第85話 籠の中の雛鳥
乾いた大地にポツポツと赤い雫が滴り落ちる。
傷だらけのガーンディーヴァが流す血だ。
「射手にしてはあるまじき頑丈さだぞ、お前」
呆れ声でヘイゼルが言う。
無数の鮮血精霊の甲虫に群がられ、喰い付かれてもまだ彼は耐え続けている。
並の戦士であればとっくに全ての肉を食い千切られて骨になっている所だ。
(技術レベルが低く戦闘が前時代的だとこういう怪物が出てきやすくなるのかもな。技術が進歩し人が楽になるというのも一長一短だ)
短く嘆息したヘイゼル。
ガーンディーヴァはオーラを防御に回して甲虫からの攻撃に耐えているのだ。
距離と甲虫で彼の最大の武器である弓を封じたがそこから戦闘が長引いている。
「フン、しぶとさとド根性じゃあワシは誰にも負けんわい」
血で汚れた顔で不敵な笑みを見せるガーンディーヴァ。
彼は今痺れを切らしたヘイゼルが近付いてくるのを待っているのだ。
皇国には独自に発達した近接格闘術がある。
それを使い形勢を逆転させる気なのだ。
ヘイゼルとしては早々に相手を沈黙させて雇い主の援護に回りたいのだが……。
(まさか耐えるだけという事もあるまい。近付いて攻撃に参加するのはリスクが高いな)
そう考えて自ら距離を詰めての彼への攻撃には踏み切れずにいる。
近接戦闘は得意とするところではない。
手の中の黒い鉄を見て彼女は考える。
(これも西の大陸では十分強い武器なのだが……)
拳銃による射撃も何度か行い、彼へ命中し傷も負わせているのだが……どうにも有効打になっている気はしない。
それはガーンディーヴァのオーラが常人を凌駕する分厚さであるが故の事なのだが、そもそも「戦闘にオーラを用いる」という意識が希薄な西の大陸出身のヘイゼルにはその部分がピンときていないのだ。
(やむを得ないな付き合うとするか。こっちの大陸の戦士の戦い方に馴染むまでは無茶はするまい)
持久戦の覚悟を固めたヘイゼル。
だがそれだけでは彼女は終わらない。
……赤い甲虫が一匹、群れを離れ神殿の方へ向けて飛び去って行った。
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息を突く間もない攻防。
瞬きすら許されないような精密な両者の立ち回りは戦闘というより舞いのようだ。
加勢するべきなのだろうかとレンは迷って……それは不可能だという結論に達する。
手を出せばかえって足を引っ張ってしまうだろう。
(……似てる)
激しい戦闘の中でファルメイアはふとそう思った。
自分に向かってくるギュリオージュを見ていてそう思った。
似ているのだ。
彼女は父に……ザリオンに。
性別も違えば容姿も違う。なのになぜそう思うのか……。
強いて言うのなら在り方か。
魂が似ているのだ。
彼女は……覇王の雛鳥だ。
だが彼女がその才覚を発揮できる場は、もう……ない。
乱世は彼女の父が終わらせてしまったから。
鳥籠で大鷲は飼う事はできない。
ならば鷲は籠を破壊して外へ逃れるしかないのだろう。
戦時に生きてみたかったとは、自分も思わないではない。
この力を思うさま振るえたらと考えることもあった。
でもそれはきっと、今が平穏な時代であるからこその妄想だ。
戦争の時代を生で感じた事のない者だからこその考えだ。
二人はほぼ同時に手を止めて、相手から距離を取る。
(だって自分にとって都合のいいだけの世界なんてどこにもないんだから)
ファルメイアがそう考えたその時、ギュリオージュの目が輝いたような気がした。
……そうではない、と。
打ち砕いて。
切り拓いて。
食い破って、血を流して、もがきながら。
辿り着くのだと。
彼女の目が、そう語った気がした。
ググッと前傾姿勢で彼女が低く構える。
『暴君襲来』が……来る。
迎え撃つファルメイアは肩の傷に回していた魔力を止めた。
傷口が開き血が再び噴き出す。
最後の砂時計が逆さまになった。
ここから砂が落ち切るまでは……3分、いや、もっと短いだろうか……。
だがこの傷を塞いだままで迎撃できる相手ではない。
噴き出す紅蓮将軍の血に、ギュリオージュは彼女の意図を悟った。
後少し時間を稼ぐだけで勝手に勝利は転がり込んでくる。
だが、彼女はそうしなかった。
むしろ相手の覚悟を知った瞬間に彼女は飛び出していた。
……狂える姫の猛襲を紅い将軍の魔術が迎撃するか。
1秒にも満たないわずかな時間の先にその答えがある。
…………はずだった。
『やれやれ、ようやく隙を見せてくれたな』
激突する両者の、そのどちらでもない声がして。
ファルメイアの首筋から激しい出血が始まった。
「ッ!!!!!??」
……咄嗟に紅蓮将軍は首を押さえて魔力を集中させる。
同時に肩の傷にも魔力を再送した。
頸動脈を……傷付けられた。
彼女の首筋から赤い甲虫が飛び立つ。
「テメー、何やってやがんですか!!? 余計な事してんじゃねー!!!」
ギュリオージュの怒声が響き渡る。
彼女はヘイゼルの横槍に気付いてジャガーノートでの一撃をわざとずらして空振りさせていた。
『「正々堂々」だの「勝敗に関係なく納得のいく戦いがしたい」だの、そういうのは学生時代に卒業しておけ。大人の世界はまず勝たなければ何も始まらないぞ』
甲虫から聞こえてくるヘイゼルの声。
『ましてこれは一対一の勝負というわけでもない。文句を言われる筋合いはないな。お前を勝たせるのが私の仕事だ』
ギリッと奥歯を鳴らし握った拳を震わせたギュリオージュ。
腹立たしいがヘイゼルの言っている事は事実だ。
これは一対一の戦いではない。
結果として向こうはそうはしてこなかったのだが、彼女としてはファルメイアとレンが一緒に向かってくるものだと思っていたしそれで構わないと思っていた。
『色々とやりたい事があるんだろ? ……だったら、それが始まってもいない内に自分の命をチップにして賭けをしている場合じゃないんじゃないか?』
「……チッ。わかりましたよ。ムカつくがオメーの言う通りだ」
無理やり割り切ったギュリオージュがフンと鼻を鳴らし、そして止血に全集中している為に最早身動きが取れないファルメイアに向かって双刃を構えた。
「これも戦いかぁ……。切ねーですね」
そして……彼女は武器を振り上げ……。
最後の一撃を振り下ろそうとしたその時、突然周囲を光が満たした。
否、足元から突き上げたというべきだろうか。
「!!!??」
それは光なのか。
それともエネルギーの奔流のようなものなのか。
地面から吹き上げている輝き。
まるで巨大な間欠泉のように。
その流れは周囲全体を包み込んで上昇している。
『……ッ!!』
ヘイゼルの甲虫がその光の中で灼かれて消えていった。
そしてその奔流が収まった時、その場に一人の騎士が立っていた。
全身を凝った装飾の鋼の鎧で覆った巨躯の騎士。
「……狼の騎士?」
ギュリオージュが呆然と呟く。
確かにその騎士はそう呼ぶのに相応しい姿をしていた。
兜は狼の頭部を象っている。
肩当ての周囲や襟、手甲の肘近くや手首の部分など装甲の境目は灰色の毛皮が配されている。
背負うマントは二重。背の中ほどまでの毛皮のものとその下の足元までの布製のもの。
僅かに刃が反った片刃の大剣を手にしており、それを身体の正面で杖のように突いて両手を乗せている。
外気に触れている生身の部分が全く無い為にその鎧の中の人物の性別や種族は一切不明だ。
「……ナニモンですか、オメー……いや」
ハァッと熱の籠った吐息を吐いたギュリーオージュはどこか恍惚とした表情で狼の騎士を見ている。
「どうでもいーや、んな事……」
双刃を構え彼女は前にでる。
その切っ先を騎士に突き付ける。
「ハッキリわかりましたよ。ウチがずっと探してたのはオメーだ。オメーもそうですよね? ウチに会いに来てくれたんですよね? わかる、わかりますよ。だってそうでもなきゃ……」
右手を自分の胸元に当て、ギュリオージュはキラキラと瞳を輝かせた。
「この胸のドキドキは説明が付かねー」
「……………」
無言で狼の騎士が大剣の切っ先を地面から離し両手で構えた。
かかってこい、というように。
飛び出すギュリオージュ。
渾身の殺意で彼女は狼の騎士にぶつかっていく。
迎え撃つ騎士は無造作な上段からの大振りでそれを迎撃する。
両者の武器が激しく打ち合わされ、生じた衝撃波で周囲の廃屋が倒壊して崩れ落ちた。




