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紅蓮将軍、野良猫を拾う  作者: 八葉
第一章 炎の記憶の復讐者
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第23話 刃の夜 後編

 ……ファルメイアは今、書類に完全に集中している。

 振り返る様子も、声を掛けてくる様子もない。


 主の部屋の豪奢なカーペットは静かに迫るレンの足音を消し……遂に彼は短刀を手に紅蓮将軍の真後ろに立った。


「…………………」


 今、自分の眼下にはファルメイアの白いうなじがある。

 ここに、この刃を突き立てれば全ては終わる。

 復讐が……終わる。


 ……そして、その時は自分の人生も終わるのだろう。


 白刃を両手で持って……頭上に振り上げる。

 震えているのがわかる。

 だがそれがどのような感情から来るものなのかはよくわからない。

 恐怖なのだろうか?

 興奮だろうか?


 ……さあ、この刃を……………。


 振り下ろせ。


 震えが激しさを増す。

 呼吸が乱れる。この呼気で気付かれてしまう! 落ち着けなくては……。

 感情がかき乱される。

 思考が揺れる。

 ぐちゃぐちゃの頭の中にいくつもの顔が思い浮かぶ。

 故郷の家族が友人たちが……そして屋敷の皆が、学園の皆が……。


 そして、紅い髪の彼女が。


『イグニス・ファルメイア!!!!』


 声には出さずに青年は咆哮する。

 魂の底から声なき叫びを発する。


『お前は……お前はなんで残酷な女だ!! 俺には復讐しかなかった!! それだけでよかった!! 他には何もいらなかった!! それさえ果たして自分もこの世から消える……それでよかった!! それなのに……それなのに』


 今、自分が思い浮かべたものが……。

 無くしたくないと思っているものだと、彼は気付いてしまった。


『その俺に、こんな……こんなにも多くのものを、多くの未練を……与えて……』


 そのせいで自分は今、死ぬことがこんなにも怖い。


 頬を熱いものが伝う。

 無くしてしまったはずのものが……あの日から一度も流せていない涙を今レンは流していた。


『……ごめん』


 その謝罪は失われてもう戻ってはこないものへ。


『俺には……できない』


 刃を下す。

 ゆっくりと後ずさるレン。

 どのくらいの時間の出来事だったのだろうか。

 1分? 或いは5分ほどか……彼にとっては永遠にも感じられた時間だった。


「……どうしたの?」


 不意にファルメイアが口を開いた。

 振り返らずに彼に背を向けたままで。

 彼女から数歩遠ざかっていたレンは返事ができない。


 座ったまま彼女は椅子を半回転させて背後のレンと向き合う。


 ……涙を流している、短刀を手にした彼と。


「やらないの?」


 問いかけるファルメイア。

 レンの異様な様子を気に掛ける風もなく。

 彼女は怒りでもなく悲しみでもない澄んだ静かな視線を彼に向けている。


 それでレンは彼女がこの事態を想定していた事を知る。

 そして恐らくは自分の素性も彼女はとうに知っていたのだろう。


「どうして……」


 ようやく口から声が出る。

 乾いて震えた声だった。


「どうして……シンガンを……俺の故郷を焼いたんですか」


「…………………」


 その問いに彼女は一瞬沈黙した後で目を閉じて長い息を吐いた。

 嘆息とも違う複雑な感情が入り混じった吐息だ。


「それで……」


 再び目を開いてレンを見る紅蓮将軍。


「それで、あんたは私がどんなご立派な理由を口にしたらその事に納得するわけ?」


「……………………」


 今度はレンが問いかけに対して沈黙する番だった。


 ……彼女の言う通りだと思った。

 どんな理由があろうとそんな事はどうでもいい。

 自分はただ、果たせなかった暗殺の言い訳を探しているだけに過ぎない。

 それを悟って彼は哀しく笑った。


 ならばもう……ここでいいだろう。


「さよなら」


 そう言ってレンは手にした短刀の刃を自分の首筋に当てた。


「……ッ! この……すかぽんたん!!」


 瞬間、床を蹴って紅蓮将軍が動いた。

 目では追えない高速で一瞬にしてレンの前にいた彼女が彼の手首を蹴り上げる。

 鋭い切っ先がレンの喉をわずかに抉って赤い雫を数滴飛ばした。

 蹴り飛ばされた短刀はカーペットの上に音もなく落下する。


「……ど、どうして……」


 呆然としているレン。

 どうして死なせてくれないのだと。

 その彼の視界が突然激しくぶれた。

 頬に灼熱を感じて、次いで口の中に鉄の味が広がる。

 ……殴られたのだと一瞬の間を置いて彼は気付いた。


「勝手な事するんじゃない!! 誰がそんな事を許したのよ!! あんたは私のものなんだから勝手に死ぬなって言ったでしょ!!」


 激しく怒っているファルメイアにレンは愕然とする。

 自分は……彼女を殺そうとしたのに。


 はぁっ、と大いに怒気を孕んだため息をつくファルメイア。

 そして彼女はじろりとレンを睨む。


「あんたの抱えてるもやもやを少しだけ晴らしてあげる」


 紅蓮将軍が腕組みをして仁王立ちになる。


「あんたの故郷を燃やしたのは私じゃないわ」


「…………!!」


 絶句して目を見開くレン。

 ファルメイアは不機嫌そうに口をへの字に曲げる。


「あれは私もはめられたのよ。……思い出しても腹が立つ」


 ふん、と彼女は鼻息を荒げている。


「どう? 信じる?」


「……わかりません。頭の中がぐちゃぐちゃで」


 正直に答えて首を横に振ったレン。

 それが真実であれば……と、そう祈るように思いながら。

 うむ、とその返答に対してファルメイアはうなずいた。


「それでいいわ。信じます、とか言われたらもう一発ぶん殴ってた所よ。裏付けのない話をそうほいほい受け入れるものじゃないわ」


 ずいっと彼女がレンに寄った。


「私の言葉が真実である事の証明はおいおいするとして。とりあえず……!!」


 襟首を乱暴に掴んできたファルメイアにまた殴打されるのかとレンは身構えた。

 だが彼女はそういうつもりではなかったらしい。

 ぐいぐいと引かれて頼りない足取りでレンが引っ張られていく。


 書棚とは反対側の壁の所までレンを引っ張ってきたファルメイア。

 そこには彼女が仮眠に使っているベッドが設置されている。

 そのベッドへ……彼女はレンを突き飛ばした。

 尻もちを突く形でベッドに座った彼の前に再びファルメイアが仁王立ちになる。


「あれだけあんたには私のものだって言ってあるのに……あんたはどうもピンときてないらしいからこの際、徹底的にそのへん思い知らせておく事にするわ」


 ふん、と鼻を鳴らしてファルメイアもベッドに上がってきた。

 膝を立てた彼女が片手で後頭部で髪の毛を束ねていた紐を解く。

 深紅の髪がふわっと広がりレンの鼻腔にいい匂いが届いた。


「脱がせなさいって言いたいところだけど、どうせ無理でしょ。今日は勘弁してあげる」


 笑うファルメイア。

 その笑みはどこか加虐的だ。


 そのまま彼女はブラウスを脱ぎ、無造作に脇へ放った。

 続いてスカートも脱いでやはりそれも投げ捨てる。


「……なっ!?」


 下着姿になった主に動揺したレンが慌てて顔を背けた。

 そのまま尻を擦って後ろに下がろうとするレン。

 だがすぐにその背が壁にぶつかる。


「ほら逃げるな。覚悟決めなさい、ここまで来たら」


 そして彼女がパチンとスナップを利かせて指を鳴らすと部屋の照明が一斉に落ちた。

 暗くなった書斎。

 今はただ窓からの月明かりだけが室内を幻想的に青白く照らし出している。


 下着に手を掛けそれも脱ぎ去るファルメイア。

 月光に照らされ彼女の美しい裸身が浮かび上がる。

 レンを見て彼女が笑う。

 挑みかかるような、それでいてどこか艶のある笑み。

 ……その彼女の呼吸も幾分か乱れているようだ。


 手を突いて四つん這いの姿勢で彼女がレンににじり寄る。


「……ファルメイア、さま……」


 掠れたか細い声を上げるレン。

 彼は今大混乱の最中である。


「イグニス」

「……?」


 吐息がかかる程顔を寄せて彼女が囁く。


「イグニスって呼びなさい」

「イグニス様……」


 瞬間、彼は唇を奪われる。

 言葉を遮るようにやや乱暴に。


「様はいらない。……ちょっと、あんたのキス血の味がするわね」


 それは先ほど彼女がレンを殴打したからなのだが、もはやそんな言い訳ができる状況でも精神状態でもないレンである。


「……イグニス」

「うん。それでいいわ」


 微笑んで彼女が再度レンと唇を合わせる。

 今度は長いキスだった。


「……言っておくけど、私経験ないから手加減とかできないからね。できたとしてもする気ないけど」


 唇を離すとレンを押し倒してファルメイアが伸し掛かってくる。


「一生に一度の事なんだから思いっきりいくわよ。死ぬ気で付いてきなさい」


 凡そ寝台の上の裸の男女のする会話ではない気もしたがともかくレンはうなずいた。

 そして彼女はレンの耳元に唇を寄せた。


「あんたも私をぶっ壊すくらいのつもりできなさいよね。全部受け止めてあげるから」


 そう言って彼女は微笑むと言葉の通りにやや乱暴にレンに覆いかぶさってきたのだった。







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