第89話 英霊
死んだはずの皇帝が何故か今自分の部屋にいる。
「へ、陛下……ザリオン様!? な、な、なんで……」
レンの声は裏返って震えていた。
「どうしたの? レン」
シルヴィアが部屋に顔を出した。
驚きすぎてまだドアが半開きの状態だったのだ。
レンの変な声を聞いてきたのだろう。
「メイド長……」
シルヴィアはレンの部屋を見回す。
当然ベッドの上も彼女の視線は通過していった。
だが、そこに座るザリオンを気に留めた風もない。
「明日も学校なのだから、夜更かしをしてはだめよ」
微笑んでそう言うとシルヴィアはドアを閉めて部屋を出て行った。
ばたん、と静かに締まる扉を見てからザリオンはレンに視線を戻す。
「どうやら、今の余の姿はお前にしか見えてはおらぬようだな」
在りし日のままの重たく静かな声で言うザリオン。
「どういう事なのでしょうか……」
呆然としているレン。
実は生きていた、だとかそういう話でない事だけは間違いない。
大体が今のザリオンはいつもの毛皮を羽織っているが、その毛皮は畳まれた状態で自分の机の上に置いてある。
では幽霊のようなものなのか? と言われると……。
レンから見る今のザリオンは透き通っているという事もなく腰を下ろしているベッドはしっかりその分凹んでおりどう見ても実在の人物なのだ。
「もう少し話しやすい場所に行くか」
ザリオンがそう言ったその時、レンの視界がガクンと暗転した。
一瞬の後に彼は知らない場所に立っていた。
どこかの……神殿だろうか?
廃墟のようだ。もうかなりの間人のいた気配がない。
それでいて汚れてはいない。
不思議と清浄な気配のする空間である。
『ここがどこであるのかは余も知らぬ。何故、余がお前をここへ連れてこれるのかもな』
ザリオンの声がして彼は振り返り……。
「!!!!」
そして愕然とした。
そこに立っていたのはあの狼の騎士だったのだ。
客観視するのはこれが初めてだが、あの戦いのときに自分の手足として見ていた武装である。
間違いがない。
『この鎧、この剣……いずれも生前の余が目にしたことのないものだ。それを何故か今の余が身に着けておる』
「お亡くなりになっている認識が……あるんですね」
レンが言うと騎士はうなずいた。
『余は自分が死した記憶はある。老いにより命を落とした。その後はずっと眠っていたように記憶はない。それが……あの時、お前に呼ばれて目覚めたのだ』
「俺がですか?」
ファルメイアの負傷を見た時のことだろうか、とレンは思った。
確かにあの時、誰でもいいから彼女を助けてくれと祈りにも似た叫びを心は発していた気がした。
『その呼び声に呼応して余はこの姿でお前の前に姿を現した。そして余が力を貸すことでお前はあの姿に変じてギュリオージュを倒したのだ』
思えば……と狼の騎士はやや俯き気味になった。
『あの時に余を呼んだのはお前だけではなくギュリオージュもだったのかもしれぬな。あれはいずれ力を付けて余とまた戦うことを望んでいた。余の死によりかなわなくなったその願いをどうにかしてやろう心のどこかで思ったこともあの時の余の覚醒に繋がったのかもしれぬ』
「…………………」
死んでしまって我が子の願いを叶えてやれなかった親が死後に蘇ってその願いを叶えてやる話、といえば美談ではあるのだが……。
(それでやっている事が殺し合いというのがこの覇王の家系の凄まじい所だな)
……と思うレンであった。
『余にわかっている事は自分の意志で現れることができぬという事と、直接今の自分がこの世界に干渉することはできぬという事だ。お前がまた余を呼ぶのであればまた姿を現すことがあるかもしれぬ』
ぐにゃりと周囲の風景が揺らぎ歪み始める。
『今日はここまでのようだ。日々をひたむきに生きよ、レン』
「はい。ありがとうございました」
狼の騎士の姿になっているザリオンに対して深く頭を下げるレン。
そして彼が顔を上げたとき、周囲は見慣れたいつもの自分の部屋に戻っていた。
先程までザリオンが腰を下ろしていたベッドの縁に座りレンは大きく息を吐いた。
……ザリオンは死後英霊になったのだろうか?
疑問は一部解けたようでまた新しい謎も生まれた。
あの変身はファルメイアを助けたいという自分の悲痛な願いや愛娘との再戦を願ったザリオンの想いが複雑に影響した一種の奇跡のようなものだったという事なのだろう。
誰かに呼ばれなければ現れることはなく、直接戦う事はできないので戦う者に憑依? のように力を貸して姿を変える。
そういう解釈でいいのだろうか。
(あんなすごい力を安易に使えちゃいけないよな)
あの戦いの時の感覚はまだリアルな記憶として自分の中に残っている。
超越者になった気分というものは麻薬のように危険なものだとレンは実感する。
あれを求めて頼るようになれば自分はダメになってしまうだろう。
まあ、そんな心根の者の前にザリオンが現れ力を貸してくれるとも思えないが……。
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新皇帝ゼムグラスの即位から二週間ほどが経過したある日の事。
紅蓮将軍ファルメイアは皇帝に呼ばれ彼の私室にやってきた。
皇帝の私室といってもザリオンの使っていた部屋ではない。
ザリオンの私室は今のところ彼の生前のままに維持されている。
ゼムグラスはそことは別の部屋を自分用に新しく用意したのだ。
ファルメイアが部屋に入るとそこには執務机に座るゼムグラスとその前に立つガイアードがいた。
「よく来てくれた。実は内密な話があってな」
二人を前にゼムグラスが話し始める。
彼の表情を見るとあまり良い話ではなさそうだ。
「ギュリオージュの事なのだ。二人は砂漠で直に会っているからな」
そう言ってからゼムグラスは兄の顔を見る。
「ガイアード将軍に話すかは迷ったのだが……」
「いいや構わん。俺は天魔七将であり、あいつは俺たちの妹でもある。聞かないわけにはいかん」
金剛将軍の様子は落ち着いている。
見た目に敗北とそこからの消沈が後を引いている様子はない。
「今回の事があって、改めて北方を……ダナンの事を調べさせたのだ。結果として驚くような事実が判明した」
憂鬱そうに首を傾けてゼムグラスは重苦しい息を吐いた。
「まずだな……帝国が大要塞を置いて戦っていたはずの北の四つの小国だが……もう無くなっていた」
皇帝の言葉に二人の将軍が怪訝そうな顔をする。
「この二年でギュリオージュが攻め落としてしまっていたのだ。その事実は報告されていなかった」
ガイアードは天井を仰いでやれやれと嘆息した。
「帝国は間抜けにもとっくに戦う相手のいなくなった前線基地に物資を送り続けていたという事か」
極寒の北方地域には帝国への恭順を拒んだ四つの小国があった。
国と言うよりかは部族と言うべき集団もある。
大陸の平定を掲げる帝国はそれらの国と戦うために大要塞を建設したのだが、実際の所環境が過酷すぎてほとんど戦闘行為は行われることはなかった。
例え攻め落としたとしても統治ができないだろうという見通しによる所もあった。
かくして、長い間ダナンは帝国にとっては北を攻めているという建前の為の要塞となり、実際の所は主にやらかした者が送られる左遷先……半ば流刑地のような扱いだったのだ。
「あれは北で希少な鉱物を見つけたらしい。攻め落とした小国の者たちもほとんどがその採掘に従事させられているようだ」
「知っているわ、それ。氷の魔晶ね」
ファルメイアの言葉に皇帝がうなずく。
「砂漠で見てきたか? その通りだ。無尽蔵に冷気を出す氷の魔水晶……それをあれは採掘し西の大陸と取引をして財を成したようだ。あの空飛ぶ砦を買ったのもその金だろう」
机の上に置いたゼムグラスの拳にグッと力が入る。
「このままにはできん。ギュリオージュをどうにかしなくては」
「ダナンを攻めるの?」
紅蓮将軍の問いに皇帝が沈黙する。
彼は眼を閉じて難しい顔をしている。
「……できれば、そうはしたくない」
やがて絞り出すような声で言うゼムグラス。
「新皇帝の即位早々に内乱……しかも相手は先帝の娘で骨肉の争いというのは避けたいな」
ガイアードの言葉にゼムグラスが重苦しくうなずく。
「なら一先ず使者を出したら?」
「実はもう派遣はしてあるのだ。返事はまだだがな」
ファルメイアが提案すると既に手は打ってあると答えた皇帝。
……そしてそれから三日の後にギュリオージュから返答があった。
彼女の返答は話し合いに応じる準備があるという内容で……。
そしてその相手として紅蓮将軍ファルメイアを指定してきたのだった。




