第六話 水無瀬市中央区
約束の土曜日。
春だからと浮かれるにはまだ早いようで、早朝というのもあってかだいぶ肌寒い。
冬の匂いはしなくなったものの、体感温度で言えばまだ冬だ。
朝の水無瀬駅は休日出勤なのかスーツを着たサラリーマンや、これから旅行に行くのであろうキャリーケースを持った家族連れ、リュックを背負った大学生らしき男女など、多種多様な人々が往来している。
これだけ人が居ても都市伝説を調査しよう、なんて人は他に居ないのだろう。
そんなことを考えていると、目の前に見慣れた人物が立っていた。
「随分早い到着だね」
「予定より早く駅に着いたのでそのまま来ちゃいました」
赤いロングコートを着て、手にはいつものトランク。
ただ、今回はトランクにキャリー台がついていた。
「もしかして口裂け女がテーマですか?」
「御名答。 マスクを着けたら完璧だろう?」
耳まで裂けた口を隠すためのマスクをつけた赤いロングコートの女。
部長の格好は正しく口裂け女の目撃証言そのもので、このまま電柱脇に立っていたら本物と間違われても仕方ない。
「さすがに今回は口裂け女探しじゃないんですよね?」
「残念ながら水無瀬市に口裂け女の目撃証言はないからね、今回はメジャーな異世界もの中心にしようか」
「それって異世界エレベーターとか異世界トンネルとかの……」
「そう、それだよ。 水無瀬市は他の市と比べてもかなりのバリエーションがあるんだ」
嬉しそうにそう語るのは良いが周囲の視線が気になって仕方ない。
ただでさえ目を引きやすい部長が赤いロングコートを着て立っているんだから当然視線が集まってしまい、それに向かい合って立っている俺にも容赦なく視線が突き刺さっている。
「とりあえず、歩きながらかどこか店に入ってから話しませんか?」
「ん? じゃあ一番近い異世界ホームに向かいながら話そうか」
そうして俺たちは改札を出ず、駅のホームへと戻る。
水無瀬駅のホームは全部で五つ。
中央線、北東線、北西線、南東線、南西線。
水無瀬市の電車は環状線である中央線を中心に、バツの字状に伸びた四つの路線で市全体を覆う形となっており、ここ水無瀬駅はその名の通り水無瀬市で最も大きく最も重要な駅とされている。
そんな駅に異世界ホームがあるとは初耳だが。
「朝九時集合はこれが理由でね。 噂では朝、夜ともに九時九分丁度、水無瀬駅北東線ホームに透明な電車が入ってくるらしい」
「その電車が異世界行きなんですね」
「ああ。 しかも一日で帰って来なければ異世界に取り残されてしまうとか」
北東線は山間の工業地帯に繋がっており、六時から九時までの時間は本数が多いものの、それ以降は昼過ぎまで数える程度しか走っておらず、夜も九時には終電が来てしまうような路線で、水無瀬市民でも年に数回乗るかどうかといったところだ。
利用頻度の少なさからそういった噂がたったとも考えられるが、それにしても、九時九分は運行している電車のダイヤに近すぎるのではないだろうか。
現に、直近のダイヤは九時一分発となっている。
「さすがに嘘っぽいですけど」
「まぁ、あと数分なんだし待ってみよう。 万が一来ても乗らないから安心して良いよ」
もし来たら喜んで乗りそうなものだが。
そして、何も起きないまま時刻は九時十分。
無言で線路を眺める部長にも変わった様子は見られない。
「何か起きましたか?」
「うん、わずかだけど不思議な魔素が流れてきたよ。 電車とは程遠いけど、不思議な感覚を覚える人も数人は居るんじゃないかな」
「害はなさそうですか?」
「そこまでではないかな、悪いものじゃなさそうだし。 たまたまここに魔素の通り道があって、敏感な人が不思議な体験をした、って感じのオチかな」
部長は残念そうな顔をして、はぁ、と小さく息を吐く。
無人のホームは、普段人で溢れている所に人が居ない、というだけで異世界のようにも感じられるが、流石にその程度で都市伝説というわけにはいかないだろう。
本日一発目の都市伝説ははずれ。
もともとあまり期待してはいなかったが幸先の悪いスタートになってしまった。
「次はどうします?」
「ネタとしては君も例に挙げた異世界エレベーター、怪異っぽいのだとおとしごさま、安全そうなのは賢者の木、あとは運命の相手が映る魔法の鏡、なんてのもあるよ」
「おとしごさまと賢者の木は聞いたことが無いです」
エレベーターと魔法の鏡は置いておこう。
連続で異世界ネタはつまらないし、運命の相手は正直興味が無い。
「大昔、このあたりは水無瀬の名の通り水に困っていた時期があったらしくてね。 生贄だの人柱だの、手段を選ばずやれる事はなんでもやったが解決できず、最終手段としてよその龍神様の子供を連れてきたらしい。 そしてそれをおとしごさまと呼んで奉った、という話なんだが、都市伝説ではそれではいおしまい、とはいかないらしい」
声のトーンを落とし、まるで怪談をするかのようにして部長は語り続ける。
「おとしごさまは水無瀬市のいたる所で目撃されていて、悪人を見つけると頭からばりばりと食べてしまうんだとか……」
「親と引き離された恨み、とかで水無瀬市民全員襲われたりしないんですね」
「どうなんだろう。 子供ではなく落とし子、と呼ばれているのも不思議な点だけど」
たしかに、わざわざ落とし子とされているのはどういう理由だろう。
「おとしごさまは会おうとして会えるものでもないらしいから、これはあくまで知識として知っておく程度になりそうだ」
「賢者の木は?」
「賢者の木は、中央公園の一番古い木の穴に知りたい事をささやけばその木が答えてくれる、というものだね」
部長のチョイスにしては本当に平和なもので、都市伝説調査と聞いた時に想像したものとは大違いだ。
今回の調査はやはり、部長なりの労いの意味も込められているのだろう。
「とりあえず、水無瀬駅周辺を歩こうか。 今回はデートも兼ねてるんだし」
「わかりました。 朝ご飯は食べてきましたか?」
「いいや、食べてないよ」
「じゃあ何か食べながら歩きましょう」
「何か甘い物があるといいんだけど」
と、北東線のホームから水無瀬駅出口の改札へと向かう途中、部長に続いて階段を上り始めたところで気が付いた。
部長の髪が、微かにだが金色に変わっている。
薄い金。
もはやクリーム色に近い色味だが、光の反射にしては色味が強い。
「部長、髪の色が」
「あぁ、ちょっと影響を受けたみたいだ。 悪い気もしないし、むしろちょっと元気になった気がするよ」
都市伝説の内容とは違うものの、北東線の異世界ホームは全てが嘘ではないらしい。
「やっぱり自然物からくる魔素みたいだ。 山が多い北東部から線路に沿って流れて来るのも納得だよ」
前に部長が話していた内容を思い出す。
魔素は人の意思や感情と密接な関係があるため、信仰の対象になるものや人から注目を浴びるものなどは魔素が溜まりやすいらしい。
良いにせよ悪いにせよ、そうして魔素が溜まったものは人に影響を与えるそうだ。
今回の異世界ホームと異世界電車はそれが良い方向に働いたという事だろう。
「ほら、急がないと売り切れるかもしれないよ」
「売り切れるって、もう何食べるか決めたんですか?」
「カスタードのたい焼きかクレープ。 この髪を見てたら食べたくなってきてね」
「カスタードの魔素なんですか、それ」
「カスタードの神様が居るのかな」
なんてふざけながら、駅前の近代的な商店街へと歩みを進める。
水無瀬市で一番高い建造物である水無瀬グランドツリー周りは昔ながらの商店街とは違い、オシャレな外観に若者ウケしそうな商品を並べたお店が並んでいる。
北欧雑貨、古着屋、アイスクリームショップ、などなど、一人では通りを歩く事すらはばかられる煌びやかなラインナップ。
楽しそうにその一つ一つを回る部長は、本当にデートにでも来ているようだった。