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紅蓮将軍、野良猫を拾う  作者: 八葉
第二章 帝国を継ぐ者
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第71話 落日

 政敵ギエンドゥアンの派閥の解散の報を自身の執務室で聞いた時、天魔七将ガイアードは喜ぶよりも先に酷く不可解そうな顔をした。


「……潰したのか? また紅蓮将軍が?」


 考え込みながら彼は乱暴にソファに腰を下ろした。

 そして腕組みをして首を捻っている。


「何故だ? 彼女は権力争いに不干渉の立場ではなかったのか……?」

「……………」


 そんな父の姿を副官ルキアードが黙って見ている。

 この銀の髪の青年は少し前にレンと世間話をした時のことを思い出していた。


 やはり紅蓮将軍は帝位を狙っているのか?

 ストレートに尋ねた自分に彼はそんな事はないと首を横に振った。


「ないと思うよ。この前も絶対嫌だって言ってたし」


 そういう所で本心を隠すような人物ではないのだと彼は言う。

 その気はないだろうというのはルキアードとしても同意見であった。

 もしそうならばやり方がおかしい。

 目障りな奴を全員叩き潰せばなれるというようなものではないのだ、皇帝とは。

 大体ファルメイアはまったく自分の信奉者(シンパ)を増やそうとはしていないではないか。

 本当に帝位継承を狙うのであれば敵を叩くより味方を増やすほうが重要なのに。

 狂戦士(バーサーカー)では誰も付いてこようとはしないだろう。


 実際問題としてここ一年ほどで帝都の権力争いの図を激変させている紅蓮将軍に対しては強烈なカリスマ性もあって強いファンを生み出す一方でアンチも生み出しつつある。

 特に潰れた派閥に属していた官僚や上級議員たちにとっては自分たちの将来設計を大幅に狂わされた相手であるため良くは思われていない。


「次は俺の派閥か? しかし俺は彼女に敵対的な行動は取っていないぞ……」


 金剛将軍は悩んでいるようだ。

 日増しに帝城で存在感を増し、しばしば大きな動きをする紅蓮将軍に対してどう接していくべきかを。


 ともあれ……。


 自分の与り知らぬ所で強力なライバルが二人とも降りてしまい、黒獅子ガイアードは現時点では唯一の有力な帝位継承候補者となったのだった。


 ──────────────────────────


 ある朝の事だった。

 その日は季節にしては朝から過ごしやすい陽気であった。


 皇帝ザリオンの朝の身支度を補佐する役割の侍女二名が彼の私室を訪れ……。


 そして、床に倒れているザリオンを発見した。


「すぐにお医者様を! 宰相様をお呼びして!!」


 侍女の内の一人が若干の焦りはありつつも的確な行動が取れたのは、やはりこの事態を想定する所があったからだろう。


 早朝から自分の屋敷に駆け込んできた侍従の姿にゼムグラスは特別驚かなかった。

 彼自身覚悟していた事ではあった。

 ここ数日、父の食は極端に細くなっていた。

 そう遠くない未来にこうなることはわかっていたのだ。

 手早く身支度を整え彼は城へと向かう。


 ……かなり身体が衰弱している。


 そう、父を診た医師の報告を受けてから彼は皇帝の私室に入った。


「陛下……」


「お前か。……朝からご苦労だな」


 寝かされている皇帝が寝台から声をかけてくる。

 彼の顔色は悪く呼吸には若干の乱れがあった。


 ザリオンの寝台は高級なものではあるが立場にしては簡素な作りだ。

 彼は豪華な寝所は好まなかった。


「今栄養剤を作らせております。それと優秀な術師の手配を……」


「よい」


 静かに首を横に振るザリオン。

 必要ない、と彼はわずかな身振りで示す。


「そのような事をして少々永らえても仕方があるまい」

「父上、そのような……」


 再度皇帝は首を横に振る。

 それは諦めからくるものでも自棄からくるものでもない。

 老いたる帝王は今静かに穏やかに己の運命を受け入れているのだった。


「……何よりも、この身体がもう休みたいと言っておる。この歳になるまで散々無理を強いてきた肉体(あいぼう)だ。そろそろ……楽にしてやってもよかろう」


「………………」


 それ以上もう何も言うことができず、ゼムグラスは黙って拳を握りしめた。

 わかっているのだ。

 彼自身。

 だが理屈でそうでも感情では割り切れない。


「皆には普段の通りにせよと伝えよ。押しかけてこさせるな。騒がしいのは余の好むところではない」

「はい……」


 父の言葉に俯いて声を震わせるゼムグラスであった。


 ──────────────────────────


 静かにその時を受け入れているのは皇帝だけではない。

 紅蓮将軍ファルメイアはこの日、自分の屋敷にいた。

 普段の通りに彼女は過ごしている。


「……よろしいのですか?」

「いいのよ」


 心配そうに尋ねるレンに対して、彼女は普段のように言う。

 レンは城に入っておかなくていいのかと問うているのだ。

 彼は自分の主人が皇帝をどれだけ慕っているかをよく知っている。


 皇帝ザリオンが倒れたとの報はファルメイアの下へも届いている。

 ……そして恐らく、そう長くはないであろうという事も。


「私が心配して側に来てるなんて聞いたら陛下のプライドが傷付いちゃうからね」


 そう言って彼女は寂しそうに苦笑するのだ。


 ……そんな彼女を午後になって城からの使いが訪ねる。


「皇帝陛下が閣下にご登城頂きたいとのことであります」

「……わかりました」


 手早く正装になり、ファルメイアは城へ向かう。

 なるべく平常心を、と心がけているようだがやはりその時の彼女は少し焦っているようにレンには見えた。


 ──────────────────────────


「失礼します。ファルメイア参上しました」


「入れ」


 中からのザリオンの声が聞こえて彼女は皇帝の私室に入った。

 声は普段の通りに聞こえる。

 間もなく旅立とうとしている者のそれとは思えないような。


「……!」


 入室し、中を見て……そして僅かに驚くファルメイア。


 ザリオンは卓に着いていた。

 いつも二人で向き合うあの卓に。

 装いもいつものものだ。魔狼の毛皮を羽織った彼の普段着だ。


「相手をせよ」


 卓上の盤を示してザリオンが言う。


「わかりました」


 ファルメイアがその彼の正面に座る。


 そして、いつものように二人の遊戯が始まる。

 しばらくはカツカツと駒を動かす音だけが静かな室内に続いた。

 盤面は一進一退……。

 これもまた普段のように互角の攻防だった。


「……最近はどうだ」


 やがて駒を動かしつつ、皇帝が訪ねる。


「んー……、そうですね。相変わらずかな。面倒の種は尽きませんね」


「そうか」


 そこで皇帝が止まった。

 難しい手が来た。顎を摩りながら彼が早指しを止める。


「……だが、問題はないのだろう」

「そうですね」


 自信ありげにさっと後ろ髪をかき流してファルメイアが笑った。


「紅蓮将軍なので」


 そしてまた何手か指しあって……。


「今だから言いますけど」

「ん?」


 口を開いたファルメイア。

 ザリオンが彼女を見る。


「陛下の事を本当のお爺ちゃんみたいに思っていました」

「……………」


 少しの間、皇帝の指し手が止まった。


「年寄り扱いするな。……生意気な小娘め」


 そして……彼は静かにそう言って……。

 穏やかに優しく笑った。


 一局の対戦を終えて、ファルメイアは挨拶をして皇帝の部屋を退出する。

 その時のやり取りもまったく二人の普段の通りのもので、それを見れば誰であろうとこの二人にはきっと今日と同じ明日があるのだろうと思ったことだろう。


 普段の通りにファルメイアを見送り……。

 そしてその後にザリオンは再び寝台に横たわり、間もなく昏睡に入った。


 そしてそのまま二度と目覚めることはなく、翌日の明け方前に静かに息を引き取った。


 一代で広大な大陸の大半を領土とする一大軍事大国を気付いた稀有なる英傑ザリオン・ヴェゼルザーク。


 帝国の太陽とも呼ばれた男の静かな落日であった。


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