第43話 妖斬糸のラセツ
その日も学園から馬車に迎えられ帝城へ来たレン。
制服姿の彼が主人ファルメイアの執務室の扉をノックし入室する。
「レン、戻りました」
「お疲れ様」
執務室で彼を出迎えたのはシルヴィアだ。
主人の姿はない。
「ファルメイア様は……」
「調べものでお出かけしていらっしゃいます。あの方しか行けない場所なの」
そう言うシルヴィアも分厚い資料や書類の束と格闘中のようだ。
レンにはわからないがそれらは先日の夜にシルヴィアが壊滅させてきた暗殺者ギルドから回収したものやこの一年の間ファルメイアと彼女に従う諜報員たちが調べ続けてきた数多くの帝国の裏社会の組織の調査結果である。
シンガンの事件に関与した組織が必ずあるはずだと調べ続けてきたもの。
慎重に……だが執念深く彼女たちは調査を続けようやくいくつかの組織がピックアップされてきた。
だがそれはまだ調査がようやくスタート地点に立ったという事に過ぎない。
そこからその組織と黒幕との繋がりを手繰っていかなければならないのだ。
狡猾な黒幕は実行部隊を調べたとしても簡単に浮かび上がってくるような者ではないだろう。
「……何かお手伝いできる事はありますか?」
レンが言うとメイド長は座ったまま彼を見て手招きをした。
「?」
招かれるまま近付いていくと今度はシルヴィアは煽ぐような仕草をする。
体勢を低く、と言っているようだ。レンは腰を屈める。
すると彼の肩を持って自分に引き寄せたシルヴィアがレンの頭や耳を撫で始めた。
「……あ、あの、ちょっと……」
優しい手付きで何度も頭や耳を撫でられ困惑するレン。
すると今度はメイド長は彼の頭を自身の胸元に抱き寄せる。
「……『お姉ちゃん』って呼んでくれる?」
「はい……えっと……姉さん……」
恐る恐るレンが口すると、はぁっと悩まし気で色っぽい吐息を耳元で吐くシルヴィア。
そのまま彼女はレンの頭を抱きしめたまま動かなくなる。
「ただいま」
そこにいきなり扉が開いてファルメイアが帰ってきた。
「……………」
しゃがんでシルヴィアに頭を抱き締められたままのレンと視線が合う紅蓮将軍。
緊張感でレンの全身から汗が噴き出した。
やがてフゥと軽いため息をついたファルメイアが奥の自分の執務机に向かい椅子に腰を下ろす。
「たまにならいいけど、あげないわよ。それ、私のだから」
「……わかっているわ」
抱き締めたままのレンを離さずに返事をするシルヴィア。
レンは何とも居心地が悪くてしょうがない。
「ヒビキさんのように私にだって共有してくれてもいいのに……」
珍しく、というかレンが初めて聞く主人に対して不満げなメイド長の言葉。
「シル姉はちょっと、よくないのめり込み方しそうで怖いのよね」
言葉の通りに困り顔の紅蓮将軍であった。
────────────────────────
……時刻は数時間前に遡る。
紅蓮将軍は帝城敷地内の大きな建物の前にいた。
『帝国財務局』のプレートの掛かった建物だ。
マントを靡かせ赤い鎧の美少女が堂々と建物に入っていく。
数名の役人がすぐに駆けつけ恭しく礼をする。
来訪は既に彼らには伝えてあった。
仰々しい挨拶と歓迎の言葉を口にする彼らにファルメイアは用意していたメモを手渡した。
「そこに書いてある物を調べたいの。用意してくれる? 調べるのは私がやるから持ってきてくれるだけでいいわ」
彼女の指示に役人たちが散り散りに建物の中に消えていく。
「……やあ」
背後から掛かった声にファルメイアがゆっくりと振り向いた。
ブロンドの長身の若い男が立っている。
「こんにちは。宰相殿。ちょっとお邪魔するわね」
「構わないよ。君ならいつだって大歓迎さ」
笑顔で両手を広げ歓迎の意を示すブロードレンティス。
ここは彼の城だ。
ここで調べものをすれば全部彼に筒抜けになるだろうが、構わない。
そんな事を気にする段階ではない。
「全面的に彼女の言うとおりにしてあげてくれ」
近くの役人たちにそう支持をすると宰相は去っていった。
いつもの軽妙なやり取りを続ける気はなかったようだ。空気を読んだのだろう。
ファルメイアは去り行く宰相の背を無言で見送る。
そして頼んでいたものが次々に彼女に届けられる。
積み上げられていく資料、それらの多くは帳簿である。
ファルメイアが調べたいのは金の流れだ。
シンガンの件に関係して動いたはずの裏社会の組織……膨大な額の金が動いたはずである。
その金の流れを辿ることが黒幕の尻尾を掴むことに繋がるだろう。
「2時間……いえ、3時間程度で済ませるわ」
そう言うと彼女は用意された椅子に腰を下ろし書類の山に立ち向かうのであった。
────────────────────────
「……それで、どうだったの?」
尋ねるシルヴィア。
その側でようやく彼女から解放されたレンが安堵のため息をついている。
「収穫はあったわ」
椅子に座って足を組んだファルメイアが机の上の皿に置かれたスコーンを一つ口に放り込む。
「例の目を付けてる犯罪組織への金の流れだけど……」
先ほどまで目を通していた資料の数々を脳内で再走査する紅蓮将軍。
「ブロードレンティス派からの入金は無かった。……だけど、ガイアード派とギエンドゥアン派からの入金は見つかったわ。関係する企業やグループからのね」
場の空気が緊張する。
レンがごくりと喉を鳴らした。
……では、シンガンの惨劇はガイアード派とギエンドゥアン派の二つの派閥が共闘して起こしたものだったという事なのだろうか?
────────────────────────
一日の授業を終えてヒビキが帰宅の途に就く。
最近彼女は元気がない。
レンが授業が終わると早々に迎えの馬車に乗って城へ向かってしまう為だ。
流石にそこへは彼女は付いて行くことができない。
(あ~あ。早いとこ面倒ごとが全部片付いてレンと一緒に過ごせる時間が増えるといいんだけどな…)
ため息をつきつつトボトボと歩くヒビキである。
そしてその彼女から少し離れて二人の男が尾行している。
いずれもジンシチロウが雇った腕利きの護衛である。
(……よし、剥がれた)
その尾行の護衛二人を見て動いた黒い装束の男。
連日娘を護衛していたジンシチロウ。
だが流石に毎日とはいかない。だから今日は代理を用意したのだろう。
それこそが彼の狙っていた好機。
刺客は人気の乏しい路地に入った所でおもむろに姿を見せた。
「……!!」
現れた鬼人の男に護衛たちが武器を抜く。
その前方にいるヒビキも気付いて振り返っている。
「よ~、お疲れさん~」
ラセツはざっくばらんに声を掛けながらまるで知人に対するように無造作に近寄っていく。
武器を構える二人の護衛が警戒の度合いを強めた。
「そんで~、さよなら~」
……そして、次の瞬間。
二人の男の頭が地面に落ちた。
「…………え?」
ヒビキの表情が凍り付く。
死んだ。
一瞬で。
地面に転がった二つの頭部。
それを失った胴体が激しく血を噴き上げながら崩れ落ちる。
現れた男が何をしたのか、ヒビキにはわからなかった。……見えなかった。
そのまま男は自分へ向かってくる。
刀の柄に手を掛け腰を落とすヒビキ。
「悪ぃけど今日嬢ちゃんがおうちに帰るのは死体になってからだ~」
無造作に右手を前に突き出したラセツ。
その動作も何気ないもので早さも鋭さもないが……。
「……ッ!!!!」
見えた。
前方の空間にほんの僅かにだがキラキラと何か……。
(糸だ!!!!)
身をよじって高速で背後に退いたヒビキ。
だが彼女の腕や足に無数の裂け目が生じ血が飛沫いた。
「おぉっ? なんだよ~あんま動くなってえ~。苦しめたくねえんだよ~……というか、面倒臭ぇ」
うへぇ、とイヤそうな顔をしたラセツ。
変幻自在の刃のように研ぎ澄まされた鋼の糸……それがこの暗殺者の武器なのだ。
「俺の糸が見えたんだな~。大したもんだ~それができる奴ぁほとんどいねえ~」
そう言ってオーガは人差し指で虚空をくるくるとかき混ぜるような仕草をした。
その真上の空間も僅かにキラキラと輝いて見える。指先から糸が伸びているのだろう。
「ま、わかっても対処ができねえのが糸のこえー所でよ~」
ラセツの言葉にヒビキがギリッと奥歯を噛んだ。
……相手の言う通りだ。微かにしか見えない、早すぎる、そして変幻自在の軌道。
身を翻しヒビキは突然走り出した。
ラセツに背を向け彼女は逃走する。
「おお……それも正解だ~。やるもんだな~その歳でもうそう動けるのかよ~」
迷いなく逃げを打った標的に感心するラセツ。
……そして鬼人の目が冷たく光る。
「まあ~逃がさねえから結末は変わらねえわけだが~」
そして常人が目で追える速度を遥かに超えた黒衣の鬼人が猛然とヒビキの追跡を開始したのだった。




