第69話 乙女の意地
ファルメイアが……走る。シズクに向かって突進する。
水冥将軍は油断なくその動きを目で追っている。
これは本当は……離れた位置から放つ魔術だ。
しかしそれでは見て対応される。
だからあえて……至近で撃つ。
「……『尖錐地衝』ッッ!!!!」
「!!!」
境内の石畳が砕けて爆ぜる。
地面から大小さまざまな無数の鋭く尖った岩の棘が斜めに生えて一斉にシズクを狙った。
「あれまぁ……けったいな」
軽い調子で言うとシズクは頭上へ跳んだ。
(一つ目は読み通り。あいつは射出されないタイプの魔術は反射できない。そして……!!)
ファルメイアの狙いの通りに足元からの攻撃に対して相手は上へ逃れた。
流石に空はシズクのフィールドではないだろう。そこを狙う。
「畳みかける!! 『斬叫嵐』!!!!」
発生した巨大な竜巻が空中のシズクを捉え、飲み込んだ。
暴風の中で身動きの取れないシズクを無数の真空の刃が刻んでいく。
初めてまともな傷を負う水冥将軍。
暴風の中に赤い血が散る。
(流血……よし、通った!!)
「うふっ」
だが、ファルメイアは竜巻の中のシズクがその時笑ったのがわかった。
「流石どすなぁ、紅蓮はん……」
彼女の瞳が冷たく光る。
「けど、あてがおっかないのはここからどすえ」
そしてそのセリフと共に彼女の身体が飛散した。
「ッ!!??」
透明の水となって強風に吹き散らされてシズクは周囲にバラバラと雨のように降り注いだ。
そして落ちた先で地面の染みとなったのだが……。
(増える……!!)
戦慄するファルメイア。
液化して散ったシズクはその後に再集結すると思っていた彼女の予測を裏切りその場でそれぞれ増水を開始したのだ。
無数の水たまりが出来、それはやがて池となり……。
池同士が結合を開始し更なる巨大な水源となり際限なく周囲を沈めていく。
「水攻め!? なんなのよコイツ!!!」
悪態をついてファルメイアは跳び、飛翔して廃寺の屋根に降り立った。
ヒビが入り半ば朽ちた瓦を踏み砕きながらその場に立つ紅蓮将軍。
その頃には周囲は完全に水没し陸地はこの屋根のみとなっていた。
大海原の小さな孤島に立つ遭難者のように彼女はそこに独り。
(このバカみたいな水量。自分の結界内だからってやりすぎでしょうが! あいつどこよ……どこに潜んでる?)
水だけの世界になってしまった周囲を見回すファルメイア。
水中に潜んでいるのか……未だ身体を液体にしたままなのか。
流石にこの周囲の水全てが彼女だとは思えないが……。
その時、ザバッ!!!と派手な水飛沫を上げて水面に何かが持ち上がった。
それは激しくうねる長い水流。
鞭か……蛇か。水で出来たそれは唸りを上げてファルメイアに襲い掛かる。
ザバンッッ!!!!
横にずれて回避するファルメイア。
水の鞭は屋根を両断して再び水中に消えた。
かなりの威力……まともに食らえばかなりの傷を負うだろう。
そして再び周囲に水の鞭が持ち上がった。
その数……無数!!
「ちょっ……」
顔色を変えるファルメイア。
この数は回避できない。
一斉に水の鞭が彼女に襲い掛かってくる。
交わしきれずにそれを受ける。
……滅多打ちだ。
こちらは相手の位置もわからないのに。
「くっ……!!!」
魔力障壁を張って耐える。
障壁は破られはしないのだが衝撃は伝わる。
内臓に響き骨が軋む。
紅い髪の将軍は苦痛に表情を歪ませた。
魔力容量には自信がある。
この状態でもまだまだ耐えることはできる……が。
消耗する前に何とか状況を打破したい。
そのためには……。
(はぁ、しょうがない。やるか……)
わざと……一部の障壁を消してファルメイアは水の鞭をその背に受けた。
「ッ!!!! ぐっ……!!!!」
血飛沫を上げ前に吹き飛ばされうつ伏せに倒れるファルメイア。
完全に食らったわけではない。一呼吸遅れて障壁は展開している。
その為骨や神経や重要器官には攻撃は届いていない。
だが背中を大きく裂かれてそこから出血しながら倒れている彼女は瀕死の状態に見えた。
(ああもう!! ほんと腹立つ!! この私が!! 絶世の!! 天才美少女の!! この私に……死んだフリまでさせて!! あいつは!! 絶対!! ……ブッコロス!!!)
ここでシズクが更に水の鞭で追い打ちをかけてくるような事があれば全てはパー。
仕切り直しだ。
しかしファルメイアには確信があった。
(あいつはそうはしない……)
息を潜め、動かずに……彼女はそれを待つ。
(あいつは必ず面白がって本体を晒して私が本当に死んだのかを確認に来る……!!)
からん、ころん……。
軽快な……下駄の音がする。
「う~ん? 呆気なさすぎやおへん? ほんまに死にはったん? あて信じられんわぁ」
笑いの混じった声が聞こえる。
シズクは知っている。
ファルメイアが生きていることを。
瀕死なのは演技だということを。
……そして自分を誘って奇襲を仕掛けるつもりであるということを。
全て、全て知っている。
そしてその上で誘いに乗る。
仕掛けられた奇襲を受けて立って叩き潰すために、あえて。
からん……。
顔の真横で下駄の音がした。
「……来ましたえ?」
シズクの声が聞こえる。
彼女の声はもう……笑っていない。
後数秒で、全てが終わる。
絶対零度の秒針が進む。
針は……頂へ。
決戦の刻だ。
跳ね起きるファルメイア。その右手には既に抜剣を終えている刃。
迎え撃つシズク。紅蓮将軍の挙動は全て想定の内……迎撃のプランは既に構築済み。
この距離が必殺の間合いなのは自分も同じ。
シズクは既に吸気を終えている。
『冥妖瑞雲』……生き物の骨以外の全てを溶かす死の雲が来る。
それをファルメイアも知っている。
瑞雲が来ることはわかっている。
……そして、それを自分がかわせないことも。
かわせないから……。
左手で打ち払うようにシズクの顔面を殴り飛ばした。
「ッッ!!!??」
瑞雲を吹きながらシズクは強制的に左を向かされる。
だがその代償として……ファルメイアの左手は瑞雲をまともに浴びた。
溶ける。
紅蓮将軍の左手が溶け落ちる。
肘から先が崩れて溶けてなくなっていき、骨だけが残される。
一瞬遅れてやってくる凄まじい激痛。
「あああああああぁぁぁぁッッッ!!!!」
想像を絶する苦痛に叫んだ紅蓮将軍。
身体を溶かされるというのはこれほどの激痛と絶望感なのか。
覚悟では相殺しきれなかった痛みが彼女の呻きとなって喉から漏れ出た。
だが、叫びながらも彼女は行動を中断させない。
長剣を握る右手に力を籠める。
だがシズクもまた行動を止めてはいなかった。
殴り飛ばされながらも彼女は畳んだ傘でファルメイアの右手を打つ。
弾き飛ばされた長剣が宙を舞う。
……これで彼女は素手になった。
「だから何よ」
「……!!!」
右手で……空になった右手でシズクの側頭部を鷲掴みにする。
親指が……水冥将軍の左目に突き刺さった。
「ぃ……がっ……!!!???」
初めてシズクの口から本気の苦痛の声が漏れた。
そのまま。
左目に親指を突っ込んで側頭部を鷲掴みにしたまま。
屋根の上に彼女を押し倒した。
そうだ。
初めから奥の手は……。
この『覚悟』だけだった。
「終わりよシズク……私の勝ち。もう眠りなさい」
「!!」
……一瞬。その一瞬。
『俺の勝ちだな』
目の前の彼女にあの日の彼が……重なって見えた。
「ファぁぁぁル……メイアぁぁぁ……ッッ!!!」
叫んだシズク。
笑っているようにも、怒っているようにも……その顔はどちらにも見えた。
この距離、この体勢なら彼女はもうこれをかわせない。
自分も被弾することになるが、それも大した問題ではない。
……これで終わりだ。
紅蓮将軍が最後の魔術を行使する。
「『尖錐地衝』ッッ!!!!」
瓦を粉々に吹き飛ばして屋根から無数の尖った岩の棘が生えてシズクの身体を刺し貫いた。
ファルメイアにも棘は刺さるが彼女が上だ。
下に押し付けているシズクほどのダメージはない。
深手ではあるが……致命傷はない。なら、それでいい。
無数の棘に背後から身体を串刺しにされ、ごほっ、と……水冥将軍が血の塊を吐いた。
「無茶苦茶……しはるわぁ……」
細く掠れた声が喉から漏れる。
「あんたは乙女の意地を甘く見すぎよ」
シズクと同じく血を吐きながら言うファルメイア。
彼女の身体にも無数の棘が刺さっている。
だが上になっていた分傷は浅い。
言ってから彼女は「ん?」と斜め上を見る。
「そういえば私もう乙女じゃないか」
ハッと鼻で息をして軽く肩をすくめたファルメイア。
「……ま、いいわ。乙女であろうがなかろうがなんでも……美少女ですからね」




