物語の始まり
…どうして、こんなことになってしまったのだろう。私たちは、ただ普通に暮らしていただけなのに。
「まだ近くにいるはずだ! 絶対に見つけろ!」
「魔女を許すな!!」
村人たちが、私たちを探して走り回る音が、すぐ近くで響いている。
「私たちは、何もしていない……話を、聞いてほしい」
そう願っても、返ってくるのは、魔女に向けられた罵倒と、憎しみを剥き出しにした叫び声だけだった。理性を失った人間たちの、鋭く尖った声が、夜の空気を切り裂く。
魔女は、小さな村で人間たちと共に暮らしていた。自分が魔女だと知っていても、村人たちの態度は変わらなかった。村に住まわせてもらっていること、そして優しく接してくれることへの感謝として、魔女は魔法でさまざまな手伝いをしていた。重いものを運び、壊れたものを直し、困っている人の力になる。
そうして、穏やかで、平和な日々が続いていく。少なくとも、そう信じていた。
ある日、村人は少し離れたところにある街に用事があるからと魔女に言った。村人がいない間村のことは頼んだよ、と村長に任せられた。
村人たちが村を離れた2日後のことだった。突然、大地がうなり声を上げ、村全体が激しく揺れ始める。家々は耐えきれずに崩れ、道は裂け、積み上げられていた日常は一瞬で壊れ去った。
揺れが収まったあと、目の前に広がっていたのは、もはや「村だったもの」としか言えない光景だった。静まり返った瓦礫の中で、魔女はただ立ち尽くしていた。
しばらくして落ち着いた魔女は、崩れ落ちた村を前にして動き出した。壊れた家々に手をかざし、倒れた柱を起こし、砕けた石を元の形へ戻そうと魔法を使う。何度も、何度も。
本来なら、村ひとつを丸ごと修復するなど無謀だった。それでも魔女は手を止めなかった。
「このままじゃ、みんな帰る場所がなくなる……」
魔力が削られていく感覚に、足が震える。
視界が揺れ、息も荒くなる。それでも、壊れたままの家を見ると、どうしても放っておけなかった。
完璧に元通りとはいかなかった。ひびの残る壁、歪んだ屋根、修復しきれなかった場所もある。それでも魔女は、
「少しでも……元に戻せたなら」
そう信じて、最後の力を振り絞った。静まり返った村に、魔女の荒い呼吸だけが残っていた。
やがて、村人たちが村へ戻ってきた。目に飛び込んできたのは、無残に崩れた家々と、地震の爪痕が残る光景だった。誰もが言葉を失い、次第に視線がある一点へ集まっていく。
不自然に直された壁。元の形を留めていないはずの石が、無理やり繋ぎ合わされた跡。
「……魔法の痕跡だ」
誰かがそう呟いた瞬間、空気が変わった。
「村に残っていたのは…」
「魔女しかいないだろう」
「私たちがいない間に、何をしたんだ……?」
問いかけは次第に断定へ変わっていく。
魔女は慌てて首を振った。
「違う、私は村を元に戻そうとしただけで……!」
けれど、その声が届くことはなかった。
「言い訳するな!」
「だから魔女なんて信用できないんだ!」
「お前は俺たち人間と比べて普通じゃないからな!」
説明しようとするほど、言葉はかき消されていく。誰も、魔女の話を聞こうとはしなかった。村人たちの目に映っていたのは、崩壊した村と、そこに残された魔法の痕跡だけだった。そしていつの間にか、
「助けようとした魔女」は
「村を壊した魔女」へとすり替わっていた。
「……逃げよう、マスター」
低く、しかし迷いのない声だった。使い魔が、魔女の手を強く掴む。
「え、でも――」
言い終わる前に、引き寄せられる力に体がよろめいた。背後から聞こえるのは、怒号と足音。もう、考えている時間はなかった。
「今は、話しても無駄だよ。誰も聞いてくれない」
そう言って、使い魔は森の奥へと駆け出す。枝が頬を掠め、土が足を取る。それでも止まらなかった。村の声が、次第に遠ざかっていく。代わりに聞こえるのは、荒い呼吸と、揺れる木々の音だけ。
「どうして…こんなことになってしまったんだろう」
森の中で魔女が立ち止まり、涙を流しながらぽつりと呟く。
「マスター!早く逃げないと、捕まっちゃうよ!」
必死に腕を引く使い魔に、魔女は小さく首を振った。
「…もういい。もういいよ」
かすれた声だった。
「疲れたんだ。このまま、ここで見つかって…捕まるのを待つよ」
そう言うと、魔女は指先を軽く鳴らす。何もない空間から、静かに椅子が現れた。彼女はそこに腰を下ろし、動かなくなる。逃げる意思も、抗う気力も、すべて置き去りにしたように。
森の奥から、かすかに人の声が近づいてくる。それでも魔女は、目を閉じたままだった。
使い魔も主の選択に逆らうことはなかった。
彼女のそばへと静かに歩み寄り、その場に寄り添う。
「……見つけた!」
その声と同時に、茂みの向こうから一人の少年が姿を現した。少年は息を切らし、額には汗が滲んでいる。肩は上下に大きく揺れ、必死にここまで走ってきたことが一目でわかった。
「君が魔女?」
少年は問う。
「そうだよ、きみは誰?誰でもいいか…私を捕まえに―」
魔女が言い終わる前に
「逃げるよ」
と少年が言う。
「え?」
「早く!」
少年が何を言っているのかを理解できないまま、腕を掴まれそのまま走り出す。
「!?きみは誰?…村の子じゃないよね。どうして私を助けるの」
前を走っている少年に向かって魔女が問う。
「…君は何も悪いことをしていないだろう。僕は知ってる」
少年はそれ以外何も言わなかった。
少年と魔女が逃走する後ろから使い魔が追いかけ、三人はひたすら真っ直ぐ走った。
「…ここまではさすがに追って来ないだろ。…大丈夫?」
「どうしてきみは…そんなに…体力が…あるのかな」
既に息が整った少年の横で、魔女は掠れた声で話す。
「…きみはあの森で何をしていたの?あの村の人じゃないとしても…ううん、村人じゃないなら余計に私を連れて逃げた理由がわからない」
「…なんだっていいだろ。何も悪いことをしていない人を助けるのはダメなことなのか?」
「そういうことじゃないけど…」
魔女は困った顔をして使い魔の方を見る。
「変な人間だね」
それだけ言ってポケットから飴を取り出し食べ始め何も言わなくなった。
その日から三人での逃避行生活が始まった。
第1章(後半)に続く。




