第74話 舞い降りた遺言
それは、突然雲間から姿を現した。
未だ偉大な先帝の喪に服している帝都の空に……。
帝都の民たちはある者は茫然と……またある者は叫びながらそれを見上げる。
中にはそれがなんなのかを理解するよりも早く気絶してしまう者もいた。
「そっ……空を飛ぶ鉄の船?」
「城が空に浮いてる……」
口々に人々が驚愕を表現している。
そのどれもが正解と言えよう。
それは言うなれば上部に城砦を背負った巨大な鉄の空を飛ぶ船であった。
帝城ガンドウェザリオスも今大混乱の最中であった。
役人や兵士たちが右往左往する中で宰相ゼムグラスが次々に届く報告に目を通している。
「対空術師、既に待機しております!!」
「まだだ。指示があるまでは動くなと伝えよ」
報告をしに来た官僚に言うゼムグラス。
今のところ空中要塞は空に現れただけで何か行動を起こしてはいない。
(おのれ何者だ! 帝国の空隙を突いたつもりか……)
時期皇帝を決めねばならない大事な時期を襲った災禍にゼムグラスは奥歯を噛み鳴らした。
「これは……」
レナード宰相が届いた大判の念写画像を見る。
下部の船体の横腹には巨大な帝国の紋章が記されている。
「帝国の紋章だろこれ。知ってたか? どっかでこっそり作ってたのか?」
「そんなはずはあるまい。空を飛ぶ船も城も聞いたこともない。そんな技術は帝国にはないぞ」
レナードに対し首を横に振るゼムグラス。
(考えられるのは他の大陸の技術か……)
信じられないほど高度な技術を扱うドワーフの王国がどこかにあるとゼムグラスは聞いたことはある。
だが今は出所云々を論じている場合ではない。
何しろもう要塞は帝都の空に出現しているのだ。
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機動要塞ザナドゥ、司令室。
広いフロアの壁を埋める無数の魔術式モニターの光が周囲を青白く照らし出している。
その中で何人かの黒い軍服姿の者たちが様々な作業に従事していた。
「仕掛けてこないな。お前の国、防衛意識が低すぎないか? まあ旧式の対空術ごときではこれの装甲一つ剥がすこともできないだろうが……」
そう言ったのは黒い軍服に身を包み軍帽を被ったエルフ女性だ。
丸い眼鏡を掛けて鋭い切れ長の目をした整った顔立ちの女。
長い銀髪をアップにまとめている。
氷の刃物のような雰囲気を持つ女だった。
名を……ヘイゼル・ミュンツァーという。
西の大陸の傭兵部隊の長である。
「……先代が生きてりゃ今頃とっくにここには七将の誰かが突っ込んできてますよ」
「ほう」
司令の椅子に座って足を組んでいるギュリオージュ。
彼女は肘置きに置いた手の拳に頬を乗せてモニターを見ている。
全て計算ずくだ。
権力の空白を突く。
誰か最終的に責任を取る者が不在の今、大胆に動ける者はいない。
ここはまだ七将は仕掛けてはこないだろう。
……まあ来たら来たで自分が相手をするつもりだが。
「ウチがどんだけ気ぃ使ってっと思ってやがんですか。攻撃されてたまりますかってーの。そのためにわざわざ目立つとこに帝国の紋章まで掲げてんですからねこっちは」
「自国の紋章があるというだけで所属不明の空中要塞が首都直上に現れても様子見か」
楽でいい事だ、と皮肉げに薄く笑うヘイゼル。
そのエルフをギュリオージュが半眼で睨む。
「オメーはそもそも戦争屋だからしょうがねーですけど今日は自重しやがれ。こっちは楽しい楽しいイベントの告知で来てんですからね」
ギュリオージュが目配せすると近くに控えていたアイザックがうなずく。
そして彼は自分の脇の鋼鉄製のレバーをぐいっと引いた。
「いつまでも呑気にぷかぷか浮いてるわけにもいかねー。ちゃっちゃかやる事やっちまうとしますよ」
機動要塞下部の船体の底、数か所が扉ほどのサイズの黒い口を開ける。
そして……そこから地上に何かがばらまかれた。
「な、なんだ……?」
「紙?」
人々が撒かれたそれを手に取る。
何かが記された賞状大の紙片のようだが……。
この紙が、これから帝都に大混乱を巻き起こすことをこの時知るものはまだ誰もいなかった。
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一夜が明け、帝城円卓の間。
七将と宰相が集合している。
本来ならば明日、次期皇帝を決める会議がこのメンバーで行われるはずだった。
しかし今はそれどころではなくなってしまった。
全員の前に1枚の紙が置かれている。
昨日あの空に浮かんだ城砦が帝都中にバラ撒いていったものだ。
箔押しがされた上質な紙だ。
ザリオン皇帝の署名があり印も押されている。
──その内容はこうだ。
『親愛なる帝都の住人たちよ。余は皇帝ザリオン・ヴェゼルザークである。この布告は余が死して後に発せられることになっている。お前たちがこれを目にした時、余は既にこの世にはおらぬであろう』
『余は憂いておる。それは跡継ぎの事だ。余の跡を誰が継ぎ皇帝になるか。それを余は案じておる。故に……その者の為にここに道標を残しておこうと思う』
『多くの者たちが知っている通り、余は若い頃に大陸南西部の白い砂漠を踏破し、その先にある神殿に聖剣を納めてきた。聖王国より伝わる無二の聖剣である。道のりは険しく、真なる「武」と「勇」を持たぬ者に踏破は叶うまい』
『志のある者よ。聖剣を持ち帰れ。聖剣の持ち主を余の後継者と認め、新たなる皇帝としよう。──繰り返す。心ある猛き者よ、聖剣を持ち帰れ。その所有者を次の帝として認めよう』
「……………………」
一同に先ほどから重たい沈黙が舞い降りている。
それを破ったのは宰相レナードであった。
「まさか、ホンモノって事は……」
「いや、あり得ん」
言下に否定したゼムグラス。
「ザリオン陛下は常々おっしゃっておられた。後継者選定には関与せぬとな。己の言を覆すような御方でも、まして我らの知らぬ所で密かにこのようなものを用意する御方でもない」
トン、と布告状の上に拳を置いたゼムグラス。
「既に城下では騒ぎになりつつありますぞ。デマであるのならそうであると告知を急ぎませんと」
「うむ。そうなのだが……」
アドルファス将軍の言葉に宰相は難しい顔をして視線を伏せた。
彼も今すぐにでも城からこの布告は偽りであると宣言を出し、事態を収拾したい。
……だがそれにはいくつかの問題がある。
「聖剣の下りは事実だ。それは帝国民であれば大半の者が知っておる」
「まあ初等部の教科書にも載ってるからな」
ゼムグラスの言葉にうなずくレナード。
確かにザリオンは若い頃、聖王国に伝わっていた聖剣を持って人類が近年未踏の難所「白い砂漠」に挑みこれを踏破し剣を収めてきた事があるのだ。
このエピソードは有名でありレナードが言うように教科書にも載っている。
「何より……布告が偽りであるのならそれを撒いたあの浮かぶ城がなんなのかを民に説明せねばならんのだ」
「……………………」
布告状をばらまいたあの空中の城。
浮かぶ城は昨日、帝城の周囲をゆっくりと時間をかけて布告状を撒きながらぐるりと一周し、そして東の空へ消えていった。
帝都のほとんどの者が目にした事だろう。
皇帝の布告状を撒いていったという事で今のところは帝国の関連施設だと思われているので問題視はされていないが……。
それがもし偽りだという事になれば帝国は首都上空に現れた怪しげな相手に皇帝を名乗る偽りの告知をされた上、悠々城の周りを一周させた挙句に何もせず見送ったことになる。
いや、実際には何もしていないわけではないのだ。
後を追いもした。
だが城は帝都上空を離れた後に捕捉不可能なほど上空へ上昇してしまった。
「我らの威信は失墜し人心は乱れよう」
ゼムグラスは頭を抱えている。
「……思うのだが」
ガイアード将軍が口を開き、全員が彼の方を見た。
「どちらにせよこれを目論んだ連中を捕捉できていない以上、今はこの布告については真偽はボヤかしておけばいい。態度を保留するのだ」
「いや、しかし将軍……」
言いかけるゼムグラスを片手を上げてガイアードが制した。
「まあ聞け。その上でだ。我らで聖剣を押さえてしまうのだ。そうすればこの件の主導権はこちらにある。その後の収集もつけやすかろう」
(ああ、なるほど……)
ゼムグラスは兄の発言の真意を察する。
要するに彼はこの出所不明の与太話に乗って一発逆転を目論んでいるわけだ。
聖剣の存在自体は事実だ。砂漠を踏破できるだけの実力があれば空振りする事はない。
民にも真実であるらしいという空気にしておけば、自身が聖剣を持ち帰った時に彼らにも後継者として強烈にアピールできる。
帝国民の間で新皇帝ガイアード万歳という空気が出来上がれば、そこから他の候補者は名乗りを上げ辛いし支持もし辛いだろう。
(しかしそんな話を他の七将が……)
乗ってくれるはずがない……そうゼムグラスは思って内心で嘆息する。
天魔七将ともあろう者がデマに乗って難所に出向こう等と。
そこに……拍手の音がした。
皆が一斉にそちらを見る。
手を叩いているのは……深紅の髪の彼女。
「流石、金剛将軍殿。素晴らしい御慧眼です。私も貴方の案を支持しましょう」
そう言って紅蓮将軍ファルメイアは拍手を続けながら微笑んだのだった。




