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時の舟と風の手跡  作者: たびー


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24/36

再びの春 おひな様のカップ寿司

 おじいは退院した。二月の二十日を過ぎても、帰宅を渋っていた。そんな中で、風はおじいにスマホで動画を見せた。

『やっほー、おじい元気ですか? 茉莉花です。あのね、おじい聞いて。ついに学年十位に入ったよ。理科は、なんと百点取れました!! おじいがいつも教えてくれたおかげです。おじいと会いたい。またお話したいよ。帰ってきて。おじいの家で待ってるからね』

 茉莉花は失恋の痛手を乗り越えて、なんとついに学年十位になったのだ。スマホ欲しさからとはいえ、茉莉花の日々の努力を知っている風は、手放しで拍手喝采を送りたいと思った。

「そうか、頑張ったんだな」

 おじいは感慨深げに動画を見つめていた。そうして、ようやく家に帰ることに同意したのだ。

 ひ孫のお願いは効果が絶大だな、と風は思った。孫と息子のお願いはイマイチ効果がなかったが。


「アスファルト、敷いたのか」

 三月三日の月曜日、おじいは家に戻ってきた。

 家に到着して、おじいは驚きの声を上げた。介護タクシーから降ろされたおじいの車椅子を凪が押す。

「家の中まで段差なしで入れるようにしたから」

 風が先導して玄関の扉を開ける。外から玄関、玄関から中のフロアまで車椅子でスムーズに移動できる。家の中はもとからバリアフリーだ。トイレも風呂の脱衣場も広めに作っておいて正解だった。

 室内に落ち着いてから、風と凪とで打ち合わせをした。

「おじい、以前にも話したけど、これから週五回ディサービスに通ってもらうよ。日中はそちらで過ごして、夕方からはぼくと父さんとで交互におじいのお世話をするから」

 週五回という言葉に、おじいはあらためて驚いたのだろう、一瞬だけ目を見開いた。夕方からは、といっても朝はもちろん、おじいを送り出すまでにも準備が必要だ。食事や投薬や洗顔歯磨き、それから着替え。

 凪は、介護休業を申請して受理された。

「あいわかった。ありがとう、手を尽くしてくれて。どれくらいになるか分からないが、お世話になります」

 おじいは凪と風に頭を下げた。どれくらいになるか、の言葉に風は一瞬体がゆらいだ。

 おじいの年齢と体力を思えば、数ヶ月単位かも知れないが、それこそ数年かも知れない。

「そんなことない、当たり前のことだから」

 凪はいつものように、ゆったりとした話し方で返事をした。

 当たり前、当たり前のことがどれほど大変なことか、風はまだ体験をしていなかった。それは凪も同じだ。いくらケアマネの太田が計画を立ててくれたといっても、実行するのは風と凪の親子だ。

「風の仕事も、邪魔することになるな」

「ぼくも、介護休業がとれたんだ。大丈夫だよ」

 風が務める会社は四国の愛媛にあるのだが、一度もそちらへ出勤はしたことがない。風が採用されたのは正社員でということだったので、しっかりした福利厚生が使えたのだ。

「疲れていない? 少し横になる?」

 風の問いかけに、おじいは小さく息を吐いた。

「休ませてもらっていいかな。久しぶりに外へ出たら疲れた」

「そうして。お昼には茉莉花も来るから。ひな祭りだし、ちょっとしたご馳走を準備してあるからね」

「そりゃ楽しみだ」

 凪がおじいを寝室へ移動させた。おじいのベッドは介護用に変えてある。前よりも手すりが増えて車いすからの移動が楽になると思う。


 お昼近くになって、部活帰りの茉莉花がジャージ着でやってきた。

「おじい、お帰りなさい!」

 茉莉花は息を弾ませて来るなり、おじいの首に飛びついた。

「お、茉莉花、ただいま」

 おじいは薄く涙を浮かべて茉莉花をハグした。茉莉花もジャージの袖口で目元を何度もぬぐった。

「はい、はい。感動の再会してるとこ、申し訳ないけど、茉莉花は手を洗ってきて」

 そうだね、と茉莉花ははにかんだ笑みを風に見せると洗面所へ行った。

「よかったね、おじい」

「そうだな、もう会えなくてもおかしくなかったからな」

 おおげさな、とは風は思わなかった。たぶんおじいは、元日の苦しげに倒れた姿が茉莉花が見た最後の自分にならずに、安堵しただろう。

「さて、父さんは手伝って」

 風はエプロンを身に付けると、大き目の盆にかけてあったラップを外した。盆には直径七センチほどのカップがたくさんならべてあった。透明なカップには、酢飯とさまざまな具が入っている。

 わずかなご飯の間には、甘辛く煮た椎茸の薄切りか鶏肉のそぼろが挟んである。上には蒸しエビ、カニのみをほぐしたもの、炒り卵、小さく切ったウナギのかば焼き、いくらなどが飾られてある。これならおじいもスプーンで食べられるし、こぼす心配も少ない。

「わあ、ふうちゃん、すごい。天才」

 手を洗ってきた茉莉花が凪を手伝って、小皿や箸を並べてくれる。

「お吸い物は、はまぐりだよ。ひな祭りでもあるからね」

 料理のほとんどは昨日のうちに準備しておいたので、並べるだけで済む。

「風、四人分にしては多いんじゃないか」

 おじいがテーブルいっぱいの料理を見て首を傾げた。

「ああ、もう一人くるから、たぶん」

 おじいと風が話していると、玄関が開く音がした。おじいがリビングと玄関を隔てる引戸を見る。

「おじい、退院おめでとう!」

「タツユキさんだ」

 今日も真っ赤な派手派手なスカジャンを着た竜幸がやって来た。

「おお、マリカちゃんもいたのか。これ、お土産」

 竜幸は茉莉花に福寿草と糸水仙の寄せ植えを渡した。とたんに、水仙の香りがして一足早く春の香りがした。

「竜幸、おまえ懲りずに……」

「おじい、竜幸さんにはおじいが倒れた時も、そのあともいろいろと手伝ってもらってたんだ」

「そうそう」

 竜幸が得意げにうなずく。

「不本意ながら」

 つづけた風の憎まれ口に、竜幸は白目をむいて舌を出す。それをみて、おじいはあきれるし、茉莉花は笑った。

「まあまあ、竜幸さんもみんなも座って、ご飯にしようよ」

 凪が声をかけると、各々席に着いた。

「今日も手の込んだ料理を作ったな、風は」

 竜幸は毎回毎回、風の手料理をほめる。ほめるのはいいが、よからぬ提案など安直にするので、風はつい警戒してしまう。

「見た目よりも簡単だから」

 蛤のお吸い物もそれぞれに配り、ささやかな昼食会を開いた。

 ちいさなカップに入った寿司は、それぞれに具がちがい、いくつでも食べられそうだった。おじいも大好きなウナギのかば焼きや、いくらののったカップの寿司を食べた。

「やっぱり外のご飯は美味しいな」

 おじいが一人で食事できること、食欲があることに風はほっとした。病院に入院中は、食事の介助も受けていたと聞いていた。食事用のエプロンを買ってきてほしいと言われた時には、パッケージのイラストに驚かされた。長いエプロンの裾が食事を乗せた盆の下に敷かれ、こぼしても大丈夫なように描かれてあったのだ。入院前には、おじいは一人で食べられた。そう思うと、風はつらかったのだ。

 けれど、今日の食事風景を見て安心した。少なくとも、今は大丈夫なのだ。

 食事がおわり、風はデザートをガラスのボウルから取り分けた。

 スポンジの台に桃のゼリーがのっている。生クリームで飾られたデザートは、桃の節句にふさわしいものだった。

「これは、なに?」

 茉莉花は風が皿に取り分けたお菓子を手渡されて、まじまじと見つめた。

「トライフルだよ」

「え、これもトライフル? こないだのとだいぶ違うけど」

 風はうなずいた。それから凪に手伝ってもらって紅茶を準備した。

「こっちもトライフル。トライフルはフリースタイルだから、こんな感じのもあるんだ。生クリームで飾った分、ケーキみたいだよね」

 ふーん、と茉莉花はためつすがめつお菓子をみていた。

「あらためて、おじい、退院おめでとう。茉莉花ちゃんは学年十位おめでとう」

 おじいは、みなのかおをぐるりとみわたして、頭を下げた。

「ありがとう。家周りのリフォームまでしてくれて、ほんとうにありがとう」

「ちょ、おじい」

 風は思わず小さくさけんだが、おじいはなかなか頭を上げない。

「父さん」

 すぐ隣に座る凪がおじいの肩をだいた。

「迷惑をかける。おまえたちの手を煩わすのかと思うと……」

「そういうのは、いいんだ」

 凪が静かな声で応える。おじいがようやく顔をあげた。おじいは苦しげに眉を寄せていた。

「ちゃんと考えてのことだし。また父さんと暮らせるのもいいと思ってる」

 しんみりとした空気のなかで、竜幸が突然声をあげた。

「え! 凪、ここにすむのか? ついに別居か!」

「人聞き悪い。住むっていうか、こっちに泊まることが増えるって意味だよ」

「そ、そうか」

 半分、浮かしていた腰をおろして、竜幸はため息をついた。

「竜幸さんも、住みたかった? おじいのお世話メンバーになる?」

 風は冗談めかして竜幸に話しかけると、竜幸がうなずいた。

「メンバーになるよ」

「え?」

 竜幸以外全員の声がそろった。

「毎日は無理だけど、来られるときには来るよ」

「いや、仕事があるだろ。一応、社長みたいなことやってるわけだし、不動産屋の」

 凪の声に、竜幸は首を横に振って考えを変えそうもない。

「竜幸さんって、社長業だったのか」

「驚くの、そっちかよ。まあ、そういうことだからよろしく」

 風の余計な一言に竜幸は苦笑いを浮かべて、トライフルを口に運んだ。

「おじい、わたしも来ていい? また理科を教えてほしいんだ。三年生になっても勉強がんばるから」

 かいがいしい茉莉花の表情に、おじいのこわばっていた顔も柔らかくなる。

「それは、かまわんが。風、わたしがディサービスに通うのは、何曜日なんだ」

「月火、木金土」

 風は指を折って数えながら答えた。それを聞いておじいはうなずく。

「じゃあ、日曜日の夕方になるけどいい? 新年度になったらまた違ってくるけど」

「かまわんよ」

 おじいの瞳に生気が宿ったように風には思えた。茉莉花が日曜日に来るなら、また夕食を多めに作ればいいことだ。

「そうだ、茉莉花ちゃんのスマホは?」

 風が尋ねると、茉莉花はとたんにしゅんとしてしまった。

「わたしが欲しかったスマホ、入荷待ちなの。今、スマホ契約する人が多い時期でしょう。欲しかった色がなくて。月末あたりには来るはずなんだ」

 ちょっと唇を尖らせて、茉莉花は足をぶらぶらと揺らした。それは辛いだろうな、と風は茉莉花の皿にお代わりのトライフルを乗せた。

「まあ、張り切りすぎずにいこう」

 凪が紅茶のカップを静かに傾けた。そうだ、張り切りすぎずに。たぶん、長丁場になるのだろう。

「お代わり、まだあるよ」

 風はみんなに声をかけた。

ほんとはひし形のお寿司にしようと思ったのですが、たまたまスーパーで小さなカップに入ったお寿司を見て、こっちのほうがいいーーーとなり、変更しました。


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