告する。
向こうではきっと大騒ぎになっていることだろう。
くそったれ、泣けてくる。
誰もいないからお上品でなくてもいいよな。
くそったれ、ほんと泣けてきやがる。
俺は次の日偵察の仕上げをして砦に帰還した。
この会議室にいる全員が一度は今映し出された俺の報告を見ているはずだが、何度目であってもこの映像による衝撃は大きい。
沈黙が場を支配する中、私的に1000名もの大部隊を率いて陸路この砦にやってきたサイモン侯爵が、俺のところに歩いてきて、渾身の力で俺の腹にパンチを叩き込んだ。
内臓がどっかいっちまってるな、体をへの字に曲げて苦悶する俺の頭の上に靴の底が落ちてきた。
「なぜ殺してやらなかった」
誰も何も発言しない。
蹴り飛ばされ、吹っ飛ばされた先の兵士は場所を空けるが侯爵であるこの男を止めようとはしない。
司令官も黙ってみているだけだ。
殴られても踏まれても俺は皆に伝えないといけないことがある
「彼女を殺してあげることはできました。ただそれをするとこの映像を持ち帰れる可能性がかなり低くなるのです」
俺は床にはいつくばったまま一番目を背けたくなる場面、つまり偵察に出たマーニャさんたちが一列に並ばされ全員が小鬼に変身させられる場面を再度映した。
「やつらは人を直接魔物に変化させることができます。つまり私がこの砦に来たとき、やつらは仲間を増やすために兵士を生きたまま捕らえようとして手加減していたのです」
ざわめきがおこるが俺は続けねばならない。
「やつらが装備しているものは、奪い取ったものではなくもともと身に付けていた自分のものと考えられ。村の中心にいる小鬼どもは同じ紋章の入った防具を着けています。おそらくこの集団が瘴気の吹き出し口のそばで最初に魔人化したのでしょう。指揮を取っているのはマーニャさんたちを小鬼に変えたこの二本角です。明らかにこの小鬼たちには知性が残っています。やつらの繁殖の仕方は皆さんも知っているおぞましいやり方が有名で、この方法は確認されたことが無いのです。なにをおいても確実にこの情報は持ち帰らねばならなかったのです」
伝えねばならない事実はほぼ伝えたがそれが限界だった。
つまらんことでだがこれで俺は死ぬかもしれん。
同室だったマーニャさんが頬を染めて語ってくれた婚約者のことを思えば避けたすることはできなかった。
頬を染めた理由は理不尽な婚約を決めた父親に対しての怒りであり、あんな粗暴で凶悪な男は死ねばいいのにと続くのだった。
マーニャさんはその婚約者の侯爵が、自分の兵を率いてこちらに向かっていると聞いて、会いたくないからと偵察隊に志願し、その後を追って俺が出発した日に彼らは砦についた。
とにかく、その男が理不尽な暴力を振るい出したら飽きてやめるまで抵抗するなという忠告どおりにしたのだが…。
意識が遠くなる。
こればっかりだな、この砦に来て。
「我々には彼を止めることはできなかったよ。すまない。」
この司令官はなかなかうまいことを言うと俺は思った。
あの後俺が意識を失っている間にサイモンは私兵を全て引き連れて砦を出て行った。
俺と同じ男爵家の次男でしかない指令には命令権が全くないので引き止めることができなかった。
それにかこつけて、俺のほうを見て今の発言が有った。
みんなも俺の方を見て苦笑いしている。
「クリス君の偵察によって小鬼たちがつけている紋章から、彼らがロアーヌ侯爵家の者であると判明した。彼らはテルピウス王国から反逆罪で逃亡中である。サイモン侯爵はその追っ手でありこの砦に来たのは偶然ではない。今日、そろそろサイモン侯爵軍が小鬼どもと接触するはずだ。彼らが小鬼どもを殲滅してくれれば良いのだが、直接彼らを見たクリス君はどう思うかね」
「彼らには少しでも数を減らすことしかできないでしょう。2本角に進化しているのが何体かいますし、もともと持っている武芸や魔術も使えます。もともと宿敵同士みたいですから、やつらも全力を出すでしょう」
「君は2本角にこだわっているみたいだがそれの戦力はどのぐらいのものかね?」
「一体テイムして従属させましたのでいつでも召喚できますが」
「ぜひやってくれたまえ」
訓練場に場を移し2本角を召喚する。
やつらの隙を盗んでこの一体を隷属化したのが3日目の仕事だった。
兵士の中でも猛者と呼ばれているものがその鬼の前で剣を構えている。
鬼は兵士の剣を逞しいむき出しの腕でうけ、もう一方の腕の拳は兵士の目の前で止まっている。
腰布一枚の鬼相手に勝負にならなかった。
これで武装させたらどうなるか。
予想された結果はすぐに出た。
侯爵軍の兵士が逃げ戻ってきたからだ。
1000名中僅か17名、生き残った者たちは、一旦砦と逆方向に逃げ、大回りして戻ってきた。
侯爵軍の旗印を見た小鬼どもはまさに鬼気迫る形相で猛撃をかけてきた。
小鬼どもは防御を全く考えず、ひたすら殺すことだけを目的にその力を叩きつけてきたらしい。
サイモン侯爵の生死は不明であるが救援は出さない。
俺はまた一人で偵察に出かけ今度はすぐに戻った。
小鬼の数は残り58体、侯爵軍もただ壊滅しただけではないのだ。
次の方針はすぐに決まり、俺はマーニャさんと一緒に使っていた部屋に戻った。
2本角も一緒である。
あたりをきょろきょろ見渡している2本角に声をかけてやった。
「マーニャさん、忘れたと思うけど自分の部屋に帰ってきたんだよ」
彼女はすぐに進化したのだが記録には残していない。
どんな姿であれ生きていれば何かいいことがあるだろう。
マーニャさん
俺がローグ砦に着いたときから世話をしてくれている女の人。
指令官の副官。
俺と同室。
サイモン侯爵 初登場
私兵1000人をひきいて砦にやってきたマーニャさんの婚約者。
指令官
ローグ砦の駐在部隊の指令官。
俺
見習い治癒士




