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十二

十二


「不可能です」霜島は断固として言った。「北極点の氷塊なんて、どうやって」


「すでに手配済みです」


風間の穏やかな声に、霜島は言葉を失う。


「南極深部の雪も、七つの海の深層水も」風間は平然と続けた。「来週には全て揃います」


実験室の新しい保安官は、その実務能力において完璧だった。波多江の突飛な要求を、どれほど非現実的に思えようとも、必ず実現してみせる。


「風間少佐は凄いんです!」波多江が目を輝かせながら説明を始める。「シンスイウオの発見者として、学会でも」


「シンスイウオ?」榊原と霜島が同時に声を上げた。


「ええ」波多江はタブレットを取り出し、奇妙な深海魚の映像を見せる。「上半身が濃紺で、下半身が銀白色の。まるで、喫水線を持つ魚です。水深に応じて体の特徴が」


「その魚を」榊原が静かに問いかける。「風間少佐が?」


「はい。琵琶湖の」


「琵琶湖?」霜島が首を傾げる。「深海魚が?」


「その奥です」風間が静かに言った。「地下深くに広がる湖で」


実験室が妙な静けさに包まれる。


「地下の...湖?」


「詳しいことは」風間は言葉を選ぶように間を置いた。「まだ話せません」


波多江は不思議そうな顔をしたが、すぐに興奮した様子で話し始める。


「でも、この魚の適応能力は驚異的なんです!水圧の変化に応じて体の構造まで」


その時、実験室の扉が開いた。


「風間少佐」若い自衛官が敬礼する。「本部からの緊急連絡です」


風間の表情が僅かに強張る。


「失礼します」


彼が去った後、実験室には奇妙な空気が残された。


「榊原さん」波多江が珍しく慎重な口調で言う。「風間少佐のシンスイウオの発見って、何か」


「私にも分からない」榊原は窓の外、港に浮かぶ潜水艦を見つめる。「彼の経歴上、そんな発見があったとは」


霜島が資料を確認している。


「琵琶湖の地下に湖?そんな記録は」


波多江は黙ってシンスイウオの映像を見つめていた。青と銀に分かれた体。まるで、表層と深層の境界を映し出すかのような姿。


実験室の隅で、ダイオウイカが巨大な触腕をゆっくりと動かす。その動きは、何か大きな秘密を隠しているかのようだった。


「風間さんは」波多江が小さな声で言った。「本当は、何を」


その問いは、誰にも向けられていないようで、しかし確かな重みを持っていた。瀬戸内海に夕暮れが迫り、実験室の窓に映る波多江の表情が、深海のように深く、謎めいて見えた。

第一部はここで終わりです。

お疲れ様でした。

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