第65話 騒がしい男、不器用な男
夜が明けた。
……紅蓮将軍たちは来なかった。
「うふふ、流石に冷静どすなぁ。夜を避けたのは流石どす。けどま、意味はありまへんえ」
自宅の庭園を臨む縁側に腰を下ろしているシズク。
これから戦いになるとは思えないほどのんびりしている彼女。
そしてその目の前には……。
「いやぁ、あのですなぁ。意味がわかんねえんですけど」
二人の男がいた。
その内の一人は大きめの庭石にどっかり腰を下ろしている。
ボロボロの山伏のような僧衣を来て下駄を履いた大男だ。
背丈は皇帝ほどもあるか……2m近く。
首から下げているのは大きな数珠。珠一つが子供の拳ほどもある。
栗色の髪の毛をぼさぼさに伸ばしていて顎のラインを短い髭で覆った厳つい男であった。
水冥師団右大将(副長格)ヒョウスイだ。
「なんで戦わなきゃいけねぇんです? 身内でしょ? しかも紅蓮師団つったら……今一番勢いのあるやべーとこでしょうに。イヤですよ俺は。やらねえです絶対」
言葉の通りの心底嫌そうな表情で拒否の姿勢を明確にするヒョウスイ。
「おう、お前もなんか言いなさいよ。このままじゃ本当に俺ら紅蓮師団にぶつけられますよ。ウワサの美少女ファルメイア様に」
ヒョウスイに声を掛けられたもう一人の男。
彼は身長180ほどの微かに青みがかった銀の長髪の男だ。
切れ長の瞳の美形。見たところ二十代くらいに見える。
黒いマントを羽織っていて貴族のような瀟洒な正装をしており、何故だか手には一輪の薔薇を持っている。
水冥師団左大将(副長格)リヒャルト・ローゼンベルク。
「『美』か……。美しきものには興味がある。噂の紅蓮将軍……一度直に見ておくのもやぶさかではない」
「本当にお前は何言ってっかわっかんねえですね」
水冥将軍シズクの率いる水冥師団は他の六つの師団とはかなり異なる形態の特殊な師団である。
まず人数が少ない。最大の規模を誇るガイアード将軍の金剛師団に比べれば四分の一ほどの人数しかいない。
そして副長はおらず副長格の二人が部隊を二分して統括している。
「やりなくないなら好きにしたらええどす~」
シズクもそんな二人の態度に平然としている。
「ただ、あてがやられて師団が潰れてしもたらどないなるか。身の振り方考えておいた方がえんやおへん?」
「…………………」
師団長の言葉にヒョウスイは渋い顔になる。
(そうなったら他の師団に……いやダメだな。ここ程普段好き放題してられる師団なんかねえだろうし……)
はぁ~、と大きなため息を付いてヒョウスイは頭を掻いた。
「仕方ねえ。やるしかねーですかぁ」
「闇に生きる者たちにも塒は必要……か」
口元に薔薇を寄せ目を閉じたリヒャルトが静かに言った。
「お前らはええわい! お前らは!! 何でワシまで呼び出すんだ!! 勝手にやれ!! お前らで!!」
そんな三者に上空から唾を飛ばして怒鳴る者……。
浮かぶ椅子に座っている天魔七将ギエンドゥアン。
「そないな事言うてぇ。あてがやられたらあんたはんの派閥、あんたはん以外の七将いなくなりますえ?」
「ぐぬぬぬぬぬ……しかしだなぁ……」
納得がいかない様子のギエンドゥアン。
彼はギリギリと歯を鳴らして地上2mくらいの位置を椅子をゆらゆらぐるぐるさせている。
「まああんたはんに声を掛けたんは保険どすえ。何もなければのんびり見物しててよろしおす」
袖で口元を隠してニヤリと笑うシズクであった。
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寂れた裏路地を三人が歩いていく。
若者ばかりの少人数の集団。
いずれもきちんとした身なりの者。先頭の女性は鮮やかな赤い鎧を着ている。
路地に座り込んでいる者やあばら家の窓から物珍し気にそれを見物している者。
ファルメイアを先頭にして後ろにレンとヒビキが……そして最後尾にはミハイル。
「こんな所に住んでるんスねぇ、シズク様って」
周囲を見回して言うチハヤ。
ファルメイアの屋敷のあるような超高級住宅街とは比べ物にならないほど寂れた区域だ。
スラム街一歩手前というか……帝都の外れの一番治安の悪い区域である。
「どんな悪党だろうと怪物だろうとこの先の家には寄り付かないわよ。もっとやばい奴が住んでるんだからね」
皮肉げに笑うファルメイアである。
「何なんデスかぁ? 朝っぱらから叩き起こされて来てみりゃ水冥とケンカしろだとかボクちゃん意味わからないんですけどもぉ? 怒られますって馬鹿なことしねーで帰りましょうよ~」
ぼやくミハイル。
彼の言い分はもっともであって、そもそも彼は今回の諍いの内容をまったく聞かされていない。
「何ふざけた事言ってんのよ。師団長が行けって行ったら死地だろうが芋掘りだろうが行くのが副長の役割でしょ。腹括りなさいよね」
「イヤ行きませんて死地に送るなら理由くらい説明しなさいよアンタ。つか芋掘りの方行かせてくれ」
がっくりと肩を落としてトボトボと付いてくるミハイル。
レンは一人無言だった。
黙っていれば震えが出そうで、彼は気力でそれを抑えている。
何度か接触して、一度は身体も重ねて……だからこそ何となく感じ取れるのだ。
水冥将軍シズクの恐ろしい強さを、漠然と。
彼女は……海だ。暗い暗い夜の海。
何かが現れそうで恐ろしいし、またどこまでも続いているようで恐ろしい。
……そして一行は間もなくシズクの屋敷が見える場所までやってきた。
「……待て」
その時、横合いから一行に声が掛けられた。
静かな低い声。
ファルメイアが足を止め、後ろの者たちもそれに倣う。
一行に近付いてくる者がいる。
サンダルのような履物に白い布を巻きつけたような簡素な装束。
銀色の髪に褐色の肌の身体の一部を異形化させた男。
……雷神将軍。
ヴァジュラがそこにいた。
「何で貴方がここにいるの」
現れたヴァジュラにファルメイアが問う。
やや警戒するような声の調子で。
「こんなものが届けられれば誰だろうと様子を見にくるだろう」
懐から取り出した手紙を見せるヴァジュラ。
それは今朝方彼の屋敷に届けられたものでファルメイアが出した。
『水冥将軍とケンカするのでレンを連れていく。今日はシエンは休ませるか保護者は他の者に頼んで欲しい』というような内容である。
「本気なのか?」
「止めないでよね、雷神。私たちは……」
ファルメイアは言いかけるがヴァジュラは首を横に振ってそれを制した。
「そのつもりはない。何があったのかも聞くつもりはない」
あくまで静かな調子で彼はそう言って目を閉じる。
「お前たちに手を貸す」
「!!」
驚いたレンとヒビキの二人が目を丸くした。
紅蓮将軍は半眼で目の前の雷神将軍を見る。
「本気なのかは私のセリフよ。七将同士やり合うって言ってるの。……謹慎じゃ済まないわよきっと」
「恩には報いる」
不器用な男が短く言う。
七将同士の争いに介入すると……理由も聞かずに。
全てを失う事になるかもしれないのにだ。
レンはふと涙ぐみそうになって慌ててそれを堪えた。
彼は……シエンを自分が引き受けた事を恩だと言っているのだ。
「ふ~ん。……ありがと。遠慮なく手を借りるわ。シズクも一人で待ってるとは思えないからね」
微笑んで言うファルメイアに無言でヴァジュラがうなずいた。
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シズク邸、その庭。
普段は錦鯉を泳がせている庭の池。
その池の水面が今モニターとなってファルメイアたちの姿を映し出している。
「あああぁ!! 見ろ!! ほらァ!! ヴァジュラまで来とるぞ!!!」
「がなりたてんでも見とりますえ」
興奮気味のギエンドゥアンに対して涼しい顔のシズク。
それにしても……。シズクは考える。
「流石やねえ紅蓮はん」
こういう事態はあり得るとは思っていた。
来るのがヴァジュラとまでは考えていなかったが……。
「やはし保険は掛けとくもんどすなぁ。ほな雷神はんはお任せしますえ」
「はァ!? なんじゃあ!!? ワシにやれって言うのか!! ヴァジュラと!!?」
目を剥いているギエンドゥアンにシズクが当然でしょうと言わんばかりにうなずいた。
「あいつどれだけ強いかわかっとるんか!!?」
「仕方あらへん。あては紅蓮はんの相手せなあかんし。あてらの内で他にあの人の相手できるのあんたはんしかおらへんのんえ」
フフッとシズクが妖しく笑う。
「……考えてもみとみやし。紅蓮はんと雷神はん、二人とも叩いて凹ませて言う事聞かせたらあてらの派閥はもう盤石どすえ?」
「む……」
空中でぴたりとギエンドゥアンの椅子の動きが止まった。
「なるほどな。そういう考え方もあるか。仕方がないやってやろう! がははは」
そして先ほどまでとは正反対の上機嫌で笑っている。
「ほな、開宴といきまひょか」
畳んだ黒傘で天を指すシズク。
立ち昇る青黒い不気味な気が空へと届き明け方の青空を溶かすように穴を開けた。
その穴の向こうに……もう一つの空がある。
真っ赤な空。
夕暮れの空。
その赤が現実世界を侵食し覆い尽くしていく。
「『天幻宵待絵巻』……あての世界へご案内どすえ」




