第93話 夜会の姫君
前皇帝ザリオンの残した帝国最大の不安材料とも言える戦姫ギュリオージュ。
追放同然に帝都を去って二年、再び姿を現した彼女は帝国に大きな混乱をもたらしたものの……最終的には帝国の管理下に置かれる事を了承した。
彼女の功績であった北方エリアの平定とエネルギー資源としての魔氷晶の採掘権も正式に帝国のものとなり、二代皇帝ゼムグラスの治世はようやく安定の時期を迎えようとしていた。
「むぅッ!? お前は……!!」
「…………………」
ある日のこと、帝城内の訓練場近くで二人の男が十数年ぶりの邂逅を果たした。
共に褐色の肌を持つヴェータ人同士。
共に身体の一部を異形化させた者同士。
「ヴァジュラ!!!」
「ガーンディーヴァか」
かつて戦場で殺し合った事のあるその男をヴァジュラは無表情に見る。
「……なんじゃあ、あんまり驚かんのぉ」
「お前を拾ったという話は紅蓮将軍から聞いている」
そう言って笑わぬ男は静かに目を閉じた。
「意趣返しをというのであれば止めておく事だ。俺は彼女の麾下の者と拳を交えるつもりはない」
「今更そんなつもりはないわい」
半眼でそう言ってから、ガーンディーヴァはどこか言い辛い事を口にするかのように視線を泳がせ指先で頬を掻く。
「その……なんじゃァ。お前もな……色々と大変だったのお。妹さんの事とかな……」
表情が変わらないヴァジュラの眉が僅かに揺れる。
「何故お前がその話を知っている?」
ヴァジュラが帝国で妹の話をした相手は故ザリオンと現皇帝のゼムグラスの二人だけだ。
ゼムグラスがこの男に話をしたとは思えない。
「その話は天将たちは全員知っとる。ある日神皇様がワシらを集めてな、お話し下さったんじゃ。神皇様はお妃様から聞いたとおっしゃっとったわい」
「………………………………」
重々しく目を閉じたガーンディーヴァ。
「ヴァジュラという男がこの国でどんな目に遭ったのか……そして今どんな気持で生まれた国を攻めに来ておるんか、それを神護天将は知っておかにゃならんて言われてのぉ」
「そうか」
サルラーマの夫であった皇国最後の神皇バーラヴァ……顔も知らないその人物を想いヴァジュラは遠く空を見た。
湿っぽくなった空気を打ち消すかのようにガーンディーヴァが笑う。
「わはは! まあその内お前とも何かで勝負する事があるかもしれんが……それはまあ殺し合い以外でじゃ。殺したの殺されたの……あの戦争を知るもん同士でそういうのはまっぴら御免じゃい」
「そうだな」
そう言ってから一瞬黙り、そしてヴァジュラは再び口を開く。
「そのうち、お前に会わせたい者がいる」
「お? なんじゃ?」
意外そうな顔をするガーンディーヴァ。
「俺の子だ」
「おお! なんじゃお前、帝国来てから子供が出来たんかい!! わはは!! そりゃええわい!!!」
肩を組んでバシバシと叩くガーンディーヴァ。
「好物はなんじゃ! 土産に持ってってやらんとな! 子供は食って走り回って遊んでればそれで十分じゃ!! わははは!!」
肩を組む二人の男が去っていく。
その片方の笑い声はいつまでも止むことはなかった。
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帝国領、某都市内高級宿泊施設の大ホール。
立食形式でパーティーが行われている。
集った者たちはごく一部例外はあるものの大部分が品格ある高級な装束に身を包んだ御大尽らしき者ばかり。
そんな中に裾に薔薇をデザインした白いドレス姿のギュリオージュがいた。
数名の参加者たちと談笑し、今は輪から外れて一人でグラスを手にしている。
(はーやれやれ、社交界もほんとめんどくせーですね)
内心で嘆息しているギュリオージュの隣にスッと静かに誰かが立った。
黒を基調としたシックなドレス姿のヘイゼルだ。
「前に比べて今日は余裕がありそうだな?」
「あー、ウチがしくじったんで何人かは露骨に距離を置いてますよ。ほんと、わかりやすい方々でごぜーますってな」
ハッと皮肉気に笑ってグラスを呷るギュリオージュ。
利に聡い者の多い集いである。状況に応じて離合集散が起きるのは常であった。
抑えた声で話をしている二人。
そこへ、目の前の人垣が割れて一人の男が出てきた。
(……おっと)
ギュリオージュとヘイゼルの二人が背筋を正す。
出てきたのは白いスーツ姿の背の高い老紳士だ。
彫りが深く舞台俳優のように整った顔立ちで顎に短めに髭を生やしている。
ステッキを突いて歩く彼は左足をわずかに引き摺っていた。
「盟主メビウス、ご機嫌よう」
余所行きの笑顔でギュリオージュが言うと、メビウスと呼ばれた老紳士が顔を綻ばせる。
「やあ、これはこれは、可愛らしいお姫様。私のパーティーに来てくれるのは久しぶりだな」
「ええ、ちょっとあれこれドタバタしてましたもんで~……」
恐縮した様子で言うギュリオージュにメビウスはいやいやと首を横に振る。
「自由参加が『組織』のルールだ。気にすることはないよ。……おお、勇敢なる戦乙女よ。美しい君たちが並んでいる姿を見られる私は幸運だな」
「よい夜ですな、盟主様」
優雅に一礼するヘイゼル。
「君たちのイタズラ大作戦はどうだったのかね? 大分熱中していたようだが」
「いやー、それがもう、大失敗で」
肩をすくめてやれやれ、というゼスチャーをするギュリオージュ。
「ほうほう、君たちが組んで上手くいかないとは。そういう事もあるのだね」
「力及ばず。汗顔の至りです」
薄く笑って小首を傾げるヘイゼル。
「うんうん、だがそれも人生だよお嬢様方。何の困難もない航路の先にある港は酷く味気のないものだ。……おお、そうだ。君たちにも私たちの新しい友人を紹介させてくれたまえ」
盟主メビウスが振り返る。
すると彼の視線を感じ取ったのか人の輪から一人の女性が外れて歩いてきた。
薄青色の上着を羽織った淡い赤紫色のタイトなドレスの知的な美女である。
切れ長の瞳で眼鏡を掛けていて左目に泣きぼくろがある。
藍色の髪の毛の女だった。
「キリコ君だ。優秀な人物でね。彼女の存在が『組織』の新たな刺激となってくれるだろう」
「柳生キリコです。よろしくお願いしますね」
キリコは微笑んで名乗ると頭を下げる。
二人も自己紹介をし、それから四人は数分の間他愛も無い世間話に興じてからメビウスとキリコは別のグループへ移動していった。
「……見ましたかアレ」
立ち去る二人の後姿を見ているギュリオージュは半眼である。
「ああ。毎度の事だがどこで見つけてくるのだろうな……ああいう魔人を」
小声で言うヘイゼルの頬を汗が伝う。
「『組織』には半世紀近く所属しているが今のはこれまで顔を合わせてきた一級の怪人魔人たちと比べても遜色ない。最初にこっちへ向かって来ているとき、人が近付いてくる気がしなかったよ」
グラスを傾けてからフゥ、と嘆息するエルフ。
「ああいう連中には共通した空気があるんだ。月のない夜の森を覗き込んでいるような心地になる」
「へ~、中々に詩人じゃねーですか」
茶化すように軽い調子で言ってからギュリオージュは小さく嘆息した。
「あーあ、アイツ西行ってくれねーですかね……」
「それは望み薄だな。それならこっちの会合でああやって顔合わせはするまい。中央大陸で何かする気なんだろう」
ヘッという感じでギュリオージュは表情を歪めた。
「ま、事故は起こるさ。『千刃卿』の時みてーにな」
「ギュリオージュ」
硬質な声で相方の名を呼ぶヘイゼル。
「禁句だぞ。その話題にはまだ皆敏感だ。『7つの宿業』の空席も未だに埋まっていないしな」
そう言ってから周囲をさり気なく見回しているヘイゼルに、わかっているというように半笑いでギュリオージュは肩を竦めたのだった。
『組織』には盟主を含めた七人の幹部がいる。
その内の一人、『千刃卿』と呼ばれた男が帝国のある中央大陸での活動を活発化させていた。
……が、ある時事故により命を落とした。
幹部席は今も一つ空いたままだ。
これは……そういう話である。




