第39話 始まりの男たち
皇帝ザリオンが眼前に立っている。
あの静かだが圧倒的な気配にレンは委縮してしまう。
「小刀は使っているであろうな」
穏やかだが心臓に直に響いてくるような低い声で言う皇帝。
「は、はい! ここに……」
レンは慌てて腰のベルトに手をやった。
だが、そこにあるはずのザリオンの小刀の感触がない。
「あれ……ここに……」
「貴様……」
青ざめるレン。
そんな彼に皇帝がにじり寄ってくる。
「使えと言ったであろうがーッ!!!!」
ドガアッッッ!!!!
「ぐあああああッッッッ!!!!」
ザリオンの無造作の蹴りを食らって吹き飛ぶレン。
そのまま彼は窓を派手に突き破り破片と共に外へ飛び出した。
窓枠とガラスの破片の中、傷だらけのレンが必死に起き上がる。
「おやおや……」
聞こえた声にそちらを見るレン。
そして彼は驚愕に大口を開いたまま凍り付いてしまう。
純白の豪華な花嫁衣装に身を包んだファルメイアがいた。
……綺麗だ。それはいい。
だがその横に並んでいる同じく純白の花婿衣装の男がよくない。
宰相ブロードレンティス。
嫌味なほど美しい顔を持つ男。
美男美女の新郎新婦はまるで絵画のように似合っていた。
「陛下のご不興を買った君にはやはり紅蓮将軍殿は任せておくことはできないな。……どうやら彼女は僕が幸せにしてあげるしかなさそうだ!」
ファルメイアの腰を抱いて意気揚々と宰相が歩み去っていく。
何故か止めることができない。
差し出した手の向こう側に見える二人の後姿はどんどん小さくなっていく。
絶望して地面を見たレン。
その肩をポンポンと慰めるように叩く者がいた。
……見れば鷲鼻のピエロのような恰好をした男がいた。
「オイ泣くな! 泣くんじゃない!! ……いいか、傷付いた男の心を慰めてくれるものなど一つだけだぞ」
「…………権力ですか?」
掠れた声でレンが言うとギエンドゥアンは親指をグッと立ててニヤリと歯を光らせて笑うのだった。
………………………。
絶望的な目覚めだ。
鏡がなくとも自分が今酷い顔をしているであろう事がわかる。
帝城に与えられた一室のベッドで身を起こすレン。
「悪夢のバリエーションが……増えた……」
ぐったりとした顔で呻くように言うレンであった。
早々に夢にまで見るとは……。
やはり昨日の数々の衝撃的な出会いは自分の中に相当の何かを残していたようだ。
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「なるほど、君が僕の恋のライバルということか」
口元に笑みを浮かべてブロンドの宰相はそう言った。
同性から見ても魅力的な笑顔……だが、レンは彼の目が冷静に自分を観察している気がした。
「……あ、あの……」
何と返事をしてよいかわからずレンは言葉に詰まってしまう。
そんな二人にファルメイアは呆れ顔であった。
「宰相殿、うちのにおかしな事を言って困惑させないでくれる?」
「ふふふ、僕はそんなにおかしな事を言っているかな?」
小首を傾げるアークシオン。
あくまでも彼は余裕の態度を崩さない。
「……まあいいさ。レン君、困ったことがあればいつでも僕を訪ねてくれたまえ。同じ女性を愛してしまった男同士、きっと僕たちは通じ合えるものがあるはずだよ」
さっとレンの手を取って強引に握手を交わすと宰相は颯爽と去って行ってしまった。
ギエンドゥアンとはまた別のタイプの強烈な男である。
またしても去り行く皇帝候補の後姿を茫然と見送る事になったレン。
「あの方が……宰相ブロードレンティス様」
独り言のようにレンが彼の名を口にする。
名前だけは帝国で暮らしていればいくらでも聞く機会のある男だ。
経済の天才。まるで魔法のように金を増やす事のできる男だという。
名前だけ聞いてどのような人物かレンも想像はしてみた事があるが……。
「随分お若いんですね……」
「あんた、気付かなかった?」
ファルメイアが自分の耳をちょいちょいと指差している。
「……耳?」
「彼の耳よ。先が尖ってる。……ハーフエルフなのよ、彼」
ハーフエルフ……エルフと人の子だ。尖って長い耳を持つエルフ種族の特性を一部受け継ぎ、人と同じサイズだが先の尖った耳を持つ。
レンはその事に気付いていなかった。
そもそも豊かな頭髪に隠れて耳はあまり見えなかった。
「あんな見た目とノリだけど年齢はほとんど陛下と変わらないわ」
ハーフエルフは長寿である。
エルフ同様に若い姿で数百年を過ごす。
そしてエルフは美形揃いで知られる種族であり、ハーフエルフもそれに準ずる部分があるという。
あのブロードレンティスの美術品のように整った容姿もそう言われれば納得ができる気がする。
「帝国の前身、聖王国で役人をしていたのが彼よ。彼が傭兵だった陛下を見出して聖王国の乗っ取りを成功させた。帝国は彼と陛下の二人で作った国って言えるかもね」
その話はレンも歴史の授業で学んできた。
六百年以上の歴史を持つ由緒正しき聖王国。
一時は大陸の半分を支配地としていたこの王国も末期は王や貴族、有力者たちの傲慢と腐敗により酷い有様であったと聞く。
領土の半数以上が小国として独立してしまい、しかもそのどの国とも関係が悪く紛争が絶えなかったそうだ。
そんな聖王国の末期に一人の男が遠く草原の国からやってきた。
傭兵ザリオン。
この英傑は傭兵として各地の紛争を転戦し輝かしい戦績をもって聖王に重く用いられた。
そしてそのザリオンこそが次代の支配者となるだろうと見抜いて協力者となったのが当時聖王国の大臣補佐官であったブロードレンティスだ。
二人は数年の準備の後にほぼ無血と言ってよい状態でクーデターを成功させ、聖王を追放し王位をザリオンが継いだ。
そして聖王国は帝国となり、ザリオンは初代皇帝となったのである。
「じゃあ、あの方が帝位を継ごうとしているのは旧友の志を継ごう、みたいな……」
「さあ、それはどうかしらね? まああの人が陛下の強い共鳴者である事は間違いないけど」
ただそれを言うのなら多かれ少なかれ臣下は全員同じであるとファルメイアは言う。
海千山千の曲者揃いである天魔七将も皇帝への強い忠誠という点だけは例外なく共通している。
ザリオンという強力なカリスマがあってこそ強烈な個性の持ち主である七将たちも纏まるのだ。
「……それって、もしかしたらザリオン陛下の次の皇帝の代に七将の方々が」
「分裂するかもね。最悪の場合」
レンの物騒な想像をあっさり肯定するファルメイア。
「そんな……」
それは即ち帝国が割れて戦争になるという事である。
自分の生まれ故郷を襲った災禍が帝国全土で巻き起こるかもしれないという事である。
それを想像し暗い気分になるレンであった。
偉大な父の後を継ごうとして皇帝になろうとしているガイアード将軍。
権力が大好き過ぎて(?)皇帝になろうとしているギエンドゥアン将軍。
……では、宰相アークシオン・ブロードレンティスは何のために皇帝になろうとしているのだろうか?
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軽く頭を振って昨日の記憶を一旦頭から消すレン。
帝位の継承も重大な問題ではあるが自分たちの前にも深刻で巨大な問題が聳え立っているのだ。
今は自分はそちらに集中しなくては……と、そう思う。
差し当たっては登校だ。
幾層もの分厚い城壁に囲まれ城壁と城壁の間には城で生活するものたちの市街がある帝城ガンドウェザリオス。
城壁内のこの屋敷から完全に城壁の外に出るまで馬車を急がせても二時間はかかる。
そこから学園までは更に三十分。登校だけで二時間半かかる計算になる。
だからレンはこうして夜明け前から起床しなくてはならないのだ。
登校の準備を整えたレン。
最後に彼はベッドの脇のサイドテーブルの上を見る。
……そこには昨日皇帝から下賜されたばかりの小刀が置かれている。
緊張気味にそれを手に取るレン。
そしてそれを腰のベルトの後ろに括り付けると彼はカバンを手に部屋を出ていくのだった。