第53話 お城の人々
蝉の鳴き声が響いている。
ある夏の事だ。
帝城内には闘技場がある。
二万八千人を収容できる帝都のものほどではないが、こちらも二千人以上を収容することができる。
皇帝や天魔七将が観覧する……或いは彼ら自身が剣を取る試合が催されることが多い場所だ。
その城内の闘技場でその日試合があった。
……観客はほとんどいない。
記録に残されることもない一戦だ。
「………………」
天魔七将の一人『金剛将軍』ガイアード。
三宰相の一人ゼムグラス。
皇帝の子である二人。
……その二人が共に顔色を失って絶句している。
彼らの前には愛用の大剣を手にした父、皇帝ザリオンがいる。
老いたりとはいえ武器を手にした彼の周囲への威圧感は未だ凄まじく戦いは終わった今も息子たちもその他の見届け人たちも声を出すことも彼に近付くこともできない。
……砂地に腕が転がっている。
肘のやや下で切断された右手。
生々しく血を噴き出しているそれはたった今皇帝が対戦相手から奪ったものだ。
その事実が将軍と宰相の心身を凍て付かせている。
たった今父が右腕を斬り飛ばした相手は……彼らの歳の離れた妹だったから。
躊躇うことなく娘の腕を切り落とした父の姿に彼らは言葉を失っていた。
「……繋いでやれ」
そのザリオンの言葉でようやく呪縛が解かれたかのように周囲の者たちが動き出した。
待機していた医師や治療術師たちが慌てて駆け寄ってくる。
「あはっ……あははは……」
彼女は……笑っていた。
医師に抱えられ肘から先の無くなった右腕を必死に止血されながら。
尖った歯の並んだ血で汚れた口元を三日月のような笑みの形にして、笑っていた。
「楽しかったね……パパ……」
親娘が視線を交差させる。
皇帝は表情を変えることはない。
……また、遊びましょう……。
……………。
玉座の間にて、皇帝は目覚める。
うたたねををしていたようだ。
「今になってあれの夢を見るとはな……」
当時の感触を思い出しているかのように自分の右手を見る老帝。
あの頃よりまた随分腕も指も萎れて細くなったように思う。
自身には四人の女との間に七人の子がいる。
あれは最後にできた子だ。
……そして、本気の勝負を望んで自分に挑んできた唯一の子であった。
「あれから……二年か」
彼以外誰もいない玉座の間にしわがれた低い声が染みて消えていった。
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季節は巡る。
半獣人の青年レン・シュンカが紅蓮将軍イグニス・ファルメイアに召し抱えられてまもなく一年が過ぎようとしている。
「……やあ、レン」
声を掛けられてレンは振り返った。
帝城の廊下。週に何日かはレンは城で主人の仕事を手伝っている。
というのは名目でファルメイアとしては彼を城やそこにいる者たちに慣れさせておきたいという意図があるようだ。
向こうから歩いてくるのは銀色のマッシュヘアの黒い鎧の青年だ。
「こんにちは、ルキアードさん」
「いや、さんはいらないって。前も言っただろ」
金剛師団副長であり七将ガイアードの長男ルキアード。
ふとした事からレンとは言葉を交わすようになった。
「僕と君は五歳しか離れてないんだ。もっとフランクにいこう」
(五歳はかなりの差のような気がするんだけどな……)
そう思うが空気を読んでレンは口には出さなかった。
中庭に移動して二人はベンチに並んで腰を下ろす。
「正直さ、息が詰まると思う事があるよ。父親はあんなで僕も似たようなものだと思われてるだろうし。周りは年上ばっかりで友達もいない。師団の連中は歳が近くたってあんまり仲良くってわけにもいかないしね」
はぁ、と物憂げにため息をつくルキアード。
その横顔を見てレンは「それはそうだろうな」と思っている。
父親は天魔七将、そして彼は皇帝の孫だ。
「親がバリバリすぎると子供は大変だって。……正直、皇帝になんて何でなりたいんだか僕にはまったく理解できないね。僕だったらやれって言われた瞬間体調崩すよ、熱が出る」
「あはは……」
やや引き攣り気味の愛想笑いを返すしかないレンだ。
この人やたらぶっちゃけてくるんだけど、そんな話自分が聞いていいんだろうか……そう思いながら。
「レンだってその歳でファルメイア様に重用されてるんだから色々苦労もあるだろ? 君のとこのご主人様も天上天下に我独りって感じだしね」
他者から見るとやはりそういう感じなのか、と思ったレン。
まあそういう気性はある。だが実際にはファルメイアは周りをよく見ていて誰かの気持ちに寄り添える人物だ。
……ともあれここでそれを声高に主張するようなものでもない。
「そうですねぇ」
なんとなく話をふわっと着地させておく。
そんな処世術も最近勉強中のレンであった。
「うんうん、わかるよ。僕らみたいのはどこでも苦労するようになってるのさ」
腕組みしたルキアードが感じ入ったようにうなずいている。
「愚痴なら聞くよ。たまに話そう。城下にいい店を知ってるんだ。僕のおごりで今度行こう」
ぽんぽんと肩を叩いて気さくに笑いかけてくるルキアードであった。
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ルキアードと別れて城内に戻ったレン。
今日は城内の図書館で調べものをしたかったのだが遅くなってしまった。
(七将の子で皇帝の孫でも色々悩みがあるんだな……)
主人のファルメイアは無派閥ではあるが政治的に味方というわけでもない陣営の自分にあれだけ色々言うのだから内心結構溜め込んでいるものがあるのではないか。
「お、なんだよレン。今日はこっちに来てたのか」
「宰相様」
通りがかった三宰相の一人レナードに声を掛けられるレン。
畏まってレンは彼に頭を下げる。
「あ~あ~、いいって。そういう風に肩肘張られるの苦手なんだよ。前も言ったろ」
本当に嫌そうに手を振る宰相。
この巨大国家の最高権力者たちの一角とは思えない物言いである。
「それより、時間あるんだろ? 今日もまた見てやるよ。俺の執務室に寄っていけ」
親指で自分の背後の扉を指してニヤリと笑う宰相。
執務室に通されたレンはレナードからリュートを借りるとそれを奏で始める。
ここしばらく彼は宰相からリュートを習っているのだ。
何故、そのような事になっているのかと言うと……。
始めは紅蓮師団内のある集まりの余興をレンが務めろという話が回ってきた事だった。
見習いだが何か軽く披露しろ、というのである。
とはいえ自分は無芸な人間。
悩んだ末にレンは何か楽器で一曲奏でようと思い立った。
ちなみにまったくの未経験だ。
何の楽器にするのかを選び急いで練習を始めなければならない。
最初はファルメイアに相談したのだが……。
「私、ピアノなら弾けるけど?」
そう言われて断念した。
ピアノはちょっと大掛かり過ぎる。できれば持ち運べる楽器がいい。
「仕方ねぇ~なぁ~レンちゃんは。このミハイルお兄さんが誰か探してきてやっからよぉ~」
次に相談したミハイルがそう返事をしてその数日後。
「……お前か! 俺にリュートを習いたいって言ってんのは! 中々見所のあるやつだな……言っとくが俺も一時期はこいつで飯を食ってた男だ。教えるならハンパな事はしないぜ?」
「……は?」
どこをどう話が伝わったのかは全然わからないが突然やってきたレナードにそう言われてレンが絶句したのが数か月前だ。
「少しはマシになってきたな。そろそろ初心者卒業ってとこか」
レンの演奏を聴いてレナードがうなずいている。
「いや、もう十分で……」
困った顔のレン。
彼としてはもうこのくらい弾ければいいだろうの位置はとっくに通り過ぎているのだ。
大体もう余興の出し物はとっくに終えている。
「バッカ野郎! 何舐めた事言ってんだ! お前そんな腕でステージに上がってみろ。物が飛んでくるぞ」
ステージに上がるなどという話はしたことがないのだが。
「想像してみろよ? 自分の演奏がバシーッと決まってよ。客が大喜びしてるとこをよ。……最高だぜ?」
「そ、そうなんです……ね」
乾いた笑いを返すしかできないレンであった。
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レナードに礼を言って執務室を退出したレン。
……もう今日は図書室に行く時間はなさそうである。
それにしても期せずしてガイアード派とギエンドゥアン派の重鎮二人と続けて歓談してしまった。
それを改めて考えてやや疲れたため息をついたレン。
「……レン・シュンカ」
「!!」
急に名を呼ばれビクンと震えたレン。
見れば三宰相の一人ゼムグラスがそこに立っている。
「宰相様……」
「陛下が御呼びだ。来なさい、レン」
そう言われてレンは今日一番のシリアスな顔になるのだった。




