第24話 朝を迎えて
『物乞いの放浪者』
そういった体でその男は自分の前に現れた。
頻繁にあることではないが稀有な事例というわけでもない。
……その男を紅い髪の女将軍はちらりと一瞥する。
半獣人の青年だ。まだ年若い。
自分と同じで成人はしていないだろう。
表情にも態度にも欠片も表すことはないが、正直半獣人を見ると未だに半年前の一件が脳裏を過って少し憂鬱な気分になる。
最初に不信感を持ったのは面相だ。
目に知性と品格が感じられる。
下卑た振る舞いをしようがそれが隠しきれていない。
「どきなさい」
目の前の部下を退かしもう少し直接観察してみる事にする。
直に目を合わせてみて即それを感じ取った。
(……あれ? こいつ)
それはほんの微かな……。
恐らくはそれを向けられた本人である自分だからこそ辛うじて感じ取れたもの。
(こいつ、私のこと殺す気だ。……なんでだ?)
抑え切れずにわずかに漏れた殺意だった。
ファルメイアの疑問はすぐに氷解することになる。
「レン。……レン・シュンカです」
青年はそう名乗った。
(レン・シュンカ、聞き覚えがある。ええと……)
半獣人である事からその記憶を探り当てるのは容易だった。
(そうだ。リュウコウ殿の。……なるほど、やっぱりシンガン絡みか。そりゃ殺しに来るわよね)
咄嗟に名乗ってしまった本名。
レンはそれをどうせ知るはずはないのだから構わないだろうと思っていたが事実は異なった。
紅蓮将軍はレン・シュンカの名を知っていた。
半年前任務で派遣された街の、その代表者であった太守リュウコウ。
ファルメイアは事前に彼とその関係者の事を調べ全て頭に入れてあった。
その中にはリュウコウの娘夫婦の一人息子……レンの名もあった。
さて、相手の殺意の出所は察しがついたのだが……。
(参ったわね。今私がそれは誤解だって言ってもこいつ信じるわけないし)
そもそもあの一件は自分としても恥ずべき汚点。弱点とも言える秘密である。
よく人柄を知らない相手に軽々に打ち明ける気にもなれない。
ほんの僅かな間彼女は悩み……そして結論を出した。
「じゃあレン。あんたは私が拾ってあげる」
(仕方ない。とにかくこいつはうちで引き取ろう。こんなのその辺フラフラさせとくわけにはいかないしね)
いざそう決めてしまうと存外に名案のような気がしてくる。
(どうせこいつ……これから私の人柄に触れて例の件の真相を知れば感涙に咽び泣いてひれ伏して永遠の忠誠を誓う事になるでしょ。それならもう最初から躾けてしっかり教育して優秀な腹心になるように育成しておけばいいのよ。うん、いいじゃない。流石紅蓮将軍様! 絶世の美少女! 賢いわ私)
内心でふんぞり返るファルメイアであった。
無論周囲の騎士たちにはそんな様子はおくびにも出さなかったが……。
こうして紅蓮将軍ファルメイアは自分の屋敷に使用人としてレンを住まわせることに決めた。
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どこからか小鳥の鳴く声が聞こえてくる。
いつの間にか日の出の時刻になっていたようだ。
……自分は少しは眠ったのだろうか。
それとも結局一睡もしていないのだろうか。
天井を見上げながらボーッとレンはそんな事を考えていた。
何だか、夢を見ているような……激流に飲み込まれてどこまでも押し流されたかのような……そんな一夜であった。
二人で眠るにはやや手狭なベッドの上。
隣ではファルメイアが寝息を立てている。
並んで横になっているのだが広さの関係で寄り添うように二人は身体を接している状態だ。
その彼女が薄っすらと目を開く。
「おはよう」
そして軽く笑ってからそう言った。
「あ、その……おはよう……ございます」
気恥ずかしさからなのか自分でもよくわからないが、彼女を直視できずに目を逸らしたレン。
そんな彼の様子にファルメイアが嘆息しつつ苦笑する。
「ま……いきなり『俺の女だ』みたいに振舞われてもあれだけどね。ほら、こういう時はまずキスよ、キス」
トントンと自分の下唇を軽く人差し指で叩いて要求してくる主にレンが恐る恐ると言った様子で顔を寄せる。
……そして部屋に差し込む朝陽を背景に二人の唇が重なり合った。
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「念のため聞いておくけど、あんたこういうこと初めてだったのよね?」
いまだベッドの上の二人。
縁に座って足を下ろしているレンに対してファルメイアはベッドの真ん中で胡坐をかいている。
そのあられもない姿にレンは彼女を直視できない。
「はい。まあ、そうです……」
「そう。よかったわ。私だけ初めてとかなんかイラッとするし」
うむ、と納得したようにうなずくファルメイア。
そして彼女はレンの背に手を伸ばすと軽く撫でた。
「……!」
ピリッとした痛みを感じてレンが一瞬顔をしかめる。
「まー、我ながら結構派手にいったわね」
改めて自分の体を見下ろすレン。
あちこちに引っかき傷と歯形がある。少し血の滲んでいる個所もある。
今彼女が撫でた個所も自分の爪痕だろう。
「私もあっちこっち痛いしおあいこよおあいこ。この位の方がいい記念になるわ」
からからと明るく笑っている主人に釣られて何となくレンも微笑を浮かべていた。
「……さってと、流石に今日はサボっちゃおうかな」
昨夜乱暴に脱ぎ散らかしていた下着と部屋着を拾って手早く身に着けるファルメイア。
「あんたも今日は休みなさい。後で傷が目立たなくなる薬を出してあげる」
そして彼女は天井から下がっている使用人の詰め所に繋がるベルの紐をぐいっと引っ張った。
程なくして扉の外に人の気配がする。
「お嬢様、御用でしょうか」
聞こえてきた声はモニカのものだ。
もし彼女が今扉を開いたら……。
未だに全裸のレンが慌てる。
「体調が優れないの。今日の公務はキャンセルするわ。シルヴィアにそう伝えてちょうだい」
だが幸いにも主は扉を開けずにそう言った。
ほっと胸を撫で下ろすレン。
「わ、わかりました」
「後ね、レンも休ませるから。それも合わせて伝えておいて」
扉の外でガタッと音がした。
何の音かはわからないが……。
「ひ、ひえっ……りょりょ、了解っす!!」
上擦った声で答えるモニカ。
かなり動揺しているようだ。
そしてどたばたと慌ただしい足音が遠ざかっていく。
「よし、汗を流すわ」
んー、と伸びをしてからファルメイアは備え付けの浴室の戸に手を掛けた。
扉を開いてからふと彼女がレンを振り返る。
「……一緒に入る?」
「!? え、いや、その……それは……」
動揺して挙動不審になるレン。
その様子にファルメイアが思わず吹き出す。
「慌てすぎよ。ビシッとしなさい」
そうして彼女は浴室に消えていった。
後に一人残されたレンは安堵したように肩を落とすとフーッと大きく長い息を吐いたのだった。
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紅蓮将軍の屋敷の朝の廊下を一人のメイドが爆走している。
湯気が出そうなほど顔面を真っ赤にしたモニカが。
「とっ、とんでもねえ! アダルティだ……アダルティだよこの屋敷は……!!」
スカートの裾を上品に摘まんで持ち上げつつも猛牛のように暴走しているモニカ。
目的地であるはずのシルヴィアの部屋の前はとうに通り過ぎてしまっているのだが彼女はそれに気付いていない。
「どどど、どうしてだ!? いつから私の職場はこんなおピンク道場(?)になっちまったんだ!?」
答えの出ない疑問を脳内でぐるぐると渦巻かせながらブロンドのメイドはゴールのない爆走を繰り返すのだった。




