シレーヌの絶叫と2人の愛
船着場には少し大きな船が停泊していた。
リリーとルカの他、上級・中級の神官合わせて10名が乗り込む。
出航すると、神官たちは声を合わせて祭文を唱える。
日没の岩の横に来ると、シレーヌが岩に腰かけて足で波と戯れているのが見えた。
込み上げる笑いで肩を震わせているようだ。
船が止まると、3名の神官が立ち上がって、一際大きな声で祭文を唱えながら、ルカとリリーを一緒に縄で結ぶ。
もう1人神官が立ち上がり、ルカとリリーをそれぞれ2人の神官で持ち上げて海に落とそうとする。
そこでいきなり、船に乗っていた10人の神官全員がゆらりと青い炎に包まれて、目を見開いたまま倒れた。
炎は直ぐに消え、関係無い物は燃えなかった。
その様子を見ていたシレーヌが「ラナぁー!ふざけるな!降りてこぉぉい!」と天に向かって叫ぶ。
すると、船全体が透明な膜で包まれ、海の上を滑るように進み始めた。
シレーヌの「くそぉ!ころしてやるぅぅ!」という絶叫が響き渡る。
残ったリリー達と船長は呆然としたが、ルカがいち早く我に返り、
怯える船長に向かって
「太陽神テト様が生贄を拒まれたのでしょう」
と重々しく告げた。
大神官に連れ戻される前にここを逃げ出さなくてはいけない。
「どうしましょう」と戸惑う船長に
ルカは「神の御心です。私たちを安全な場所まで送り届けて下さい」と言った。
船は北に向かって動き続け、やがてシレーヌの声が聞こえなくなると静かに止まり、透明の膜も消えてなくなった。
「もう少し北に進めば太陽神殿の教区から外れますので、進んでよろしいでしょうか?」
船長に聞かれて、ルカが頷く。
ルカは同僚が持たせてくれた果物ナイフで縄を切り、リリーも解放した。
「神様って本当にいるんだな」
思わず呟くと、リリーから微笑みが返ってきた。
船長は夜を徹して船を走らせ、夜明けと共に見えてきた港に2人を降ろした。
「どうぞお気を付けて。
儀式の途中の事でしたので、お手持ちがないですよね?些少ですが、こちらを宿代にお使い下さい。」
船長が差し出した銀貨をありがたく受け取り、2人で口々に祝福祭文を唱えて別れた。
「さて。ここはヴァルジニア帝国の交易港だそうですが。これからどうしましょうか?」ルカがリリーに問いかける。
「すぐにラトナタに向かうと、追っ手に見つかるかもしれません。リリー様はどうなさりたいですか?」
シレーヌがあんなに悔しがっていたのだ。すぐに追っ手がかかるだろう。
今ラトナタに向かうのは危険だ。
「北上してきたのに南に下るのもなんだか嫌だし、東に向かってみる?」
「気分的にも太陽神殿から離れたいですものね。そうしましょう。」
こうして2人は目的地を定めず、東に向かって歩き始めた。
船を降りた港が栄えた街だったので、大きな街道が集まっていて、追っ手もどの方向に逃げたか特定できないだろう。
船長がわざわざ言わない限り、無一文だと思われるから、旅籠を重点的に探すことも無いはずだ。
2人は早朝から夕方まで歩けるだけ歩いて、手頃な宿に入った。
今夜の宿代は先払いで払って部屋に入ったが、ルカはすぐにフロント行って、住み込みで雇って貰えないか交渉した。
きちんと料金を払っていたので話を聞いてもらえ、試しにルカが野菜の皮剥きをして見せることになった。
リリーも元は八百屋の娘なので皮剥きをして見せた。
調理場の手伝いができるし2人とも愛想が良いので、即決してもらえた。
リリーの服は裾が破れており、ルカも真っ赤な祭服だから、仕事着も貸してもらうことになった。
給金が出たら代金を徴収されるそうで、いきなり借金を負ってしまったが、初日に衣食住を確保できて、2人はほっと胸を撫で下ろした。
翌日から、ルカは調理場の補助、リリーは女中として働いたのだが、リリーがチップをガンガン稼ぐので、2人分の仕事着代はすぐに払えた。
ルカも見目が良いから、たまに調理場から出て料理をサーブしに行くと、女性客や酔客から心付けを渡された。
非常に良い滑り出しだが、2人は気付いてしまった。
自分達は目立ち過ぎて、接客業をしながら潜伏生活を送るのは不可能だと。
できればここでもっと逃走資金を貯めたいが、ここは最初に上陸した港に近すぎる。
2人は3ヶ月働いてお金を貯めると、東に移動することにした。
「リリー様。駆け落ちした夫婦ということにしたため、長い間同室になってしまい、大変申し訳ありませんでした。」
「ルカ。2人きりの時でも、もう敬語はやめて。誰かに聞かれるかもしれないし、咄嗟の時に出ちゃうわよ?」
「しかし……」
「あなた、同僚の人にはずいぶん砕けた話し方をしてたじゃない。ああいうの、できるんでしょ?」
「では、敬語はやめさせていただきます。」
「様もやめて、呼び捨てにして。夫婦なのに怪しいわよ?」
「承知しました」
「じゃあ、今からね?
はい、リリーって呼んで?」
「わかったよ、リリー」
次の滞在地ではだいぶ夫婦らしく振る舞えるようになった。
ここでは家具付きの借家を借りて、ルカが日雇いの仕事、リリーが内職をして稼いだ。
最初の旅籠ではルカが床で寝ていたが、ここにはベッドが2台あり、2人ともゆっくりベッドで眠れた。
太陽神殿であれだけ密着したのだから今更だと説得しても、ルカが断固同衾を拒んで、床で寝ると譲らなかったのだ。
☆☆☆☆☆
「ねえ、ルカ。前金で払った1ヶ月が経ったら、移動しようか?」
「いいけど、どうして?」
「仕事が無くなりそう。ルカは日雇いの仕事、たくさんある?」
「いや、今がたまたま農家の繁忙期だったみたいで、すぐ無くなりそう。」
「田舎だと目立つし、人が沢山いて仕事もいっぱいありそうな、帝都に行ってみない?」
「そうだな。俺も農家より職人の手伝いをした方が稼げると思う。」
「あの、ルカ?」
「ん?」
「ごめんね、こんなことに巻き込んで。」
「なに言ってんだよ。一緒に逃げてくれって頼んだのは俺だろ?神殿にはうんざりしてたんだ」
「ん。ありがと。」
「それでね?」
「ん?」
「わたし、ルカと本当の夫婦になりたい」
は?」
「だめかな?」
「ダメもなにも、そんなことしたら神殿に帰れなくなってしまいます!」
「それなんだけどね、たぶん太陽神殿で海の塩を舐めた時から若姫じゃなくなってると思うの。」
「わたくしのせいですか?ああ……なんてことを……
しかし、海の上であのようにお助け下さったのですから、女神様も事情をご存知で、許してくださるのでは?」
「それは……そうかもしれないけど……私、それより、ルカのお嫁さんになりたい。」
「へ?」
「ルカが、泉の神殿に戻れるように命懸けで守ってくれたってわかってる。でも、最初にお水を飲ませてくれた時から好きだったみたいで。
一緒に縛られて海に落とされそうになった時にも、ルカと一緒でよかったと思ってたの。」
「本当に泉の神殿に戻るおつもりはないのですか?」
リリーが頷くのを見て、ルカは大きく息を吐いた。
「結婚する気なら引く手あまただぞ?相手が俺でいいのか?」
リリーは顔を輝かして
「ルカがいい!」と抱きついた。
ルカはリリーをきつく抱き締め返して
「わかった。幸せにする」と答えた。
喜びに顔を上げ、ルカの顔を見たリリーの目が見開かれる。
「リリー、どうした?」
「ルカ。あなた、瞳の色が変わってる。金色になってる。」
「へ?自分じゃなんともないんだが。変か?」
「ううん。凛々しくてかっこいいよ」
「リリーは嫌じゃないか?まだ結婚やめられるぞ?」
「うーん。好きになった時のルカは青い目だったけど、金色もかっこいいから好きよ。
でも、そうやって聞いてくれるところが一番好き!」
「そうかよ。じゃあ、明日ここを引き払って帝都に行くぞ。」
ルカは顔を真っ赤にして素っ気なく言ったのだった。
次回で完結です。