01. 君が居た永遠 2
ユズリハは、いつもの労働を終え、一人水場へと向かっていた。
この村自体は非常に水源に恵まれており、あちこちに湧き水がたまる池が存在している。
それらのいくつかは水浴び場となっており、着衣のまま洗濯とともに済ませるものも多い。
ユズリハは、できれば日に一度は水浴びをしたいと考えており、どれだけ疲れていても仕事の後に水浴び場へと向かうことが多い。
いつものように水浴び場に到着し、衣服を脱ぐ。
村人たちのように、器用に着衣のまま水浴びをすることが出来ない彼女は、このように無防備な格好で水場に漂っていることが常だ。
それもこれも、比較的この村の治安が安定していることと、こんな時間にこのような場所にいる人間がいないせいだ。
だが、この日はいつもとは違っていた。
突然明かりがともされ、膝から上を水から出したまま、ユズリハはまぶしさのあまり目を瞑った。
「おまえは!」
その声に、微かに聞き覚えがあるような気がして、彼女は目を凝らす。
徐々に慣れてきた両目には、酒場で影を纏っていた男が映りこんできた。
「お客さん?」
名を知らぬ彼女は、名を口にして問うことができない。
こんな風に光をかざされ、逼迫したような表情で迫られる言われはないはずだ、と。
「その髪は偽ものか!」
まじまじと体を眺め、真っ先に彼が口にしたのは髪色のこと。
体を隠すわけでもなく、ユズリハは濡れた長い髪を束ね、水気を絞る。
「だったら?」
ありふれた栗色の髪を束ねながら、男にとってみれば不遜な笑みすら浮かべたように思えるユズリハに激昂する。
「おまえが、おまえがさらわれればよかったんだ!」
完全に八つ当たりめいたその言葉に、男は精神が暗いものに支配されていく。
徐々に、ユズリハの存在そのものが、己の恋人の存在を奪った害悪だと思い込んでしまうほどに。
じりじりと距離が近づき、ユズリハの目にも男が手にしていた刃物に気がつく。
だからといって、何も防ぐものがないユズリハは対抗する術をもたない。
だが、存外落ち着いた声音で、ユズリハは男に声をかける。
「おしえてあげようか?」
歯を食いしばりながらユズリハに近づいてきた男は、血走った目を彼女に向けながらも、数拍立ち止まる。
「さらわれたらどうなるか」
虚をつかれたような顔をして、男の動きがさらに止まる。ユズリハの言葉は、行方不明が第三者の手によって行われた「事件」だという事実を表している。そして、彼女自身もそのような目にあっていたと言うことを。
しかし、頭に血が上った男は、彼女の言葉を正確に理解することができないでいる。
「きれーな顔をしたえらそうな男にさらわれたのよ」
「どういうことだ!」
「だから、さらわれたんだって。えらそうな男に」
「えらそうだと?」
「うん、そう。たぶんずっとずっと力がある人」
男は歯を食いしばり、ユズリハを睨みつける。
役所の対応は明らかに常軌を逸している。
それが、権力がらみの圧力からきているものなら、のんびりとした村で育った男だとて、容易に想像することができる。
「やることはちっともキレイじゃないけどね、あいつ」
そこから先、ユズリハが語る内容は、男にとって耳をふさぎたくなるものだった。
これからずっと一緒にいようと、誓った相手が受けてよい仕打ちではない。
怒りと、絶望と、極端な感情に捕らわれながらユズリハにつめよる。
「いや、信じない!信じられるわけはない!」
だが、生きていて欲しい、その気持ちが彼の中でユズリハへの否定と憎悪の気持ちが膨らんでいく。
「私は本当に偶然助かっただけ」
無防備に背中をみせる。
そこには、白い肌に残された刀傷の痕がはっきりと浮かび上がっていた。
一瞬男は息を飲み、だが、混乱したように大声をあげる。
「別に信じなくてもいいけどね」
「嘘だ!」
右手から灯りが落ち、両腕にしっかりと握り締めた刃物がユズリハへとむかう。
どこか腰がひけたような突進を、ユズリハは体をひねりながらかわす。
水場へと突進し、さらに足を砂地にとられた男が地面へと転び、両腕を水場へとつける。
ユズリハはゆっくりと水場からひきあげ、布で体を拭いながら衣類を身につけていく。
男の嗚咽しか聞こえない暗闇のなか、ユズリハがもってきた照明に灯がともる。
「もう一つ知ってる」
動かないままの男の背中にユズリハの声が降りる。
「犯人は、よく見る絵姿の男に似てた。本物かどうかはわかんないけど」
おおよそ信じられない言葉は、彼の耳に届いたのかどうか。
彼はただ、恋人の名を呟き、その声だけが水場に響いていた。
ユズリハが唐突に酒場から消え、酒屋に新しい手伝いが馴染んできた頃、別の噂が村には広がっていた。
賢王と呼ばれる新しい王が、少年少女らを呼び寄せ宮殿の中に囲っているのだという、噂が。
あまりに荒唐無稽なその噂は、面白がって口にすることもできないほど不敬な内容ではあった。
だが、ある一定の真実味をもって、それは人の口から人の口へと、密やかに伝わっていった。
その頃には、恋人を亡くした男もまた、村から姿を消していた。