08. 金の花降る
美しい花の咲く季節がやってきた。
光の具合で金色にも見える花びらは、季節は違えどもユズリハにとって懐かしい桜の木を思わせる散り際を見せてくれる。
「久しぶりだな」
思いも寄らない場所で、聞き覚えのある声を聞き、思わず周囲を見渡す。
振り向いた先には、やはり想像通りの男がこちらに向かって歩いていた。
「騎士さま」
三度目の邂逅は、諦めにも似た気持ちが呼び声ににじみでる。
彼と、自分との接点は数度。
全てを話さないユズリハのことが気になるとはいえ、こんなところにまでわざわざ出向いてくるほどではないだろう。
「探した」
「暇なんですか?お仕事」
ユズリハの言葉に、団長が苦笑する。
近くに来て、ユズリハは違和感を覚えた。
頭一つ高い背、広い肩幅、いかつい顔つき。
何もかも以前通りではあるのに、どこか見慣れない。
上から下まで見渡して、ようやくユズリハはその正体に気がついた。
彼が、制服を着ていなかったせいだと。
「お休みなんですか?」
「いや、やめた」
男の性としてこういった歓楽街に来る事を不潔だとも思っていない彼女の冗談に、彼はなんでもないことのように返す。
平民だ、と言ったこの男は、それでも人望厚い団長であったはずだ。本人自身の国への忠誠心もあつく、なにより人々の平和を願ってやまない性質だったと、多少関わった程度のユズリハにでも感じ取ることができた。
その彼が、天職とも呼べる騎士職をやめるなどということが、ありえるはずはない。
だが、言葉を重ねない彼の態度に、それが本当だったのだとようやく飲み込むことができた。
「部下の一人が死んだ」
それだけで、ユズリハは理解することができた。
真相にたどり着こうとしていた彼らの仲間は、その途中で圧力をかけられたのだろう。
彼のように武勲の誉れが高い男を落とすには、そういう方法が最も効果的であるとあちら側がわかっていたのだろう。
「おまえに、聞きたいことがある」
覚悟を決めた男の言葉に、ユズリハはようやく頷いた。
窓のない部屋、というものに連れて行かれたユズリハは、圧迫感を覚えた。
地下に存在する部屋そのものは、清潔な内装ではあるが。
示された場所に座り、男はユズリハの前に椅子を持って対峙する。
「正体は、間違いないんだな」
「わからない、わからないけど、少なくとも私をさらったのはその人だと思う」
ユズリハは正確には浚われたわけではないのだが、そのことを目の前の男に話すつもりはない。
尋常ではない手順でこの世界に来たであろうことを、ユズリハ自身すら信じきれていない。まして、それを理論立てて彼へ説明することなど、到底不可能だ。
「言葉、わからなくて。あの人の言っていること、ほとんど覚えていないから」
「何をされた?」
「大体想像通りのこと」
体を両腕で抱えるようにしたユズリハに、男が視線をそらす。
「あ、でも、たぶんあれは誰も知らない場所だとは思う。あの人以外に誰もいなかったし」
「単独犯、ということか」
「さぁ?」
少なくともユズリハは、あの男以外知らない。
彼女を解放してくれた、女神を除いて。
「でも、なにかしてた」
「何か?」
「儀式?みたいな。ちょっと教会の人がやるような」
「教会」
「祭壇、って言うんだっけ。そういうのがあった。誰かに何かを聞いているような」
「それは、この国のあの宗教だと思っていいんだな」
「うん。ここにきて教会の人と知り合ったから、たぶんそう」
全く宗教に興味がなかった彼女は、そういう場所に近づこうともしていなかった。
係わり合いがありそうだ、と判断したせいでもあり、そんな余裕などどこにもなかった、というわけでもある。
「あと、カミサマとか、あげる、とか言ってた」
「あげる?」
「そう」
「おまえをか?」
「たぶん」
腕を組んで考え込んだ男に、それ以上言うことがないユズリハは黙って待つ。
「生贄、イケニエ、か?」
聞き覚えのある単語に、ユズリハの肌が鳥肌をたてる。
彼は、確かに彼女の事をそう呼び、そう呼びながら体にのしかかってきた。
無言でただただ頷くユズリハの頭を撫でる。
思い出さないようにした過去が、鮮やかに蘇る。
喉から飛び出してしまいそうな悲鳴を飲み込み、ただ男の手のひらの感触だけを感じ取る。
「だが、なぜだ?」
それだけは、ユズリハにもわからない。
ただ、あの男は彼女を生贄と呼び、そう扱った。
その事実だけが全てだ。
「信用できる宗教関係者を探さないと」
数代前から疎遠気味であったとはいえ、祖を同じくする教会と王家は関係が深い。
おそらく位が上がればあがるほど、その傾向が強いだろう。
だが下っ端からでは得られる情報に限りはある。
王家単独か、もしくはごく限られた上層部しか知りえない事情があるだろう。
そうなれば、敵味方を分けることが難しい。
「知ってる」
ようやく落ち着いたユズリハが小さく手を上げる。
「妹さんが行方不明だって、言ってた」
それだけで面倒くさい背景などが排除できることを理解した団長は、静かに頷いた。
ユズリハを職場へと送っていったあと、団長は単独、その男の下へと走っていった。
思わず足を止め、ユズリハは上を見上げた。
使いの帰り、紅葉した木の葉にもみえる黄金の花の木の下を通ったからだ。
すでにちらほらと散り始めたそれは、やはり自分が知っている桜によく似ていると思った。
立ち止まり、手を伸ばす。
限界を超えていた花びらが舞い落ち、ユズリハの手のひらの上を飾る。
どこかで、声が聞こえた。
思い出したくないその声の持ち主に気がつく前に、ユズリハの意識は暗闇へと落ちていった。