七
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「成功は確実です。本省の圧力も考慮する必要は」
霜島の声が会議室に響く。だが、この日の上層部会議には、普段とは異なる緊張が漂っていた。
「理論的には成功した」防衛省から派遣された技官が冷ややかに言った。「しかし、マグロを無断で」
「無断ではありません」霜島は慌てて資料を広げる。「水族館からの正式な」
「警備員との個人的な協力関係は、正式な手続きとは」
「しかし、データは明確です」榊原が静かに、しかし確固とした声で割って入った。「波多江君の理論は」
「波多江瑠璃」技官は資料に目を落とした。「彼女の研究手法があまりにも...型破りすぎる」
会議室の空気が凍る。その時、後ろの扉が勢いよく開いた。
「すみません!」波多江が駆け込んでくる。「実験データの補足が!実は昨夜、新しい発見が」
「波多江君」榊原が制止しようとしたが、
「これを見てください!」彼女は大きな水槽の写真を取り出した。「深海生物の行動パターンを完全に再現することに成功して。マグロだけでなく、今度はサメも」
「サメ?」技官が目を見開いた。
「はい!水族館の山下さんが、知り合いの水族館に打診してくださって」
会議室が再び凍りつく。
「波多江君」今度は霜島が慌てて声をかけた。「その話は」
「でも、サメの遊泳データが加わったことで、人魚型推進システムの効率が劇的に」波多江は目を輝かせながら説明を続ける。「理論値で42.3%を大きく超える53.7%の」
「波多江瑠璃!」技官が声を上げた。「君の行動は、防衛省の研究開発手順を完全に」
「はい、完全に覆しました」
波多江の明るい声が、技官の怒りを含んだ声と交差する。
「データを見てください」彼女は、まるで楽しい発見を伝えるように続けた。「従来の研究開発手順では、100年かかっても到達できなかった推進効率です。マグロとサメのハイブリッドな動きを解析することで」
「それは、手順として」
「正しくありません」波多江が真剣な表情で遮った。「でも、結果は正しいんです。これを見てください」
彼女はタブレットを取り出し、3D映像を投影した。水槽の中で、小型の人魚型推進装置が、まるで生物のように優雅に泳ぐ。
会議室が静まり返る。
「この、流体力学的な美しさ」波多江は熱を帯びた声で説明を始めた。「マグロの直進性とサメの旋回性を組み合わせることで、深海での」
「波多江君」榊原が優しく声をかけた。「順番に説明しよう」
彼女はハッとしたように口を閉じ、少し照れたように頷いた。
「申し訳ありません。興奮して」彼女は深く息を吸い、改めて技官に向き直った。「私の研究手法は、確かに異常かもしれません。でも」
彼女は実験データが並ぶ画面を指差した。
「これは、嘘をつきません。自然の理にかなった、美しい結果です」
技官は黙ってデータを見つめた。そして、ゆっくりと深いため息をついた。
「分かった」彼は疲れたような声で言った。「君の理論は、採用する。ただし」
「はい?」
「これ以上、勝手に生物を」
「あ、その件なんですが」波多江は少し申し訳なさそうに言った。「実は、シャチの」
「駄目だ」榊原、霜島、技官が同時に声を上げた。
波多江は少しがっかりした表情を見せたが、すぐに明るい声で言った。
「じゃあ、代わりにイルカはどうでしょう?実は水族館の」
「波多江君」
「はい」
「まずは、現在のデータを」
彼女は小さく頷いた。だが、その目は既に次の実験のアイデアで輝いていた。技官は、この天才的な研究者の暴走を止めることが、おそらく不可能であることを悟ったように見えた。
会議室の窓の外で、セミが鳴いていた。そして波多江の机の上には、こっそりと隠された新しい水族館のパンフレットが、そよ風でページをめくっていた。




