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紅蓮将軍、野良猫を拾う  作者: 八葉
第一章 炎の記憶の復讐者
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第36話 地獄の底の、さらにその先

 眠っているレンをベッドサイドの小さなランプの明かりだけが照らしている。

 ベッドの脇に椅子を置いてそこに座りレンの寝顔を穏やかな顔で見つめているのはファルメイアだ。


「……イグニス、貴女も眠りなさい」


 彼女の傍らに立つシルヴィアがやや陰った表情で言った。


「私はもう少しこうしているわ。シル姉こそ休んで」


 そっと眠るレンの頬を撫でたファルメイア。

 彼の寝顔は穏やかである。

 シルヴィアは静かに嘆息してやはりその場に立ち続けた。


 ……やがてレンが薄っすらと目を開く。

 ぼんやりとした彼の視界が徐々に鮮明になっていき、自分を覗き込んでいる主の安堵の笑顔の像を結んだ。


「イグニス……」

「レン、大丈夫? 私がわかる?」


 鎮痛剤の影響で彼の意識はまだぼんやりしているはずだ。

 どこかまどろんでいるようなぼんやりとした様子で彼は身を起そうとして、そして痛みに顔をしかめた。


「まだダメよ。寝ていなさい」


 優しく自分を留めるファルメイア。


「イグニス。ヒガンが……」


 うわ言のようにそう言いかけて、そして彼は自分の言葉にハッとなった。


「ヒガン!! イグニス……ヒガンが君を……ぐぅ……ッ!!」

「ダメよ起き上がったら!! 傷口が開くわ!!」


 痛みに呻いている彼を再度寝かせるファルメイア。


「落ち着きなさい。ね? ちゃんと話は聞くわ。……だから、安静にして」


 諭すように穏やかな声で言うファルメイアにレンはうなずき、枕の上に頭を戻した。


 ……そして、彼は話をした。

 ヒガンとはどういった人物であるのか。

 そしてほんの半日前の再会と、その後の顛末を……。


 短い話ではなかったがその間ずっとファルメイアは言葉を挟むことなく黙ったまま彼の話を聞いていた。


「ヒガンは誤解してる。でも説得は簡単なことじゃない。……力を貸して欲しいんだ、イグニス」

「…………………」


 沈痛な顔で訴えるレン。

 ファルメイアはそんな彼に対して少しの間目を閉じて沈黙していたが……。


「落ち着いて聞いて、レン」


 やがて目を開きゆっくりと、そしてはっきりと言った。

 そして彼女はほんの一瞬だけ珍しく迷いに似た感情を瞳に滲ませた。


「イグニス……」

「その男は敵よ、レン。誤解なんてしていないわ。私たちの敵」


 表情を凍て付かせたレンが何かを言おうとして……そして言葉にならず無意味に数度口を開閉する。


「いい? レン。あんたの今の強さはファルケンリンクで学年主席を倒せるくらい。これは末端まで数えれば百万人近くもいる帝国軍の中でも上位千人の上級騎士に相当する実力よ。そのあんたの至近からの奇襲をかわしたそのヒガンって男。そんなの街から焼け出されて彷徨ってた男ができる事じゃないわ。……恐らくそいつは本格的な戦闘訓練を積んできてる、それも何年も前から」


 あえてゆっくりと話すファルメイア。負傷して消耗している彼が理解しやすいようにか。


「それに、その男の言う通りカルターゼンを訪ねていたのなら、あんたを下宿させて塾で面倒を見ていたメルギスが何も言っていないのはどうして? 今まで彼は一度でもそいつの名前を出した?」


「…………………」


 黙ったまま聞いているレン。

 一つ……また一つとパズルのピースが嵌まっていく。

 出来上がる図柄はきっと、レンがこの世で一番見たくないものであるはずのパズルの。


「そして、そいつが逃走に使った転移術。転移の術は素質と才能のある魔術師が何年も修行してようやく使用できるようになる高等魔術よ。天才って言われてるけど私も使えない。だから多分同じ効果の道具を使ったはず。非常に高価なものよ。一回の使用でこの帝都でそこそこ裕福に暮らしてる人の半年分の稼ぎが吹き飛ぶわ。自前で用意したとは思えない」


 誰かが用意して……ヒガンに渡したということか。

 毛布の上に置かれたレンの手は微かに震えていた。

 その彼の様子にファルメイアは次のセリフを口にすることを僅かにためらった。


「……そいつは多分、シンガンを焼いたのが私じゃない事も知ってる」


 かねてより疑念はあった。

 炎に包まれたシンガン、そのあまりの手際の良さ。

 ……街の内情に通じたものが関わっているのではないかと。

 ただそこまでは流石に彼女も口にはできなかった。


「ヒガンは……いつも一緒に遊んでた子供のグループのリーダーで……」


 ぽつりぽつりと語りだすレン。

 天井を見ながら話す彼の顔は空虚だ。


「一番年上で、頼りがいがあって優しくて……皆彼が好きで、後ろを付いて歩いてて……それで……」


 語尾が震えて……そして途切れる。

 ぽつりとシーツに涙の雫が落ちた。


 ベッドの上に身を乗り出したファルメイア。

 彼女が優しくレンを抱きしめる。

 そのまま何も言わずに彼女は再びレンが眠りに落ちるまでずっと動かなかった。


 そして眠ったレンの下を離れファルメイアとシルヴィアは私室に戻った。

 ……時刻はそろそろ明け方だ。

 東の空が白みかけている。


 はぁっ、とため息をついてからファルメイアは執務机の豪華な革張りの椅子に乱暴に腰を下ろした。


「もともとボッコボコにしてやる予定だったけどぶっ飛ばす理由がまた増えたわ。シンガンのあれをやったやつ」


 フン、と鼻を鳴らした紅蓮将軍。

 その彼女の前にシルヴィアが湯気の立つティーカップを置く。


「私のレンに……あんな顔をさせて」


 彼女が手にしたカップの紅茶が波打った。


「この世の地獄を見せてやる」

「レンの事がある前から貴女同じ事言っていたけど……」


 嘆息したメイド長にファルメイアが「ん?」というような表情になった。


「そうだっけ……? じゃあもう地獄の底を突き破ってその先の光景を見せてやるわ」


 そんな主人の様子に銀髪のメイドは短く苦笑して、そして真面目な表情になった。


「しばらくの間、ちょっと抜けがちになるけどいいかしら?」


 尋ねるメイド長にうなずく主人。

 何故か? 等とは聞かない。主従の信頼である。


「ありがとう」


 そう言ってシルヴィアは上品に一礼する。


「……怒っているのは、貴女だけじゃないわ」


 瞳に黒い炎を宿してまだ見ぬ陰謀の主たちへ向けて銀髪のメイド長は冷たく微笑んだ。


 ────────────────────────


 ヒガンとの戦で重傷を負ったレンがファルメイアの屋敷に担ぎ込まれて三日。

 彼は今立ち上がって自分の身体の調子を確かめているところだ。

 常人ならば全治数か月の負傷もそんな事があったことすら忘れそうな程に回復している。

 全ては主が手配した優秀な治療術師たちの力である。

 だがその為に莫大な費用がかかった事を彼は知っている。


「そんなのあんたは気にしなくていい。どうせお金なんていくらでもあるんだから」


 ファルメイアはそう言ってはいたのだが……。

 そうですか、と流せるような性格を彼はしていない。

 この恩も返せるようになりたいと思う。


「レン、起きてっか~?」


 トントンと部屋の扉がノックされ、ワゴンを押したモニカが入ってきた。

 ワゴンの上では分厚いステーキがじゅうじゅうと音を立てて湯気を立ち昇らせている。


「お嬢様が持ってってやれってさ。あんだけ血ぃ流したんだもんな。食えよ」

「ああ。ありがとう」


 うなずいて礼を言うレン。

 遠慮する気はない。食って血肉に変えて回復しなくては。

 そして、更に強くならなくては……。


 分厚いステーキに挑みかかりガツガツと豪快に攻略していくレン。

 彼の食事風景を椅子に座ってなんとなくモニカが眺めている。


(いい食いっぷりだなコイツ。昨日死にかけで運び込まれてきたとは思えないな)


 そしてブロンドのメイドはハッと目を見開いた。


『食欲を満たした後は俺が何の欲を満たしたいか……わかってるよな?』


 イマジナリーレンちゃんが悪い顔をして自分に迫ってくる。

 そんな脳内風景にガバッと勢いよくモニカは立ち上がった。


「す、ステーキの後は私を美味しく頂いちまうつもりなのかよ!!??」


「何ゆってんのお前!!!??」


 突然のメイドの絶叫にレンは口に含んでいたスープを勢いよく噴き出すのだった。

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