第31話 蠢くものたち
修練場の天井に向かってくるくると風車のように回転しながら巨大な剣が宙を舞った。
呆然としているライオネット。
その顎先に突き付けられた掌底。
腰を低く落とし、右手を突き出す姿勢で静止している者は黒髪に獣の耳を立てた青年である。
そして動かない二人の背後に派手な音を立てて大剣が落ちた。
「それまでだ。勝者レン・シュンカ」
審判役のディー教師が告げると周囲の生徒たちが歓声を上げた。
同学年で模擬戦でライオネットから一本取ったのはヒビキ以来レンが二人目であった。
だが武器同士で争った前回とは異なりレンは徒手空拳。
武器を持たずにあの巨大な剣を自在に操るライオネットから一本取る事は至難であろう。
模擬戦を終えた二人が互いに礼をしてから退く。
ふう、と大きく息を吐いたレンの下へ笑顔のヒビキがタオルを手に小走りに駆け寄った。
勝利したレンより彼女の方がずっと嬉しそうだ。
「レン! お前また凄く腕を上げたな。すごいカッコよかったぞ。あのなんか、よくわかんないでっかいヤツが手も足も出なくてさ」
「……よくわかんないでっかいヤツ!!!??? ライオネットだよ!!!」
そのヒビキのセリフに対して悲鳴にも近い反応をしたのはレンではなく少し離れたライオネットだ。
「おいどうなってんだよ!? この前まで普通に名前呼んでくれてたよな!? 何で俺がよくわかんなくなっちゃってんだよ!!??」
そして何故か彼はヒビキではなくサムトーに食って掛かっている。
暑苦しく迫ってこられてサムトーは迷惑顔だ。
「落ち着けって……。彼女の中でお前の存在がどんどんどうでもいい感じになってついに名前も思い出せなくなっただけの事だろ」
「だけの事じゃねんだよ大事件だろうが!! ……おい、ただでさえここのとこ座学の試験はレンに勝ったり負けたりなんだぞ。その上模擬戦で勝てなくなったら俺の立場はどうなんだよ。首席の俺の立場は」
ガクガクとサムトーの両肩を掴んで揺するライオネット。
「首席じゃなくなったお前は……なんかでかくてうるさいヤツだな」
「ぉぉぉぉぉ~……」
情けない声を上げて膝から崩れ落ちるライオネットであった。
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レン・シュンカが紅蓮将軍ファルメイアの屋敷で暮らし始めて間もなく半年が過ぎようとしていた。
学園で学び、それ以外の時間で師メルギスより戦闘の訓練を受け、そして屋敷の使用人として生活する。
忙しくも充実した毎日を過ごしているレン。
心なしか半年前より顔は大人びており、身長も少し伸びている。
「只今戻りました」
誰に言うともなく挨拶をしながら屋敷の門を潜ったレン。
その彼に突然ガバッと肩を抱いてくるものがいた。
「……レぇぇぇぇ~~~んちゃ~~~~~~ん、元気にしてっかぁ~? オイぃ」
「うわっ!!?? み、ミハイルさん……」
耳元で響く地獄の底からのようなビブラートのかかった低い声。
いきなり自分の肩を抱いて顔を寄せてきたげっそりと痩せこけ顔色の悪い長身の男。
主人ファルメイアの副官ミハイルだ。
「珍しいですね。ミハイルさんが屋敷に顔出すの」
「まァなぁ~。ちょいと近くまで来る用事があったもんでよ」
嫌がるレンを離したミハイル。
極端な猫背にも関わらず視線が頭半分レンより高い。
……かと思えば幽鬼のような男は何やらもじもじして周囲を見回している。
「そんでよ、レンちゃんよ。あの人はどこだよ……」
「あの人?」
怪訝そうなレンをぎょろりと大きな目を動かして睨むミハイル。
「お前ねぇ~とぼけてんじゃないですよぉ? あの人つったらお前、あのお美しいシルヴィアさんに決まってんでしょうがよ~」
「ああ……」
それなら最初から名前で言ってくれればいいのに、と思うレン。
「シルヴィアメイド長なら今日は用事で夜まで戻らないはずですけど……」
そうレンが答えるとミハイルは露骨かつ大袈裟に肩を落とした。
立ち昇る負のオーラが見えそうな気がするほどの落ち込みっぷりだ。
「なんだよクッソ。来るんじゃなかったぜ……」
ぶつぶつとボヤいてから肩を落としたままレンをジロッと見てくる。
「レンちゃんはいいよなぁ。あのお美しいシルヴィアさんと一つ屋根の下でよォ。うらやましいったらねえぜまったくよお」
「その……ファルメイア様とも同じ屋根なんですが」
レンが答えるとミハイルは数秒間黙ったまま動きを停止した。
なんだか物凄い難問にぶつかった学者のような渋くて困った顔で。
「……そっちは別にどうでもいいな」
「聞こえてんのよ、この野郎!!!」
二階の窓から響いた主人の叫び声と共に聞こえる風切り音。
かーん!と派手な音を立てて頭部に投擲されたインク壷を食らったミハイル。
彼は眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開き頭を押さえてしゃがみ込む。
「ぐぉぉぉぉぉぉぉ……ボーリョク反対ぃぃぃ~~~……」
頭にできたコブを擦りながら涙目でゆらりとミハイルが立ち上がる。
……これ、夜見たら本当に地の底から沸いて出た亡霊みたいに見えるだろうな、と声に出さずに思うレンである。
「それで、レンちゃんはどうなのよ? シルヴィアさんとはよぉ。返答の内容によっては新しい墓石が必要になっちゃうかもなぁ~?」
わざとらしく腰に下げたサーベルの柄に手を置き、ちゃらちゃらと揺らして鳴らすミハイル。
「最悪だこの人……。その……良くして貰ってますよ。弟みたいだって」
「ほほぉぉぉう。弟と来ましたか。弟……ねェ?」
ぎょろりと大きな目を動かして覗き込むように顔を寄せてくるミハイル。
幼児相手ならトラウマものの挙動である。
「……俺の事を兄さんって呼んでくれてもいいのよォん?」
「呼びませんよ」
乾いた声で拒絶するレンであった。
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帝国内のどこか。
地下の一室。
小さなランプ一つだけで照らされている室内は薄暗く、光源の部屋の中央の天井から離れれば離れるほど闇に溶けていくかのように黒く染まっていく。
そして、その部屋の隅に簡素な木製の丸椅子に腰を下ろす何者かがいた。
茶褐色の革製のフード付きの外套を着込んでおり素顔はよく見えない。
そしてもう一人、部屋には誰かがいた。
布製の衝立があり、その向こう側に。
フードの何者かがその衝立をチラリと見た。
衝立にはシルエットが浮かび上がっている。
背もたれのある椅子に座る何者かの影が。
「なるほど……」
衝立の向こう側から声がする。
抑揚のない男女どちらのものかもわからない低く抑えた声だ。
そしてパサッと机の上に数枚の紙を投げ出す音がした。
「活動を活発化させたな。紅蓮将軍。……兼ねてより我々の事を調べているようだったが、更に人員と資金を投入してきている」
「始末しますか」
革マントが低い声で言う。こちらははっきりとわかる男の声だ。
すると衝立の向こうからクククとくぐもった笑い声が聞こえた。
「自惚れるな。お前ごときで殺せる相手なら苦労はしない。天魔を冠する七人をヒトの物差しで計ろうとするな。七将は全員が人の姿をした厄災だ。巨大な雪崩や津波に立ち向かうようなものだと知れ」
「……………………………………」
衝立の向こうの声に革マントの男が沈黙する。
そして影が動く。
先程まで見ていた書類らしき紙よりは小さな、絵葉書ほどの四角い紙片を手にしたようだ。
「元気の素は……こいつか?」
そして影は手にした紙片を床に向けてヒュッと投げた。
衝立の下の隙間から滑り込むように飛んできたそれが革マントの男の足元に落ちる。
無言で紙片を拾い上げる革マントの男。
それは、念写と呼ばれる魔力で投影された画像であった。
四角いフレームの中に眼鏡を掛けた半獣人の青年が映し出されている。
「やれるな?」
「ええ、勿論。こいつを殺すならそれは俺の役目だ」
そう言って革マントの男は再び紙片に目を落とし、フードの下に見える口元を笑みの形に歪めた。
「友達なのでね。……なぁ? レン」




