第16話 一部接触
扉を閉めたヒビキがゆっくりとレンのベッドに歩み寄る。
「大分よくなったよ」
彼女の父親と話をしていた時の上体を起こした姿勢のままでレンは彼女を出迎えた。
「そろそろ帰れるそうだ」
「そ、そっか……」
何故か若干どもっている彼女。
ベッドの脇へ立つヒビキへレンは視線で椅子を薦めた。
意図を察した狐耳の少女が椅子に腰を下ろす。
「そりゃ……よかった。何かあったらどうすりゃいいかわかんねえし……」
不器用ながらに安堵の気持を表してほっとした様子のヒビキ。
それきり少しの間会話がなくなった。
無言の空間にレンが若干の居心地の悪さを覚える。
とは言ってもここで彼から話題を切り出せるほど社交的な性格はしていない。
すると、椅子の足を擦って座ったままヒビキがグッとレンに寄ってきた。
そのまま彼女はベッドに手を突いて半身を乗り出すようにする。
「……………」
元々沈黙の場であったがレンは言葉を失い彼女に見入った。
その時のレンの心情を言葉で説明するのは難しい。
改めて見ても美少女だ。いつもどこかそっぽを向いてつまらなそうな顔をしているイメージの彼女。
だがこうして真正面からその瞳を覗き込んでみるとファルメイアとはまたタイプの違うシャープな感じの美少女である。
感想は「綺麗だ」と、それに尽きる。
ファルメイアのような「炎」のイメージのある華のある美しさとはまた違った「氷」か「風」のイメージの凛としてそれでいて清楚な印象の美しさだ。
涼やかな切れ長の目元。瞳の色は鮮やかなブルー。
トウシュウ人の……それも半獣人の女性を見るのは初めてだが大陸人とは違う独特の顔立ちだが整っていて美しい。
「な……なんだよ……?」
「いいじゃねえかよ、減るモンじゃねえし。ちょっともっとよく顔見せろよ」
動揺して若干上ずった声で言うレンに逆に落ち着いた様子のヒビキ。
今度はいつもとは逆にレンの方から耐え切れず視線を逸らす。
「じっと見られると落ち着かない」
「どうしてアタシを庇った? クラスメイトったって話したことだってねえし、よく知らない相手だろ」
……その質問は先だってファルメイアからも受けた。
なんとなくだとぼやかして答えた質問だ。
だが、実際には理由はあった。
彼女には告げられなかった理由が。
「どうってことない話だ」
ここで彼が正直に告げる気になったのは、ヒビキが興味本位などではなく本気で自分に問うているのだと悟ったからである。
真剣な相手には自分も誠実に対応するべきと判断したのだ。
「見ての通り俺も半分ケモノだ。帝都じゃ俺みたいのは異端だし。疎外感や若干の居心地の悪さみたいなものは常に付き纏ってる」
「………………………」
独白のようなレンの言葉を黙ったままヒビキは聞いている。
その表情は風の無い日の湖面のように動かない。
「お前の……その三角の耳を見てると故郷やそこの家族や友達の事を思い出す。だから咄嗟に身体が動いた。それだけだよ」
ふっと苦笑したレン。
改めて言葉にしてみれば本当にそれだけだ。
気の迷いのようなものだ。
ノスタルジーに背中を押されて。
ただその時に脳裏を過ぎった故郷が……そして家族や友が……。
既に失われており、もうどこを探してもいないのだという事だけは誰にも悟られるわけにはいかない。
「ご大層な理由を期待してたなら申し訳ないがな。正義感でも友情でもない」
言いながらレンはもし今回自分が命を落とす事になっていたら、と……そんな事を考えていた。
復讐という救いのない道から外れて、誰かを助けて自分は死ぬ。
……それはひょっとしたら自分にとってこの上のない救済だったのではないか。
その機会はもう失われてしまったが……。
「そっか……」
納得したのか失望したのか……ヒビキのその時の口調からは彼女の感情を読み取るのは難しい。
銀の髪の少女は一度目線を手元へ落とし、それから再度顔を上げてレンを見る。
何かを決意したような顔立ちだった。
「よし、決めたぜ」
そして唐突に彼女はそんな事を言い出した。
「……決めた? 何を……んンッ……」
レンの言葉は途中で遮られた。
彼女の……ヒビキの唇によってだ
「……!!??」
突然の事に動転して目を白黒させているレン。
両手をベッドに突いたまま前に身を乗り出したヒビキが突然自分にキスしてきたのだ。
それを突き放すことも出来ずに石と化したレン。
……そのままどれほどの時間が流れただろうか。
恐らくは一分か、その程度なのだろうが。
「ん、まあ……こんなもんか」
唇を離してから、まるで感触を確めるかのようにぺろりと舌を出して自分の唇を舐めたヒビキ。平然としているように見えるが頬ははっきりと紅潮している。
「……な、な、な、何を」
引き攣った顔で掠れ声を出すレン。
言うまでも無くファーストキスだ。
「別によ、彼女にしろとか言いたいんじゃねえよ。そんなビビんなって」
「いや……驚くだろ」
実際レンの顔はいまだに強張ったままだ。
「でもアタシはこういうのよくわからねえから、ストレートにいくしかないんだ」
「……え? ストレート?」
唐突な宣言に思わず素になってしまったレン。
照れ臭そうに笑いながらヒビキが少し身を引いた。
そして、彼女はレンの右手を両手で取って持ち上げた。
「レン……お前はもう独りじゃない。これからはアタシがいつも側にいるからな」
「いや、その……」
潤んだ瞳で自分を見つめてくるヒビキにレンがしどろもどろになる。
いくら自分が鈍かろうがわかる。いきなりキスしてきた後にこれだ。
好意を持たれている……それも、割かし重めな感じで。
「アタシの耳が気になって舐めしゃぶりたくなったら遠慮せずいつでも来てくれていいんだぜ」
「思った事ねえよ!!!」
耳元に唇を寄せて囁くように言うヒビキに思わず大きな声を出してしまうレン。
人の故郷やら家族やら友人やらを何だと思っているのだろうか。
やられる本人は良くても他人にそんな光景を見られた日には二人で孤立してしまう。
「いや、だから……そういうのじゃないから。なつかしいな、とかそういう優しい気持のあれであって、ドロドロしたやつじゃないから」
しかしヒビキは離れない。
再接近してくる彼女はベッドの上に片膝を置いてほとんどレンに寄りかかってくるような体勢になっていた。
「……そ、その……もし、もしもだ……」
その甘い囁きに背筋を何かがぞくりと通り過ぎていくのを感じるレン。
耳元に熱を感じる。
「故郷の家族や友達を思い出しながらアタシをメチャクチャにしたいなら……こ、応えてやったっていいぞ……」
「何させる気!? そんな歪んだ地元愛持ってないし!!!」
どれだけ人を特殊性癖持ちにしたいのか。
お父さんやっぱり娘さんお友達いない青春送りすぎてちょっとヘンになっちゃってますよ、とジンシチロウの顔を思い浮かべながら考えるレンである。
ともかく物理的に遠ざけねば。
両肩に手を置いてレンはゆっくり自分からヒビキを押しのける。
「照れ屋さんかよ。まあいいさ、焦る事はなんもないもんな」
やや拗ねたように言って素直にヒビキはレンから離れた。
そして立ち上がるとやや乱れていた髪を手櫛で整える。
「アタシとお前の青春は始まったばっかだもんな! 全部これからだよな!」
そして来た時よりも随分軽やかになった足取りで病室を出て行く。
「早く元気になって戻ってこいよ……教室で待ってる!」
元気よくそう言って扉を閉め彼女は帰っていった。
「……困った事になった」
そしてベッドの上で独りレンが乾いた声で呟くのだった。
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病室を出たヒビキは茹蛸のように真っ赤になるとはぁっと熱い吐息を漏らす。
暴走した自覚は自分でもある。
しかし気持ちが抑えられなかった。
(やっ、やっ、やっちまった……せ、接吻かましちまったッ!! 勢いでいけるもんなんだな……自分のやった事とも思えねえ)
とはいえ向こうはフリー(のはず)……そして自分に最早縛るものはない。
ならばもう推して参るのみ。
(青春なんか……縁がないもんだと思ってたけどよ)
涼やかなツリ目がキラリと光る。
歩みは徐々に力強さを増していつしか早足になっていた。
(……友達はいないけど、好きなヤツはできたぞ!!!)
乙女が走っていく。
すれ違った学園生がそれを何事かと振り返るのだった。




