決戦前夜
500年の沈黙期間が過ぎて魔族が地上に溢れかえった。
俺は長いキスをやっと終わらせてシェリーの体から離れた。
「元気でな。無理するなよ」
「あなたもね」
俺は輸送艦の艦橋で手を振るシェリーの蒼い髪が見えなくなるまでローグの飛行船発着場で見送った。
先導する1隻の戦闘艦をシェリーの指揮する輸送艦が追いかけていく。
遥か西に有るという別の大陸目指して旧式の飛行艦2隻は選抜された若者達を乗せて飛び去る。
北の国ノルンに魔王が出現して大量の魔族や魔獣が湧き出した。
あれほどの繁栄を誇った人類の国々は僅か数年で滅び人々は逃げ惑った。
逃げ出した人々の一部はローグの地下で発見された500年前にもあった魔族との交戦時代の大要塞に逃げ込み、そこで太陽の神の聖戦士と月の神の聖女を中心に集まり国々の枠やその他のしがらみを一切越えて結束した。
この地下大要塞は来るべき魔族との戦いを見越した先人達が用意してくれていたのだが、非常に残念なことに稼動させる動力が無く能力の1/100も出せなかった。
もちろん動力源はちゃんと用意されていたのだが転移装置で結ばれた遠方の倉庫にあったため、発見されたときまだ存在していた王国が自国の為に使ってしまったのだ。
だからここに13隻もの優秀な飛行艦が有りながらも一隻も飛び立てず、貿易と辺境警備に使っていた2隻に人類の再生の火種を託すことになってしまった。
俺の婚約者シェリーは最高神の下にあって自然現象を司る五行神の内、水の神を祭る神官のなかで最強の魔力を誇る水の巫女。
その力を見込まれて総指揮官であるアーサーから脱出艦の指揮をまかされた。
結婚の約束は取り付けたがまだキスしかさせてもらってない。
かつて花街で名を上げた俺としては情けない事だがシェリーにお預けされても何も言えない。
たった2隻で脱出する艦隊を見送って俺が歩き始めると、見送りに来ていた人ごみが二つに分かれて道が出来る。
怖れ、蔑み、嫌悪、好意的な感情が全く混じらない視線が俺に突き刺さる。
俺は夜のロビンという暗殺者。
本来ならば白昼堂々と歩ける身分ではない。
だが今現在、俺しか魔族たちの領域に忍び込んで生還できる者がいないのだ。
だから俺を敵と狙う者たちも、歯軋りしながらも人類の役に立つからと俺に手を掛けることができない。
もっとも向かってくる馬鹿は容赦なく撃退させてもらっている。
余計に嫌われているわけだ。
そんな俺が反抗軍の幹部であるシェリーと知り合ったのは、まだ残る貴族の特権を振り回す害虫の処理を2、3件請け負ったからだ。
聖戦士たちもきれいごとだけでは戦えないって事だ。
シェリー達が出航して3日後、おれは私室でくつろぐアーサーの後ろに立った。
ここもそれなりの警備はされているが魔族の城に比べれば何のことは無い。
「艦隊からの連絡が途絶えたそうだがどういうことだ?あと3日は通信範囲に有るはずだ」
アーサーは振り返りもせずに応える。
「今日発表するが、艦隊は襲撃を受けた。ただそれだけだ」
「救助隊は?」
「出せるわけが無いだろう、それより魔王を倒すために全力を集中する。お前も動くな」
アーサーは俺の気配が消えても振り向きもせず何事も無かったように読みかけていた報告書の束をめくり、俺は黙って宿舎に引き上げた。
万が一の場合アーサーに従うとシェリーと約束していたからだ。
歯軋りしながらも俺はその約束に従うしかない。
どうしようもないクズの俺に笑顔を向けてくれたシェリーの最期の願いだからだ。
新天地を求め脱出して行った飛行艦隊の壊滅を知らされた人類は滅亡覚悟で最期の攻勢に出た。
僅か4才の少年が蛇の形をした魔獣に短剣を向ける。
もとより魔族が使役する魔獣の分厚い皮膚にそんなものが通用するはずが無い。
少年の真の武器はその身につけた毒袋だった。
蛇の口が少年を飲み込んで閉じられたとき、その父は蛇の眉間に斧をつきたてた。
のた打ち回る蛇の傷口から吹き出る毒の血を浴びた父親は、皮膚を焼け爛れさせながらも狂ったように叫び声を上げつつ前へ進み別の魔獣に斬りかかる。
いや理性など残しているものがこの場にいるのだろうか。
彼はあまりにも強い毒の臭気でひるむ狼型の魔獣に致命傷を与えることに成功するがそこで力尽き倒れる。
一人が犠牲になる間に別の者が一歩でも前に進む。
そうやって造られた名も無き戦士たちの血の道は、やっと、ようやく魔王の下まで届いた。
最期の希望である聖戦士アーサーと聖女マリシアの最強ペアを魔王である双頭の黒竜の前に無傷で到達することに成功し、決戦の時を迎える…
…が、その場の片隅にもう魔族たちに見向きもされなくなった男が一人転がっていた。