第52話 それから……
帝城ガンドウェザリオスの一室。
帝国天魔七将の一人金剛将軍ガイアード執務室。
「ククク……ハッハッハッハッハッハ!!!」
哄笑しているのは髪と髭でたてがみのように顔を覆った黒い鎧の巨漢……ガイアードだ。
有頂天の彼を椅子に座って息子であり副官のルキアードが微妙な表情で見ている。
「父さん。……わかっていると思うけど」
「ああ、わかっている。わかっているぞルキアード」
ルキアードに向かって雑に扇ぐような仕草をする将軍。
「外では大人しくしているさ。ああ、実際に悲しむべき事だ。帝国を長く支えてきた宰相の突然の喪失はな……フフフ」
段々とまた抑えきれずに笑いを漏らすガイアード。
「フハハッ!! だがまあ、執務室ならよかろう! しかしブロードレンティスめ……しぶとく厄介な相手と思っていたが……勝手に脱落していきおったわ!! それも、どの派閥に属していたわけでもない紅蓮将軍にわざわざ仕掛けて返り討ちに遭うとは……愚かな!! 少々奴を買いかぶりすぎていたようだ!」
(……この姿はダイロス将軍には見せられないな)
ガイアード派の同盟者であるあの勤勉実直を絵に描いたような獣人の将軍を思い浮かべて密かに嘆息するルキアードである。
今一つ浮かない顔なのは同じく現在同席している宰相ゼムグラスも一緒だ。
「大喜びするにはまだ早いんじゃないのか、兄上。奴の派閥の連中の今後の動向もまだ不透明だぞ」
「考えているさゼム。だが残された者たちがこれからあの道化に合流すると思うか? ギエンドゥアンとヴァジュラが組んでいる姿が想像できるのか? 上級議員や官僚どももそうだ。所詮、奴が金の力で集めた連中だ。財布が消えれば瓦解する。後は適度に声を掛けて取り込んでいけばいい」
珍しく浮かれている金剛将軍は得意げである。
とはいえその見立てはそう的外れというわけでもない。
(確かにギエンドゥアン将軍とヴァジュラ将軍では水と油どころの騒ぎではないが)
ギエンドゥアンとは……まあ何というべきか『おふざけおじさん』だ。能力はあるが基本的には道化。大真面目におかしな振る舞いをする男。
対するヴァジュラ将軍は頑固で人付き合いの苦手な変わり者。何を考えているのかもよくわからない。武人系の堅物であるダイロス将軍ともまたタイプの違う偏屈な男である。
(そもそもブロードレンティスはあの男をどう口説いたのだ?)
ガイアード派も散々接触はしてきた。
金では絶対動かない男のはずなのだが……。
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帝国内、某所。
『水冥将軍』シズクの屋敷。
「なんや、あれこれ賑やかになってきはりましたなぁ」
和風の広い庭園を臨んだ縁側にシズクが腰を下ろしている。
のんびり寛いでいる彼女は傍らに置かれた盆の上の小皿の切り分けられた羊羹を一切れ口にした。
「これでまた権力図が変動するぞ! 取れるものはしっかり取っておかんとな! ガハハハッ!!」
よく手入れされた広い庭に……椅子が一脚浮いている。
背もたれのある四つ脚の木製の椅子。
そのふわふわと浮かぶ椅子に座っているのは道化師のような衣装の鷲鼻の男だ。
「ワシの言った通りになったろう! 紅蓮将軍は必ず台風の目になるとな!!」
「そうどすなぁ」
湯呑を手にとって一口飲んでからシズクは脇をチラリと見た。
一枚の紙片が置いてある。
念写である人物を映し出したものだ。
……獣の耳の黒髪の、眼鏡を掛けた一人の青年が映ったものだ。
それを手に取ってふふっと蠱惑的に笑ったシズク。
「この兄さんはあての好みどすえ。あてがもろてもええどすか?」
「好きにしろ! ……と、言いたいところだがその小僧にはワシも目を付けている。是非権力大好きに教育して仲良くしたい! ガハハ!! というわけで却下だ!!!」
高笑いするギエンドゥアンにぶーっとシズクが頬を膨らませた。
「なんやのんいけずやわぁ。早いもん勝ちどす~。あても今回は引きまへんえ」
そこでふとシズクは壁掛け時計に目が留まる。
「ところであんたはん三時からお客言うてはりまへんでした? もう三時どすえ」
「おっとそうだ。のんびりしすぎたわい」
べろり、と舌を出したギエンドゥアン。
舌の上には紋章が描かれている。
……その紋章が怪しく光り輝いた。
『今日はワシは執務室を留守にしておる』
舌の紋章を光らせたギエンドゥアンがそう言ったその時、彼の姿が蜃気楼のように揺らぎ一瞬の後に消失していた。
「『死を呼ぶ偽り』……ほんまにけったいな能力どすえ」
残されたシズクはそう言ってもう一度お茶を飲むのだった。
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帝城、玉座の間。
玉座に座す皇帝ザリオンの前に数名の役人たちがひざまずいている。
今日は皇帝の傍らには三宰相の一人レナードが付き従っている。
彼らは報告のために皇帝に謁見していた。
『元』宰相アークシオン・ブロードレンティスについての。
それによれば彼は生気をなくし憔悴しきっており全てにおいて無気力で従順で……取り調べやその後の収監にも一切抵抗することはなかったという。
それを聞くザリオンは普段の通りに表情を変えることなく一切の感情を表すことはなかった。
「わかった。……下がるがいい」
一礼して役人たちが退出していく。
最後の一人がいなくなると皇帝は右手を額を抱えるように当てるとうつむいた。
「……アークス、大馬鹿者めが」
深く、重い。
苦悩の滲んだ声だった。
(……陛下)
初めて見る沈んだ様子のザリオンにレナードは痛ましげに目を閉じるのだった。
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広大な帝都を臨む小高い丘の上に小さな墓があった。
墓石に名前もない墓。
その墓の前にレンが両膝を突いて祈りを捧げていた。
ここには彼の幼馴染が眠っている。
草を鳴らしてそんな彼に近づいてくる者がいた。
「やっぱりここだったのね」
その声に顔を上げるレン。
逆光に目を細める。
眩い陽光を背負い彼の主人がそこに立っている。
「イグニス、ありがとう。……お陰でヒガンをちゃんと弔ってあげることができた」
道を誤った男だが……許されない男なのだが。
それでも自分にとっては幼馴染で友だった男だ。
今はただ、ゆっくり眠らせてやりたいとレンは願った。
「本当にこれでよかったの?」
帝都の広大な墓地にいい場所を確保もできるしもっと立派な墓石も手配できた。
だが穏やかにレンはうなずく。
「うん。立派すぎる墓も帝都に眠るのも、あいつは落ち着かないだろうと思うから……」
「そう」
それで、その話は終わりだ。
レンにとってはまだまだ癒えない心の傷。
それがわかっているからファルメイアもそこにむやみに触れようとはしない。
「それじゃあちょっと私に付き合いなさいよね。たまにはデートもいいでしょう?」
「え? ……うん。わかったよ、行こう」
それで今日は鎧を着ていないのか、とレンは思った。
今日のファルメイアは上品で動きやすそうな洋服姿だ。
デートというだけありいつもの服よりも華やかで可愛らしい。
「それじゃこれ、はい」
「?」
長方形の紙片を手渡されるレン。
ごわごわとしたよく材質のわからない紙で表面には複雑な紋様とレンでは読めない言語の文字で何事か記されている。
「かなり遠くに行きたいのよ。まともに行ったら往復だけで何日も必要だから跳ぶわよ」
レンの手の中の紙片がいきなりズシンと重くなった気がした。
……これが、噂の転移符。
帝都の裕福なおうちのパパの半年分の稼ぎが吹き飛ぶやつ……!
「破ったら発動するわ。それじゃ行きましょ」
言うが早いかビリッと躊躇なく手の中の紙片を二つに裂くファルメイア。
と、同時に彼女の姿が消失した。
(うぅっ……! すいませんすいません!!)
誰に向かって謝っているのか何に謝っているのかもまったく不明だがレンも紙片を破りその場から転移するのであった。
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一瞬のふわっとした浮遊感の後にレンの周囲の風景が一変していた。
木々が立ち並んでいる。しかし、深い森の中という風でもない。
すぐ目の前は開けており街道が見える。
林の中へ飛んだのは見られて人目を引くリスクを避けたのか。
レンは知らない事だが、ここは帝国領の辺境である。
「あそこが目的地よ」
指さすファルメイア。
その指先をレンが視線で追うと小さな村がある。
地図によっては乗っていなかったりする事もある小さな村。
三十戸ほどの小さな家が寄り集まった村には数人の住人の姿が見える。
「目立ちたくないから外からぐるっと回るわよ。こっちへ来て」
そう言うとファルメイアはレンの手を引いてさっさと歩き出した。
……まあ、確かにこんな牧歌的な村に急に瀟洒で華やかな美少女が現れればちょっとした騒ぎになるだろう。そう思って黙って付いていくレン。
しかし、彼女はこんな所になんの用事があるのだろうか……?
村外れまでやってきた二人。
そこでファルメイアに促されレンは彼女と二人で大きな木の幹に身を隠した。
「あそこよ。あのおうち」
彼女が指をさしたのは村外れの家と呼ぶべきか小屋と呼ぶべきか判断に迷う一軒家。
庭に畑があり、鶏が数羽ちょこちょこ歩いているのが見える。
そして住人らしき二人が畑で土いじりをしているようだ。
……若い夫婦か。男女だ。
仲睦まじそうに寄り添っている。
「……………」
レンの興味を強く引いたのはその男女の頭部。
獣耳がある……半獣人だ。
そう思ってみてみると二人の面影にはどこか……。
「……っ」
全身に落雷を受けたような衝撃が走るレン。
間違いない……!! 記憶の中の二人よりもずっと大人びた容姿になってしまっているが……。
(ミヤコ!! フゲン!!!)
ぼろぼろと大粒の涙がレンの瞳から零れ落ちた。
その彼の様子をファルメイアは黙って見つめている。
ファルメイアがこの二人を見つけ出したのは全てレンの為というわけではなかった。
元々彼女はあのシンガンが焼け落ちた夜に生き残り、キャンプには収容されずに逃げ去った者が少数いた事を把握していたのである。
それを人と金を使って探し続けてきた。
見つけたものには自分からであることは伏せて援助もしてきた。
その中にこの二人がいた。
名前を調べてレンから聞いていた幼馴染であると知り今日彼をここへ連れてきたのだった。
「……会ってくる?」
ファルメイアが問うとレンは滂沱の涙の流しながら静かに首を横に振る。
会えない……自分は二人に会うことはできない。
真実は違うと言っても今の自分はシンガンを焼いたファルメイアの世話になっている身。
そして……自分はヒガンを殺めた男だ。
会うことはできない。
だけどそれで構わない。
二人が生きていてくれればそれだけで十分だった。
他には……何も望むことはない。
泣きながらレンはファルメイアを抱きしめた。
「ちょ、ちょっと……」
二人が生きていたことの驚きと喜びだとか、彼女への感謝であるとか……。
様々な感情がレンの脳内に渦巻いてショートしたような状態になってしまっている。
「苦しいわ、レン」
ファルメイアは優しく穏やかにそう言うと、泣き続ける彼の背にそっと手を回した。
重なり合う彼らの頭上では青い空に輝く太陽が今日も地上を明るく照らしているのであった。




