第73話 皇帝はどなた?
会議の後。
天魔七将ガイアード邸。
「うおおおおおッッ!!! 何故ッ!!? 何故だぁッッ!!?? 俺は勝っていた!! 勝っていたはずだろう!!? それが何故、こんな……」
激しく狼狽している金剛将軍。
彼はソファに腰を下ろして頭を掻きむしっている。
床には彼が吹き飛ばして割ったグラスの破片がまだそのままだ。
そんな父に掛ける言葉もなくルキアードは沈黙する。
「三日!? 三日でどうしろと言うんだゼム!! 三日であの道化とヴァジュラを取り込めるとでも!?」
「そうは言うが兄上、あの場ではあれが限界だった。あれ以上はどうにもならんよ」
場の空気はファルメイア将軍に流れつつあった。
それを一旦は食い止めただけでも褒めて欲しいものだ、と宰相は思う。
(そもそも、今考えてみれば、あの場でファルメイア将軍に決まってしまうのなら私はそれで構わなかったんだがな……)
兄のあまりの必死さに釣られて助け船を出してしまった。
……まあ、兄の気持ちもよくわかる。
会議の結果を踏まえて恐らく三日後にはレナードはファルメイア支持の立場を固めてくる事だろう。
この時間稼ぎは彼に冷静にそれを判断する猶予を与えてしまったとも言える。
昔からガイアードとは犬猿の仲のヴァーメリアは間違いなく夫をそう誘導する。
そうなれば紅蓮将軍は4票。
これ以上票を伸ばせる当てのない金剛将軍陣営は詰み……の気もするが。
「望みはある。私の見た所、紅蓮将軍は乗り気ではない。そこが鍵だろう」
「……………」
乱れた髪のガイアードが弟を見上げた。
「兄上、取り込むべきはギエンドゥアン将軍でもヴァジュラ将軍でもない。ファルメイア将軍に支持を訴えたらどうだ。彼女が兄上の支持を表明して継承の意思がない事を示せば彼女を支持した将軍たちも大人しくなるだろう」
「そ、そうか……紅蓮将軍をか」
ガイアードの瞳に幾ばくかの希望の光が戻ってくる。
「どうする……? 何か彼女にもメリットを……。七将の上に元帥位を創設してそのポストを……」
「ダメだ!! そんなものに釣られる相手じゃないぞ兄上!! 小細工は使うな!! 真正面から真摯に支持を訴えるのだ!!」
珍しく兄に向って声を荒げてゼムグラスが詰め寄った。
「わ、わ、わかった……」
弟の勢いに押されたガイアードがカクカク肯いている。
そして二人からは見えない角度でルキアードが密かに嘆息するのだった。
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制服に喪章を付けたレンが屋敷に帰ってきた。
放課後である。ファルケンリンクも今日から授業が再開されたのだ。
「お帰り、レン」
「ファルメイア様……?」
彼の帰りを待っていた主人の姿にレンは不思議そうな顔をした。
「当分お城の御予定だったのでは?」
「そうなんだけどね。ちょっと面倒くさい事になったんで一旦帰ってきたわ」
はあ、とため息をついてからファルメイアは彼に向って手招きをした。
黙ってレンはそれに従う。
私室に入るとファルメイアは飛び込んでくるようにレンに抱きついた。
レンもその彼女の背に優しく手を回す。
「どうしたんだ? イグニス」
「ん。あのね……」
彼の胸板に顔を埋めたまま彼女は言う。
「私が皇帝になれだって」
「!!」
驚いたレンの呼吸が一瞬止まる。
……皇帝。
この巨大な国の支配者。
それは即ちこの世界最大の大陸の支配者という事でもある。
それに……ファルメイアが……。
「な、なるのか……?」
「なるはずないでしょう」
やれやれ、と言った感じでファルメイアがレンから身体を離す。
「私はまだ二十歳にもなってないのよ。まだまだ青春真っ盛りなの。それを皇帝になんかなっちゃったりしたら残りの人生全部エンペラーライフになっちゃうじゃない」
何かの説明をする壇上の講師のように人差し指を立てて語るファルメイア。
「いつも言っているけど、私は七将にはまあまあやりがいを感じてはいるしこの国も好きだけど……何もかもを捧げる気なんてないの。適度なプライベートを維持できる立場だけは堅持させてもらうわ」
「じゃあ、断るんだな」
少しだけホッとするレン。
本当に彼女が皇帝になってしまったら遠い人になってしまうような気がして。
そこよ、と彼女は形の良い顎に右手を添えて何やらお悩み風。
「私くらいになるとね、『断り方』っていうのも重要になってくるの。ただ、単にイヤですやりませんっていうのはちょっとね……美しくないわ。私に期待してくれた人たちに対してもね」
何やら以前戦った水冥師団の薔薇を持つ男のような事を言い出した紅蓮将軍。
「私は私の『格』を保ったままでこの話を断らなきゃいけないの。それが難しいのよ。それを考えたいのに帝城にいたんじゃ逆にやれって説得しに来る人がいそうで、それで帰ってきたってワケ」
「うーん……残ってる意欲のある将軍はガイアード様だけなんだから、彼を支持するっていうのは?」
レンの提案にファルメイアは首を横に振る。
「最初はそれでいいと思っていたけど、話がこうなるとそれもダメ。逃げだと受け取る人がいるわ。そう思われたらムカつくもの」
中々に難しい。紅蓮将軍マインドは複雑だ。
「『帝位継承は断る』それでいて皆には『流石は紅蓮将軍様! 素晴らしい!』と言わせる。それを両立させなきゃいけないの、私は」
(流石にそれは無茶なのでは……)
声には出さずにそう思うレンであった。
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大陸北端。
そこは一年中雪と氷に覆われた極寒の世界。
吹雪いていない日は珍しいというこの世の地獄だ。
そこに巨大な要塞がある。
ダナン大要塞。
帝国の北部侵攻の為の拠点だ。
その大要塞の薄暗い石造りの廊下を一人の帝国士官が鎧を鳴らして歩いている。
分厚い毛皮の防寒着に身を包んだ男。
あまり覇気のない表情をしたこれといって特徴のない顔立ちの中年男だ。
名をアイザック・バロール。
この大要塞を統括する司令官である。
彼は今、心底寒そうに身を縮めて廊下を進む。
……途中、廊下に二人帝国兵が倒れていた。
二人とも凍死しているのだ。
だがアイザックは蹴らないように避けるだけで特別それを気に掛けた様子もない。
ここではそんな事は日常茶飯事だからである。
彼はやがてある部屋の前に到着し扉をノックする。
「姫様? 失礼します、姫様」
扉を開き中へ入るアイザック。
そんな彼を出迎えたものは薄暗い部屋の床に散らばった大量のくしゃくしゃの鼻紙だ。
「あぁ、すいません。まだ泣いてらしたんですね」
「……うっ、うっ……」
部屋の奥で椅子に座って……。
誰かが顔を覆って泣いている。
その誰かは新しい鼻紙を取るとビーッと鼻をかみ、鼻紙はポイッとその辺に投げ捨てた。
「はぁ……もう、泣くのも疲れた」
椅子に座る誰かは若い女性の声でそう言った。
「パパぁ……結局死に目に会えなかったじゃねーですか。……でもしょうがねーですよね、パパがウチをこんなとこに追いやるから」
涙声でボヤいた彼女は……。
気の強そうな美少女だった。ややツリ目の大きな瞳。下の瞼の目尻のあたりに外に向かってはねる小さな赤い隈取がある。
そしていくつか外に向かったハネのあるブロンドの長髪。
気品と危険な雰囲気を併せ持つ少女。
「姫様よろしいですか? 例のあれですけど、準備できたそうです」
「あっそ。ご苦労さん」
ひらりと軽い身のこなしで椅子から少女が立ち上がる。
「ンじゃー……帰るとしましょーかね。貰う国貰いにな」
「いいんスかねえ? こんな事して……」
手元の書類を見ながらアイザックは微妙な表情だ。
「いいに決まってんでしょーがよ。おめーみてーにビクビクおっかなびっくりやってたらまともな事だってなんか悪い事に見えるっつーの。堂々としてりゃ皆『あーそういうモンなのかな?』って思うんですよこういうのはな」
「そうなんスかねえ……」
釈然としない表情で力なく言うアイザック。
「ウチがどんだけ悩んで考えたと思ってんですか、この一大イベントを。国民みーんなで大盛り上がりで楽しめますようにってな。民を思う健気な美少女じゃねーの」
(楽しめるかぁ? これ……大混乱にはなるだろうけどさあ)
上機嫌な姫に今一つ同意できないアイザックだ。
「まあ楽しむだけ楽しんだら……」
少女はギラリと狂暴な光を目に宿して笑う。
「そん時はウチが玉座に座る。このギュリオージュ・ヴェゼルザークが皆さんの新しい皇帝になるってことですよ! アッハハハハハ!! 楽しみだな!!」
天を仰いでギュリオージュが哄笑する。
極寒の大要塞に彼女の高笑いとアイザックのくしゃみが響き渡るのだった。




