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紅蓮将軍、野良猫を拾う  作者: 八葉
第一章 炎の記憶の復讐者
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第42話 水辺の彼女

 天魔七将筆頭『金剛将軍』ガイアードはその日帝城の自身の執務室で息子であり副官のルキアードからの報告を受けていた。

 狼牙将軍が協力体制の維持に前向きだという話を聞いた彼は上機嫌である。


「……そうか。ご苦労だった。これでダイロス将軍の事はもう心配せずともよかろう」


 満足げに肯いたガイアード。

 その傍らには椅子に座るゼムグラス宰相がいる。


「しかし、父上があの小刀をな……」


 宰相の方を見た金剛将軍が複雑そうな顔をする。

 先ほど宰相からザリオンが愛用の小刀をレンに褒美として下賜した事を聞いたのだ。

 口には出さないがうらやましいと思った。

 自分は父から何か品物を貰った記憶などない。

 金だけは常に十二分に出してもらってきたが……。


「紅蓮将軍は陛下のお気に入りだからな。その配下という事で厚遇されたのだろう」


 結局その件についてガイアードはそう結論付けた。


「紅蓮将軍。……シンガンを焼いたというあの御方ですか」


 ルキアードが表情をやや曇らせた。

 シンガンの街を焼き滅ぼしたという一件について彼は思うところがあるようだ。


「うむ。正直その件は頂けないが。……だが陛下を前に堂々と焼き払ったと言い放つあの胆力は流石のものだ。経験豊かな男の将であろうと中々ああはいくまい」


 自分の言葉に感じ入った様子のガイアード。

 ……彼はこのように自分の言葉に陶酔したようになる事がある。


「陛下の御威光を汚す者どもを陛下に代わって討ったのだ。そこは帝国の軍人かくあるべしとされてもよいであろう」


「……………」


 ガイアードを見ているゼムグラス。


 ……兄は紅蓮将軍ファルメイアの評価が高い。

 それは兄本来の判断である部分もあるにはあるだろうが、父のお気に入りであるという点も大きいだろうと彼は見ている。

 父絶対であるガイアードに取って父が気に入る相手なのだから優秀であるに決まっているという先入観があるのではないかと。

 実際にゼムグラスから見てもファルメイアは優秀な人物なのでその評価に異存はないのだが……。


「よし。陛下に謁見するとしよう。この金剛将軍と狼牙将軍の協力体制は盤石であるとご報告し帝国の鉾盾揺ぎ無しと安心して頂かねばな。お前も来るがいい。帝国の象徴たる祖父と父の姿より多くのものを学べ、ルキアードよ」

「はい。父上」


 ルキアードを伴って将軍は執務室を出ていった。

 そこまで付き合う気にはなれないゼムグラスは部屋に残る。

 ……同席せずとも光景はいくらでも想像できる。


 恐らく父は……皇帝ザリオンは淡々と二人に対しお褒めの言葉を下されるのだろう。


 ────────────────────────


 威風堂々と帝城の廊下を歩む金剛将軍父子。

 従者や衛視たちが次々に端へ寄って道を譲り頭を下げて彼らを見送る。

 普段からの光景だ。

 する方もされる側も最早何を思う事もない日常の風景。


 だが今日は珍しくガイアードが途中で足を止めた。

 このような事は皇帝と行き会う時くらいにしか起こらぬ事である。


(…………城に来ていたのか)


 前からくる一人の人物に金剛将軍の視線が釘付けになる。

 握った拳の内にじわりと汗が生じるのを彼は感じていた。


 からん、ころん……。


 軽快な下駄の音が近付いてくる。

 前からゆっくりと向かってくるのは……女性。

 紫色の着物を着た黒髪の女性だ。赤い鼻緒の黒下駄を履いて手には黒塗りの番傘を持っている。

 黒い長髪を耳の後ろ辺りで藍色の布で一つ結びにしておりその先は腰あたりまで垂れている。

 徐々に近づいてくる彼女。

 もう顔立ちもはっきりと見える。

 目尻のやや垂れた色白の美女。口元には常に変わらぬ微笑がある。


 彼女の顔を直視したその時、ガイアードは自身の視界がフラッシュした気がした。

 不意に脳内に幼き日の記憶が蘇ってくる。


 ……その日は幼稚舎の剣術大会があった。

 ガイアードの通っていた幼稚舎は一流の家柄の子ばかりが集う格式の高い園である。

 子供ながらに親の影響を受けて上昇志向の強い者が多かった。

 当たっても怪我のしないクッション材の棒を使った剣術大会。

 ガイアードは優勝し、城の父の元へ賞状を見せに行こうとしていた。


 侍従にザリオンは中庭だと言われそこへ向かったガイアード。

 中庭にある大きな噴水の前に父がいた。


 ……そして、彼女もそこにいた。

 噴水の縁に座っているその女性は着物の裾を膝まで捲って素足を水に浸している。

 はしゃぐ彼女が童女のように笑いながらぱしゃぱしゃと水面を蹴っている光景を今も鮮明に思い出せる。


「……あら」


 振り返った彼女が自分に気付いた。

 立ち上がったその着物の女性は濡れた素足のままでガイアードに近付いてくる。


可愛(かい)らしい(ぼん)どすなぁ。お父はんに賞状を見せに来はったんどす? ええ子やねぇ」


 優しく自分を撫でてくれた彼女。

 華京(カケイ)という東方からの民が多く暮らす街の独特の言葉遣いをする女性だった。


 ……幼いガイアードはその女性を恐れた。

 怖かったのではない。むしろその逆だ。

 心の底から安心するのだ。

 その笑顔を見ていると、声を聴いていると、その手で触れられるとどうしようもなく安堵するのである。

 初めて会った名前も知らない大人の女性なのに心の内を曝け出して甘えたいという衝動に駆られるのだ。

 この年齢にして既に自制というものを学んでおり、それを良しとしているガイアードにとって、それはとても恐ろしい事であった。


 目を閉じる。

 ……幼き日の思い出が消える。


 再び彼が目を開けたその時、目の前にはあの日とまったく変わらない優しい笑顔があった。

 あの頃見上げた……今は見下ろすことになった彼女の顔。


「お久しぶりどす。お変りはありまへん?」

「ああ、そちらも息災のようだ」


 務めて平静に淡々と言葉を返した金剛将軍。

 彼女は自分の対抗派閥……ギエンドゥアン派であるのだがそんな事はまるで気にしてもいないように無邪気な笑顔を向けてくる。


「今日はご機嫌伺いどすえ。あて、いつもフラフラしとりますさかい。お見限りないようによろしゅうお願いしますえ」


 袖を口元に添えて上品に彼女が笑う。

 釣られて微笑みそうになり強引に顔面を引き締めたガイアードがしかめっ面になった。


「ほなまた。ご機嫌よろしゅう」


 ルキアードにも会釈をし、女性はからんころんと下駄を鳴らして去っていく。

 去り際、ガイアードの真横を通過する時彼女はチラリと将軍を見上げた。


「あの坊がほんにご立派にならはって……」


 そう言って彼女は嬉しそうに笑った。

 ……本当に嬉しそうに笑うのだ。


 彼女の名前はシズク。『水冥将軍』シズク。

 天魔七将の一人……ギエンドゥアン派の将軍である。


 アドルファス将軍と並んで天魔七将という役職が創設される前から皇帝ザリオンに付き従っていた女性だと聞く。


 何者なのだろうか?

 見たところ人なのだが、何故何十年経ってもエルフのように容姿が変わらないのだろう。

 それを考える事すら彼女に囚われているような気がしてガイアードは思考を打ち消した。


 去り行く和装の後ろ姿を父子が見送る。

 何となく二人はその場をすぐに動こうとはしなかった。


「あんな美しい御方がどうしてギエンドゥアン将軍の派閥なのでしょう……?」


 疑問を口にするルキアード。

 その問いに対して父は返答はしない。彼の中にその答えはない。


「閣下、よろしけば自分が切り崩しを試みましょうか?」

「いいや……」


 ルキアードは派閥の乗り換えを持ちかけようかというのである。

 副官の提案を即座に拒否した金剛将軍。


「彼女は、当面そのままでいい」

「? そうですか」


 同意を得られると思っていたルキアードが不思議そうに父を見る。


 ガイアードは無言だ。

 彼はシズクとは距離を置いておきたいと思っている。

 顔を合わせる機会が増えればそれだけあの幼い日の、初夏の日の思い出が何度も思い出されることになるだろう。

 その事がじわじわと自分を侵食し別のものに変えていってしまう気がして背筋に寒気を覚える将軍なのであった。


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