第90話 父、来てるかも
旧ベルンフェルト王国領カールローディア市。
ここは帝都から真北に位置するこの大都市は王国時代の首都である。
一年中涼しく過ごしやすい。
東西と南北を横断する大きな街道の交差する街であり周辺エリアでは最大規模の栄えている都市だ。
北方のダナン大要塞からも帝都からも大体等距離の都市。
ギュリオージュ・ヴェゼルザークは紅蓮将軍との会談の会場としてこの都市を指定してきた。
会談の日時は三日後。
ファルメイアは転移で早々にもうこの都市に入っている。
お供はレンとヒビキの二人のみ、互いに同行者は最小限に留めるという取り決めの為だ。
「本当にこの人数で大丈夫でしょうか」
不安げなレン。
相手はあの戦神の化身のようなギュリオージュだ。
この前は自分が狼の騎士になる事で撃退はできたもののあの力をもう一度使えるのかどうかはわからない。
「……まあ、大丈夫じゃないかしら。多分向こうに戦う気はないわ。私を指名してきたのがその証拠」
「え?」
驚くレン。むしろ彼はその逆だと思っていた。
双方が不本意な形で水入りとなった戦いの決着をつけたがっているのではないかと……。
しかしファルメイアはそうではないという。
「多分今もう一回戦ったら私が勝つ。向こうもそれがわかってる」
続いた彼女の言葉も意味もやはりレンにはわからなかった。
彼の目には前回の戦いは終始互角……むしろ若干ではあるがギュリオージュが押しているかのように見えていた。
「でも半年くらい間が空いたらもうどうなるか私にもわからない。私はもう修行とかしたくないんだけどねー……」
やれやれと肩を竦めて苦笑する紅蓮将軍であった。
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早めに現地入りした紅蓮将軍。
彼女の目的とは……。
観光と買い物である。
ここは大陸のどこへ行くにも通過する大きな街道の交差する街。
大陸中の人や物が集まるのだ。
レンは今大きな通りを沢山の箱を抱えて紙袋を下げて歩いている。
そんな彼を先導するのは意気揚々と歩くファルメイアだ。
「ほらほら、まだまだ回るわよ。私カルロ初めてだから楽しみにしてたんだからね」
ファルメイアは上機嫌で少しはしゃいでいるように見える。
普段すまし顔で落ち着いている事の多い彼女としては珍しい事だ。
激務が続いて疲れている事だし多少の息抜きができるだけでもこの役目にも意味はあったのかもしれない……そうレンは思った。
「レン、アタシも持つよ」
「いや、大丈夫だ。このくらいなら……」
気を使って声を掛けてきたヒビキにレンが首を横に振る。
これ以上になるとヤバいという意味でもある。
「じゃ、じゃあほら……飲み物。喉、乾いただろ?」
荷物から手を離せないレンが差し出されたストローを「ありがとう」と咥えようとしたその時……。
「だからなんであんたは無警戒でそれを受け入れるのよ」
ガン!!!!
大量の荷物をまき散らしてレンが通りに転がった。
「ちょ、ちょっ! 何すんですか!! これはそんなヘンなもんじゃないんですって!!」
大慌てで必死に訴えるヒビキ。
それを見るファルメイアの視線は冷たい。
「じゃあ、あんたそれこの場で飲んでみなさい」
「いや……それはちょっと。アタシが脳みそマッスルになっても意味がないんで……」
ガン!!!!
レンの横に仲良くヒビキが転がった。
(こいつ、時と場所を一切弁えずにこの行動にいけるところが本当に怖いのよね)
こんな人通りの多い場所で押し倒されてもいいんだろうか、と慄く紅蓮将軍であった。
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一通り回り終わってファルメイアたちは手配していた宿に落ち着いた。
都でも最高級のホテルである。
根が庶民なレンとしては少し落ち着かない。
ファルメイアとヒビキは部屋で買ったものを早速広げている。
そういう所は二人とも年齢相応なんだなと彼は微笑ましく思った。
ともあれ、同じ空間には居辛いので今彼はまた観光に出てくるといってロビーまで下りてきていた。
観光を口実にはしてみたものの、実際の所今から一人で行ってみたいとまで思う場所はない。
(何か食べるか。さっきの食事はちょっと量が物足りなかったから……)
「レン……。レン」
呼ばれた気がして周囲を見回す。
するとロビーの大きな柱の陰から自分を手招きする者がいる。
見に行って驚いた。金剛師団のルキアード副長だ。
「ルキアードさん!? どうしてここに……」
「しーっ。すまない、目立ちたくないんだ」
口元に人差し指を立てるルキアードにうなずいたレン。
「ちょっと場所を移してもいいかな。ここだともしファルメイア様が下りてきたら鉢合わせてしまう」
外の通りを見ながら言うルキアードであった。
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二人はホテルを出てすこし離れたカフェに落ち着いた。
双方飲み物を頼んでようやく一息つく。
「すまなかったね。君も息抜き中だったんだろ?」
「いや、それは大丈夫ですけど……」
ルキアードが浮かない表情なのは見てわかる。
何かトラブルだろうかとレンは少し背筋を正した。
「実はね……今この都に父さんが来ているっぽいんだよ」
「ガイアード将軍が……?」
ため息交じりにルキアードが語り始めた所によると……。
ルキアードがその事に気付いたのは些細な偶然からであった。
金剛師団出入りの魔道具商に父がカールローディア行きの転移符を手配していたのだ。
公式な買い物ではない。父はそれを自分の懐から金を出して購入したようだ。
……そして今朝から休暇を取ってガイアードは連絡が付かなくなっていた。
「どう思う? レン」
「それは……」
困り顔で口ごもったレン。
流石にそうまで条件が揃えばどれだけ察しが悪い者でも今ガイアードはこの都に来ているという結論になるだろう。
と、するならば理由は……?
「僕は不安でしょうがないんだよ。父さんがギュリオージュ様に手酷くやられて廃人同様になってたって話はしただろ?」
その話はルキアードから聞かされている。一時は周囲の人間が彼はこのまま表舞台から去るのではないかと覚悟したほどの消沈ぶりであったという。
「あれは結局叔父上の……陛下のお陰で持ち直したんだけど、もし今になってギュリオージュ様に対して何か後ろ暗い事を考えているのだとしたら、それはなんとしても止めなければならない」
「そうですね……」
報復を……考えているのだろうか?
それはないともありそうだとも言えないレンだ。そこまでガイアード将軍の人柄を知っているわけではない。
でも息子であり副官であるルキアードがその可能性の危惧している。
ファルメイアの予想するところではギュリオージュ側も今回は戦闘は望んでいないという。
つまりこれは双方が戦闘を回避したいという思惑が合致した話し合いだ。
その前提でいけば落としどころがありそうなものだが、そこに万一ガイアード将軍が突っ込んできて暴れでもしたら全ては台無しだろう。
「僕だってね、父がそういう人間だとは思いたくないよ。だが何しろここまで大きな躓きをした事のない人だからね。人生初の大きな挫折で父さんがどう動くのか僕も予想しきれない部分がある」
そういうわけで慌てて自分も転移符を購入して飛んできたのだとルキアードは言う。
手痛い出費だよと苦笑する彼だが心中は察するに余りある。
「それで、申し訳ないんだが父を探すのを手助けしてもらえないだろうか。本当に手すきの時だけでいいんだ。流石に僕一人じゃ土地勘もないこの都での人探しは難しい」
「それは勿論手伝うけど、ファルメイア様にも話しておいた方がいいんじゃ?」
レンが言うとルキアードは首を横に振る。
「いや、いよいよとなれば話さなきゃいけないんだろうけど今はまだそうはしたくない。ファルメイア様は大事な任務でここへ来ているんだからね。横から余計な話を突っ込むのは躊躇われる。君に話すかも迷ったんだが……甘えてしまった」
なるほど、とレンは納得した。
自分としてもルキアードは友人だと思っているので助力は当然であるが、確かに彼から見てファルメイアは安易に頼って助力を仰げる人物ではないだろう。
「僕はここに宿を取っている。こまめにチェックしに戻るから何かあれば宿に連絡を入れて欲しいんだ」
ルキアードから手渡された二つ折りのメモを手にうなずくレンであった。




