第三十二話 呪いそのもの
「ああ気付いてたよ、あの呪いのビデオは白石さんが配ってるって」
小野寺さんの言葉に、俺と湊は固まってしまった。
「え、じゃあなんですぐに祓わなかったんですか!」
湊が声を荒げるのも無理はない。
そんな相手と対面し、あんな狭い場所に居たのだから怖くなって当然だ。
湊の顔には明らかな恐怖が浮かんでいる。
「呪いとの結びつきが強すぎてね、味方のフリして油断させてた」
「そうなる可能性があるなら初めに言っといてくださいよ!」
後ろから、いてっ、と小さく小野寺さんの声がした。
後ろが騒がしくなるが運転中に振り返る訳にもいかない。
ただでさえ携帯で会話しながらなのだから余計危険だ。
「賑やかなのは良いけれど、君は怪我とかしてないだろうね?」
「はい、幸い怪我は無いです。 白石さんが破片で手を切ったくらいで」
電話越しの部長の声はとても不安げで、本気で心配してくれている事が伝わってくる。
面と向かっていてはこんな事を考える余裕も無いが、不安げにしている部長は可愛らしい印象を受ける。
「大したもんだよ稲垣君は。 あの状況で全く怯えず、すぐに白石さんの手を止めたんだから」
小野寺さんが後部座席から身を乗り出して、部長に聞こえるようにそう話す。
普段怪異と接してきたからか俺の恐怖心は鈍くなっており、早々怖がる事は無い。
今回はそれが活きたのだろう。
「もし止められなかったら、どうするつもりだった?」
部長の声が一気に冷たくなる。
電話越しに魔素は届かないはずだが、背筋が冷たくなるような気がした。
「どうもなにも、殴ってでも止めてたさ」
小野寺さんは相変わらず飄々とした様子でそう返す。
確かにあの時、小野寺さんはテーブルの下で拳を握っていた。
しかし小野寺さんが殴るなんて、そんな姿は全く想像できない。
今回はそれだけ危険な場面だったという事だろう。
「人を全く気にしていないようで、意外と優しいんですね」
「うん?」
俺の言葉に、小野寺さんは少し考えた顔をする。
少しの間そうして、
「そりゃあ君たちを殺させる訳にはいかないからね」
と不思議な事を言った。
「は? 殺させるって、白石さんは自殺を図ったんじゃ……」
「稲垣君に止められるまでは無意識だったと思うよ。 呪いに操られた結果さ、いくら自殺する気があったって、普通あんなに強く破片を握れないよ」
困惑している湊に、小野寺さんは決定的な事実を告げる。
瞬間、湊は怯え切った顔で自身の体を抱き、俯いて震えだしてしまった。
もしかしたら、殺されていたかもしれない。
その事実と、無意識とはいえ、向けられた人の殺意を知った今、恐怖が蘇ってしまったのだろう。
運転に集中してはいるが、俺の心臓も早鐘を打つように鼓動を速めていた。
「でも、祓ったならこれで終わりですよね?」
「いや、元凶となった怪談を探さないと。 人を操るどころか、ビデオを持っている人間を探知して罠を仕掛けられる呪いなんて聞いた事も無い。 これは放っておけないよ」
湊のフォローになればと言った言葉も、予想外の言葉で返されてしまう。
ビデオを持つ人間を探知して罠を仕掛ける。
これはどういう事だろう。
「ビデオを持つ人間を探知して罠を仕掛ける、って」
「近くに住んでいて、欲しいビデオがある人間にその内容を念写するんだ。 昔のアニメや失くしたホームビデオとかね。 で、呪いを混入させる。 賢いだろ?」
にわかには信じ難い。
霊能力者じゃない白石さんの体を操ってそんな事が出来るのか。
もし出来たとして、そんな呪いと関わりの強かった白石さんが無事で済むのか。
「白石さん、呪いそのものになりつつあったんじゃないかい?」
静かな車内に、部長の声が響いた。
「霊能力の無い人間がそれだけの力を持つのなら、犠牲になる部分が必要だ。 今回の場合だと人間性どころか、もっと大事な物を失っているんじゃないのかな、例えば、命、とか」
予想外の言葉の連発にもう頭がついていかない。
もし命を犠牲にしていたなら、俺たちが会ったあの白石さんはなんなんだ。
確かにやせ細り、狂気に満ちた目をしていたが、命を犠牲にした人間が二十何年も生きられるものなのか。
呪いそのものになる、とは。
「足りない部分を呪いが補っていたんだろうね、もう祓っちゃったからしょうがないけど」
小野寺さんは頭の後ろに手をやってやれやれといった顔をしている。
「それって……じゃあ白石さんはもう」
「余命幾ばくも無いだろうね」
小野寺さんからようやく予想通りの答えが返ってきたが、内容が最悪すぎる。
呪いに悩まされ、生涯をかけて調査してきた白石さんがその呪いをばら撒く感染源で、しかもその呪いによって生かされていた、なんて質が悪すぎる。
思わず体に力が入り、奥歯がぎしりと音をたてる。
「ね、放っておけないだろう?」
バックミラーを見ると、湊は俯いたまま微動だにしていない。
感情豊かな湊にこの話は辛すぎる。
また場所を改めた方が良いだろう。
「湊、大丈夫か?」
「え……あ、大丈夫ですよ先輩。 ただ、少し、震えが止まらなくって……」
あははと笑って見せているが青白い顔をして体を震わせている。
どう見ても大丈夫じゃないのは明らかだ。
「小野寺さん、一度喫茶店に停めても良いですか?」
「うん、そうしよう。 今回は僕もデリカシーが無さ過ぎた」
流石の小野寺さんもただならぬ湊の様子に反省したようで、湊の肩をさすりながらごめんと謝っている。
「もし次、渉を巻き込むようなら私も同行させて貰うよ。 私の居ない所で怪我をされるのは我慢できないから」
ひと際冷たい部長の声が響き、電話が切れる。
その声から、俺は黒くなった部長のあの雰囲気を感じてしまった。
我慢できないとは、何に対してだろう。
「君の所の部長、君が絡むと怖すぎない?」
小野寺さんはふざけたようにそう言って、一足先に車を降りる。
それを追うように湊が席を立ち、俺も喫茶店の中へと入った。
喫茶店では他愛もない話をした。
俺が部長と出会った時の話や入部を決めた時の話。
それにちなんで、小野寺さんと湊が出会った時の話と、入部の経緯を聞いた。
小野寺さんと湊の間には、湊の霊媒体質を小野寺さんが治したという関りがあるそうで、湊がまだ高校生だった初めての依頼の時にはその霊媒体質絡みで同行していたらしい。
初めて聞く話も多く、俺としても良い気分転換になった。
湊はと言うと、調子を取り戻してからやたら俺と部長の話を聞きたがり、何かを聞く度に茶々を入れて来た。
俺にその気は無くとも、湊からすればいわゆる恋バナになるのだろう。
きっかけは何かだの、どちらからアプローチをかけたのかだの、質問されているこちらが恥ずかしくなってくる。
しばらく喫茶店で過ごした後、俺たちは学院に戻った。
事前に伝えていた通り、俺がこの件に関わるのはここまでとしよう。
名残惜しそうにする二人に見送られ、オカルト研究部へと向かった。
「やぁ、おかえり。 元気そうで何よりだ」
「ただいま戻りました」
部長は定位置から立ち上がり、近づいて俺の体をまじまじと見てくる。
どこも怪我はしていないので大丈夫なのだが、その念入りなチェックは数分間続いた。
「あの、怪我はしてないですよ」
「そうみたいだね、メンタルチェックもしておこう」
そのまま部長は抱き着いて来て、腰から背中の辺りをガッチリと掴まれてしまう。
日頃ひんやりとしている部長の体が今は温かく感じる。
俺の体がそれだけ冷たくなっていたという事だろうか。
「あの、ありがとうございます」
「からかってるのにお礼を言われるなんて、これじゃからかいに拍車がかかりそうだ」
この人は俺がメンタルを消耗している事がわかっていて、わざとふざけてこうしている。
今日の出来事の壮絶さを考えると、この部長の暖かさがどれだけありがたいかがわかる。
「ふふ、シェアハウスの効果かな? 良いよ、何も言わなくて」
思わず部長の背中に手を回し、抱き返してしまった。
部長はそんな俺の心境も見透かしているようで、内心焦ってしまった俺を優しく抱きしめてくれている。
安心感を覚えると共に、力を入れたら折れてしまいそうな部長の細さに少し怖さを覚えてしまった。




