第47話 高みへ跳べ
獣人、半獣人とはそもそも人よりも運動能力が優れた種族である。
だから世界ではその優れた身体能力を活かせる職種に就く事が多い。
それなのにシンガンでは……獣人や半獣人が大半の住民であるシンガンでは皆が本を読んだり物を書いたりする仕事に就く。
……その事をヒガンは幼い頃から良く思っていなかった。
子供の頃から身体を動かす事が大の得意で好きだった。
「わぁ~、ヒガンちゃん凄いねえ」
大人でも難しいような曲芸じみた動きを披露する自分にミヤコが手を叩いて喜んでいる。
「そんなに運動得意なんだからヒガン兄ちゃんは将来そういう仕事すんの?」
尋ねるフゲンに「当然だ」と答えた。
俺は帝国軍に入るんだと、そして出世して帝都でいい暮らしをするのだ、と……。
だがそんな少年の夢は大人たちによって打ち砕かれた。
激しく殴り飛ばされ床に投げ出されたヒガン。
目の前には激昂した彼の父が立っている。
「許さんぞ!! 街を出るなどと!! お前は跡継ぎだ!! 六代続いたこの書店を潰すつもりか!!!」
彼の夢は親の許しを得られなかった。
そんなものは血が繋がっていなくても継ぎたい者が継げばいい、そう言ったが聞き入れられはしなかった。
彼の家の書店は代々家業として経営してきた街一番の老舗。
他の家の者が継げばそれはもう別の書店なのだ。
……本など嫌いだ。
それに囲まれてこの街で一生を終えるなど、想像しただけでも寒気がする。
そんな時、『彼』に出会った。
師であるラセツ。
彼は彼の雇い主の意向でシンガンの街でそこでの暮らしに嫌気が差している若者たちを募っていた。
すぐさま名乗りを上げて彼に師事する一団に加わった。
師はシンガンの街の中に秘密裏にアジトを創設しそこで自分たちを鍛え上げた。
シンガンを憎み、シンガンで密かに鍛えられた暗殺者……それがヒガンであった。
何人かは訓練中に「壊れ」脱落した。
彼らは事故死として処理された。
数年が過ぎヒガンが暗殺者として仕上がった頃。
彼の顔には訓練中に付いた無残な傷跡があった。
だがその頃既に実家にほとんど寄り付かなくなっていたヒガンの傷に騒ぎ立てるものはいなかった。
そしてあの運命の夜が来る。
シンガンが炎の向こうに消えたあの夜が。
焼き尽くす事を提案したのは自分だ。
当初は大量の犠牲者は出るが街そのものが消えてなくなることはないはずの計画だった。
それでは生温いと街中に火を放つ事を提案し、その案が採用された。
……この街を、シンガンを。
地上から消してしまいたかった。
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「なあ、何故……お前だけなんだ? お前にだけは外で生きる自由が許されたんだ?」
地獄の底の冷気を孕んだ声でかつての友が言う。
ゆっくりと前に踏み出すヒガン。
『多くを学び、自分がどう生きるのかを決めなさい』
祖父の言葉が耳の奥に蘇る。
そうだ、確かに自分は許された者だった。
「どうして俺はあの街で一生を終えることしか許してもらえなかったんだ? なぁ、レン……答えてくれよ」
色々と言いたい事はある。
彼の父はきっと、ただ息子を家業に縛り付け街へ幽閉しようと思ったのではないのだと思う。
大人だった彼は知っていたのだ。
半獣人のヒガンが故郷の街の外で生きていく事がどれほど困難で辛い道であるかという事を。
身体能力が優れているからよいというものではない。時としてその事が猶更差別を助長する事もあるのだと。
帝都に来てそこの住民たちと混じって暮らしたレンはその事がようやくわかりかけてきている。
行き違いだったはずなのだ。
だが、幼き日の絶望と怒りは彼の人格と人生をそこに固着させてしまった。
他にもいくらでもシンガンから出て生きていく道を選んだ者はいる。
しかしヒガンの目には仲間内でそれを一人だけ許された自分しか見えていないのだろう。
……皮肉が過ぎる。
自分は、カルターゼンで満足がいくまで学んだら故郷へ戻りそこで家庭を築いて残りの人生を過ごすつもりだったのに!!!
外へ出る事を許された自分が!! 選ぶ自由を与えられた自分が!!!
「それほどシンガンに帰りたいなら俺が送ってやる」
いつの間にかヒガンの両手に刃があった。
冷たく光る二本の牙を手にかつての友が向かってくる。
「だが……街を出て今は紅蓮将軍に可愛がられてるお前にあの街へ帰る資格があるのかね」
「……………」
あの日、あの再会の日にこの憎悪を向けられていたら自分は凍り付くだけで、立ち尽くすだけで恐らくは何も出来なかっただろう。
だが今日は違う。
自分はもう覚悟を決めてきている。
「お前を倒す。ヒガン」
「……できるのかよッッ!!! レンッッ!!!」
二刀を構え、灰色の髪の復讐鬼が襲い掛かってきた。
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ラセツの使う研ぎ澄まされた鋼の糸は彼の装着する手甲の指先から一本ずつの計十本だ。
それを自在に操り彼は獲物を仕留める。
あの日と同じだ。
最初の邂逅の日と。
ラセツは一方的に攻撃しヒビキはそれを避ける。
ラセツは無傷で、ヒビキは時間を追うごとに傷を増やしていく。
……あの日と同じだ。
一見には。
「ああぁぁぁ面倒臭ぇぇ!! 何なんだお前はぁ~!!!」
苛立たしげに叫んだ鬼人。
傷が……浅い。
前のように徐々に戦闘不能に追い込めるような深手を負わせる事ができない。
「半月やそこらの変化じゃねえだろうが~! どうなってんだよお前はよ~!!」
しぶとい。時間をかけたくないのに。
その事が不可解な成長度合いと合わせてこの熟練の暗殺者を苛立たせている。
あの日、ヒビキは死の縁に立たされた。
ミリの差で命を落とす、ぎりぎりの極地。
だが……だからこそ見えたものがある。感じ取れた事がある。
それを自分の中に落とし込む為に彼女は父に修練を願い出た。
その娘の想いにジンシチロウは応え、彼女に一歩間違えれば命を落としかねない激しい鍛錬を課したのである。
その結果ヒビキは短期間の内に大幅に腕を上げていた。
だが……。
(はぁ~っ、ちっとイライラし過ぎたか~。確かにこの前とはモノが違うようだがよ~。それでもまだ俺にゃ遠い~。落ち着いてやりゃいいだけだ~)
冷静さを取り戻したラセツ。
一旦任務の事、他の標的の事は頭の中から消した。
余所見しながら軽くやれる相手ではもうなくなっている。
今はまずこの娘を始末することだけに集中する。
「そらよ~!」
「!!!」
糸の速度が、軌道の複雑さが増した。
その攻撃はヒビキにいくつかの傷を付ける。明らかに今までで一番深い傷を。
(よしやった! この調子で畳み掛けるだけだ~!)
ぱん、と両手を拝むように打ち合わせたラセツ。
「斬糸・三途川流れ!!!」
束ねられた十本の斬鋼糸が流れる川のように変化しながらヒビキに襲い掛かった。
「……ッ!!!」
彼女が上に跳んで攻撃を回避する。
……というより、そう誘導された。
上に逃げるしかない状態に追い込んでから仕留める。
ラセツの必勝のスタイル。
(はいよ詰みだ~。上じゃ逃げ場ねえ~。俺相手に跳んだら終わりなんだよ~!)
逃げ場のない上空でラセツの糸がヒビキを捉えた。
……だが、空中で彼女が。
「……ヌ」
大きく構えを取った。必殺の一撃を放つ気なのがわかる。
……無意味だ。
既に状況は詰んでいる。彼女がここから何をする気であろうと自分の糸が先に彼女に命中し確実に命を奪う。
もう手遅れなのだ。
糸が虚空を走る。
大上段から槍刃が神速で弧を描く。
……二つの攻撃が交差する。
「……なんだぁ、そりゃぁ……」
軋む音が聞こえてきそうなほどぎこちない動きで地上に降り立った半獣の少女を見る鬼人。
彼は見た。
自分の糸が切り散らされるのを。
あらゆる攻撃を柔らかく受け流すはずの糸が……。
それは彼の想像を超えた速度と鋭さを持って放たれた一撃。
「何を食やンな事できるようになるんだよ~……あぁ、本当に……」
黒衣の男の首の付け根が斜めに開き激しく血を噴き出す。
「本当に……面倒……臭ぇ」
ゆっくりと仰向けに倒れていくラセツ。
そして倒れた彼の眼には既に何も映ってはいなかった。




