22の世界と11の物語
電撃大賞用に書いた短編なのですが、どかか不完全な感があり、今回は応募しなかったものです。
話は完結しており、はたして自身のオリジナルがどの程度のモノなのか、皆さんに判断してもらいたく、ここに投稿させていただきました。
もし、最後まで読んでくださいましたら感想のほう、いただけるとありがたいです!
話の内容は主にファンタジーのジャンルに入ると思います。
それでは、よろしくお願いいたします!
また、この作品は『アルカディア』様のほうでも投稿させていただいております。
そこは、壊れた世界だった。
白の砂が埋め尽くす、廃墟。ビルの残骸があり店の残骸があり、車の残骸があり家の残骸がある、骸の世界。
そこにあるモノはある一点だけを残して全てが壊れ、原形を留めているモノはほとんどなかった。そして、原形を留めているモノも、その本来の機能を欠片も使えないほど、壊れている。
壊れ切って、いる。
そんな、壊れた世界でただ一つ、壊れていないモノがあった。
いや、その表現はおかしいだろう。
それはモノではなく――者だったのだから。
白い、少女だった。白の髪と白の瞳。肌は太陽の光を吸っていないと思うほど白く、着ているぼろきれもまた、世界に染まったように白い。
まるで世界を体現しているような白の少女は、裸足のまま世界を歩く。
ふらふらと――ゆらゆらと。
目的のないような不安な足取り。その持ち主たる少女の白の瞳もまた、足取りのそれのように何も見ていないような、意識があるのかさえ怪しい薄さを示している。
少女は、歩いた。
白の砂を白の足で踏みしめて。
壊れたしまった世界を。
壊してしまった世界を。
彼女は、歩き続ける。
何かを求めるように――
何も求めないように――
ずっと一人、歩き続ける。
探すように――
見つけるように。
見つからないのに――
もう、いないのに――
虚ろな瞳はただ、彼を探して彷徨い続ける。
壊れた世界を。
壊れた少女が。
彷徨い続ける。
歩き続ける。
その先に何も待っていないことを分かっていながら。
愚者は、歩き続けた。
「こんにちは」
そんな、どこか世界を間違えたような少年の声が聞こえるまで。
声は、後ろからだった。明るさの滲んだ、声変わりの終わった声。少女はゆっくりと振り返る。いたのは声に違わない少年だった。
黒のローブに、銀縁の眼鏡。ニコニコと微笑む、整っているのにどこか間の抜けた顔。
初めて見る彼は、軽い足取りで少女に近づいてきた。彼女は特に警戒することなく彼を待つ。あと五歩という距離だろう。少年は足を止めるとそこで片膝を折り、頭を下げた。
「初めまして、名も知らない貴女」
「……誰?」
何となく出た、そんな声。透き通る――少し間違えれば気のせいかと思うほど薄く、儚く、壊れやすいその言葉に、彼は顔を上げると満面の笑みを浮かべた。
「あなたを恩人に思う――魔術師です」
アルカナ・ファースト――そんな言葉が、彼女の頭に浮かんだ。
フールという少女の話をしよう。
彼女は選ばれた人間だった。とはいえ、この場合の『選ばれた』とはイコール『恵まれた』存在を指すそれではない。
ただ、選ばれただけだ。
人が生きるように――
人が死ぬように――
自然と、選ばれただけ。
誰から、というわけではない。
そういうモノではないのだ、彼女の役割とは。
だが、強いて言うなら彼女を選んだのは世界というモノだろう。
だから、この世界の終わりは、言うなれば世界そのもののせいであり――どこまで行っても自業自得のそれを出ないのだ。
世界がどう思おうと――
彼女がどう思おうと――
フールという名の少女をアルカナ・ゼロ――愚者に選んだ、それが間違っていただけのことなのだから。
フールは自身に笑顔を向ける少年を見た。
ニコニコと明るく微笑む彼の表情はどこまでもこの世界に合っていない。まるで一つの物語の中に別の物語の住人が入っていたような違和感。
言いえて妙。あるいは絶妙。
的を射た考えは、どこまでも彼が持つ独特の感覚から来るモノだった。
それは例えるなら――匂い。
あるいは雰囲気。
彼は、フールに似ていた。顔も、背も、性別も表情も何もかも違うのに、似ていると言えば見た目の年齢くらいなのに、彼と彼女はそっくりだった。
存在として――
同じ種の、同類のような、そんな感覚。
世界に選ばれてしまった、存在。
フールは――けれどどうでもよかったので彼に背を向けると歩きだした。
「えぇ!? 無反応!?」
そんな驚いたような声が背に響くが、彼女は歩みを止めない。
彼が、隣に並んだ。
「えぇっとあの、私は何か貴女の機嫌を損ねるような失態を演じてしまったでしょうか……?」
おどおどと、情けなく笑う彼に目を向けないまま彼女は答えた。
「別に……」
「そうですか。では何故華麗にスルーを御キメになられたのですか?」
「あなたと接する理由がなかったから」
「ショックです!」
「そう」
「……反応が冷たいですね。大げさにリアクションまで取りましたのに」
「……」
「待ってください~」
隣で大げさに膝を折り、その場で泣き真似を始めた彼を無視して歩けば、魔術師は情けない声を上げて付いてくる。
「……どうして付いてくるの?」
「ついてくるなと言われていませんから」
「ついてこないで」
「断ります」
「……」
「すいません調子に乗ってしまいましたからその冷たい視線を収めてください超恐いです」
虚ろな瞳で見るフールに、魔術師はガタガタと震えて謝る。
彼女は久々の会話が疲れることに気づき、小さくため息を吐いた。「おや」と魔術師が目を丸くして、
「お疲れのようですね。休憩したらいかがですか?」
誰のせいだ、と思ったが言わないフール。そんな彼女に気付かず、魔術師は「ちちんぷいぷーい」と気楽に言ってその場にテーブルとイス二つ、紅茶の入ったティーカップとクッキーを出して見せた。
「どうぞ」
イスを引いて勧めてくる彼に、フールは気に留めず足を進めて、
「……」
「……」
魔法、なのだろう。イスを引いた先の姿勢のまま、先に用意した一式全てをまるで滑らせるように彼女の隣りに並行してくる魔術師。
フールは冷めた目で彼を見る。にこやかな笑顔が、そこにはあった。
何故かイラついたので砂を拾って魔術師にかける。まきあがった白は力学の法則に従い広がりながら彼へ向かって、笑顔で薄くなっていたその目の開いていた部分にピンポイントに命中した。
「目が~!」
その場をぐるぐると魔術師が転がる。フールはとりあえずすっきりしたのでイスに腰掛け転がる彼を淡々と眺めつつ紅茶を嗜んだ。味は普通においしかった。
「……うぅ、死ぬかと思いました」
何故か目から光を発しながら言う魔術師。フールの視線に気づいたのだろう。彼は「これはですね」と自身の目を指差してにこやかに笑う。
「治癒魔術の一種です。ほら、魔術って光るのがデフォですから」
「そう」とどうでもよさそうに言って彼女は自身の目を指差している彼の手を押した。本当に目を指差した光景を見ることが出来る。
「ぎゃ~!」と一頻り上がる悲鳴。彼は更に鮮やかな光を目から発しながら、
「なんてことをするんですか。間違って殲滅魔術が目から出てしまうところでしたよ!?」
「出ればよかったのに……」
「なんで!?」
彼は大きくため息を吐いて、フールの向かいに座る。
白の廃墟の中、こぎれいなテーブルで紅茶を飲む、白の少女と目から光を放つ魔術師の光景が生まれた。
「シュールな絵だ……」
「……クッキー若けってるよ?」
「あ、すみません」
パチン、と魔術師が指を鳴らせば新たなクッキーが現れる。
それにフールは全く手を付けず、冷めるのを待ってから「さて」と話を切り出した。魔術師が「えー」という表情を浮かべるが彼女は気にしない。
冷たい視線が、彼を射抜く。
「私たちは、選ばれた存在」
魔術師はにこやかに笑って頷く。
「そうですね。あるいは選ばれてしまった、と表現するのが正解かもしれませんが」
「言葉の違いに優劣はない」
「あるのは結果だけ。過程が意味を成さないように」
「そこにある――現出している在り方が同じならば、言葉がどうでありそこに差異はない」
「貴女がアルカナ・ゼロ――愚者であるように」
「あなたがアルカナ・ファースト――魔術師であるように」
「そこに意味はなく」
「そこには意味しかない」
「世界に選ばれた我々です」
「22ある世界の形ある存在として、私たちはある」
「役割を与えられ――」
「責任を背負わされ――」
「故に力があり」
「故に自由がない」
歌うように紡がれた言葉。
片方は無表情に淡々と――
片方はにこやかに麗々と――
形の違う表情を浮かべる二人は、けれどどこまで行っても同じだった。
世界に選ばれたモノとして――
正位置と逆位置。
その違いがあっても、根源的にフールと魔術師は同じなのだ。
だからこそ、彼女には分からない。
分かるからこそ――分からない。なぜ彼が、自身と同じ場所にいる彼がこの世界に――愚者の世界にいるのかが。
その、にこやかな笑みは何も語らず、だからフールは立ち上がった。
「おや? もう休憩は終わりですか?」
「あなたはそこで休んでいればいい……一生」
「いやですよ!?」
慌てて立ち上がり追いすがってくる彼。
(……付いてくるってことは、私が目的なんだよね……)
心中で呟くが、フールにはそれに対する心当たりがなかった。
「……まぁ、どうでもいいや」
どこか虚無的に紡がれた言葉は、彼に聞こえていたのか。
彼に背を向けて歩いていた彼女には、今彼がどんな顔をしているのか分からなかった。
この世界の話をしよう。
愚者が形として現出するこの世界のテーマは即ち『未知』だった。
無限の可能性。
あるけれどないモノ。
無。
そんな大仰なテーマはけれど、所詮世界が一方的に押し付けてきたものでしかなく、だからこの世界の人間はそれに気づかずただ日々を普通に生きていた。
普通に人として生を受け――
普通に人として死を賜る。
進化もあった。
争いも生じた。
けれどそれはどこの世界にでもある程度のモノでしかなく、故に世界はテーマに準じていたかはさておき程度良くは回っていたのだ。
だけど、いつだって変化はいきなりなモノ。
前兆は、あったのかもしれない。けれど気付けなかったそれはもはや『もしかしたら』のモノでしかなくなっていて、だからその言葉は起きてしまった段階では無意味のそれなのだ。
世界に、一人の少女がいた。
その少女が愛した人がいた。
そして、その人が死んだ。
たった、それだけ。
けれどそれを『たった』と表現するのは第三者だけであり、当人にとっては上の表現などで表せる絶望ではなかったのだ。
そう、それは――世界なんてなくなってしまえばいいと思うほどの。
「いやはや、それにしてもなかなかどうして見事な反転ぶりですねー」
辺りをきょろきょろと眺めながら言う声は、どこまでも軽かった。あるいは彼にとっては珍しいのだろう。壊れた世界――もし十全に魔術師が自身の世界を管理していればありえないそれがこれなのだから。
「……」
「というか、この世界っていちいち非魔術的なんですよね。主なエネルギーが魔力ではなく電力と言うのも私としては驚愕に値します」
「……」
「そういえば、この世界ってドラゴンとかユニコーンとかいなかったんですか? それとももうそれらは全て朽ちた後で、反転する前はいたとか」
「……」
「相手してくださいよ~」
フールは砂を投げた。
魔術師の目に入った。
「のはぁ――!?」
「ドラゴンもユニコーンもいない。魔術もないから電力が普通。以上」
「答えてもらったのは嬉しいんですが目がとっても痛いです!」
「そう、よかった」
「よくないですよ!?」
「私にとって」
「うわあぁあん! 故郷の妹よ~!」
涙を流して本格的に泣き出す彼に、フールは小さくため息を吐くと、
「……あなたの行動原理がさっぱり分からない」
「? どういう意味です?」
「あなたは今、言ったよね。故郷の妹よって」
「えぇ、言いました」
「つまり、あなたの世界はまだ存在して、妹が生きる程度には十全に形を保っているはず」
「全く以てです」
「じゃあ、何故ここにいるの? 私たちは、自身の世界にいるからこそ意味があるモノ。他の世界に気軽に訪れることは許されていない」
「――気軽じゃないですよ」
それは、フールにとって驚きだった。
言う、彼の顔。そこにはいつもの笑みあるのに、その笑みがひどく真剣に見えたから。
こういう顔もできるんだ、と少しだけ驚く彼女に、魔術師は微笑む。
「私は、私としてここにいます。そこにアルカナ・ファーストの意思は関係なく、ただ一人の魔術師として、ここにいることを望みました」
「……何故?」
「あなたに恩返しをするために」
そう言って、魔術師は更に深くしたその微笑みをフールに向けた。
温かくて、優しい――でも、悲しいほどに懐かしい顔。
『彼』と全く違うのに、『彼』に似た彼の表情をフールはまっすぐに見れなくて――視線を反らし、歩き続ける。
でも、思考はどこまも囚われてしまって、
(どうして、あの人の顔が浮かぶの……?)
心中の声に、返してくれる答えはない。
あるいは『彼』なら伝えれば何か答えてくれただろう。そして魔術師も、言えば一緒に考えてくれたかもしれない。
それでも――いや、だからこそ、フールは口を閉じた。
誰かに頼ること。その弱さを、彼女は知っているから。
誰かに依存すれば、それを失った時、壊れてしまうから。
彼を失った時のように――
もう、そんな想いはいやだから。
彼女は歩き続ける。
何もない世界を、答えのない世界を。
絶望を、積み上げるように。
ただ、ひたすらに。
そんな彼女を、魔術師が悲しげに見ていることに気付くことなく。
魔術師が、隣につく。
「お聞きしてもよろしいですか?」
「ご自由に」
「いつまで歩くのですか?」
「ずっと」
「ずっととは?」
「永遠」
「どうしてですか?」
「答えを見つけるため」
「答えとは?」
「わからない」
「分からないのに、見つけるのですか?」
「分からないから、見つけるの」
「見つからなかったら?」
「見つかるまで見つける」
「この世界で?」
「そう」
「この壊れた世界で?」
「そう」
「この朝もなく昼もなく夜もない世界で?」
「そう」
「無機物もなく有機物もない、この世界で?」
「そう」
「あなたが壊した――反転させてしまった世界で」
「そう」
「そうですか」
「では」と魔術師が続ける。
「私も同行しましょう」
「……」
「迷惑そうな顔ですね。ドキドキします」
フールは数瞬彼を見て、断っても付いてくるのだろうと何となく思った。
「……好きにすればいい」
「ありがとうございます」
それが、二人の最初の一日。
一週間続く、短い二人の、旅の始まりだった。
それは、そびえ立つビルだった。
長く、天へ向けて生えたようなそれは、朽ち行く中でもなおその立ち位置を変えず、太陽の出ていない空へ駆けている。
その様は、果たして何と言えばいいのだろう。
壮観――
あるいは壮大。
もしくは無節操。
まるで恐れを知らないかのように、天へ立つそれは神話に出てくる蠟の羽根で天を目指した愚者を思わせる。
「……」
頂上が見えないそれを見上げ、フールは歩き始めた。それの中へと。
魔術師も、無言のままついてくる。
中は、白の砂にまみれつつもこの世界では綺麗なほうだった。目立った傷もなく、原形を留めている。流石に電力は無くなっていたのでエレベーターは使えないが、階段を使う分には問題なかった。
しとしとと、裸足の足が階段を上がる。
カツカツと、革靴の音が階段に響く。
「魔法で飛びましょうか?」
「いい……」
会話は、それだけ。
歩き続ける二人は、ただただ静かにビルを上がっていく。
これといった会話のない時間。つい一時間前までそれが普通だったのに、久しぶりの会話のせいだろう。静寂が、フールにはひどく懐かしく思えた。
同時に、少しだけの意外。
同行を許してから、魔術師はあまり話さなくなった。先まで頼んでもなかったのに動いていた口は、今は静かに緩やかに閉じられ、時折しか開かない。
どうしてだろう――そんな思考はけれど口にせず彼女は進む。
一回分、上に上がった。
階段の節目節目にある窓からの景色が、少しだけ変わる。
二階分、上に上がった。
窓からはまだ地上が見えた。
三階分、上に上がる。
先と大して景色は変わらない。
四階からは、数えなくなった。
窓の景色はもう変わらなくなっていたから。
フールは登る。先の見えない天へ向けて。裸足の白い足を、ひたすら動かし、階段を一歩ずつ、登って行った。
それが、延々と続く。
裸足の足は、止まらない。
革靴の音も、響き続ける。
しとしとと、足が進む。
カツカツと、音を刻む。
音楽のように継続して紡がれるそれらは、でも少しずつテンポを下げて行った。
裸足の音が、徐々に遅くなっていったから。
合わせる革靴は、伴い速度を緩め――そして止まる。
フールが、止まったから。
「はぁ……はぁ……」
「……休みましょう」
見かねたのだろう。今日聞いた中で一番暗声で言う魔術師に、フールは首を横へ振る。
「いい……」
「ですが」
「私は、登る」
断言して紡ぐが、どうして自身がこのビルを登っているのか、彼女にも分からなかった。
いや、意味など元よりないのだ。これは、ただ単に罰のようなモノなのだから。
世界を反転させてしまった自身に対する。
彼女は再度足を進めようとして――思うように動かない足に体制を崩し――だけど転びはしなかった。
抱きとめてくれる、力のある腕。
その腕をたどって顔を上げれば、困ったように苦笑する魔術師がいて。
彼は、言った。
「では、私が支えましょう」
抱きとめていた腕が、そのまま彼女を彼が背負う形へと変わっていく。胸に当たる魔術師の身体は、服越しでも温かかった。
「……」
「……」
沈黙のまま、再び響きだす革靴のメロディ。
少しだけ重みの増した音は、けれど不快にならない不思議な優しさが含まれている。
と、不意に彼の背中が微笑むように動いた。
「はは、軽いですね」
「……」
「でも、これは年頃の女性として軽すぎです。だから、頂上に着いたら食事にしましょう」
「……」
フールは、答えなかった。
魔術師も、求めなかった。
それから、二人は天へ向かう。意味もなく、目的もないまま。
今、何階にいるのかさえ分からないまま――
窓をのんびり眺めながら――
天へ向かって――辿り着いた。
暗かった階段の通路。そこを上から照らす薄い光は外の証明。
そして二人で出た外には――何もなかった。
恐らくは、そこから先が朽ちてしまっていたのだろう。途中でなくなっていた階段の先には何もなく、ただただ空が広がっていた。
白に染まる、雲でさえない空。
下は見えず、上も見えない空間。
「えーと、とりあえず――ゴール」
「……」
棒読みな魔術師の言葉とフールの沈黙が、外へ消える。
外は、白かった。壊れた世界で、空さえ壊れていたから。
青も、赤も、群青もない空。
でも、フールは知っている。そこには昔、色とりどりの世界があったことを。
空という万色の世界が、あったことを。
「……ねぇ」
「どうしました?」
「あなたの世界にも、空はあった……?」
「ありましたよ。七日間を一週間と定め、赤、青、黄色、紫、橙、緑、藍という順で日々変わっていましたね。ちなみに私は青が好きでした」
「……私も」
どこか呆然と、無意識のように彼女は口を動かす。
「私も……青が好きだった」
そして――『彼』も。
言葉に、魔術師は微笑んだ。
「そうですか」
そして二人は、終わってしまった階段に腰掛けて、足を外に出しながら並んで食事を取った。魔術師が作り出したサンドイッチを。
こうやって食事をするのも、フールは久しぶりだった。
二日目に出会ったのは、わがままな車だった。
何が起こってそうなったのか、フールの行き手を遮るように並んだ車の群は白の平地を壁のように横断している。
まるで通せんぼをする子供のようだ。
フールは左右を確認してみた。右側では、車の端は見えない。左側は、何とか最後尾のそれを確認できた。
そこへ、とりあえず向かう。歩いて、ゆっくりと。
時間は、それなりにかかった。二時間程度だろう。歩きなれた足は、こういった平地ならまだ普通に動くようで、フールは最後尾の車の中を軽く見るとその先へまた、歩きだす。
一台一台、車の中を眺めながら。
赤のスポーツカー。青のワゴン。黒のポルシェ。白のオープンカー。
様々な車には、様々なモノが残されており、だけどそれらもまた朽ちて、まともに見れるモノはほとんどない。
半分ほど来た時だ。魔術師が尋ねた。
「面白い壁ですね。これ、なんて言うんですか?」
「……壁?」
問い返せば、魔術師は車を指して頷く。
フールもその表現自体には頷けたが、車を見て壁とは言わない。
「……もしかして、車のこと?」
「車って言うんですか。この壁」
「……壁じゃない」
「? じゃあなんなんです?」
「……乗り物」
「……乗り物と言うのはアレですか。ほうきに魔法をかけたり、風を制御して自身を飛ばす」
「……たぶん、その認識で大丈夫」
実際はそんなハイテクノロジーの産物ではなかったが、面倒だったのでそれで頷くフール。
魔術師は「ほぉ」と眼鏡を押し上げて物珍しそうに車を眺めた。
そんな会話を織り交ぜながら歩き続け、そして最後の車に行き着く。
様々な車があった。
珍しいモノから凡庸なモノまで。どれも朽ち、今は動かない瓦礫となり果ててなお、乗り手の想いを組んだ箱。
その最後の一台が携えた想いは――家族だった。
その車は、どこまでも普通の乗用車だった。フォードアに、五人乗りのモノ。他の車同様朽ちて動かなくなってしまったそれには、けれどたった一枚、ぼろぼろになりながらも原形を留めているモノが中に残されている。
それは、写真だった。色は褪せ、角も丸くなってしまった――けれどそれでなお、映した者たちを今、フールの瞳に映している。
家族で笑い合う――幸せな写真を。
父がいた。
母がいた。
男の子がいた。
女の子がいた。
そこに――家族がいた。
今はいない人たち。フールが終わらせてしまった人達。
フールは、ギュッと胸を抑えた。そこに、痛みが走ったから。
締め付けるようなそれは、罪と罰。
痛いほど痛いそれは、どんなに我慢しても消えてくれなくて――でも、そこに触れる温もりはあった。
白の手に添えられた、少年の手。
魔術師が彼女の手を取り、微笑んでいた。まるで、痛みを分かち合うように。
言葉を紡ぐことなく――紡ぐ言葉が出ないように。
だって、彼は分かってくれているから。フールと同じ魔術師は、彼女が悪いことを分かっているから。
優しい言葉も、慰めの言葉も――フールには重りでしかない。
それが、そんな彼の気遣いが場違いにも嬉しいと思ってしまったのは、フールが悪いのか。
魔術師が、言う。まるで代わりの言葉を紡ぐように。
「私には、妹がいます」
「……」
「可愛い子で、その写真と同じ年ぐらいですね」
「……その子のこと、好きなの?」
「えぇ。もちろん家族愛のそれですよ?」
「じゃあ、なんで……なんで、ここにいるの? その子のそばにいてあげなくて、いいの?」
「そうですね。私自身、妹のそばにいてあげたいとも思います」
「だったら――」
「ですが」
遮って言う魔術師の顔には、やはり笑顔が浮かんでいた。
「その妹の恩人が――貴女だからです」
「……どういうこと?」
尋ねるフールに彼は「さて」と少し思案して、
「それは、貴女の旅が終わってから伝えることにしましょう」
「……どうして?」
「答えを見つけた貴女に、聞いてほしいことだからです」
その会話が、二日目交わされた二人の最後のモノだった。
気まぐれな風が吹いていた。
白の砂を纏う、緩やかな風。砂を巻き上げ進むその風は、見るモノが見ればあるいは幻想的と称したかもしれないけれど、今、それを見ているフールにはそんな温かな感慨は全くと言っていいほど浮かばない。
街の中。風が揺れる。
フールは髪を揺らしながら裸足の足を進めた。白の髪が風になびくその姿は、どこまでも美しく流麗で――天使とさえ思える。
その本当の姿がどうであれ、だ。
「……」
「……」
無言で進む、二人の人外。
声はなく、会話のないふたりはただただその足音だけで音を紡ぐ。
しとしとと、裸足の足音。
それより低い、ブーツの足音。
魔術師が訊いた。「裸足で痛くないですか?」
フールは答える。「平気……」
それだけの、簡素な会話。だけどきっと、その言葉の中にはどこまでも相手を思いやる言葉が滲んでいて。
風が、不意に揺れた。
街の中に立つ、ビルや家の残骸。それの中を潜り巡るそれらは、静かな風に少しの音を付ける。
ヒュー、と口笛のような音。
フッと、微かに生まれ、刹那に消える音。
フォォと、長く鳴り響く音。
それらはまるで音楽のように交り合い、響き合い、そして――一つの曲になった。
気まぐれな風が起こした、メロディ。
なのに――あぁどうしてだろうと彼女は思う。
足が、止まってしまうほど。
振り返る魔術師に、反応できないほど――
彼女は、その音に囚われてしまった。
風が鳴らす、その曲に。風が奏でる、その音に。
『彼』の歌を――どうして思い出すのか。
「……『彼』は、よく詩を作ってた」
それは、フールにとって独り言のようなモノ。聞いてほしいような、ただ言いたいだけのような、そんな呟き。
魔術師は、静寂の中で声を聞く。
「文才のない私には、よくわからなくて」
そんなフールを、『彼』はいつも呆れたように、でも優しげに見てくれていた。
「だから、彼は歌ってくれたの。歌にすれば、少しは分かりやすいだろ?って、そう笑って」
思い出の中の、微かな『彼』の声。
フールはスゥと息を吸い――歌う。
彼が作った詩を。
風が吹いた。メロディを合わせるように。
曲は、そして歌になり――気まぐれな風は、フールを支える楽団へ。
世界を震わせる、そんな歌が空気を満たし――でも、それは一瞬のことだ。
風が、音もなく去る。
止んでしまったメロディに、彼女は歌を止め――代わりに鳴り響くのは、小さな拍手だった。
「素敵な歌、ですね」
微笑み言う彼に、フールはどこか泣きそうな顔で「うん」と言った。
だってこれは、『彼』が残してくれたモノだから。
唯一彼女が持つ、最後の終わってないモノ。
思い出の歌は、三日目の白の中に消えていく。
白の海が、静かに波打っていた。
もとは青だったそれは白の砂に染められ、白々しいほどの白の波を浜辺へと押し上げ、そして海へとまた返す。
繰り返し繰り返し――何度も何度も。
そんな愚行を、フールは浜辺に座って見ていた。
潮の香りがしない海。浜辺の砂も白で、ふと気づけば海と陸の境界がないようだ。
なのに、水のような感覚はそこにある。
フールは一握りの白の水をすくい上げた。冷たくはなかった。温かくもなかった。でも、水だった。
壊れた世界で、海も壊れていた。
波が、波打つ。
「繰り返す、繰り返す」
魔術師が言った。彼女の隣りに座り、海を見つめて。
「愚行のように――繰り返す」
まるで――
「世界のように――」
それは――
「波は打ち――また戻ってくる」
フール自身のことを言われているようで。
「いこっか」
「はい」
二人はまた歩きだす。
四日目の波は、愚行を重ねていた。
雨が降っていた。
白に染まった雨。しとしとと、彼女の足音と同じ響きを奏でるそれは、見ようによっては雪のようでさえある。
フールは雨の中、天を仰いだ。朝も夜もなくなり、晴れも曇りも雨もなくなったはずのこの世界でなぜこの雫は落ちているのか。
分からないまま白の空を見つめる彼女は、そこでパチンという音を聞く。以前一度い聞いたそれは、彼のモノで、不意に彼女を濡らしていた雨が消えてことが、魔術師が魔術を使った証明だった。
「風邪をひきますよ?」
「……うん」
傘もなく、だけど二人の空間にだけ雨が降らない。
そんな奇妙な空間。不思議なその感じに、だけどフールは馴染めなくて、
「……ねえ」
「はい?」
「これ、止めて」
二人を覆う不可視の膜を指しさして言えば、困り顔が魔術師を包む。
「でも、そうすると貴女が濡れてしまいます」
「いいの」
「ですが」
「……」
無表情に彼女が見れば、彼は折れたのだろう。パチンと音が鳴り、再び雨が、フールを打つ。
白い雫が、白い少女を。
そんな中で、彼女は言った。
「……どうしてあなたも濡れるの?」
魔術師は、魔法を使っていない。フールとしては自身だけでよかったのに、彼は微笑みのまま雨に濡れていた。
「貴女だけを濡らすのは、心苦しかったですので」
「……そう」
「はい」
会話が途切れ、フールはまた雨を見上げた。
この世界で降るはずのないこの雫は、何を思って世界を濡らしているのか。答えるように降りゆくそれらの声は、だけどフールには分からないまま、ただただ空から落ちていく。
イレギュラーでありながら――
あるいは、だからこそ。
世界に置いて行かれたこの雨たちはきっと、どこまでもおちこぼれなのだ。
おちこぼれで――
落ち零れ。
故に、終わった世界で雨は降り続けている。
間違ったまま――本当は、世界が間違ってしまったのに。
フールが、間違ってしまったのに。
彼女は雨を両手ですくった。白の雫がたまり、彼女の手の平をしとしと濡らす。
それが、そんな間違った様が何故かひどく、愛おしくフールには思えた。
初めて『彼』と出会った時も、こんな天気だったな、と思いだせたから。
「……この雨は、さ」
「……」
「私を怨んでるのかな……?」
「さあ。私には分かりません……ただ」
「ただ?」
「私の気持ちとしては、そうであってほしくないですね」
「……そう」
フールは、呟くように言って空を眺めた。
雨は、降り続ける。少女を濡らし、少年を濡らし――
それがいったい何を思っているのか、フールにはやはり分からなかった。
そこは、白の崖だった。
高い、周りには何もない、崖。
山さえ滅んだこの世界でどうしてこんなにも高い崖が存在しているのか、フールには分からなかったけど別のことは分かった。
この崖が――白の砂の中で塔のように立つこの崖こそが、この世界の中心なのだと。
世界を形成したフールだからこそ、分かる。
そんな場所で、フールは周りを見渡した。
あのビルほど高くないそこからは十全に世界を見渡すことが出来て――だけど見えるモノなんてもう、この世界にはなかった。
街も、ビルも、車も、風も、海も、雨も――もう、皆なくなっている。
この六日間で、世界はまた終わりを進めた。
終わって、滅んで――今残るのは、ただただ砂だけ。
白の砂――少女の心。
乾いたそれは、どこまでも彼女の――フールの心を世界が表したモノで――だからきっと、アレが答えなのだろう。
見えたのは、一軒の家。
白の砂の中で、場違いなほど普通に建っているその建物は、彼女にとってひどく見慣れたモノだった。
「……」
フールはそれを見たまま、崖に座りこんだ。
足を放り、無表情に家を見つめる。そんな彼女の隣りに、魔術師が同じように座った。
「……」
「……行かないんですか?」
問いかけに、フールは答えずただ、家を眺める。
「……」
「……」
時間がたった。色の変わらない空は、今がいつなのかを告げない。
「……」
「……」
風が吹くことはない。
足音もない。
奏でられないメロディは、沈黙と名を変えて空気に溶ける。
「……」
「……」
白の中で、家は建つ。終わりの世界で、だけどそこだけは変わらないまま終わらない。
フールは、だから立ち上がっるとそれに背を向けた。
そんな彼女の手を、魔術師が取る。
「……離して」
「いやです」
それは、彼が初めて明確に彼女の言葉に逆らったことだった。
だけど今、フールはそんなことに気付けない。ただ、無表情とは言えない憎しみを湛えた色の瞳で、魔術師を睨みつける。
「離して!」
叫び、振るう力はだけど、見た目程度のモノでしかなくて――
彼は離さなかった。
そんな魔術師を睨みつけるフールは気付いないのだろう。その瞳が、けれど怒りではない恐怖の色を含んでいることに。
いや、気付いているからこそ、彼女は拒んでいるのだ。
彼の手を――魔術師の手を。
自身をあそこへと導くであろう、この人の手を――フールは恐がっている。
だけど、魔術師は離さない。ただ、その瞳は彼女を見据えている。
「……もう、逃げるのは止めましょう」
「……! に、逃げてなんか――」
「逃げてますよ。貴女は、逃げている――『彼』から」
「――!」
静かに告げられた言葉に言い返そうとして、だけど何も言えなくて。
フールは膝をつく。白の砂が少女の白を更に白く染め上げた。
そんな彼女に、魔術師は言葉を紡ぐ。教えるように――伝えるように。
「もう、逃げるところなんてないんです。だって貴女は――既に世界を見終わっている」
「……」
それは、フールにも分かっていることだった。
この六日間。世界が終ってしまって九日目。
終わった世界は更に終わっていた。
彼との旅を始めに――
無節操なビル。
わがままな車の壁。
気まぐれな風。
愚行を繰り返す海。
落ちこぼれの雨。
そして――逃避する愚者。
アルカナ・ゼロとして反転した彼女の全てがこの旅にはあり、そしてそれらさえ、全て滅んでしまった。
もう、この世界には本当に何もないのだ。
そう――アレを除いては。
魔術師が、言った。
「あそこが、貴女の答えなのでしょう?」
「……」
フールは答えない。だけど、それが何よりも答えを示していて。
彼女は彼を見上げる。まっすぐな視線が、そこにあった。揺らぐことのない、フールを見据えるそれに、何故だろう。彼女は温もりを感じて――だから出たのは、弱音。
「だって、もし……もし、見つけた答えが絶望だったら……」
「……」
「私は……そうすればいいの?」
フールは言った。答えを見つけると。
だけど、いま、答えがすぐそこに迫って――彼女は恐れてしまった。
もしこの先に待つ答えが絶望だったら。
きっと、彼女は壊れてしまうだろう。壊れた彼女が、更に壊れてしまうだろう。
それが怖くて――怖いと思う自分が憎くて、だけどどうしても恐怖は拭えなくて――
そんな彼女に、魔術師が向けるのは――微笑み。
「だったら、その時は――」
ぽん、とあいた手で、彼は彼女を撫でる。
「私が貴女を支えます」
「……どうして?」
疑問は、だけどずっと持っていたモノ。
彼がどうしてそこまでしてくれるのか、フールには分からなかった。だって彼女は、彼と出会ったことがない。恩なんて、渡し様がない。
「どうして、あなたがそこまでしてくれるの……?」
「そうですね」
彼は微笑み、言った。
「それは、答えを見つけることが出来たらお教えします」
「……」
フールは、頷く。
まだ、恐怖に震えながら――だけど、瞳だけは揺らすことなく。
六日目が、静かに過ぎ――愚者の逃避は終わった。
そして七日目――愚者は、答えを見つける。
白の滅びの中でなお建ち続ける家は、けれどどこまでも普通のそれだった。玄関があり、窓があり、家具があり部屋がある。滅びらしき滅びがなく、終わりらしき終わりのないそこはフールが知る『普通』の家度のモノで――だからこそ、おかしいのだ。
この世界にそぐわないモノ――朽ちないこの家。
だけど、この世界は彼女の心。
彼女が望んだからこその今であり――
だから、意味はあるのだ。この家がまだ、終わりを迎えぬままここにあり続けることが。
そして、きっとそれが答え。
フールはイスに座ると、周りを見渡す。変わっていない写真立て。変わっていない壁の色。変わっていない――個性のない、どこか寂しい家。
「……ここは、変わってないな……」
呟きに、彼女の前に座る魔法使いは無言のまま微笑んだ。あたかも今、自身が語ることはないというように。
ただただ、その瞳に優しさだけを湛えてそこにいてくれる。
それが、フールは嬉しかった。
隣に誰かがいてくれる――たったそれだけのことは、けれどどこまでも心を落ち着かせることが出来るから。
だから、彼女は向きあう。自身が向きあわないとダメなことに。
「……ここはね、私が好きだった人の家なの……」
ぽつりとした呟き。
心にひどく響くそれに恐怖を覚えながら、だけど彼女は言葉を止めなかった。
「不器用な人でね……いっつもむっつりして、あんまり笑わなくて」
思い出すのは、彼の顔。むっつりと唇を結ぶ無表情はだけど、どこまでも優しさを秘めていて――
「だけど、笑った時はすっごく綺麗でね……私は、そんな彼の顔が好きだった……」
綺麗な彼の微笑みは――だけど今はもう、思い出の中にしかない。
「私はね、生まれた時から自分がアルカナ・ゼロだって、この世界を形成すためだけの存在だって気付いてた」
それは、どこまでも孤独だった。自身が人外だと生まれた瞬間から知っていたその事実はきっと、魔術師は理解してくれるだろう。
「だからかな。私は生みの親も、誰もかれもを信じられなかった。自分と違う存在なんだって、そう思うとどう接していいのか分からなかった……」
そんな時、彼と出会った。
「中学校に入ったとき、たまたま席が隣だったの」
出会いは、それだけで。
「クラスの中で、みんな友達を作っていくのにあの人だけはずっと一人で、何も話さなくて、むしろ皆を遠ざけているみたいで……」
思ったのだ。フールは、自身に少しだけ似ている、と。
「気付いたら話しかけてて……無視された」
それが、何かムカついて、意地になって話しかけ続けて、彼がついに反応して、少しずつ話すようになって、接するようになって――
「いつの間にか――好きになってたの」
きっと、そこが間違いの始まりだったのだ。
「そして――あの人も私を好きだって言ってくれた」
それは、フールが望み続けて――だけど決して手にしてはいけないモノだったのだ。
彼と話すだけで、語り合うだけで、接し合うだけで、触れ合うだけで――愛するだけで、彼女は満足するべきだった――その先を求めてはいけなかった。
「でもね――私は人間じゃなかった」
それが、怖かった。彼が好きだからこそ、彼の幸せを考えたからこそ――その彼の隣りに自身がいていいのか、人外の自身ではない誰か普通の人間が彼の隣りにいて、彼を幸せにするべきではないのか。
「そう思ったら、もうダメだった……」
フールは、だから家を出た。誰にも行方を告げず、このまま一生誰とも会わなければ彼は愛想を尽かせて他の人と幸せになれる――と。
そんな風に一人で思って――後悔した。
家を出て数カ月。たった一度でいいから彼を見たいと思ってしまった彼女は彼の家を訪れ――彼の死体に出会った。
葬式――聞こえてきた彼の親戚だろう人の会話から、彼女は彼の死因を知る。
事故――好きな人を探す。そんな書置きを残して彼は家を出て、車にひかれて死んだ。ありきたりに、でも、悲劇的に。
「……私が、殺したの」
押し殺した声に、返される言葉はなかった。
自分のせいで彼が死んだ――親に傷つけられ、誰も信じられなくなり、それでもフールだけは信じると言ってくれた優しい彼が、彼女のせいで死んだ。
だから――
「私は、望んでしまったの……」
死にたい――と。
「終わってしまいたい――て」
それは、きっと誰もが望んでしまうほどの絶望で――そして彼女はこの世界そのものだった。
そして――彼女の逃避が始まった。
終わった世界で、終わらせてしまった世界で、答えを探すふりをして、彼の死から逃げ続けて、それでも逃げられなくて。
ぽたりと、涙が落ちた。カーペットを濡らすそれは、彼女のモノ。
俯いて、もう何も言えない彼女はだけど、
「死にかけていた妹がいました」
静かに、でも確かに紡がれた彼の言葉を、聞く。
「魔法の世界でも治すことのできない病。私のアルカナ・ファーストの力を以てもなお、死にゆく大切な妹がいました」
アルカナ・ファースト――魔術師の正位置の意味は、『物事の始まり』『起源』『可能性』『エネルギー』『才能』『チャンス』『感覚』『創造』
彼は魔法で世界さえ作ることが出来る。だけど、それは変化ではないのだ。
彼女の病を『消す』ことは出来ない。『消す』魔法を作ろうとすれば、彼の本質の力が、それを阻害する。
「自身の無力を知りました。自身の無力を呪いました。死にたいと――そう、思いました」
普段の彼から想像も席ない声で言う魔術師をフールがゆっくりと見上げれば、そこにはだけど、微笑む彼がいた。
「そんな時です――貴女に救われたのは」
「……どういうこと?」
まだ涙ぐむ声での問いかけに、魔術師は優しく微笑む。
「貴女が反転した――正位置から逆位置にあり方を変えたことで、二十二ある世界の内、隣に座する私の世界に大きな影響があった」
希望から絶望へ、彼女の在り方が変わった瞬間から。
「私の世界に全てを反転させる――変化させる力が巡り、私はそれで、妹を救うことが出来ました」
それは、きっと出来過ぎた偶然なのだ。
ご都合主義とさえ言っていい。だってフールは、そんなことを望んで反転したわけでは――絶望したわけではないから、ただただ自分勝手に、終わらせてしまったから。
それでも、彼は言う。魔術師は、頭を下げる。
「ありがとうございます。貴女のおかげで――妹を助けられた」
「……私は、お礼を言ってもらえるような人間じゃないよ……」
「そうですね」
その言葉に驚くフールを、魔術師が見下ろす。
立ち上がるその様子は、どこか怒りさえ含んでいて――
「貴女の力を使った時、私にはこの世界を見ることが出来ました」
「……」
「一人この世界を歩くあなたとそして――貴女を探していた、生きていた時の彼」
「……!」
目を見開くフールに、魔術師は毅然と言い放つ。
「彼は最後の時まで、貴女を想っていました。世界と繋がった私にはそれが痛いほど分かって、そんな貴女が歩き続けるのを見て――もう、我慢できなかったんです」
彼の気持ちは知った魔術師は、それでもなお、微笑みを浮かべた。怒っていいのに、ふがいないフールに怒りさえ向けていいはずなのに。
「だって」と彼は続ける。
「貴女を助けたいと――恩返しがしたいと思ったから」
「フールさん」と、初めて彼が、彼女の名前を呼んだ。そして、そっと手を差し伸べる。
「あなたは、生きなくてはならない。彼のためにも、あなたのためにも」
「でも……でも、私は……!」
俯いてしまう彼女は彼の手が取れなくて――それでも魔術師は手を下げない。
微笑みを浮かべて、言葉を紡ぎ続ける。
「貴女が耐えられないのなら、私が支えます。一緒にいます。彼の代わりになれるとは思えません。それでも――貴女の隣りにいたいから」
フールは、声が出せなかった。
ただただ涙が溢れて、零れて、落ちて行って。
それでも、彼の手を取った。
生きるために。
愛してくれた『彼』のために。
支えてくれる、彼の、ために。
フールは頷く。まだ微笑むことは出来ないけど、今、自身が出来る最高の表情で。
そして、七日目が、終わった。
旅の終わりは、旅の始まり。
彼女の逃避の旅は終わり、彼との新たな旅が始まる。
久しぶりに色のついた空は、ひどく青かった。
太陽の指す世界。白の砂――世界を終わらせていたそれらは今はもうなく、ただただ自然な緑が橙色の大地を包み、吹きぬく風はそよかぜとなり草葉を揺らし、少女の白髪も揺らす。
フールはそんな世界を眺め、小さく息を吐く。
たった一日で出来上がった世界は、命に満ちていた。人はまだ、いない。生物もまだ、存在しない。世界があるだけの今は、どこまでも彼女の罪をあらわにするけれど――
「いいいいやっほぉぉぉいいいいい!」
空からほうきで飛び降りてきた魔術師のせいで、そんな悲しい思考は一気に彼方へ飛んで行ってしまう。
呆然とフールが彼を見れば、魔術師は何かを達成したような晴れやかな笑顔で額に輝く汗を吹き、
「うん、一度は言ってみたかったんですよねこのセリフ」
そう言ってにこやかに親指を立てる彼の手を、フールは慈愛に満ちた手で取ると、ゆっくりとその位置を動かして――目と直線状になった瞬間押し上げた。
「目が~!」
その場をゴロゴロと転がる彼にため息ひとつ、フールは問いかける。
「何やってるの? というか、キャラが違うよ?」
「いえいえ、むしろこっちが素の私です!」
「えぇ~……」
知りたくない事実をいい笑顔で言う彼の眼はまた治癒魔法が掛かっているのだろう。七色に光っていた。
鮮やかに咲き誇るその色はひどく綺麗なのに、目から出ている、その事実だけでひどく不愉快なモノに感じる。
だからフールは、程度良くあった砂を拾って笑顔で彼の目にかけた。
「のはぁぁぁぁぁ!?」
「あはははは」
「心からの笑顔ですね! 嬉しいようでだけどそれ以上の痛みに私はもだえ苦しんでいますよ!?」
「うん、最高」
「なんと!? まさかそっちが素の貴女だったりしませんよね……?」
「……」
「口笛吹いて目をそらさないでもらえますか!?」
「分かった。じゃあ、うん!」
「認めればいいというモノでもありませんよ!?」
そんな掛け合いに、ふと二人は一斉に笑ってしまう。
それは、二人が二人で、初めて笑いあった瞬間で――フールはそれが幸福に感じられた。
そして、笑いやめば、二人は揃って世界を見渡す。
世界は、一度滅んだ。
今あるのは、魔術師が素の力を使って新たに創りだした世界。
二人の始まりを見て、愚者が言う。
「……最後に、確認」
「どうぞ」
「……ホントに、いいの?」
答えは、抱きあげられる感覚だった。
「え?」と目を丸くするフールに魔術師は微笑んだまま「ちちんぷいぷ~い」と陽気に行って、空を飛ぶ。
そして訪れる、世界を見渡せる高み。
その壮大さに更に目を丸くする彼女に、彼は問いかけた。
「綺麗でしょう?」
「……うん」
「私と、貴女で始める世界です」
それが、彼の答え。
フールは嬉しくなって微笑み、「うん!」と頷いた。
「始めよう、ここから!」
「はい!」
そして二人は、世界を始める。
愚者と魔術師。
絶望に呑まれ、そんな彼女を救いたいと思った者の、ここが始まりだった。
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