第61話 零式
大気を穿ち拳が迫る。
空中で交差した二拳。
片一方はそれを逸らせて交わしもう一方は……。
対峙する男の胸の中央で寸止めされていた。
「……とうとう、俺から一本取るようになっちまったかぁ」
感慨深げなメルギス。
かつては帝国軍から逃亡しソロンと名乗っていたレンの師である。
「まぐれですよ」
互いに礼を交わしてからレンが言う。
実際まだ師弟の実力の差は大きい。
「いやいや、俺は嬉しいんだよ。若者の成長をこんなに嬉しいと感じる日が来るとはなぁ。俺もすっかりオッサンになっちまったってわけだ」
はは、と明るく師は笑っている。
レンはふと彼が帝国軍に復帰した直後の事を思い出す。
……………。
「お前には俺の『零式』を伝授してやろう」
「ゼロシキ……ですか」
不思議そうなレン。
師について何年も格闘を学んだ彼であるがその名を聞くのは初めてだ。
異国の格闘術であるらしい。
「まず基本は『気』だ。零式はオーラを巧みに操る戦闘法でな」
オーラとは誰でも基本的に持っている生命エネルギーの発露とも言えるものだ。
魔力に似ているが魔力とは異なり主に物理的な現象に作用する。
「帝国式のオーラの扱い方ってのは、とにかく『でっかく分厚く』だ。まーこれも正解ではある。オーラは武器であり鎧だ。でかくて厚きゃ攻防どちらでも強くなるしな」
オーラは肉体を強化し、それそのものも物理的な障壁としての役割を果たす。
攻めればダメージを上げ、守ればダメージを減らす。
「ところが俺たちはそれを逆に極限まで薄く纏う」
「えっ? それでは意味がないのでは」
不思議そうなレンにふふんと意味ありげに笑ったメルギス。
「まあそう思うだろうな。百聞はなんとやらってやつだ。まずはこれを俺に向かって投げてみな。本気でな」
そう言うと師はレンに石礫を手渡した。
レンの投擲術は戦闘法の一つとして学んだ本格的なものだ。当たり所が良ければ中型の獣を一発で絶命させる事もできる。
師がそう言うからには何か意味があるのだろう。
彼を信じてレンは気迫を込めて本気で石礫を彼に向けて投擲した。
メルギスはそれを……かわさない。腰に手を当て自然体で立っている。
「!!!」
そして石礫は彼に命中したと思ったその時、彼の身体の表面を滑るように移動し脇へ逸れていった。
「ふふーん、どうだ? 俺が何をやったのかわかったか?」
自慢げなメルギス。
レンは少し考えて一つの仮説に行き当たった。
「オーラを……動かしている?」
「ビンゴだ! いいぞレン!」
彼を指さし笑ったメルギス。
「そうだ。今俺は自分の身体を覆うオーラを螺旋状に高速で流動させている。これはオーラを薄く保つからこそできる事だ。そして、その高速流動するオーラに攻撃を当てて滑らせて逸らしたわけだ」
右の拳を持ち上げたメルギス。
「守ればそうやって相手の攻撃を無傷でやり過ごし、攻めれば……」
持ち上げた拳でその場の大きめの岩を無造作に殴る師。
岩は粉砕され無数の破片となって周囲に散った。
高速で流動させているオーラで殴り、標的を削り壊したのだ。
「御覧の通りの破壊力だ」
「すごいですね……」
レンは唖然としている。
「無論いい事尽くめじゃない。弱点も色々ある。まずは相手の攻撃を『面』で受けなきゃいけないって事だ。剣の切っ先みたいな小さな『点』の攻撃は受け流せねえ。その場合薄いオーラで直撃を食らう事になる。大ダメージだ」
自分の左の二の腕を右手の人差し指でトントンと突くメルギス。
「達人になりゃ刃物の突きでも流しちまうって話もあるがな。そこまでは俺も無理だ。修行が足らん」
「攻撃を面で……」
レンが自分の手を見る。
まずはオーラを動かしてみる練習から始めなくては……。
……………。
そして現在。
「俺はもう今の位置で十分すぎると満足してるがな。お前はいつか零式で大きな仕事をしてくれよ。そうすりゃ俺も酒が美味く飲めるってもんだぜ」
タオルで汗を拭きつつ豪快に笑うメルギスであった。
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学園での昼休み。
食堂でレンたちが昼食を取っている。
「よかったなあ。すっかり元気になってよ。おう、コロッケ食えコロッケ。病み上がりは食って体力つけねえとな」
「ありがとうございます!」
ライオネットが皿に移したコロッケをシエンが頬張っている。
学園に復帰してからシエンはレンの提案で昼休みはレンたちのグループに合流するようになっていた。
上級生ばかりのところにあまり混ぜるのも……と躊躇いもあったレンだが、シエンによれば彼は元々クラスで少し浮いた存在なので問題はないらしい。
それは元々が七将の子であるという事とヴェータ人である事で周囲から彼が距離を置かれていた事に加え、体質の問題によってシエンが周囲と積極的な交流が持てずにいた事によるものだ。
それも不憫なので何とかしてやれはしないかと思うレンであったが……。
人種に対する偏見の問題と彼の奇妙な体質の問題、いずれもレンの手には余る話であった。
ううむ、と唸りながらきつねうどんのお揚げを食べるレン。
(むぅ……レンの奴、人の気も知らないで暢気にお揚げ食いやがって)
そんな彼を複雑な表情で見つめている正面に座っているヒビキ。
(こっちはもう怪しげな薬に頼るほど追い詰められてるっていうのに! 今度こそ決めてやる……この秘伝のネオ蛇血丸EX[母命名]で!!)
手の中に忍ばせた赤黒い丸薬が入った小さな筒。
その感触を確かめヒビキが鋭く目を光らせる。
……ちなみにこの場でそれ飲ましてその後どうするのだという所まで彼女の考えは及んでいない。
(だってぇのに……!!)
チラリと視線を横にずらすヒビキ。
レンの隣に座るサムトーと目が合う。
「…………………」
(なんか……ナグモは油断すっとレンのメシの中におかしなもん入れそうな気がするんだよな……)
両者の視線が空中で鋭く交差する。
ヒビキが密かに奥歯を噛む。
(なんでコイツはアタシをこんなに警戒してやがんだ! サム公、コノヤロウ!! あっち向いとけよ!!)
「……?」
何故か視線で小さな火花を散らし合っている二人に不思議そうな顔をするレンであった。
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放課後、校門で迎えに来たマーニーにシエンのお供を引き継いで彼のその日の役割は終わりだ。
彼も迎えに来た馬車に乗る。
今日は帝城へ入る日であった。
ファルメイアの謹慎も解けているのだが彼女はまだ何だかんだと理由を付けて登城してきていない。
……ぶっちゃけサボりだ。
しばらく自宅で過ごしていたら城に行くのが面倒になったようだ。
「読み始めると止まらなくてね。……今日もお城はいいわ。あんたが私の分まではりきってお仕事してきなさいよね」
読みかけの小説を積み上げて目の下に隈を作っている彼女に朝方そう言われた。
レンはそこまでは知らないが、優秀な彼女は自分がいなくても問題なく仕事が回るように手配はしているのだ。
……だからサボってもいいとはならないのだが。
すっかり顔なじみになった衛兵に挨拶して城の廊下を歩くレン。
ファルメイアの代わりに彼ができるような仕事は今のところ何もない。
いずれは役に立つ男に成長したいが、今はまだまだ土台作りの時だ。
「ふふ、お兄さ~ん。こっちどすえ」
「ッ!!??」
急に呼ばれて彼がビクンと飛び上がる。
忘れもしない声だ。一か月前に一度聞いたきりの声だが強烈な記憶となってそれは彼の中に焼き付いている。
見れば柱の陰から自分を手招きしているシズクがいる。
「……し、シズク様」
「あらぁ、そないに他人行儀に。あてとお兄さんの仲ちゃうん? 呼び捨てておくれやし」
つつつ、とレンに寄ってきてしな垂れかかり不満げに身体をくねらせている水冥将軍。
……しまった。
ファルメイアの謹慎が解けているという事は当然彼女の謹慎も解けているわけで。
「そんでねぇ、お兄さん。ちょっとばかりあてとお話しまへん?」
袖で口元を隠しニタリと目を三日月型にして笑う彼女にゾクリと背筋を震わせるレンであった。




