冬の章 おせち料理
お正月は、できるだけ手作りでおせちを準備しようと風は思った。
十二月も残り一週間ほどになり、風は黒豆を買ってきた。おじいがディサービスへ通うようになり、時間に余裕が生まれたので、黒豆を煮ることにしたのだ。
小さな袋には、つやつやした真っ黒な丸い豆が詰まっている。
「水に一晩漬ける」
風はスマホで調べた作り方を読み上げた。一晩漬けるとか、時間がかかる調理法なんだなと風は改めて思った。待っていれば長い時間だが、何かと手を動かしたり寝たりすればあっという間だ。
風はおじいのディサービスの車を見送ってから、もどした黒豆を鍋に入れてクッキングヒーターにかける。
「灰汁とり? 灰汁が出るんだ」
鍋の前で番を張り、ラジオに耳を傾ける。クリスマスは過ぎてしまったので、今は雪や冬の歌がよくかかる。
「スキー……小学校以来したことないかも」
そういえば、茉莉花の学校では一月にスキー教室をすると聞いた。スキー用具、そろえるのが大変だろうなと懐具合のさびしい風は思ったが、いまは一式レンタルできるのだそうだ。だからといって、今からやるには少し敷居が高いと風は感じてしまう。
豆の様子を見て、リビングのあちこちをちょっとずつ掃除する。なんだかんだで、体がフル回転だ。勤め人ではない風だけれど、やはり年末はそれ相応に忙しくなるのが宿命らしい。
「黒豆の他にも、何か作れるおせちってないかな」
風は祖母が残した料理の本を本棚から見つけて取り出した。あちらこちらのページにチラシを小さく切ったものが挟まっている。おじいや家族が好きな料理だったのだろうか。ときおり醤油かなにかが飛んだ後もついている。祖母がよほど使い込んでいたらしい。
おじいは、祖母の寿は家事や育児はしたが、それが祖母の喜びではなかっただろうと言っていた。そうだろうか、と風は残された料理の本をめくりながら考えた。義務や責任感だけでやっていたわけではないように思うけれど。
ぺらぺらとページをめくっていくと、「謹吾」と書かれた小さな紙を挟んだところにいきあたった。
「へえ、見たことない料理だ。おじいの好きな料理なのかな」
風は、作り方をよくよく見た。さほど難しくないし、材料もふつうに手に入るものばかりだ。せっかくだから、お正月の食卓に出そうと決めて、手近にあった広告を二つ折りにしてページに挟み込んだ。
おじいの好きな数の子や、昆布巻きは市販のものを。小さな重箱が、何種類もの料理で埋められていくのは、ある種快感だった。
これは、はまりそうだ。来年はもっと手料理を増やしたら……とそこまで考えて、来年も今年と同じような年末はあるのだろうかとふと胸を不安がよぎる。
おじいはすでに百と一歳。いつなにがあるか分からない。冬になって、風邪をひかせないよう通常よりも風はさらに神経をとがらせる。
今の日々をあたりまえだと思わずに。来年も元気でいてほしい。
そういえば、おせちには言葉遊びで、健康と長寿を願う料理が詰め込まれているのだと思い至った。
だったら、精いっぱい詰めよう。おめでたい言葉で埋め尽くしたい。
三段のお重は、風の手作り料理を中心にして大みそかの夕方に完成した。
夕飯は蕎麦がいいとおじいからリクエストがあったので、奮発して大きな海老天を買ってきた。
元日には、茉莉花の一家がちょっとだけ顔を出して、昼食を一緒に食べる予定だ。
餅はおじいが喉に詰まらせたら大変だから、白玉の小豆善哉を準備しよう思う。お正月らしく、栗の甘露煮を添えて。小豆はすでに煮てある。
それから、まだ多少の余裕があるから、パウンドケーキを焼いておこう。
そういえばクリスマスに焼いたブッシュドノエル、茉莉花はどうしたんだろう。誰かへのプレゼントだったのだうか。それとも自宅用だったのだろうか。ボウルを棚から取り出しながら、風は首を傾げた。明日、茉莉花が来たなら聞いてみよう。
今年も無事に……とは言えないこともあったけれど、ともかく家族全員欠けることなく新年を迎えられそうだ。こういうことを、ありがたいというのだろうと風は思った。
次回はお正月。茉莉花のお年玉は果たして何人から渡されるのか。