秋の章 ケークサレを焼く
九月を迎えた。日中は相変わらずの暑さだが、夏の道具は少しずつ片付け始めた。葦簀やすだれ、そうめん用のガラスの器を手入れをしてから。玄関では真夏の靴と秋の靴が一緒に並ぶ。
スーパーで、初もの秋の果物や茸が棚にお目見え出したが、高くてさすがに手が出ない。
代わりに風は、枝豆やトウモロコシといったピークを過ぎた野菜を手に取る。まだ昼間は暑いから、冷たいスープにして出すのもいいし、お惣菜ケーキのケークサレにしてもいい。
スーパーからの帰り、家の方角から来た車とすれ違った。風は先に進路を譲り、何気に後部座席を見て心臓が止まりそうになった。
竜幸が乗っていた。そして、あきらかに風と目を合わせた。
思わずハンドルを強く握る。
すれ違ってもしばらくは、風の車はその場にとどまっていた。数分後、呼吸を整えようやく風は車を家の敷地に止めた。
「おじい、竜幸さんが来なかった?」
家に上がると、おじいは昼寝をしていた。玄関の鍵はかけて行ったから、勝手に上がられたりはしていないのは確かだ。
風は買い物袋をキッチンへ運んだ。冷蔵庫から出した麦茶をコップに注ぐと、一気に飲み干す。それほど暑くもない天候なのに、額に汗が浮かんでいた。
今日は、単なる冷やかしだったのかも。
風はおかわりの麦茶をもって、テーブルに移動した。
太田に、竜幸と戦うと威勢のいいことを言いはしたが、頼りにするのは父だ。むろん父の凪とも打ち合わせをした。
竜幸が来たら、まず凪に知らせること。凪は土地建物の取引に強い部下数名に事情を話して、出来るかぎり同席してもらえるよう、お願いをしてくれた。
実際、顔を合わせた父の部下たちは、とても親切だった。その人がもらした一言が胸に引っかかっている。
—-なぜ、執着するんでしょうね。
父も言っていた。この家の立地は条件が良くないと。それなのに、なぜ竜幸はこだわるのだろう。
二年前に風がおじいと同居することになり、風が土地と家を生前贈与されることになった。そのとき、親族一同から遺産放棄の書類を書いてもらった。
そのとき珍しいほどおとなしく、竜幸は書類にサインしたはずなのに。
風の思い出のなかの竜幸は、いつもどこか物騒だった。
たとえば、風が覚えている一番古い竜幸の姿だ。
ちょうど今くらいの季節。日曜日だったのだろうか。まだ幼稚園児だった風は父親と一緒におじいの家に遊びに訪れた。
縁側に腰かけていた竜幸を見るなり、風は大泣きした。
顔に貼られた大きなガーゼ、右腕は骨折して首から布で吊るし、足にも包帯が巻かれていた。恐怖のあまり、風は父親に抱きついて泣き叫んだ。
その後、いつ会っても竜幸はケガをしていたので、いつしか見慣れたものとなったが。
竜幸はその時、三十代半ばだったが、定職にもつかず喧嘩っ早いわりには腕っぷしは弱くてケがばかりしていたという。
竜幸は父親とはそりが合わず、おじいの家に身を寄せていたらしい。
風のことは可愛がってくれていたように思う。親子ほど年の離れた、おじいの最初と最後の孫だ。
「風、知ってるか。おじいが名前を付けた孫は、俺たちだけなんだぜ」
いつだったか、そんな話をしてくれたのも覚えている。どこか気難し気で、それでも妙に優しくて。風は、竜幸を嫌いではなかった。
ただ、その後に起きたことで、竜幸は親族から離れていく。
竜幸の父親・竜吾が過労の末、交通事故で亡くなった。それに心を痛めたせいかストレスのせいなのか、祖母が病で臥せって短い間に他界した。
竜幸なりに生活を改めたいと思ったのか、誘われて不動産会社で働き始めた。しかし、数年後に土地の取引で詐欺まがいのことを起こしてあわや逮捕とまでになった。
おじいも親戚も、竜幸から距離を置くようになった。
「そうだよ、こどものころは」
まだそんなに嫌いじゃなかった。風は汗をかいたグラスを握ったままだ。
竜幸への印象が最悪になったのは、風が大学進学前に顔を見せに来た時だ。
「いいな末っ子、おまえは大学生になるのか」
竜幸は玄関先に出た風の胸元へ祝儀袋を叩きつけるようにして、去っていった。
祝いの一言もなく。
それも十年前か。風はひとりごちした。
あの時、竜幸はどんな顔をしていたのか、風はあまり思い出せない。
うっすら、笑っていたようにも思う。
風は麦茶の残りを飲み干すと、ケーキを焼くことにした。ケーキサレ、トウモロコシを入れれば、ほんのりと甘くていいだろう。




