大神官の暴走
自決を試みる記述があります。
ご注意下さい。
散歩に出た翌日からルカは来なくなってしまった。
代わりに青い髪を腰まで伸ばした女が食事を持って来るようになった。
女はノックもなく部屋に入ってくると、
「餌よ」と音を立てて食事のトレーをテーブルに置いた。
内容はルカが持ってきていたものと変わらず、餌というにはずいぶん豪華だ。
食後のお茶はない。あれはルカの心遣いだったようだ。
ルカは神殿に女性は居ないと言っていたから不思議だが、この女にこちらから声をかける気にはならない。
女が運んでくる9回目の食事の時、
「あんた、女神は、降ろせるの?
女神を憑けたあんたを散々打ち据えて惨めに殺してやりたいわ」
女からとんでもない言葉を聞いた。
女神ラトナはラトナタ王国の神殿にいる神女に寄り憑いているはずだが、万に一つでも女神がそのような辱めに遭う可能性があるなら、若姫であるリリーは自決しなくてはならない。
神女や若姫がこんな目に遭うなど誰も想定していなかったから、確実な自決の方法など教えられていない。
部屋には刃物も紐もない。部屋は2階でたいした高さもない。
――海に入るしか……
町娘として生まれ、天寿を全うして神の庭に赴くつもりだったリリーだ。
この状況で怖気付いて生き残ってしまわないようにするには、重しを付けて海に入るしか無いだろう。
その夜、リリーは船着場に出て、服の袂と胸ポケット、靴下の中など、入れられるところ全てに石を詰めて、海に飛び込んだ。
手も足も思うように動かせず、沈んでいくかと思いきや、海中にもかかわらず不快な女の笑い声が聞こえてきた。
リリーの身体は乱暴に持ち上げられ、顔が水上に出た。
息が苦しくなる間もなく持ち上げられ、身体に異常は無い。
「そう簡単に死なせるかよ」
リリーを持ち上げたのは、食事を持ってきていた青い髪の女だった。
嬉しくて堪らないというように顔を歪ませている。
華奢に見えるが、女は石を詰めた服ごとリリーを軽々と持ち上げて、太陽神殿に運んで行く。
万事休すである。
青髪の女はリリーを元いた部屋の浴室に運び込むと、放り投げるようにバスタブの中に降ろした。
次の瞬間にはバスタブに湯が満ち、女は鼻歌を歌いながらリリーの髪に何かを擦り込んだ。
髪を揉む作業が終わると、リリーの頭から湯を掛け、マジマジと顔を覗き込んできた。
「全然顔が似てないじゃない。あんたほんとに依り代になれんの?」
と文句を言った。
そして、ガシッとリリーの頭を掴み、ブツブツとリリーの知らない言語で何か唱え始めた。
しばらくして、バチっと何かに手を弾かれると、女は「チッ!」と忌々しげに舌打ちして部屋から出て行った。
後に残されたリリーはバスタブの中で呆然とするしかなかった。
☆☆☆☆☆
その頃、ルカは、海辺の洞窟に閉じ込められて大神官と対峙していた。
歩行訓練と称してリリーに脱出経路を見せたあと、突然拘束されて洞窟の中の檻に入れられたのだ。
精進食のような食事を与えられ、香の煙で燻されて3日過ごしている。
「大神官様!これはどういうことですか?」
「お前には明日、ラトナタの女と神事をしてもらう」
説明を求めるルカに、大神官が訳の分からないことを言い始めた。
「お前は太陽神の名代としてあの女を犯せ」
は?お前は何を言っているんだ?という気持ちを隠しもせず顔に出したが、大神官は構わず続ける。
「お前がやらなければあの女を神像の前で焼く。」
「は?」
「やってもモノが役に立たなかった時は、あの女を神剣で刺す」
「何を仰っているんですか?めちゃくちゃじゃないですか!」
「大丈夫だ、儀式の前に薬を飲ませてやるからきっとやり遂げられる」
噛み合わない言い合いをしていると、突然青い髪の女が大神官の隣に現れた。
「お前、あの女を汚して痛め付ければ、欲しいものをなんでもやるよ?」
女はルカに話しかけてきたが、大神官が割り込んで女に向かって聞く。
「儀式の後、あの女を海に沈めれば、海の恵みを保証してくれるんだな?」
「ああ、あたしを楽しませてくれるんなら、魚も貝も自分から漁師の網に飛び込むようにしてあげるわよ。それにテトもあの女と一緒に海に帰れたら喜ぶわよ」
女は歌うように言うと姿を消し、大神官は
「明日お前が儀式をしなければ、多くの民が飢えることになるぞ。シレーヌの言う通りにあの女を犯せば、お前の命は助けてやる。」
とルカに念を押して帰っていった。
檻の鍵も解錠されたようなので、ルカは自分の部屋に帰って休むことにした。
ここ10年ほど、天候不順のため作物の収量が減って、太陽神殿は臨時の祭りを増やしていた。
夏至に行なっていた火祭りを冬至にも執行して祈りを捧げたが、3年前からは冷害も加わって食糧難に悩まされている。
大神官は、火祭りの火に供物を入れて煙を天に届ける祭祀を考案して執り行ったが、冷害が終わらなかったので、今度は家畜を丸焼きにする祈祷を始めた。
供物を燃やすというのは、これまでの太陽神信仰に無い発想だった。
太陽の力が一年で最強の夏至と最弱の冬至に、12本の松明を激しく燃やして、太陽の働きを補助する祭りが全てだった。
感謝の供物は神像の前に供えるか、日没の岩の海に投げ入れていた。
ルカは、伝統的な祭りのやり方を変えることには反対だが、今まで通りにやっていて災いが起きたのだから変えたくなるのが人情。そこは理解できる。
しかし、大神官が、女神ラトナの神女を連れて来て燃やすと言い出した時は正気を疑った。
ラトナの神女は泉の神殿という所に籠っていて手が出せないというから諦めたのかと思えば、神女の後継者を拉致して来てしまった。
これがラトナタ王国の知るところとなれば、太陽神殿が属する西王国に宣戦布告されかねない事態だ。
大神官は、飢えに苦しむ民を案ずるあまり、海の恵みを持ってくる妖怪のような女に取り込まれてしまったのだろう。
あの女の機嫌を損ねれば、海産物も採れなくなって、さらに民が苦しむことになるかもしれない。
明日、女の望み通りに儀式をすることは避けられない。
ルカは、引き出しの中からラトナの香油を探し出した。
大神官からリリーの身の回りの世話をするように命じられた時、着替えや衛生用品と一緒に渡されたものだ。
泉の神殿が信者向けに販売しているもので、塗った場所や香りが広がった空間が清浄になると言われているそうだ。
明日の儀式の時に塗れば、少しでもリリーの心が落ち着くかもしれない。
儀式では何が起こるか分からないから、ルカはしっかり夕食を食べてきっちり眠った。
夜が明けると、同僚の下級神官に起こされて、部屋に朝食が運ばれてきた。
ルカはそれも残さず食べた。
食後は沐浴して赤い祭服に着替えた。
ラトナの香油はほんの少し手首につけて、残りは祭服の袂に入れておいた。
しばらくすると大神官が黒い丸薬を持ってきて、しつこく飲めと迫られたが、断固拒否した。
1人用の祈祷室に移動して、神降ろしの歌を歌ったが、何も起こらなかった。
元々降ろせるとは思っていなかったから想定通りだ。
時間になったので、儀式の会場に向かう。
会場となる礼拝堂の前に太陽神の形代である大鏡が祀られていたので、跪いて祭文を唱える。
同僚の下級神官が背負い籠のようなものを持ってきてルカに背負わせる。
上級神官がその中に形代の鏡を入れる。
形代をこんなところに入れて、神罰が下るんじゃないかと思う。
ルカは、転んで鏡を割ったりしないよう、慎重に歩いて礼拝堂に入った。
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