第64話 今からオマエを殴りに行くから
抱き寄せたファルメイアは困惑した様子ではあるが抵抗しようとはしない。
「ちょっと、何よ……。するの? いいけど、あんたももうちょっとムードってものをね……」
やれやれ、と嘆息しつつ苦言を言いかける彼女の口を唇で塞ぐレン。
やはりファルメイアは抵抗する様子はなかったが……。
「……!?」
何かに気付いた紅蓮将軍。
彼女の目は瞬時に三角につり上がった。
「……ぷハッ! こンの……どたわけーッッッ!!!!」
「あボッッ!!!????」
唇を離しレンを引き剥がすとファルメイアは渾身の右拳を彼の顔に叩き込んだ。
レンの顔面が大きく右に流れて口から鮮血と折れた奥歯が飛んだ。
「なんであんたからシル姉の匂いがしてんのよ!!?? そんな匂いさして私を抱こうとかどういうつもり!!?? 殴るわよ!!!」
「!!? ……!!!???」
床に座り込んだレンは彼女に殴られた左の頬を押さえて呆然としている。
もう殴ってます、というツッコミすら思い浮かばない。
「い、イグニス……」
正気に戻ったレンが泣きそうな顔で彼女を見上げた。
仁王立ちしてレンを見下ろす紅蓮将軍。
「あんたこの前から様子がおかしかったわよね。……全部話しなさい。何があったのか」
冷え切った乾いた声で彼女はそう言った。
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……数時間後。
レンは応接用のソファに座っている。
ファルメイアに殴られた頬が大きく腫れてきたのでそこに氷嚢を当てながら。
「あ、あの~……」
恐る恐るといった風に声を上げるモニカ。
今彼女とシルヴィアは床に並んで正座させられており、二人の頭にはバカでかいたんこぶがある。
「今の話を聞く限り、私らも被害者な気がするんですけど……」
「黙りなさい。あんたたちは状況を利用して楽しんだんだから有罪」
二人をギロリと睨んだファルメイア。
レンは包み隠さず全てを話した。
結果として……。
南雲家の親娘三人も今、頭にバカでかいたんこぶを作って並んで正座させられている。
呼び出されていきなり殴られて正座させられたわけだ。
「私は本当に何も知らなかったのだが……」
「黙りなさい。あんたんとこの嫁と娘からスタートしてんのよこの話。知りませんでしたで済まされるわけないでしょ」
呻くように言うジンシチロウをやはりジロリとファルメイアが睨んだ。
「ヒビキ、貴女が時と場所を考えずに飲ませるから……」
「イヤ母上様、アタシにはもう時と場所を選んでる余裕はなくって……」
囁き合っているヤヨイとヒビキ。
「ほんと反省がないわねこの母娘!!」
怒っているファルメイアに反論できないと思ったのかジンシチロウが項垂れた。
「それで……レンだけど」
「はい……」
捨てられた子犬のような目でファルメイアを見ているレン。
紅蓮将軍は少しの間何事かを考えている様子だったが……。
「ちょっとあれ貸しなさい。陛下からもらったやつ」
「え? は、はい」
それならば肌身離さず身に付けている。腰の後ろの小刀を外して彼女に手渡すレン。
「手出して。ちょっと我慢しなさいよ」
そう言うとファルメイアは差し出されたレンの手を取り小刀を革のケースから抜いた。
そしてそれを使って彼の掌を浅く斬る。
「っ」
掌に赤いラインが引かれ、そこに血の玉が浮いた。
すると……。
その傷口からボワッと青黒い蒸気か煙のようなものが噴き出した。
正しくは傷口から直に出たわけではなくそのやや上からなのだが……。
ともかく、その禍々しい気体はゆらゆらとレンの手から立ち昇り天井に向かって溶けるように消えていった。
「気分はどう?」
「はい。何だか……頭がすっきりしたような」
不思議そうにしているレン。
(やっぱりね……)
その様子を見るファルメイアの脳内に蘇ってくる記憶があった。
それは以前、皇帝に食事に呼ばれた時の事だ。
雑談の話題は『人ならざるもの』の事に付いてだった。
この大陸にも人ではないが大きな力を持つ者が複数存在している。
『そういえば、随分昔の話になるが大陸の東の果ての山の中に「魔」が出るという話があってな。悪さをして付近の民に害を為すというのだ』
ザリオンはそう語り出した。
「面白そうだったので見物に行ってな。そのまま流れで退治して従えることになったのだが……いや手こずった。厄介な相手であったわ」
そう言って皇帝は苦笑した。
彼の過去の武勇譚については何度か聞いた事があったが、苦戦したと聞いたのはこの時だけだ。
「じゃあ、今も帝国軍にはそいつがいるって事ですか?」
「さあ、どうであろうな」
尋ねる自分に彼は穏やかに笑ってそうはぐらかしたのだが……。
(ずっと思ってたのよね。それってシズクの事じゃないかって)
だからファルメイアはザリオンの持ち物でレンに傷を付けたのだ。
思ったとおり呪術は効力を失った。
これはシズクの中でザリオンとの主従の約束がまだ活きている事の証であった。
「あんにゃろー……今回は過去一ブチ切れたわよ。見てなさい」
早足で書斎机に置かれた台座の上の水晶球に向かうファルメイア。
激昂するでもなく静かに怒っている彼女に、その怒りの深さを知るレンは震え上がるのだった。
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同時刻、自宅にいたシズクは自らの血を用いた呪術が破られた事を感じ取っていた。
「え? もう祓われてしもたん? 早すぎどすえ」
虚空に向かって驚いたシズク。
少しの間硬直していた彼女はやがて大きなため息を付いて肩を落とした。
「なんやのん……こないに早くに祓われてもうたらお兄さんは立派な鬼さんになれんかったんどすなぁ」
シズクはいじいじと人差し指の先端同士合わせてこねくる。
「ああもう、悪だくみは中々思うようにはいかんもんどすなぁ……お兄さん」
そんな彼女の視界の片隅にあった木彫りの猫が抱えた水晶球がパッパッと点滅した。
『私よ。シズク、いるんでしょ?』
水晶球から聞こえてきたファルメイアの声にシズクはおや?という表情になった。
『やってくれたわね。今から行くからそこ動くんじゃないわよ』
「……………………」
驚いた顔からシズクの口元が徐々に笑みに変わっていく。
『私と戦争がしたいのよね? お望みどおりにしてやろうじゃない。首を洗って待ってなさいよ』
「……ふふふ」
口元に袖を当てて笑い、ゆらりとシズクが立ち上がった。
「ええなぁ。ほんまにあんたはんはあて好みのお人どすわぁ」
上機嫌で居間を出て行くシズク。
宴は終わりかと思ったがまだまだこれからだった。
ならば、極上のおもてなしをしなくては……。
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「……よし」
水晶球の魔力通信を切ったファルメイアが皆を振り返る。
彼女以外のその場の全員が姿勢を正した。
「それじゃ食事にするわよ。折角だし貴方たちも食べていきなさい」
「今から行くと言ったのでは?」
呆気に取られるジンシチロウにファルメイアはニヤリと笑った。
「そんなの馬鹿正直に行くわけないでしょ。これから食事にして、お風呂にも入ってぐっすり眠って……それで起きたら行くわ」
それも作戦ではある。
だがそれ以上にもう一つの本音としては……。
(なんとなく……夜はあいつ強くなりそうな気がするのよね)
口には出さずにそう思うファルメイアである。
今夜は十分に英気を養い明日に備える。
……夜が明けたら。
その時は戦いになる。
紅蓮将軍 VS 水冥将軍
模擬戦や余興として勝負する事は多々あれど……。
これは前例のない事。
表沙汰になれば国を揺るがしかねない大事件。
建国から四十数年……帝国史上初の天魔七将同士の激突であった。




