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02. 翡翠に溶ける

きな臭い匂いを風が運ぶ。

敏感な商人たちは、商品を抱え込みすぎないようにしながらも、必要なものを囲い始める。

何の手立てもない国民たちは、いつごろからか悪化した空気を感じ取りながらも、それでも平和な時が続くはずだと信じようとしていた。





「このごろ王妃さまはお出ましになられないのね」


定食屋のおかみの何気ない言葉に、少女は作業の手を止め、彼女の顔を見上げた。

最近流れ着いた少女は、ユズリハというこの国では珍しい名を持つ美しい少女だ。

物怖じしない様子で突然職を乞うた彼女の度胸を、おかみは酷く気に入いっている。おせっかい気味に面倒見のよいおかみは、今ではユズリハを店の看板娘のように扱っている。

今はまだ、昼前の仕込みの時間である。おかみとユズリハは、厨房の担当者に材料を渡すべく、野菜の下ごしらえをしている最中である。

単純な作業が続く中、おしゃべり好きのおかみがそれを逃すはずもなく、ユズリハ相手に話し倒すのが常となっている。

今日もまた、何気ない会話をしながら、そういえば、といった風情でおかみが切り出した話題に、珍しくユズリハが興味を示した。

笑って適当な返事をするだけではない彼女に、おかみの口も軽やかにすべりだす。


「ほんとに、あんなにお綺麗なのにご病気だなんて」

「病気、なんですか?」

「そうみたい。まあ、あたしなんかと違って、あっちはまあ、ほっそいほっそい。もうあんなんじゃ、折れちまうね、絶対」


隣国との和平に伴い、輿入れしてきた彼女への視線には複雑なものが含まれている。

敵国の王の娘。

だが、彼女と一緒に訪れた平和。

彼女自身、非常に美しい女性であり、儚げな面差しは、色々なものを除いて彼女自身の人気がでることも納得ではある。

おかみも思うところはあるものの、うら若い女性が単身こちらの国へ嫁できたことへの同情も相まって、王妃自身に好意的だ。


「最近じゃあ、とんとお姿を拝見しないね。子供でもできたんだっていうんなら納得するんだけど」


王と王妃の間には子供はいない。

年数がたっていないこともあり、表立って側室を勧める声はないものの、それでも待ち望んでいる人々は多い。

異質な国からやってきた彼女が、手っ取り早くこの国に馴染む方法でもあるからだ。

だが、仲がよいとも悪いとも聞かない夫婦は、どこまでも庶民からは遠い位置にある。

所詮、眺めるだけの偶像でしかない。


「綺麗な、人なんですけどね」


そう呟いたユズリハに、おかみは大いに同意し、彼女の話題は他へと移っていった。





「久しぶりだな」

「あら、騎士さま」


労働階級が安価な食事を楽しめる食堂に、ひどく場違いな男が現れた。

男は、一目見て高級だとわかる外套を身につけ、街の人間が滅多にみないような騎士服を着こなしていた。

登場とともに、人々は手を止め、あからさまでない程度に男に視線を走らせた。

取締りをやる連中と同じで、何も疚しいことがなくとも、どうしてもその手の人間に腰がひけてしまうのは仕方がないことだろう。

そんな緊張感とは裏腹に、男は酷くきさくに食堂の看板娘に声を掛け、彼女の方もそれに気安く応じた。

固唾を呑んでいた連中は、息を吐き、そして何事もなかったかのように飯を食べ進める。


「あんた、知り合いなのかい?」

「はい、以前のお世話になった場所でちょっと」


世話焼きなおかみが素早く娘と騎士の間に入り、とりなすように声を掛ける。


「ああ、おかみ、私にも何かくれないか?」

「悪いけど、あんたのようなおえらい人に出すような食事は作ってないんだよ」


相手の階級を知っても態度を変えないおかみは、心底申し訳なさそうな顔をして断りをいれる。

肉体労働で日々の糧を得て、わずかばかりの金でも満足できるようなものを食べさせる食堂だ。確かに、彼のような男が邪魔をするような場所ではない。

だが、それに彼は笑って応え、おすすめのものを、と申し添えてしっかりと腰を下ろしてしまった。

そうなればそれ以上抵抗することもなく、おかみは厨房の方へと注文を伝えに行った。


「仕事はいつ終わる?」

「さあ?決まってないから」


はぐらかすように答えた娘は、お盆を手に仕事へと戻る。


「名前は?」


娘の背中に声がかかる。


「ユズリハ」


振り向かずに少女が答える。

男は、黙って食事を済ませ、ふらりと引き上げていった。


「待ち伏せですか?意外と仕事暇なんですね」

「これも仕事ようなものだ」


見回りをしているのだと、言い張りながら食堂を訪れた男がユズリハを待ち構えていた。

彼は、ユズリハが以前いた街で出会った騎士であり、それ以上でも以下でもない。

名前も知らなかった少女に、こんな風に執着するいわれはないはずだ。


「地毛だって言ったよね?」


あるとすれば、そのことだけであり、ユズリハは栗色の髪の束を持ち上げてみせた。

この国で、珍しい髪色の若者が姿を消す事件が続出していることは有名である。

最近、富にその数が増え、珍しい、とは微妙な範囲に入るものたちまでもが行方不明となっている。

誰も彼もが美しい容姿をしており、確かにユズリハもその範疇に入る。

だが、そのことは公には認められておらず、行方不明だと訴えたところで、どの事例も役所で取り扱われたことがないことも知られている。

今では、皆自衛をしており、そのような容貌のものはひきこもるか、金がある家ならば護衛がついている。

それでもその数は増え、そして扱いは闇へと葬られている。

ゆえに騎士が、そのことでユズリハを尋ねることはひどくおかしなことだ。


「どこか、話ができる場所にいきたい」

「ここでできない話は聞きたくないんだけど」


大通りで対峙する二人に、行きかう人々は当然のように好奇の視線を隠そうともしない。

厳つい騎士と美しい少女。

ただそれだけで歌になってしまいそうな二人は、酷く目立っている。


「あなたが人攫いじゃないっていう証拠でもあるの?」


現在起こっている行方不明が、「人為的な事件である」と確信をもった言い回しでユズリハが答える。


「それは、信じてもらうほかはないが」

「何をもって?」


彼女と、彼は一回会ったきりの関係だ。

信頼関係もなにもあったものではない。


「また消えるのか?」

「別にあなたのせいじゃないけど?」


彼が問い、ユズリハは消えた。

一時は例の行方不明者の仲間に入ってしまったのかと心配していた彼にとっては、ただそれだけで彼女に執着する理由があるのだと納得している。

真剣な眼差しで見下ろされ、周囲の目も相まって、ようやく彼女は頷いた。

力ずくで連行することもできる男が、それをしなかっただけましなのだと言い聞かせながら。




「殺風景なところで悪いな」


連れて行かれた場所は、騎士団員の詰め所だった。

広くはあるが飾りも何もない部屋は、ただ木製の机が窓際に置かれ、客用と思わしき椅子がすみに転がっている有様だ。

花の一つも活けているわけでもなく、厳つい男とこの部屋は似合いはするが、それだけで威圧感が増したように感じられた。


「で?」


言われる前に適当に腰掛け、ユズリハが問いかける。

彼女も別に暇ではない。

家へ帰って休まなければ、明日の労働に差しさわりがでてきてしまう。

その程度に彼女の生活は、余裕があるわけではない。


「行方不明の事件のことだが」

「家出なんでしょ?」


木で鼻をくくったような返事しかよこさない役人の言葉を吐き出す。

どの親も友人たちも、そうやって追い返されてきたことを知っている。

ただの家出であり、お役所さまが関わるような案件ではないと。


「・・・・・・そんな風に思っている人間は、役所にもいない」

「上から指示がでているってことでしょ?」


あっさりとわかった風な口を聞く彼女に、男が瞬間口を閉じる。

何かを知っていそうな口ぶりに、彼は慎重に言葉を続ける。


「秘密裏に調べているやつもいる」

「ふーん。で、結果は?」

「誰もたどりつかない。酷い場合にはそいつすら行方不明になる」

「まあ、そうでしょうね」

「最近では、陛下が関わっているという噂まで出回る始末だ」

「へぇ、そう。あなたはどう思っているわけ?」

「さすがに陛下うんぬんは信用できないが、それでもかなり上層部が関連しているとは思っている」


口元に指先をあて、少女が考え込む。


「理由はなんだと思う?」

「理由?」

「そう。だって事件だっていうのなら、動機があるわけでしょ?」

「ありふれたところならば、まあ」

「体目的でしょうね」


あからさまな物言いに、僅かに動揺し口ごもる。

ユズリハはそんなことにはお構いなしに、さらに続けていく。


「あとは、危ない方の体目的」

「猟奇的な方向、ということか?」

「そうそう、そんなかんじ」


想像も共感もできはしないが、ありふれた理由ではある。

権力者が絡めば、そういったことを隠蔽し続けることも難しいことではないだろう。


「だが、死体が出ていない」

「二つ目ならそうだよね、数が数だし」


行方不明になったまま希望を捨てられないのは、不明なままだからだ。

死体で発見されれば、悲しみはするが、決着はつく。


「そういうことができそうな連中に正直、怪しいところはない」

「いくらかくしても噂ぐらい立つもんね」


どれほどの権力者といえども、これほど長い期間数多い被害者たちを隠蔽し続けることは難しい。

人はどこかで繋がっているもので、どこかしらで何かが漏れてしまうものだ。


「割と噂があたっていたりしてね」


それすらないとするならば、不可思議な力の介在を認めてしまうか、さらに上の権力の存在が必要となるだろう。


「それは」


口にすればその首が危うい考えを飲み込む。

男は騎士であり、国家、国王に忠誠を誓う存在だ。


「そういえば、お妃さまってご病気?」


突然話題を変えられ、多少面食らった男は、それでも真面目な性格なのか、実直に答える。


「そう聞いている」

「彼女も、それはそれは綺麗な人だったよね」

「ああ」


輿入れの行列には大勢の国民が押し寄せ、華やかな彼女の笑顔に皆が酔いしれたものだ。

彼女の肖像画はあちこちに飾られ、英邁な王と同じぐらい人気がある。


「それに、すっごく深い緑色の目をお持ちだったよね」


ユズリハの言わんとすることが理解できた男は、ただ押し黙る。

決して彼はそれを口にすることはできない。


「まあ、違う理由だと思うけど」


わざとおどけたような仕草でそういい切り、ユズリハが立ち上がる。


「あんまり深入りしない方がいいと思う」


唐突なユズリハの言葉に、座ったままの男は声もかけることができない。


「それに、私のことは放っておいて」

「それは、どういう」


ようやく声が出た男は、立ち上がり彼女を追いかける。

扉を開け、ユズリハが首だけを彼の方へと向ける。


「お妃さまみたいに、なっちゃうかもしれないよ?」


男は、側近くで王妃を見ることができたときを思い出す。

淡い金色の髪に、深い深い宝石を溶かしたような瞳。

華やかだけど儚げで、王に並び立つ姿は似合いでもあった。


「ユズリハ?」


男の手が肩に触れる前に、ユズリハは扉をくぐって去っていった。

男に、抗いがたい疑惑の種だけを残して。


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