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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヒロインから王子を奪って、嫌われている筈なのに何故か溺愛されるようです




侯爵令嬢アステラは品行方正で美しく賢く、まさに見本のような令嬢だった。

由緒正しい貴族の家に生まれて、完璧な貴族になる為に厳しく育てられてきたのだから、当然と言えば当然だ。

しかしアステラは時々、そんな貴族令嬢の自分に違和感を感じていた。

その違和感の正体が何なのかずっと分からなかったが、アステラはある日それが何なのか知ることになる。



きっかけは、とある銘家のご令嬢が開いたお茶会だった。



その茶会の席で、アステラはテラスに出されたテーブルの角に座りまったりとお茶を飲んでいた。


優雅に落ち着いた様子に見えるアステラだが、内心はそんなに穏やかでは無かった。

アステラの家と対立関係の派閥に属する家の令嬢が何人か、同じお茶会に参加していたからだ。


お茶会というのは、令嬢たちの情報源であるのと同時に、令嬢たちがマウントを取り合う戦いの場でもある。

先日の舞踏会で一番注目を集めていたのは誰か。

良い縁談の話が一番多くあるのは誰か。

何処のパティスリーが一番おいしいか。

家同士の権力バランスはどうなっているのか。

それから、次の王位を継ぐのは誰か。


顔では笑って、相手に弱みは見せないように。

令嬢間の格付けには負けないように、適度にマウントを取って。

そして家名に泥を塗らないように、全力で見栄を張る。

面倒くさいが、アステラのような名の有る家の令嬢は、こういう場でもうまく立ち回ることが求められる。

厳しい両親から厳しい教育を受けてきたアステラは、この日も本当の自分を上手く隠して最高の令嬢を演じるつもりだった。


だが。

アステラが話しかけようとして隣の令嬢を見た時だ。

その一瞬で、アステラの頭からは令嬢らしく振舞う事なんてすっかりと抜け落ちていた。


「なっ……!!!」


アステラの隣の令嬢は、アステラが話しかけようとしたのを察してか、振り向いて微笑んだ。

優しい笑顔。

春の木漏れ日のように優しくて、白いレースのように上品な令嬢。


「はじめまして。私、リリーナ・レインドールです。貴女のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「っ」


アステラは、令嬢の顔を見つめたまま、まるで言葉を忘れたかのように息を詰まらせた。


……知ってる。

わたし、リリーナちゃんを知ってる。


今日初めて会った彼女のことを既に知っていると感じた瞬間、アステラの中で熱い思いが溢れてきた。

そしてついでに、ブワッと涙も流れて来た。


「り、リリーナちゃん……」

「ど、どうなさいましたか?!どこか痛むのですか?よろしければこのハンカチをお使いください。あの、ほんとうに大丈夫ですか?」

「リリーナちゃんが目の前に……っ!!!」

「え、あの」

「しかも、生きてるっ……!」


固まったままいきなりボロボロ泣き出したアステラを心配して、リリーナはハンカチを取り出してアステラの手に握らせてくれた。

リリーナは突然泣き出したアステラに焦っていた。しかしアステラは、暫く放心したようにボロボロと泣いていた。


……目の前に、前世の私が推していたキャラクターがいる。

この世界には、私の大好きだったヒロインちゃんがいる。

リリーナちゃんが、目の前にいる!


この日、アステラが時々感じていた違和感と頭の中にかかっていた靄が、一気に晴れたような気持ちになった。

前世で大好きだった推しの女の子がリアルになって目の前に現れたことで、アステラは前世の記憶を一つ残らず思い出したのだった。






アステラ・レイユースは由緒正しき侯爵家の長女として生まれた。


アステラの兄弟には家督を継ぐ兄と、わがままな妹がいる。

そしてアステラの家は第一王子を次の王にと推す、第一王子派の筆頭である。

アステラの両親は、何としてでも第一王子を王にして国の中枢に食い込みたいと考えているようだった。


いかにも貴族貴族したアステラの両親は長男と、長女であるアステラにひときわ厳しく接していた。

アステラのことは最高の貴族令嬢とするべく、礼儀作法のみならず舞踊も馬術も武術も、ありとあらゆるものを教え込んだ。

勿論学問もスパルタだった。おかげで女学院も首席で卒業したくらいだ。

またアステラは髪は銀色、瞳は薄紫と、すれ違う人がアッと振り返るくらいには整った見た目をしている。

アステラはおおかた両親の思惑通り、素晴らしい令嬢に仕上がっていた。


この貴族社会で勝ち組とも言えるレベルにまで上り詰めたアステラだが、時折虚しいような、何かを忘れているような、変な違和感を感じる時があった。

自分とはこんな人間だっただろうか。周りの環境や常識はこんな風だっただろうか、とそんな風に思ってしまうのだ。

そして実際に記憶の混濁もあり、変な言葉を口走ってしまう事があった。


「そういえば、そろそろ月見バーガーの時期だあ」

「月見バーガーとは、なんですかお嬢様」

「え?ごめんなさい、自分で言ったのにわからないわ」


「お見合いの申し込み?写真とプロフィールがあるし、これはマッチングアプリと同じ要領だねえ」

「マッチングアプリとは、なんですかお嬢様」

「あっ、わたしまた変なことを口走ってしまったみたいだわ」


「今度の舞踏会でブレイクダンスしたらみんな驚くかなあ」

「ブレイクダンスとは、なんですかお嬢様」

「あら、何となくそれに興味があったような気がするのだけど……」


ずっとアステラに仕えてくれているメイドなんかは、アステラの意味不明な単語に毎回首をかしげていた。

そしてアステラ自身も、単語の意味が分かりそうで分からない気持ちの悪さと、頭にかかった靄のような違和感にずっと悩まされていたのだ。


しかし、そんなアステラの苦悩も先日リリーナと出会ってお終いとなった。

リリーナがトリガーとなり、アステラの前世の記憶が完全に蘇ったからだ。

月見バーガーは秋になったら食べたいやつで、マッチングアプリはよく使って変な男に騙されていたやつ。そしてブレイクダンスは趣味にしようと思ったけど、パリピしかやってなかったので怖くて挫折したやつだ。


それからアステラは自らの前世も完全に思い出していた。

アステラは都会で細々と生きる、ブラック企業勤めの社畜だった。

そして日々の残業で疲弊したアステラの唯一の心の支えは、ゲームの中のリリーナだった。


美しくて優しいリリーナが登場するゲーム、それは、陰鬱な乙女ゲームだった。


このゲームの世界は、王位の継承者を決める争いの真っ最中だった。

王位を継げるのは、王の血を引く兄妹で一番優れている者だ。

今回は、特に優秀な第一王子と第三王子が筆頭候補で、それを取り巻く貴族たちはどちらに付くべきかと策略を巡らせていて、ゲームは全体的に権謀術数がめぐる薄暗い世界観だった。


そしてそんなゲームでプレイヤーはリリーナとなって、相手役の第三王子、ゲオルグ・ヘルハイヴと交流する。

だが陰鬱乙女ゲームのヒロインであるリリーナはどれだけ慎重に選択肢を選んでも、どれだけ隠しルートへ進んでも、不幸になるのだ。


たとえば、些細なことで怒ったゲオルグに殺されてしまったり。

王位の継承権を争うさなかに、ゲオルグから人質として敵方に送られて殺されてしまったり。

第一王子に王位継承権を取られたゲオルグ共々殺されてしまったり。

そして王位継承争いに勝ったら勝ったで、権力を持ったゲオルグが隣の国の侵攻をはじめて国が血みどろになってしまったり。

それから、幽閉されたり監禁されたり、追放されたり処刑されたり、盾にされたり囮にされたり。

それはもう、ありとあらゆるバッドエンドが詰め込まれていたのだった。


要するにあのゲームは、鬼畜王子の所為で優しくてかわいいリリーナが毎回バッドエンドを迎えるクソゲーだったのだ。


だが前世のアステラは、そんなクソゲーでもプレイを止められなかった。

画面の向こうで、どんなに辛くてもどんなに不幸でも、どんなに裏切られて絶望しても、一途に相手を慕う姿を見せてくれたリリーナを放ってはおけなかったのだ。


それに、社畜である自分の立場とも重ね合わせてリリーナを見ていた。

こんなに辛い中でも頑張っているリリーナちゃんがいるんだから、自分も残業頑張ろう。怒鳴ってくる上司が怖くても頑張ろう。おなかが痛くて吐き気がするけど頑張ろう。

リリーナちゃんはブラック企業で働くよりもっとつらい人生を歩んでいるけど、優しい心を忘れてない。だから自分もまだ頑張れる。

大変だけど、いつか絶対二人で幸せになろうね。


そんな感じで、前世のアステラはいつもリリーナに励まされていた。

励まされ方としては傷の舐め合いと言うか、少々不純なものだったけれど、極度のストレス下にあった前世のアステラにとっては、リリーナの存在は嘘偽りなく支えだった。

結局ストレスと過労で死んでしまった前世のアステラだけど、リリーナがいなかったら、きっともっと早くに死んでしまっていただろう。

だからこうして生まれ変わって実物のリリーナに会えて、アステラは鼻血が出るほど嬉しかった。


しかし丸一日置いて冷静になってくると、一つの懸念が頭に浮かんだ。

それは、この世界でもリリーナはきっと不幸の元凶の第三王子を好きになるだろうし、そうすればきっとバッドエンドになることは免れないという事だった。


前世のアステラは、結局リリーナをハッピーエンドに導いてあげることが出来なかった。

でも何の因果か、今世のアステラはこうしてリリーナと同じ世界に生きている。


……もしかして今のわたしなら、リリーナちゃんの別のルートを見つけてあげられる?


今のアステラには、画面越しに選択肢を選ぶことしかできないプレイヤーにはない、この世界に生きる身体がある。

この身体を使えば、存在しないと言われた幻のハッピーエンドを見る事が出来るのではないだろうか。


……できる、かもしれない。


いや。できるかもしれないではない。やるのだ。

あの推しキャラクターのハッピーエンドを見る為ならば、アステラは馬鹿にでも修羅にでもなる。

というかもはや、リリーナを幸せにするためにアステラはこの世界に生まれてきたのだ。


……わたしがリリーナちゃんを絶対に幸せにしてあげるんだ。


そんなふうに一人で決意したアステラは、早速行動を開始したのだった。





「リリーナさんへ。今度一緒に新しくできたカフェに行きませんか……っと」


お茶会後、アステラは早速リリーナに宛てて手紙を書いていた。

リリーナを守るためには、まず情報が必要だ。

今はゲームだとどの段階なのか、など見極める必要があることは山ほどある。

けっして、推しと仲良くなりたい、推しの声を聞いて推しの顔を眺めてニヤニヤしたい、という下心があったわけでは無い。うん。



手紙を出してから、意外にも、リリーナからの返事は三日と経たず直ぐに返って来た。

実は、リリーナの家は小さいが何となく第三王子派に属している家で、アステラの家はバリバリの第一王子派なので、繋がることはもう少し渋られるかもとも懸念していたのだ。

だがそれらのことには一切触れられておらず、リリーナの返事は終止好意的な文面だった。

もしかしたらアステラが侯爵令嬢でリリーナが子爵令嬢なので、格上の誘いを断れなかっただけかもしれない。

だけどそれでも、出かける約束が出来たことが嬉しかった。


「ふふふふふ。楽しみすぎる」


アステラは知らず知らずのうちにニヤニヤし、声を漏らしていた。


「お嬢様?何を笑っているんですか?」


文机で舐め回すように手紙を見ていたアステラを見て、メイドが訝し気に首を傾けた。

上品では無い笑い声をたしなめるような声色だ。


アステラはコホンと咳払いをして誤魔化してから、リリーナと出かけるその日をソワソワしながら待ったのだった。




そして当日。

アステラは今日の為にさんざん悩んで選び、新調した軽いドレスを身に纏い、リリーナとの待ち合わせの場所に到着した。


「ふふふ、リリーナさんはまだかな」


待ち合わせ時間の二時間前である。

しかし、こうして待っている時間も幸せを感じてしまうアステラには、手持ち無沙汰な二時間もご褒美でしかない。


「アステラ様!お待たせしてしまって申し訳ありません」

「リリーナさん!全っ然待ってません!むしろ幸せだったので、もっと待たせて欲しいくらいでした!ふふ」


アステラが幸せな気分でリリーナを待っているとあっという間に二時間が経ち、約束の時間の少し前にリリーナが現れた。

家柄的にも格上のアステラが先に待っていたことに一瞬恐縮したリリーナだったが、アステラが満面の笑みだったことに戸惑いつつも安堵したようだった。


「カフェ、早速行きませんか。せっかくのリリーナさんとのお出かけですから、万一満席だったら嫌だなあと思い、テラスを貸し切りにしたんです。それから、リリーナさんの好物のクランベリーソースのパンケーキも限定十食だったので、3つ取り置きしていただいています!」

「たくさん、ご手配くださったのですね……。しかも私の好物迄ご把握くださって……。あの、ほんとうに恐縮です。ありがとうございます、アステラ様」

「あ、アステラ様だなんて、なんだか変な感じです。わたくしのことは、アステラちゃんとでも呼んでくださると嬉しいです!」

「ア、アステラちゃん……ですか?」

「はい!私もリリーナちゃんと呼ばせてください!」

「は、はい。お好きに呼んでいただければと思います」


……照れてるリリーナちゃんもかわいい!!心臓止まりそう!


アステラは満面だった笑顔を更にニコニコにして、カフェの方角を指さした。

小さく頷いたリリーナと横並びになって、ゆっくりと城下の煉瓦道を歩く。

さりげなく車道側を陣取って、アステラはまだぎこちないリリーナの横顔を盗み見た。

リリーナの方がアステラよりも少し背が高い。だけどそれが、改めてリリーナと自分が同じ世界に実在しているのだと感じさせてくれた。

生きていて良かったとは、こういうことを言うのだろう。



お目当てのカフェに到着し、テラスの特等席に案内されて注文を済ませると、リリーナが改まった顔で頭を下げてきた。


「今回はお誘いくださってありがとうございます。私は田舎から出て来たばかりの子爵令嬢なのに、貴女に声をかけていただいて本当に嬉しかったです。アステラ様は私の、憧れの方でしたから」

「わたしの方がリリーナちゃんとお話しできて幸せです!……って、リリーナちゃんはわたしの事を前から知っていたのですか?」

「はい。貴女は銘家の御出身で才色兼備で社交界の花で、完璧な方です。私は貴女のような令嬢になりたいとずっと憧れていました」

「え、ええ?!でもわたしは、リリーナちゃんのことは生まれる前から好きだったんですよ!」

「え?!生まれる前だなんて、アステラ様はユーモアにも富んだ方なのですね。ふふふ」

「ふふ」


2人して笑い、少しだけリリーナの緊張が解けたようだった。

そして料理が運ばれてきて、見た目も可愛いそれらに舌鼓をうった。

色々とお喋りをしながらデザートまで食べ終わったところで、アステラは核心に近い部分をそれとなく聞いてみた。


「リリーナちゃん、そういえば想いを寄せている方などいるのですか?」

「想いを寄せている方ですか。それが残念ながら私はそう言ったことに疎くて」

「ふむふむ」


リリーナの家は北部の子爵家だが、王国東部にある領地の第三王子の居城で侍女として働けることになったらしく、先月に田舎から出て来たらしい。

ゲームは第三王子の居城で働くところから始まるから、時系列としては、リリーナがあの王子に出会う前と見ていいだろう。


ギリギリセーフのタイミングにとりあえずホッと胸を撫でおろすが、時間が潤沢にある訳でもない。

まだリリーナを救う計画の案さえまとまっていないのだから、少しでも情報が欲しい。


「ではリリーナちゃん、どのような男性が好きですか?」

「えっ。男性の好みですか?私は選べるような立場ではありませんし、どのような方でも……」

「でも、少しは理想とかありませんか?ほら、優しいとか親切とか平和主義とか」

「あの、えっと……無口で、剣が強くて、頭が切れて、クールな方はちょっと惹かれます」

「ああ、やっぱりそうなんだ!」


……あの第三王子も無口で強くて、合理的でクールだった!

と言うかクールすぎて血も涙もない冷血漢だった!!


薄々分かってはいたものの、アステラは運命の強制力のようなものを早速感じていた。


それから恋愛についていろいろ根掘り葉掘り聞いてみたが、案の定分かったのは、リリーナが情に篤くて愛情深くて、とても優しく一途という事だった。

リリーナはこういう子だから一度好きになったら何をされても許してしまうんだろうな、と逆に納得させられてしまった。

でも、これではいけない。

リリーナが第三王子の城に勤め始めればすぐにでも、あの王子に惚れてしまうだろう。

アステラは何とかリリーナを救うヒントはないかと苦し紛れの質問を絞り出した。


「じゃあ……リリーナちゃんが絶対に好きにならないタイプの男性っていますか?」

「絶対に好きにならない男性、そうですね……。あ、当たり前ですが、既婚者の方でしょうか。それで言えば、婚約者がいらっしゃる方や、友人が思いを寄せている男性などもそれに当てはまると思います」


……既婚者とかは恋愛対象外なのね。まあ、当たり前……って、ん?


アステラはピタリと動きを止めた。

ここに来て、何か突破口のようなもの見えた気がした。


リリーナちゃんが絶対に好きにならない男性の条件。既婚者と、誰かの婚約者と、リリーナちゃんの友人が思いを寄せている男性と……。


「っ、本当に?!友達が好きって言ってるだけでリリーナちゃんは好きにならないの?!」

「は、はい。私は友人が想いを寄せる方であれば、自然と恋愛対象としてとは見なくなると思います。だって、応援してあげたいですから」


……それだ!!

リリーナちゃんが王子に惚れなければ、明るい未来が見えてくる!


アステラは心の中で叫んでいた。

設定は変えられないのではないかと不安になった気持ちを、払しょくできる希望が見えてきた。


……不幸になるしかないなんて、もうわたしが許さない。

リリーナちゃんの運命を捻じ曲げてやるんだ。リリーナちゃんのハッピーエンドを、この目で見るんだ!


熱い意志に突き動かされるように、アステラは勢いよく席から立ち上がった。


「わたし、リリーナちゃんの親友になりたい!ならせてください!」

「し、親友ですか?私と?良いのですか?!」

「はい!わたしが貴女のことを絶対に守ります。大切にします。それからわたし、突然だけど第三王子のゲオルグ様が大好きなんです。わたし、彼にすっごく想いをたくさん寄せているんです!」

「あ、アステラ様が第三王子殿下のことを?」

「はい!」

「そうなのですね、とっても素敵です!アステラ様のお家は第一王子派の御三家ですが、その運命を捻じ曲げてでも、第三王子殿下を想っておられるという事ですね!素敵、まるで物語のようです!」

「……あっ」


勢い任せに言ってしまってから気が付いた。


アステラの家は総力を挙げて第一王子を支持していて、王位継承争いに最後まで食い込んでくると予想される優秀な第三王子ゲオルグは、レイユース侯爵家の敵だった。

と言うか実際、何度も第三王子暗殺未遂を起こしているし、冤罪をでっち上げたり濡れ衣を着せたりあの手この手で彼を失墜させようとしたり、しかも何なら第一王子が挙兵して第三王子に仕掛ける全面戦争さえ計画されている。


……こんな権力争い真っただ中に娘がライバルの第三王子が大好きなんて言い出したら、普通に本気でお父様とお母様に殺されちゃうかも。


……というか、ゲオルグ様ってゲームで鬼畜冷酷王子だったよね。第一王子派の家出身のわたしなんて、近寄っただけで普通に瞬殺される可能性もあるかもなあ。


一瞬青ざめたが、アステラはプルプルと首を振った。

ブラック企業でこき使われて虚しく死んだ時に比べたら、推しの為に命を使えるなんて最高の贅沢だ。

いやもはや、推しの為に命を懸けることこそが正しい命の使い方のような気さえしてきた。


……大丈夫、死ぬ気でやればなんとかなる。ブラック企業に勤めてた時だって、毎日死にそうだったけど数年持ちこたえたし。




こうしてアステラは決意を改め、リリーナが第三王子の城で仕事を始める前の短い期間に、美味しいものを食べたり、一緒にパレードを見に行ったり、一緒に洋服を選んだり、全力で仲を深める努力をした。

そしてどれほどアステラがゲオルグのことを好きなのか語り、全力で偽ることに時間を費やした。




そしてリリーナが第三王子の居城で侍女として働き始めたその日、アステラは大きな花束を持ってお祝いに第三王子の城に出向いていた。

第三王子の大きな城の門前に到着すると、アステラは当然のように衛兵に止められた。


「レイユース家のアステラ様。こんなところに何用ですか?今日貴女がここに来る予定があるとは誰からも伺っておりませんが」

「ええ。この城の者に用などありませんわ。わたくしは友人の見送りに来ただけですもの」


城の衛兵たちは当然、第一王子派の家のアステラ・レイユースの顔を知っている。

曲がりなりにもライバル陣営の怪しい人間はすぐにでも追い返したいだろうが、アステラが貴族なので無下には出来ない。

それを知っているアステラも、侯爵家の権威を前面に打ち出した馬車と従者を従えてここまで来ている。


こうして第三王子の衛兵たちに睨みを効かせて門の前を陣取っていると、出勤しようとやって来たリリーナに無事会うことができた。


「あっ、リリーナちゃん、初出勤日おめでとう!」

「アステラさ……アステラちゃん!初出勤日だからわざわざお見送りに来てくれたのですか!?しかも、こんな立派なお花……!」

「推しの晴れの日だからお花は必須だよ。あと、このお菓子はこれから一緒に働く同僚の方に配ってね」

「お菓子は同僚の方に配るのですか?」

「そうだよ。リリーナちゃんが同僚の皆に良くしてもらえるように」

「アステラちゃん……!!本来なら私が用意すべきものなのに……ありがとうございます」

「ううん。初出勤日にお菓子持っていくなんて文化ここにはないもんね。リリーナちゃんは知らなくて当然だよ。推しに貢物をするのがわたしの幸せなんだから、気にしないで頑張ってきてね」

「本当にありがとうございます。アステラちゃんはいつも優しくて素敵で面白いですね。貴女はいつも私の憧れです」


リリーナは一瞬戸惑った様子だったが、アステラが推しに貢ぐ奇行を常日頃から行っているのでそれを拒否することは無く、大きな花束と大箱に入った菓子をアステラから受け取った。

そして嬉しそうに笑ったリリーナは、「では行ってきます」と頭を下げた。


しかしリリーナが歩き出す前に、後ろから背の高い影と、それを守るように歩く幾つもの厳格な足音が門に向かってやって来た気配がした。

先ほどまでアステラを威嚇していた衛兵たちがバッと頭を下げる。

アステラもリリーナも、その場で振り向いた。


やはりと思ったが、手練れらしき近衛や側近を連れてやって来たその人は、第三王子ゲオルグ・ヘルハイヴだった。

右眉の上に傷跡はあるが顔はかなり整っていて、濃いグレーの髪とアイスブルーの鋭い瞳が美しかった。


……近くで見ると、普通にかっこいいなあ。性格は鬼だけど……。


割と名の知れた令嬢であるアステラのことさえ無視するように歩を進めるゲオルグをぼんやりと眺めていたアステラだったが、別の場所から熱い視線がゲオルグに向けられていることにハッと気が付いた。


「あんなにかっこいい方が、いらっしゃるのですね……」


ポツリと呟いた、熱い視線の主はリリーナだった。


……まずい。


恋する乙女を連想させる熱い視線だ。

設定の強制力なんかが発動して、やっぱりリリーナはゲオルグに惚れてしまいました、なんてなったらたまったものではない。

先手を打たなければ。


「げ、ゲオルグ様!」


アステラはゲオルグが城の中に姿を消す瞬間、間一髪のところで呼び留めた。

ゲオルグはぴたりと立ち止まりゆっくりと振り返ったが、その片手は腰の剣に添えられている。

それを見たアステラの従者も武器に手をやるが、アステラは慌ててそれを制した。


「あの、今日は良いお天気ですね。ふふふふ」


アステラは重苦しい空気の仲、努めて軽快に笑った。

ゲオルグは当然のように返事をせず、アステラを射抜くように睨みつけている。


張り詰めた空気とプレッシャーに押しつぶされそうだ。

しかしブラック企業で働いていた時、鬼上司に怒鳴られながらプレゼンをした事がある。

それを何度か乗り越えてきたのだから、まだ負けるわけにはいかない。


アステラはリリーナに渡すため予備で用意していたお菓子を馬車の中から引っ張り出し、両手に抱えて一歩前に歩み出た。

そして大きく息を吸う。


「ゲオルグ様、それはそうと、今日も本当に、かっこいいですね!お顔が見られて幸せで、わたしは今日も一日頑張れそうです」

「……は?」


ようやく喋ったゲオルグの小さな一言は、珍妙なものに対して呆れて漏れ出た呟きのそれだった。


そしてアステラの隣のリリーナといえば、ゲオルグへの熱いまなざしはすっかり消え去っていて「アステラちゃん、頑張りましたね……!」とうれし涙をこぼしたようだった。

適当にでっち上げたアステラのゲオルグへの恋心を散々聞かされてきた心優しいリリーナは、心から感無量の様子だ。

ホッとしたアステラはもう一押しとばかりに、もう一歩大きく踏み出した。


「ゲオルグ様、実はわたし、貴方のことがとってもとっても大好きなんです!」

「何を言っている。帰れ」

「いいえ!貴方は無口だけど色気があって、顔が整っていて手足が長くて、強くてかっこよくて、わたしはずっと貴方に惚れていたんです!」

「聞こえなかったか?いい加減にしないとお前は首だけで家に帰ることになる」


ゲオルグは小さな音を立て、腰の剣の柄を握り締めた。

ゲームで画面越しに見たら強そうでかっこいいと思ったかも知れないが、目の前で凄まれるとめちゃくちゃ怖い。

しかしアステラは、やっぱり前世のブラック上司の方が怖かったと思い直し、笑顔を作った。


「そんなに怖い顔をしないでください。ね、よかったらお菓子をどうぞ!」


しかし、アステラが差し出したお菓子は、割って入ってきたゲオルグの従者によってあっさりと地面に叩き落とされた。


「さっきから黙って聞いていれば、何を考えておられる?そもそも、レイユースのような第一王子派の家の者からの食べ物など、殿下が召し上がる訳ないだろう」




こうして、無残に地面に散らばったお菓子と佇むアステラ一行は城の前に取り残された。

リリーナはまるで自分が失恋してしまったかのように青い顔をしていたが、アステラは落ちたお菓子を屈んで拾いながら、全力で息を整えていた。


……こ、殺されなくてよかったあ~。


恐ろしかったが、この経験を通して学んだこともあった。

あんなにグイグイいっても殺されないと分かった事が大収穫だ。

アステラの目的は「アステラがゲオルグを好きだとリリーナにできる限り見せつけること」だから、事あるごとに「好き!」と言えるのはありがたい。



ちなみに、アステラはゲオルグの城に連れて行った数人の従者に「今日のことは誰にも言わないように」と念を押した。

勿論、いくら従者たちが信頼できる者だったとしても、アステラの行動は何処からか漏れてる事だと理解はしている。だがもう少し自由にできる時間が欲しい。

アステラが何らかの追及を受ける前に、一日でも多くリリーナの前でゲオルグ好き好きアピールをして

「友人の好きな人は恋愛対象ではない」と言った純粋すぎるリリーナの良心に、少しでも爪痕を残しておかねばいけないのだ。




それからアステラは、無理やりアポを取って頻繁にゲオルグに会いに行き、リリーナが給仕として見ているタイミングを見計らっては積極的にアピールした。


「ゲオルグ様、今度デートにいきましょう!」

「お前と話している時間はない。消えろ」


「ゲオルグ様、今日こそデートの約束を取り付けに来ましたよ!」

「毎度人の屋敷に押し入って来て、今度こそ殺されたいか?」

「素敵なレストランがあるんです!そこでご飯を食べたら次はわたしお勧めのパティスリーでタルトを食べましょう。甘いものはお好きですか?デザートを食べたら美味しいお茶のお店に行きましょうね!」

「人の話を聞け」


「ゲオルグ様、来週末は暇ですか?」

「暇じゃない」

「わたし、美味しいお店をたくさん知っています!城下町なら安全は陛下のお墨付きですし、ゆっくりできますよ!」

「……君は本当に人の話を聞かない」


一生懸命ゲオルグに話しかけるとリリーナが嬉しそうにするので、アステラはゲオルグが溜息を吐くのを無視して時間一杯話し続けた。

ものすごいパワハラされても耐え忍んで笑って仕事をしてきた前世があるのだから、無視されても話しかけるなんてことは朝飯前だ。


そして会いに行くだけにはとどまらず、捨てられると分かっていても「この贈り物をゲオルグに渡してほしい」とリリーナに頼んだり、恋愛小説から丸々パクって書いた恋文を何度か渡したりもした。


ゲオルグの好みの女性のタイプを無理やり聞きだしてそれになりきったこともあるし、ゲオルグが趣味だと呟いたものはすべて一通りマスターしたりもした。


また、ゲオルグが戦いに出ると聞けば一晩中神殿で祈ってみたり、怪我をしたと聞けば貴重な薬を贈った。

それからゲオルグの領地の孤児院でボランティアをしてみたり、人手不足の病院で手伝いをしてみたり、貧困街で炊き出しなんてものもしてみた。


まあ、これも全て、リリーナに「アステラちゃんは、本当にゲオルグ様を愛しているんですね」と言われるためだ。

ゲオルグからしてみればとんだ迷惑行為でしかないだろうが、アステラも制限時間付きなのでなりふり構ってはいられない。


ちなみに当然の如く、それらに対してゲオルグから反応はない。

話しかけても最低限しか返してくれないし、手紙の返事も無い。ゲオルグの対応は超絶塩だ。

でも、ぶっちゃけそれが理想だ。

いやむしろ、鬼畜王子のゲオルグにまんざらでもなさそうな顔をされる方が困る。

ゲオルグに好かれたら最後、リリーナがゲームの中で辿った不幸が押し寄せてくるかもしれないからだ。




だがある日、アステラは顔を輝かせたリリーナから良い話があると切り出された。


「アステラちゃん、来月開催される王宮の舞踏会、行きますか?陛下主催のものですから、しがらみを全部忘れて皆で楽しむイベントです。ゲオルグ殿下も参加しますよ!」

「そっか、来月だったね。リリーナちゃんも来る?」

「はい!」

「ふふ、楽しみだね。ドレス、一緒に選びに行こうか!」

「はい!アステラちゃんはゲオルグ様の瞳に合わせてアイスブルー色にしますよね?」


楽しそうなリリーナに癒されながら、アステラは頷いていた。


……わたしは何色のドレスだったとしても、リリーナちゃんの幸せそうな顔が見られればそれで幸せなんだよねえ。




舞踏会当日、アステラは朝から準備をしていた。

最高にめかしたてて、「やっぱりレイユース家はちがうわね」と他の貴族達に一目を置かれなければならないからだ。


「アステラお嬢様、奥方様から仰せつかっているのはこちらの碧のドレスですが、よろしいですか?」

「いいえ、その横のアイスブルーのものにして頂戴」


コルセットを締められながら、アステラは第一王子の瞳によく似た碧のドレスを断固拒否して、ゲオルグの瞳を連想させるアイスブルーのドレスを選んだ。

本当はその横の、リリーナの木漏れ日のような瞳の色のドレスが来たかったのだが、リリーナを助ける為だと言い聞かせ、ぐっと我慢した。



準備が完了したタイミングで兄と妹が一緒に行こうとアステラに声をかけてきたが、それは断って、少し時間をずらして舞踏会会場である王宮へと向かった。


そして到着して数分も経たないうちに、一緒に入場しようと話していたリリーナが待ち合わせ場所に現れた。

リリーナは綺麗な薄紫のドレスを身に纏っていた。


「リリーナちゃん、今日もすっごくかわいいね……って、そのドレス?!」

「ふふふ、とても綺麗な色で一目惚れをしてしまったのです。アステラちゃんと一緒に買った物でなくてごめんなさい」


アステラの瞳と同じ色のドレスを着たリリーナは、ふわっと微笑んだ。


……反則、これは反則だよ……!!!


まさか好きな子が自分の瞳の色と同じドレスを着ているだけで、こんな幸せな気持ちになれるとは。

リリーナのあまりの可愛さに鼻血が出そうになるのを堪えながら、アステラはふらふらと会場に入った。


会場は思った通り煌びやかで、王宮楽団が楽器を奏で、広い広間では貴族たちが高価な衣裳を揺らして踊っている。

アステラはまばゆい光と金と銀の装飾に包まれたこの空間に慣れてはいるが、隣のリリーナは口をあんぐり開けて驚いているようだった。


しかしすぐに周りをきょろきょろと見まわしたリリーナはある一点で足を止め、アステラのドレスの裾を引いた。


「アステラちゃん、あちらにゲオルグ様がいます」

「あ、ほんとだ」

「ぜひ挨拶に行きましょう。そして一緒に踊ってもらいましょう。アステラちゃんが一番最初に踊ってもらえるようにしましょう!」

「うん、うん、そうだね」


リリーナは真剣な顔でアステラの恋を応援してくれているようだったが、リリーナに手を引かれたことの方が幸せでアステラはコクコクと頷いていた。


リリーナに引っ張られてゲオルグの元へ向かう途中、第一王子と第二王子と談笑する兄と妹の姿が見えた。

この前父親に問い詰められた時は上手く「第三王子の動向を探っているだけですわ」なんて言って躱したが、関係各所勢揃いの今日こそは、いつもの勢いでゲオルグ王子に突撃したらまずいだろうか。

それについ先日、第一王子の婚約者を決める為に他の有力家の娘たちと一緒に顔合わせして、王子に向かって適当に「王子は世界一かっこいいですわ」なんて言ったばかりだし。


そうこう考えているうちに、リリーナによって人の少ないバルコニーまで連れ出され、ゲオルグの前に押し出されてしまった。

アステラは、ゲオルグの無表情を見て反射的に微笑んだ。

「頑張って、アステラちゃん!」と言うリリーナの、微笑ましいものを見る眼差しが背中越しに伝わってくる。


「お目にかかれてとってもとっても嬉しいです、ゲオルグ様」

「……ああ」


アステラは深々と綺麗な淑女の礼をしたが、ゲオルグは無機質に儀礼的な一礼を返しただけだった。

ゲオルグがアステラに全く興味が無いのは当然のことなので、アステラがめげることは無い。


「ゲオルグ様、今日は一際かっこよいですね!本当に素敵です!」

「……君も」

「え?何か言いました?」

「いや」

「ですよね!ゲオルグ様はいつも塩対応ですからね!」


ゲオルグはやっぱり何も返事をしてくれなかったが、アステラは言葉を続けた。


「こんなにかっこいいと、多くのご令嬢に踊りを申し込まれてきっと大変ですよね。ゲオルグ様と一番最初に踊れる方が羨ましいです。それはもう羨ましすぎて餅が焼けてしまいそうです。ふふ」

「……踊ってみるか?」

「いいですね、ゲオルグ様は踊りも上手そうですしかっこいいし、きっと踊る姿も絵になります……えっ?」


アステラはゲオルグを二度見してしまった。

ゲオルグは特に普段と変わらない無表情だったが何となく視線を逸らされて、変にドキッとしてしまった。


「あ、えっと、もしかしてゲオルグ様が踊ってくださるって言いました?なんて、すみません。勝手に聞き違いしてしまいました!ふふ、ゲオルグ様がまさかわたしなんて相手にしませんよね。ただでさえ第一王子派の家の娘ですし」

「……」


ゲオルグは相変わらず静かだったが、小さく眉を寄せたようだった。

やっぱりアステラは敵方の家の娘だしリリーナほど魅力的ではないし、ゲオルグには嫌われているようだ。


「でもゲオルグ様、いくら嫌われようと、わたしはゲオルグ様が大好きですよ!うん、大好きです!」

「……」

「うーん、ゲオルグ様のそんな無口なところもかっこよくて好きです!塩対応なところも好き!クールなところも好き!それからえーっと、」

「君はあいつと結婚すると聞いたが」

「え?」


一瞬首をかしげるも、ゲオルグが呟いた「あいつ」はきっと第一王子のことだろう。

でも顔合わせはしたが、結婚まではまだ決まっていない筈だが。

再び首をかしげると、バルコニーを陰でこっそり見守るリリーナが視界の隅に映った。

「アステラちゃん、家同士のいざこざなんて愛の力でどうにかするって言ってあげてください!愛は権より強しですよ!」と鼻息を荒くしている気配がする。


……まあ、リリーナちゃんが可愛いから細かいことはいいか。


「結婚なんてどうでも良いじゃないですか。それよりも、いつデートに行きますか?わたしこの前、ゲオルグ様が好きそうな皮製品のお店を見つけたんですよ!」

「やはり話を逸らすか……分かっている。もう話しかけるな」


いきなりそう言ったゲオルグは、ふいっと踵を返してしまった。

すたすた歩いて、会場からバルコニーに繋がる大きな硝子扉に手を伸ばす。

しかしゲオルグが取っ手を握る前に、扉が音もなく開けられて、不自然に足音のしない人影がすれ違うようにバルコニーに入ってきた。


人影には何となく違和感があった。


訝しんだアステラは、ゲオルグとすれ違おうとしている見たことの無い細身の男性が、懐に光る何かを隠し持っている事に気が付いた。

短剣だ。

明るい会場と比べると薄暗いバルコニーでも光るその剣先はどうやら、すれ違うその瞬間に貫けるように、ゲオルグの心臓を狙っているようだった。


このパーティは陛下主催の舞踏会で、「今夜はみんなで全部忘れてパーッとやろう」争いも諍いもご法度の会だった筈なのだが?

いや逆に、その油断を狙って暗殺者が放たれたという事か?


……そういえばこのゲーム、こう言うのばっかりだったなあ。


しかし、アステラが冷静に状況を分析できたのはそこまでだ。

次の瞬間に、リリーナが暗殺者とゲオルグの間に割って入ろうと駆けてきているのが見えたのだ。


……リリーナちゃん!!!!


なんでこっちに走ってきてるの。

いくらお仕えしている王子だからって、ここでリリーナが身体を張って王子を守るというのか。

これではゲームと同じ結末になってしまう。

か弱いリリーナが犠牲になるなんて絶対にダメだ。


アステラは短剣の餌食になろうとしていたリリーナを突き飛ばして、間一髪のところでゲオルグを庇った。


「っ!」


背中に恐ろしい激痛が走って、「ああ死んだ」と確信した。

下手人が舌打ちをして逃走する。

だがそれを追う気力なんてものはなく、アステラは庇ったゲオルグの上に倒れ込んだ。


「おい大丈夫か!なんでこんなことしたんだ!なんで!」

「……あ、の」

「俺は大丈夫だ、喋るな!」

「リ……」

「ああ分かっている。大丈夫だ。傷跡も残らないようにしてやる。大丈夫だ」

「う……」


……死ぬならゲオルグ王子の腕の中じゃなくて、リリーナちゃんの腕の中が良かったって、言いたかった……。


心残りが残る中で、アステラは遠くにリリーナの声を聞いた。「アステラちゃんに何てことを!貴様はもう生きては帰さない!!」そしてバルコニーを飛び降りて逃走する下手人を追いかけて、リリーナちゃんが飛び降りていった音も聞こえた。


何かリリーナちゃんが妙にたくましいような……?

そんなことを疑問に思いながら、アステラが次に目覚めたのはレイユース侯爵家の離れにある薄暗い幽閉の塔だった。




……わたし、生きていたみたい。


しかし、喜んでばかりもいられない。

自分は小さな窓が一つしかない牢のような石造りの部屋で、怪我の手当ても最低限のまま寝かされている。

アステラは瞬時に自身の置かれた状況を理解していた。

今回アステラが身を挺してゲオルグを庇ってしまったことで、アステラが第三王子に加担しているのではないかという疑いがレイユース家の中でいよいよ濃厚になってしまったということだ。


「アステラ、起きたか」


低い声がしたので首を回して見てみると、部屋の扉の前にアステラの兄・ガリオンが険しい顔で立っていた。


「……お兄様。ゲオルグ殿下は?」

「あの男は救護室でお前の手当てを始めたようだったが、レイユース家の者があんな雑種に触れられては堪ったものではないから、俺がこうしてお前をここまで運んでやった」


偉そうな顔のガリオンだが、今のアステラが寝かされているのは冷たい部屋の硬いベッドだ。

十中八九、救護室でゲオルグの手当てを受けていた方が快適だったに違いない。


「お前は何故ここにいるか理解しているか」

「はい」

「ならば話は早い。お前は何を考えている?まさかこの気高きレイユース家の長女であるにもかかわらず父上らの意志に背き、第一王子にも不信感を与える行動をとった」


ガリオンは語気を強めて、寝ているアステラを睨みつけた。


「いいか、先の舞踏会での行い、お前が我が家への第一王子の信頼を落としたのだぞ。殿下はお前のことを大層気に入り、婚姻を前向きに考えると仰った。なのにあの愚行は何だ。殿下そっちのけであの第三王子ばかりに愛想を振りまき、挙句庇うような真似を」

「短剣を持った怖い人が突進してきたんですもの。わたくしは無我夢中で王族をお守りしましたまでです。たとえ第一王子の敵であっても、国王陛下主催のパーティで王族が刺されたなんてことになりましたら、この国の貴族の恥ですから」

「取ってつけたようにしか聞こえん。それに我が家は、あの雑種の第三王子を王族とは認めておらん」


ガリオンに雑種と呼ばれたゲオルグは、実は異国の血が混ざっている王子だ。

父親は国王陛下だが、遠い北部の国から生贄のように嫁に出されて側室になった姫が母親で、その母親はこの土地に馴染めずに、ゲオルグを生んで数年で溶け落ちるように亡くなった。


だから当然の如く、血統主義の古いレイユース家は、公爵令嬢だった正室と現陛下の子供である、超血統書付きの第一王子を推しているのだ。


「あのずさんな暗殺計画はやっぱりお兄様でしたのね。皆が楽しめるようにと陛下が開催してくださったパーティであんな刺客を放つなんて、お兄様には貴族としてのマナーを守る精神はございませんの?」

「俺は誰よりも高貴高潔な貴族だ」

「あら」

「話を戻そうアステラ。お前は第一王子殿下に忠実か?先のことは何かの間違いであったと心を入れ替えて、今すぐにでもお前が殿下に忠誠を誓うなら、殿下も父上も全て水に流してくれるだろう」

「そしてわたくしは、ゆくゆくは第一王子と結婚するのでしょうか?」

「そうだ」


アステラは暫く天井を見たまま黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


……第一王子と面会した時、お世辞言っちゃったのがまずかったのかなあ。やだなあ。ゲームの中の第一王子はメンヘラだったしなあ。


幾つかのエピソードで垣間見ることができた第一王子は、普通に恋人を監禁していたりした。

あんな王子と結婚するくらいだったら、リリーナの故郷辺りで野垂れ死んだほうがマシだ。


「よし、決めました」

「決めたか」

「はい」


アステラは痛む背中に力を込めてゆっくりと上半身を起こした。

そして当たり前のような顔をしているガリオンに一言、言い放った。


「勘当してくださって構いません」

「は?!」


せめて怪我を治してから家を出ようかとも思ったが、悠長にして第一王子との婚約の話が逃げ切れないところまで進んでも困る。

決断したアステラは、追い出される前に必要最低限のものを持って自ら家を出た。





箪笥の中にあった一番地味で一番分厚い衣類を見に纏ったアステラは取り敢えず、怪我を改めて診てもらうため、下町に出て医者を探すことにした。


しかし、アステラのような貴族は下町のような平民が住む場所にはあまり近付かない。それゆえに、街の勝手が良く分からない。

細い道や裏路地が幾つも交差して、店はほとんど看板を出していない。

見たことない通貨を使っている者もいるようだし、城下町にはない賭博場や薬物の店も至る所にあるようだった。


アステラは暫く彷徨ったが、やっぱり医者らしき人物の元にはたどり着けず、迷って途方に暮れてしまった。

そればかりか背中が痛くて力が入らず、ついには歩けなくなってしまった。


いつの間にか日が暮れ、下町は薄暗い闇に包まれていく。

時折、人の怒鳴り声や何かを蹴る音、犬の吠える音や赤ん坊が泣く声が聞こえた。

夜が深くなるにつれ、寒さが増してきた。

建物の影で蹲っていると冷汗も止まらなくなってきた。


……死ぬのなら、こんな場所じゃなくてリリーナちゃんの故郷がよかったな……。


刺された背中が燃えるように痛み、息も絶え絶えになって、流石にまずいかもしれないと思った時、見慣れた影が目の前に立ち塞がった。


「アステラちゃん!よかった見つけましたよ!侯爵家を出たと聞きました。ゲオルグ様のために決断されたのですよね?でしたらすぐにゲオルグ様の城に来てくださればよかったのに。ああ、傷口が開いているようですから急がなければいけませんね」


意識がもうろうとしてきたアステラの傍に屈み、その体を軽々と背負ったのはリリーナだった。


「アステラちゃん、大丈夫ですか?」

「……う、うん……」

「すぐに城に運んで手当をしますからね」


……リリーナちゃんのような気がするけど、でもリリーナちゃんはか弱い女の子だから、わたしを背負える程力持ちではないはず……。




あたたかい背中に揺られ、意識を失ったアステラが次に目覚めたのは大きくてふかふかでお日様の匂いのするベッドの上だった。

どうやらそこは、名門貴族のアステラの実家よりもさらに二倍くらい広い部屋の中のようだった。


下町で意識を失って誰かに助けられたことは覚えているが、果たして誰だったか。

ゆっくり首を右に回すと、誰かがベッドの端に突っ伏して寝ているようだった。


「……ゲオルグ様?」


濃いグレーの髪色に見覚えがあり、声をかけてみるとその人物はハッと飛び起きた。


「しまった、寝てしまっていた」


やはりゲオルグだったその人は、目を開けたアステラにホッとした様子で、水の入ったグラスを手渡してくれた。

アステラは何故この人がいるのだろうと不思議に思ったが、とりあえず喉が渇いていたので一気に水を飲み干した。


一気に生き返ったような感覚になったアステラが「さてどこから質問すればいいのやら」とゲオルグの顔を見つめると、ゲオルグは少し困ったような顔をした。

しかしここで、アステラははっきりとした違和感を感じる。


……ゲオルグ王子はいつも無表情だったはずなのに?



「もう一杯、飲むか」

「い、いいえ、大丈夫です」

「そうか。腹はすいているか?」

「は、はい」

「わかった。君は食べるのが好きだからな。すぐ食べやすいものを頼んできてやる。ゆっくり寝ていろ」


凝視して辛うじて分かるレベルの些細な変化ではあったが、ゲオルグの目が少し優しく細められた気がした。

しかもそれだけでなく、ゲオルグはすっと腕を伸ばし、アステラの額に乗っていたタオルを冷たいものに取り換えてくれた。

いつも冷たいゲオルグの明らかに優し気な行動に、さすがのアステラも驚いて声をあげてしまった。


「あのっ」

「なんだ」

「ゲ、ゲオルグ様が塩対応ではないような……?」

「塩対応、とは?」

「えっと、塩のようにあっさりというかなんというか、説明すると、えーっと」


アステラが思わず首をかしげると、載せてもらったばかりのタオルが額から落ちた。

アッと思ったのも束の間、ゲオルグが小さく笑ってタオルを載せ直してくれた。


……お、おかしい。笑った顔なんてゲームではもちろん、今までに一回も見たことない。なんだかゲオルグ王子の態度がおかしい。


しかしどのように質問をするべきかアステラが唇を震わせているうちに、ゲオルグは何かを察したのか、ベッドの横に再び腰を下ろした。

そしてゆっくり頭を下げた。


「俺は君のことを今まで信用してやることが出来なかった。君が俺のところに来てくれるはずはない、君は第一王子の為に動いているのだと思っていたんだ」

「と、いうのは……?」

「君は俺に耳当たりのいい言葉を言って油断させ、命か情報あたりを狙っているのだと思っていた」

「……なるほど」


要するに、ゲオルグはアステラが第一王子が差し向けたスパイなのではと疑っていたという事だろう。

しかしゲオルグは首を振って続けた。


「俺は今更、君が本気で慕ってくれていたのだと知った。君はあれほど俺に気持ちを伝えてくれていたのに、すまなかった」

「えっ?」

「君は自らの生まれ育った家さえ捨てる覚悟で……いや実際に捨てて、俺に伝えてくれていたのにな」

「えっ??」

「それだけじゃない。俺が戦いに出る時はいつも祈ってくれていて、怪我をすれば誰より早く心配してくれた。俺はあんな態度だったのに、それでも愛想を尽かすことなくいつも楽しそうに話してくれた」

「え、あの」

「その背の怪我だってそうだ。君が第一王子の為に俺を誑かそうと動いていたのなら、あんな風に俺の為に身を挺する必要はなかった」

「あのう……」


意識を失って目覚めたと思ったら、今度はゲオルグがよく分からない事を言い出している。

アステラはしどろもどろになりながら、視線を彷徨わせた。

そして大きな扉の隙間に、中を覗いていたリリーナがいたことに気が付いた。

リリーナは号泣していて、「アステラちゃんよかったですね、素敵です!ハッピーエンド、この瞼に焼き付けますから……!」なんて呟いているようだ。


リリーナが幸せそうなのは何よりだが、アステラがゲオルグの顔を見ると、彼は白い頬を少し赤く染めていた。


「君がいつも伝えてくれる気持ちを俺も返していけたらいいと思っている。多分君ほど上手には出来ないが、長い目で見ていてくれ」




これはまさか、ゲオルグと結ばれたルートのリリーナちゃんが辿ったものと同じ運命をたどり、アステラが不幸になる運命なのか……と思われた。



しかしゲオルグはいつまで経ってもアステラを敵方に人質に出すようなことはしなかったし、盾にしたり弾除けにしたりなんてことも無かった。

いやむしろ、「あの第一王子のやつまだ未練があるのか君を渡せと言って来たから、コテンパンにしてきた」なんて言って第一王子の兵に圧勝したりもしていた。


それに「誰にも教えていない場所だ」と綺麗な丘へ連れ出してくれたり、「あまり慣れていない」と言いながら花をくれたり、「君は食べるのが好きだからな」と可愛らしいお菓子を土産にくれたりした。

要するに、ゲオルグはアステラをとても大切にしてくれたのである。

まったく、ゲームの中で見て来た鬼畜のゲオルグとは大違いである。


そしてアステラもアステラで、第一王子派のどの家はどうすればゲオルグ側に寝返るかとか、優秀な部下になるのは誰だとか、第一王子側に渡してはいけないキーキャラクターとか、そのあたりの攻略情報を駆使してゲオルグを助けていた。

そして更に、前世のブラック企業勤めの間に会得した精神力とプレゼン能力で諸外国と貿易をしたり、法を整えたり、治安を改善したり、アステラは忙しく駆け回った。

ゲオルグが優秀であると陛下や貴族たちに示した功績は、ほとんどアステラの助力あってこそと言っていい。


そしてリリーナは、ゲームの中ではか弱く薄幸の美少女だった筈なのに、何故かゲオルグの近衛の中で最強格の七人に数えられていて、ゲオルグと第一王子の決戦の時も戦場で大いに活躍していた。

そして色々終結したころ、リリーナはアステラが前世の攻略情報を用いて仲間に引き入れた第四王子と結婚した。


「ふふふ、アステラちゃん。この世界、バグでキャラクターの組み合わせがおかしかったみたいです。これでは私が一人で何度やり直してもバッドエンドにしかならない訳です」

「ん?何か言った?」

「いいえ、それよりお茶のお替りはいかがですか?」

「ありがとう、いただくね」


アステラはこうして茶会などで幸せそうなリリーナをすぐ傍で見られて、とても幸せだ。

本当はそれだけでもう十分なのに、ゲオルグが小さく笑うだけでまた幸せになるのだから、幸せ過ぎて死んでしまうと思う今日この頃だった。




「幻のハッピーエンド、ありましたね」





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