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紅蓮将軍、野良猫を拾う  作者: 八葉
第二章 帝国を継ぐ者
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第56話 こころのきず

 その日もレンは帝城へ来ていた。

 ファルメイアに任された書類を所定の部署に届けて簡単なお使いを終える。

 終わったら残りの時間は好きにしていいと言われていた。

 将来の職場の体験学習期間とでも言えばいいのだろうか。


 とはいえ彼にしてみれば天上人たちの住まう宮殿である。

 とてもまだ慣れるというわけにはいかない。

 ここに常駐している者たちとの交流を経て何かが変わることをファルメイアは期待している節はあるのだが……。

 それがレンの変化なのか、周囲の変化なのか、両方であるのかはわからない。


 廊下に出た彼がフゥと一息ついたその瞬間であった。


「だぁ~れだ」


 突然視界が闇に包まれた。

 誰かが……後ろから抱き着いて彼の両目を覆ったのである。

 ふわっと漂ってくる微かに甘い良い香り。


「しっ、しっ、知らない人!!?」


 裏返った声でレンが言う。

 背後の誰かは間違いなく女性だ。

 そして自分の女性の交友関係は狭い。その中に該当者が存在しない。


「あら、つれないお言葉どすなぁ」


 少しだけ拗ねたような口調でそう言われ、両目の覆いが外された。

 まだ後ろから抱き着かれた体勢のまま、至近から顔を覗き込んできたのはやはり見覚えのない女性だった。

 やや目尻の下がったゾクッとする色気のある美人である。トウシュウ人の顔立ちに見える。

 紫色の着物を着た黒い傘を手にした女性。

 年上の色気と年下の無邪気さ、そのどちらも感じる不思議な女性であった。


「あ、あ、あの……」


「あらぁ?」


 動揺したレンがどもっていると彼の顔を覗き込んでいた女性が少しだけ驚いたような顔をした。


「お兄さん、なんかすっきりしたお顔にならはったんねぇ」


「……え?」


 呆気にとられるレン。

 その彼の胸に後ろから回した手で人差し指を当てると女性はその指先をくるくると小さく回すように動かした。触られている部分から甘い痺れがゾクゾクと体を渡っていく。


(ここ)(キズ)……誰に塞いでもろたん? やっぱり紅蓮の将軍はん?」


「……………………」


 言葉に詰まり硬直したレン。

 この女性(ひと)は一体何を言っているのだろうか?


 ……いや、心当たりは、ある。


 でも、そんな話は自分と()()しか……知らない筈で。

 心の深い部分にある秘密の箇所を急にこじ開けられたような……。

 否、じわりと染み込んでこられたようなそんな心地にレンはなった。


「なんや残念やわぁ……お兄さん、男の人はね、(ここ)に大きな(キズ)持っとった方が色気があってカッコええんどすえ?」


 着物の彼女がにっこり笑う。

 惹きこまれる妖しい魅力のある笑みだ。

 目が離せなくなる。

 動悸が……激しくなっていく。


「あてが……プレゼントしてもええどすか?」


 惹き込まれる。彼女の瞳に。

 自分が映っている。

 どこか夢うつつといった風の自分の……顔が。


「お兄さんの(ここ)に……新しい(キズ)


 紅を引いた赤い唇にぺろりと覗いた小さな舌。

 そんな仕草からも目が離せなくなって……。


 気が付けばこの広い世界に自分とこの目の前の彼女の二人しかいないような、そんな気分になってくる。


「……シズク!!」


 夢見るようにぼうっとなりかけていたレンがその鋭い叫びに現実に引き戻された。

 偽りの安らぎに囚われそうになった彼を救ったのは、この世で彼が本当に一番安らげる人の声だ。


 しまった、とでもいうように彼女の笑みは一瞬苦笑になった。


 ……前方にファルメイアが立っている。

 目尻を吊り上げた見たこともない怖い顔で。


(シズク!! 水冥将軍のシズク様……!!)


 そしてその叫びがレンに背後の女の正体を教えた。


「そいつから離れなさい! シズク!!」


「ふふふ……」


 笑うシズクは離すどころか益々強くレンを自分の方に引き寄せた。

 そしてレンの肩に後ろから顎を乗せると彼と頬を擦り合わせる。


「いやどす~」


 紅蓮将軍の瞳に怒りの赤い炎が揺らめいた。


「……宣戦布告と受け取ったわ!!!!!」


 瞬間。

 ファルメイアが腰に下げている長剣の柄に手を掛ける。

 床を蹴った彼女が残像を残して加速した。


 シズクが笑う。

 ……愉し気に、嬉しそうに。


 瞬間移動のように十数mの距離を一息で踏破し紅蓮将軍が水冥将軍に斬り掛かる。

 接近されただけでレンの肌がびりびりと震える。

 ヒビキをも凌ぐ高速の斬撃。

 ……それを片腕でレンの首を抱いたまま、もう片方の腕で持った畳んだ黒傘でシズクが受ける。


 ぶつかり合う剣と傘。


 そして次の瞬間、帝城のそのフロアの全ての窓ガラスが衝撃で弾け散った。


 ────────────────────────


「この……大馬鹿者どもが!!!」


 玉座の間に響き渡った怒号。

 顔を赤くして激昂しているのは宰相のゼムグラスである。


 その彼の前に立つ二人。

 ファルメイアとシズクの二人はそれぞれ反対の方向にそっぽを向いている。


「ゼム。もうよかろう」

「いいえ陛下! そうは参りません!!」


 ザリオンの言葉に振り返った宰相。


「全ての帝国武人の範となるべき天魔の七将が……よりにもよって陛下のお住まいであるこの帝城での乱痴気騒ぎ!! これを許せば全ての将兵たちに示しが付きませんぞ!!!」

「ふむ……」


 頭から湯気を出す勢いで怒っているゼムグラスにザリオンは「それなら任せる」とでも言うように黙った。


「あてはなんも悪くありまへん~。ファルメイアはんがけちんぼなのがあかんのんえ」


「あああ殴りたい。この女の顎を今すぐ打ち抜いて脳みそぐらんぐらんさせてやりたい」


 尚も悪態を付き合う二人にゼムグラスのこめかみに浮いた太い血管がビクビクと痙攣するのであった。


 ────────────────────────


 結局、騒ぎを起こした紅蓮将軍ファルメイアと水冥将軍シズク両者への沙汰は一ヵ月の謹慎という事になった。


「ま、仕方ないわね。今回はちょっと頭に血が上ったわ」


 ふん、と鼻を鳴らすファルメイア。

 意外と彼女はさばさばしているようだ。


「でも、なんであんなに怒ったんです?」


 不思議そうに尋ねるレン。

 その彼を見る紅蓮将軍の顔は「こいつマジか」みたいな半眼であった。


「ちょっとコイツも脳を揺らしといた方がいいのかしらね……」

「お許しを!!??」


 青ざめて白目をむいて悲鳴を上げるレンであった。


 ────────────────────────


 からん、ころん……。


 下駄の音が聞こえる。

 人気のない路地。

 雨ではないが黒い傘を差して歩く着物の女性。


「ふふ……」


 彼女は愉しそうに笑う。

 水冥将軍のシズク。

 彼女はこれから屋敷へ戻って謹慎生活なのだが……。


 軽い足取りで上機嫌に歩く彼女の姿はとても罰を受けに行く者のそれではなかった。


「こないに楽しいのは久方ぶりどすなぁ」


 呟く彼女の脳裏に蘇る記憶。


 ……ずっと昔。

 土砂降りの雨の中。

 どこかの山中の沢。

 大きな柳の木が水辺に生えている。


 倒れている巨大な何か……。

 その前に立つ大剣を手にした精悍な男。


『俺の勝ちだな。俺に従え』


 乱雑に生えた髭の中の口に野生的な笑みを浮かべて男はそう言った。


『……俺はこの大陸全てを俺の国にする。お前もそれに手を貸せ』


 …………………。


 あれから随分と時間が経った。

 色々と楽しい事も多かったが、最近は少し退屈していた。


(ふふ……旦那はん……)


 数年前に面白そうな娘が城に来た。

 そして今また、その娘が面白そうな青年を連れてきた。


(旦那はん死にはったら、あの約束も反故どすなぁ)


 歌うように笑い、弾むように歩くシズク。


 彼女の通った場所がほんのわずかな時間、それまでの帝都の街並みとは違った風景になる。

 現在は夕刻だが、そこだけは深夜。石灯籠が並び提灯がほのかな明りを灯している。

 オリエンタルで妖しい夜の世界。


 逢魔が時は人が魔に出会う時刻。

 逢魔が時は彼女の時間。


 彼女の歩いた後だけに、一瞬だけ塗り替わったように現れる幻想的な夜の光景。

 その中には異形の魑魅魍魎たちが蠢き、ひそひそと囁き合うのであった。


 夜が現れる。

 魔が囁く。


 ……そして、その中を踊るように彼女が歩いていく。

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